―隣の花は赤い―

 猫が獲物を狙っているようだと、門田は思った。
 しかし実際、彼に見えているものは床に腰を下ろした折原イザヤが、じっとダイニングテーブルに置かれたマグカップを眺めているという奇妙な光景である。もうかれこれ10分間は中のインスタントコーヒーを視覚的に舐めているのではなかろうか。先ほどまで台所に立っていたので確認はしていないが、おそらく間違いないだろう。もう数え切れないほど門田の部屋で朝を迎えてきたが、折原は一度たりとも「朝」に覚醒したことは無い。
 彼は低血圧なのだ。

 「穴が開きそうだな」

 声を掛けてから、冷めてしまったカップを下げて茶碗と椀と箸を並べる。コツリ、カチリ音がするたびに折原の視線はそれに釘付けになった。門田は知らない(知らせるつもりもない)が、折原は門田が大切な物を扱うように、そっと指先で持ち上げるさまを好ましく思っている。つい、微笑んでしまうのだ。あまりにも無骨な指先の、繊細さに。

 「文学的だね」

 視線を移すことなくぽつり零した折原に、なんのことかわからないといった顔をした門田は、ややあって先ほど発した言葉がようやっと彼の脳内に届いたのだと理解した。
白米と味噌汁と出しまき卵に、納豆と焼き海苔。朝食としては十分すぎるそれは15分しない間にきちんと調理されてテーブルに並べられた。いただきます、と手を合わせた門田に合わせて折原も子供が後を追うようにぽつりと呟く。その声に、多少機動性は悪いが普段からこうであったらいかほどか、と門田は思わずにはいられなかった。

 「あ、うまい。これ、ご飯、おいしい」
 「ああ、新米だからな。こないだ親戚が送ってくれたんだ」

 折原は人形のような食事の仕方をする。箸先でほんの少しを、口にいれ咀嚼し嚥下するさまはどこか規則的なのだ。

 「ドタチンって田舎似合うなー」
 「どういう意味だ」
 「なんかその無駄な包容力はどこでも発揮されそう」
 「……」
 「いいなー…」
 「まだ寝ぼけてるのか?」
 「まぁ、眠いけど。そうじゃなくて、どっか山奥でドタチンがせっせと野菜やら稲やら育ててるんだ。で、俺はただそれを見てるって生活、あこがれるよ」
 「…手伝えよ」
 「嫌だね」

 本当に寝ぼけているんだろう。その山奥には折原の好きな人間はきっといない。その山奥の住人は規則正しく日々の生活を営み、健康的で美しい人生を送っている。彼らがどう頑張っても、入り込む隙間は無い。

 「お前でもそんなものに憧れるのか…?」
 「手に入らないと知っているものはなんだって美しいさ」

 クスクスと笑いながら饒舌に成っていく折原に、門田は彼が覚醒していることに気付いた。
 この夢物語は寝ぼけながらの軽口ではないのだ。

 「そのくらいなら、叶えてやれそうだけどな」
 「…冗談だから…。まったく。ドタチンは何でも鵜呑みにしすぎだ。いつか詐欺られるぞ」
 「結婚詐欺の話なら、俺を引っ掛けられる奴は一人しかいねぇよ」
 「黙れ」

 規則的な速度を保っていた箸の上げ下げが、ほんの少し早まったことから折原の動揺がみてとれる。からかい過ぎたと、頭を撫でたがどうやら猫は機嫌を損ねてしまったようだ。

 「何か他に欲しいものは?」
 「惰眠」

 言って、席をたった折原の頬は、どこか染まって見えた。



終わり

朝チュンなドタチンは良い男なのです。


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