君が抱えるもの








名前が駅前の喫茶店でバイトを始めて今日でちょうど3週間がたった。頭で理解して覚えるのは苦手らしい名前も、実際にやってみて体で直感的に覚えるのは得意らしく、いざ接客をやらせてみると、見て覚えた先輩の姿を真似てしっかりと仕事をこなすことが出来た。敬語も慣れれば普通に話せるようになり、教育を任された俺としては後輩が巣立っていくことに対して少し寂しくもあったが、ひとつ肩の荷が降りたような気がしていた。




『マルコ、マスターがコーヒー入れてくれるって』




「よい」




もうすっかり俺になついてしまった名前は、今ではまるで本当の弟のようだ。予想通り敬語を使わないというか使えない名前は、俺を血の繋がった兄のように慕い、分からないことがあったらなんでも尋ねてくるし、学校でのことや家でのことなど、些細な出来事まで話すようになった。そして俺はその楽しそうな名前の表情に癒されているわけで。




コトン、と目の前に置かれたアンティーク風のカップには、湯気をたてる美味しそうなコーヒーが注がれている。それは俺好みのブラックコーヒーで、黙っていても出てくるそれはマスターが客のコーヒーの好みを全部分かっているからだ。名前は俺の隣で椅子から身を乗り出し、カウンターの向こうがわでコーヒーの注がれたカップにふわふわの生クリームが落とされる様を凝視している。植物性とはいえコテコテの白い塊を戴くのは気が引けるが、甘いもの好きの彼には胃もたれなんかは気にならないらしい。生クリームがカップに着水したのを見ると、名前はマスターを上目で見て、あとちょっと、とお願いをした。マスターも名前を甘やかして、さらにカップに生クリームを落とした。
名前は満足そうな笑顔でカップに口をつけると、ぷはっと小さく息を吐いた。




『マルコはなんでそんな苦いの飲めるんだよ』




俺の味覚がおかしいんじゃないかと言わんばかりの怪訝な表情でそう言った名前は、ゆっくりとカップをカウンターに置いた。それはこっちのセリフだよい、と俺が言い返すと、名前はさらに眉間のしわを深め、うーん、と唸った。しばらく首を捻り続けた名前だが、細めた目でこちらを見ると、じゃあさ、とこちらに身を乗り出し、生クリームが盛っているカップをこちらに差し出した。




『飲みあいっこな!』




小学生みたいに無垢でキラキラした瞳に言われたら、断ることなんかできない。正直生クリームとか甘いものはあんまり得意ではなかったが、可愛い弟のため、俺も笑ってカップを差し出した。自分のもののかわりに目の前に引き寄せたコーヒーは、白い塊のせいで水面が見えない。そういえばコーヒー自体にも砂糖を入れていたな、と無糖派の俺にはそれだけでも辛そうな現実を目の当たりにし、みぞおちのあたりがキリキリと痛んだ。
しかし隣の名前もそれはおなじなようで、目の前の黒い水面を、未確認生命物体を見るくらい警戒心を丸出しにして見つめた。




お互い覚悟をきめ、ゆっくりとカップに唇をあてがった。恐る恐るカップを傾けると、口内に流れ込んでくる暖かくてむちゃくちゃ甘いコーヒーと生クリーム。想像を絶する甘さに一気に胸焼けがした。とりあえず一口だけ口をつけてそれを名前の方に突き返すと、名前は舌をつきだしていた。苦い苦いと喚きながら返ってきたウィナーコーヒーをぐいっと一気に飲み干すと、口のまわりにくっつく生クリーム。
ああ、まったく。これだから子どもは。
でも別に心底呆れたわけじゃなく、どっちかというと、新たな名前の可愛いところの発見に心が踊った。




『やっぱり・・・おれは子どもなのかな』




唐突に深刻な表情でそう呟いた名前にマスターは、味の好みは人それぞれだよ、と微笑みかけた。名前もつられて表情を柔らかくすると、マスターは名前の柔らかい髪を撫で、君にはその笑顔が一番よく似合う、と言った。それに同感した俺もそんな幸せな空気に包まれて微笑みながら、コーヒーを飲み干した。




そしてその日の夜、8時に喫茶店の閉店を見届けた俺たちは、バイトを終えた足でぶらぶらと街を歩いていた。お互い家には電車を使わなければ帰れないのだが、翌日は休日ということで気分が軽かったので、駅とは逆方向の繁華街に繰り出したのだ。街は部活帰りや会社帰りの人たちで賑わい、その多くがカップルや飲み会を控えたサラリーマン。その中に混じって歩く俺たちは、一見するとナンパでもしようとしている寂しい男二人組のようで。
別に何かを買ったりするわけでもなく、ただディスプレイされているものを眺めて店を冷やかす。目的もなくぶらぶら歩いていると、不意に名前が俺に尋ねた。




『マルコって、彼女いねぇの?』




唐突な質問に驚いたものの、正直に“いない”と答えた。言い寄られはするが、体目当てで付き合うほど俺は飢えてない。
マルコかっこいいからモデル級の美女とかと遊んでそうだけどな。そう言って笑う名前に軽くゲンコツをいれると、名前は頭を押さえてこちらを睨んだ。
お前はいないのかよい。どうせいないだろうと半ば馬鹿にして、仕返しとばかりに尋ね返した。すると予想外に真面目な顔になった名前は、歩くスピードをうんと落としてうつむいた。




『いた・・・よ』




“いた”
過去形の言葉に、もしかしたらものすごく酷い別れ方をしたんじゃないかと想像して、昔の傷をえぐってしまったかもしれないと少し申し訳なくなった。どんな酷い女だったかは知らないが、若いうちにいろいろ経験しておくといい。そう言ってしょげてしまった猫背を叩くと、俺は名前を追い越して歩いた。しかし、しばらくして足音が聞こえないことに気づき、不思議に思って振り向くと、そこにはうつむいて立ち尽くす名前がいた。道行く人の視線が痛い。




「ほら、何やってんだよい」




さすがにこれは恥ずかしいし、道の真ん中で突っ立っていては迷惑だ。俺は名前の腕を掴むと、強く引っ張って駅の方に引き返した。腕を引かれた名前は、ただふらふらとつまずきながら後をついてきているのがわかった。
まだ出会って3週間。こいつがこんなナイーブな奴だとは思わなかった。根は真面目だがいつもヘラヘラと笑っていて、頭も良くない。たぶん過去のことは引きずらないタイプなんだろうなあ、と勝手に認識していたらしい。




駅にたどり着き、俺たちは駅前の低い階段に座り込んだ。










君が抱えるもの



(弟みたいだとか言っておきながら、俺はこいつのことを何も知らなかった)









continue...





20111105


三話!
夢主の過去ってなんかいろいろ複雑そうですね




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