このおはなしの三年後


 この時期になると、なんとなく思い出す。汗にまみれながらフィールドをかけぬけたあの頃の記憶。泣いて笑って、色んなことをみんなといっしょに乗り越えた、まだ中学生だった俺。


 夏のなまあたたかい風に打たれながら、講習の帰り、駅までの道をのんびり歩く。進学した高校のサッカー部は人数が少なくて、二年になっても練習試合すら出れないけれど、部員同士仲が良くてまとまりがあって、お気楽ではあるが毎日たのしくやっている。打算や建前を抜きにして人と向き合えるようになった俺は、荒んでいたときよりずっと笑う機会が増えたし、友だちと呼べる存在もたくさんできた。頑なだった俺を変えたあの人は今そばにはいないけど、頼らなくたってもう以前の俺のようにカラに閉じこもったりしない。


 あの人、もとい霧野先輩とは、先輩の卒業式から二年以上会ってなかった。中学三年に上がった当時は、先輩がいないことにどうしても慣れられなくて、寂しくて悲しくてなんにも集中できなかったり、メールを作成しては送信せずに削除したりと、思い返しても恥ずかしいくらいに女々しいことばかり。
 先輩は土日になると、まれにOBとしてサッカー部をのぞきにきていたらしいのだが、それもことごとく俺が用事か何かで休んでる日にかぶっていて、結局一度も顔を見れなかった。あのときはどうしてもそれが心にひっかかって、先輩はもしかしたら俺に会いたくないのかな、だからわざと俺のいない日に来るのかも、なんて悩んで勝手に傷ついてたけど、今では、会わなくてよかったなって思ってる。

 先輩のことを好きだったのは、もう昔のはなし。すこし低い手のひらの温度も、狩屋って俺を呼ぶ声も、屈託のないキレーな笑顔も、何もかも色褪せた。実は俺霧野先輩のことが好きでしたーって自虐的なカミングアウト、天馬くんにも輝くんにも、他の誰にもしていない。たったひとり、段々薄くなっていく先輩の影を見つめては、ああ、俺は先輩のなかにまだいるのかな、そんな思いを積み上げて。


 夏季講習は、行き帰りのめんどくさささえ除けばとても有意義な時間で、国公立大学の指定校推薦を勝ち取りたい俺としてはかなりためになるものだった。大学入試における成績上位者の授業料免除制度を知ったのは二年になってからだけど、そこからめきめき学力が伸び続けている。ヒロトさんは無理しないようにと言ってくれたけど、これは園への恩返しだけじゃなくて、自分の自信と将来にもつながるから、ってちょっと大人ぶったように返したら瞳子さんを泣かせてしまって、マサキがこんなに立派になってうれしいわ、そう言われてなんだか照れくさかった。どうやら俺は俺の知らないうちに成長していたらしい。


 近くにある名前もしらない中学校のグラウンドから、運動部らしき元気な声が聞こえる。母校の雷門中には、卒業したきり一回も足を踏み入れてない。忙しいからというのは言い訳で、特に行きたいと思わないのが本音だった。行ってどうなるってわけでもないし、突然行ったって後輩たちも戸惑うだろう。天馬くんからは何度かいっしょに行こうってお誘いの電話があったけど、勉強したいからなんて言って断ってるうちにかかって来なくなった。それはそれでちょっと寂しくて、……でも、しょうがないことだ。

 もう見慣れたいつもの交差点、赤信号で立ち止まって、携帯電話で電車の発車時刻を確認する。13時24分の準急には乗れそうだ。座れたら今日やった範囲の復習でもしようと考えているうち、やがて信号が青に変わる。携帯電話をぱたんと閉じてスラックスのポケットにつっこんで、顔を上げて歩き出した俺の目にうつったその桃色の髪は、びっくりするほど鮮やかに意識を支配していった。

「あ」

 唇からそんな音が出たのが早いか、霧野先輩も気が付いたらしく、同じような形に口を開けて、それからめいっぱい顔をほころばせて、「狩屋!」 俺を呼ぶ。忘れかけていた思い出が一瞬にして色味を取り戻すのが手に取るようにわかった。ゆるくしめたネクタイを風になびかせながら先輩がこちらに向かって走ってくるのが見えて、ちょっとまだ信じられない気持ちのまんま。

「せんぱ――っ、ほわぁ!?」

 予想外の猛烈なタックルによろめいて、思わず頓狂な声を発してしまう。そんな俺にお構いなくぎゅうぎゅうと抱きしめてくる先輩は相変わらずなんかすんごいいい匂いがして、おおおぉ、おおぉおぅ霧野先輩だほんものの霧野先輩だあぁと感動したのは置いといて、思いっきり町中なので当然まわりの人の視線が痛い。「ちょ、ちょっ先輩あの」おっきくなってしまった背中をばしばし叩いて必死に意思表明をしてみるものの、「わー、うあー狩屋だ狩屋だ! 狩屋! かりや! うわあー!」なんて言ってぜんぜん聞いてもらえない。ていうか先輩そんな感じでしたっけ? あれえ? 冷静沈着な霧野さんは? 買い物途中の主婦が物珍しげに見て行ったり、仕事帰りのサラリーマンにあからさまに避けられたり、女子高生ふたりぐみがこちらをちらちら見ながらなにやら興奮ぎみに言い合っていたり(キャーッなになにホモなの!? ホモ!? ってきこえた)、そろそろほんとに離れないとまずい。

「せっ、せんぱい! 霧野先輩! みんな見てるから!」

 俺毎日ここ通らなきゃなんないのにかんべんしてくださいまじで! 言いながら肩をつかんでありったけの力でなんとか引き剥がしたら、先輩はやっと状況に気付いたようで、「あっ」とか小さく声をあげて俺から少し離れて、バツが悪そうに「ごめん、俺ももうさすがに女子には見えないもんな」ってそんな問題じゃあないと思うんですが。

「はぁ、にしても、ほんと久しぶりだなぁ狩屋!」

 にこにこしている先輩の頭ごしに点滅しだした信号が見えて、あーこれもう準急間に合わねーなーと思った。……でもまあ、別に今日一日くらいいっか。その気持ちを知ってか知らずか、ってか知らないだろうけど、「ところで俺今すごい腹減ってるんだけどさ」 なんて、いや、そう言われましても、俺はついさっき弁当食べたばっかりなんですけどね。数秒考えて、ふーとため息をついてから、「先輩のおごりですよね?」わざとらしく言ってやったら、とびきりの笑顔が返ってきて、おぉ、まかせろ! ってその似合わない男らしさも相変わらず。

「んじゃー、どこ行きましょーかぁ?」

 中学のときの生意気な口ぶりで訊いてみても、こぼれだす笑みを隠しきれなくてにやけてしまって、先輩にもばればれみたいで、恥ずかしいやら悔しいやらでなんだかもう。女子高生たちがまだなにか言ってるのが聞こえたけれど、そんなのいくらでも言わせとけばいい。先輩が、霧野先輩が、俺のとなりにいる。なつかしくて、なつかしすぎて、どうにかなりそうだ。「よしマック行くぞマック!」って張り切ってる先輩の短くなってしまった髪を少しだけ惜しみながら、昼すぎの夏の町を行くその背中を追っかけるようにして、歩く。




20120906 miyaco
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -