どれだけ願ったって時間がたつのはあっという間で、まだ一ヶ月ある、二十日ある、二週間ある、あと十日、一週間、五日、三日、二日、明日、そして今日。開会の辞やら校長の挨拶やらPTA代表の祝辞やら、いつも長ったらしく感じるものさえ早送りしたみたいにびゅんびゅん過ぎてって、証書授与式なんか一瞬で、俺たち二年は立ち上がって送る言葉なんてものを連ねて、それから三年と入れ替わって答辞をきいて、見覚えのある人のピアノ伴奏に乗せてお決まりの卒業の歌を。涙なんてぜんぜん出やしなくて、それどころか別に悲しくもなんともなくて、俺って薄情なのかなってちょっとそう思った。

 先輩がいなくなる。

 それは言葉通りの意味で、今日が終わったらこの学校にもクラブにもあの人はもういない。話すこともなければ笑い合うこともなく、叱られることもなければ共にフィールドに立つこともない。学年がちがうんだから当たり前だけど、春にこうなることはもちろんわかっていたけど。先輩がいない違和感をまだ知らない俺はろくに惜しむこともできないまんま、担任に名前を呼ばれてはっきりと返事をする先輩の凛とした姿を見つめるだけだった。

 揺れる桃色の髪は最後まで切らなかったらしい。卒業証書を受け取る先輩は試合に勝ったときのようなすがすがしい顔をしていて、ああやっぱキレーだなって思った。特に問題もなく進んだ式はほんとにあっという間に終わって、列になって体育館を出ていく三年生を拍手で送る。まだなんだか意識がふわふわしていて、まるで夢をみてるみたいだ。霧野先輩が、いなくなる。





「ご卒業おめでとうございます!」

 天馬くんの明るい声の直後、クラッカーが至るところではじけた。火薬の匂いが鼻をかすめるなか、部室内に飛び散ったテープをみんなで拾い集めて、なんで散らないタイプのクラッカーを買わなかったんだおまえはって買い出し係の輝くんをからかってみんなが笑ってる。俺もはははと愛想笑いしながら、無意識に霧野先輩から目をそらしていた。なぜだか知らないけど直視できなかった。

「では先輩方の門出を祝して、かんぱーい!」

 紙コップにジュースじゃ雰囲気もなにも出やしないけど、たくさん買い込んだお菓子やケーキを分けあってわいわい騒いで、お別れ会はどんどん進む。途中から音無先生や鬼道コーチ、円堂監督も来て、部室は今までと変わらずにぎやかで明るくて、一発芸大会がはじまって天馬くんと剣城くんのコントにみんなばかみたいに大笑いして、負けじと浜野先輩が速水先輩をむりやり引っ張って即席漫才をやらせたり、そんなこんなでたのしく時間がたっていった。

「狩屋」

 先輩が俺の肩を叩いて名前を呼んだのは、ロシアンシュークリーム対決がいよいよクライマックスにさしかかろうとしているときだった。

「きりのせんふあい?」

 紙皿に盛られたお菓子を口いっぱいに頬張っていた俺を見て、先輩がちょっと笑う。他のみんなはロシアンシュークリーム対決決勝戦に夢中で誰も俺と先輩なんて気にもしていない。

「二人で抜けないか」
「いま? でも神童先輩がロシアン決勝……」
「狩屋と話がしたい」
「へっ? ……あ、はい」

 口のなかのお菓子を飲みこんで、カルピスを一気飲みした。せんぱい、呼んだら霧野先輩はにこにこ笑顔のまま俺の手をひいて、二人で静かに部室を出た。





 正門前の桜の花びらが、風に舞ってサッカー棟までやってくる。うららかに晴れた空は透き通るような水色で、卒業式にぴったりだった。

「先輩、話って」
「ちょっとそのへん歩こう」
「……はい」

 薄紅の花びらのなか、先輩の髪もきらきらひらひら、つないでいないほうの手を伸ばせば届くところにあるのに、いまは少しだけ遠いような、触れたら消えてしまいそうな儚さで。
 サッカー部が宴会をしているうちにみんな帰ってしまったらしく、人影は見当たらなかった。遅くもなく早くもないスピードで歩きながら、先輩がなにも言わないから、俺だってなにも言えない。ねえ先輩、話っていったいなんですか。最後の最後にお説教ですか。感じからしてどうもそういうわけではなさそうだけど、それにしてもなにを言われるんだろうと内心ドキドキした。霧野先輩がこんなに近くにいる。いや、今までもけっこう近くにはいたと思うけど、きっとこれからはないものだから。

「狩屋」

 先輩が俺の名前を呼ぶ。大きな桜の樹の前で立ち止まって上を見上げて、それから。

「俺、おまえのこと、好きだよ」

 静かな、ほんとうに静かな時間だけが流れていた。振り返った先輩は笑っていたけど、俺は泣いていて、式の最中泣かなかったぶん涙がぼろぼろ、袖でぬぐってもぬぐってもあふれてとまらない。

「ごめん」

 やさしい手のひらが頭を撫でて、そんなのは逆効果で、あとからあとからこぼれた涙が地面にしみをつくってく。「き、りの……せん、ぱい」しゃくりあげながら呼んだら先輩は目を細めてほらまた「ごめん」、謝る。

「俺ってずるいよなあ」

 よしよしされながら先輩の言葉をきいている。まだまだ涙は止まらない、泣く気なんてこれっぽっちもなかったのに、悲しくなんてなかったのに、先輩が。

「ずっと気づかないふりしてた。おまえがちょっとずつ傷つくのを見ながら、でも隠しつづけたほうがいいって思ってた」

 先輩、先輩もうやめようよ。楽しい話をしよう、笑えるような話を。俺さ、先輩たちが部活引退してから新しい技完成させたんだよ、すっげーの、ブロック技なんだけどさ、誰もまだ俺を抜けないんだよ、あの剣城くんでも。強くなっただろ、今は先輩にも負けない、だからまたいっしょにサッカー、してくれませんか。

「でもさ、だめだった。おまえと会えなくなるのかって思ったら、くるしくて、つらくて、悲しかった。……なあ狩屋、俺、けっこうおまえに依存してたみたいなんだ。おかしいだろ」

 ぜんぜん、わらえない。そんなのぜんぜん笑えないよ先輩、ばかみたいだよ。俺たちばかだよ。なんでたった一言、すきって言えなくて今こんなことになってるんだよ。

「狩屋が好き」

 うららかなんて言ったけど、三月の風はまだ冷たい。涙でびしょびしょになったほっぺたにあったかい手が触れて、やさしくしないでって思うのにそのやさしさを失いたくなくてまた涙がぼたぼた。

「でもさよならだ」

 そんな切ない顔して、どうしてこんなに残酷なことを言うんだろう。ひどいひとだ。ほんとうにひどい、ひとだ。さいていだ。

「先輩、なんか、きらい」
「うん」
「ばか」
「ごめん」
「だいっきらい」

 抱き寄せられたこの一瞬をどう思い出に残そうか。数年後には笑い話になっているだろうか。男のくせに男が好きだったなんて、気持ち悪い忘れたいなんて思うだろうか。こんなに、こんなにすきなのに、忘れたほうがいいんだろうか。

「俺はおまえを幸せにできない。ずっと笑わせつづけてやることなんて無理だ。また傷つけるし、泣かせるし、怒らせるし、先輩なんか好きになんなきゃよかったって思わせるときもあると思う」

 だから今ここでさよならするんだ、って、いかにも言い訳じみてて、ほらやっぱり先輩はずるい。俺のことなんてなんにもわかっちゃいやしない。どれだけ好きかってことも、幸せになんてなれなくていいってことも、なにをさしおいても先輩がいたらそれでいいって、依存してるのは俺のほうだってことも、なぁんにも。

「狩屋、おまえと出会えてよかった。そりゃはじめはぶつかりあったけどさ、ほんとうのおまえを知ることができたし、かわいげないときもあったけど、才能もあるしディフェンダーとしても頼りになるいい後輩だった。抜かれないように必死だったよ」

 たった一年、それだけのことなのに。その間の隔たりはあまりに高くて、今の俺じゃ越えられない。そういえばどこの高校に行くのかも知らない。メールや電話はできるだろうけど、高校生ってのは中学生より忙しいはずだし、それも控えたほうがいいのかも。そうしたら段々関わりは希薄になって、そのうち町ですれ違っても挨拶なんてしなくなって、そしたらたった二年、先輩と過ごした思い出も失ってくに決まってる。

 俺は先輩が好きで、先輩は俺が好きで、両想いで相思相愛で、だったらそれだけでもういいじゃないか。なんて、そんな簡単な問題ならとっくの昔に付き合ってた。

「さ、抜けたのばれても面倒だし、そろそろ帰るか」

 離れていく体温をどれだけ惜しんでも、先輩はたぶん二度と抱きしめてはくれないし、手を握ってくれないし、頭を撫でてもくれない。そうしていつかお互い好きな女の子ができて、告白して告白されて付き合って、恥ずかしがって目をそらしながらメールでは幸せ幸せって言い合う、そんなありふれた愛を先輩が望むなら、俺はわがままを言ったりしないし、いい子があらわれたらいいですねって精一杯笑って吐き出せる。

「はい、」

 目の前でなびく長い髪に、姿勢のいいその背中に、いったいどれほど焦がれただろう。追い付きたくて追い抜きたくて、でもほんとは並んで走っていたくて、止めるぞ狩屋って、そう言われるのがうれしくて俺は。ああもう、このひとが好きだ、どうしようもなく好きだとばかり。

「……霧野先輩」

 呼んだらふわりと振り返る。風が吹いて花びらが舞い上がって、少しだけ恥ずかしい気持ちを隠してくれた。

「俺、先輩が好きでした」

 大好きでした。
 言ったら笑ってくれるかなって思ったのに、泣きそうに唇をぎゅうとかみしめて、「うん、ありがとな、狩屋、ありがとう」先輩を見ていたら俺までまた目が熱くなってきた。おかしいなあ、俺そんなに涙もろいほうじゃなかったんだけど。

「卒業、おめでとうございます」

 うまく笑えたかはわからない、情けない顔だったかもしれない。でも先輩も笑い返してくれたからきっと大丈夫だったんだろう。
 部室までの道を辿りながら、もう話すことはない。第二ボタンだけもらっておけばよかったかなと思ったけど、みんなに怪しまれるし欲しいとは言えなかった。でも言えなくてよかった。へたに未練なんて残したくない。 サッカー棟に入っていく後ろ姿を潤んだ目に焼き付けて、胸いっぱいに春の空気を吸い込んだ。




( ま た ね )




20120321 miyaco
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -