一万円・番外 | ナノ

 10






「そこを退けよ!」


「…煩い、お前は俺の言うこと聞いてろ。」


「馬鹿、早く退けって…っ」


メイドから聞いた内容に、仁湖は顔を真っ青に染めて、すぐさま屋敷に帰ろうとしたのだが、…何故だか目の前の兄が仁湖を家から出してくれない。



「…大人しく家に居ろ。」


「兄ちゃん、…何で…っ!」


「仁湖の家はここだろうが。…何処にも行く必要なんかねぇよ。」


「う、るさい、…俺は、…おれは、会いに行くんだ!…兄ちゃんには関係ない!」


仁湖はそう叫ぶと、玄関の前に居る兄の身体を押し退けて、家から飛び出して行ったのだった。







______




「………っ」


余程急いで来たのだろう。真っ青だった顔は、赤く染め上がっており、息を乱して、額からはポタポタと汗が滴り落ちている。


「…やだ…っ、」


そして仁湖はベッドの上で目を閉じている野獣を見て、ガクリと膝を床に付く。
間に合わなかったのだろうか、もしかしたらもう…、と最悪の事ばかりが、仁湖の頭の中を駆け巡る。



「……に、…こ…?」


野獣の手を握って、脈を確かめようとしていた所で、低くて掠れた苦しそうな野獣の声を聞いた仁湖は、安堵の溜息を吐く。


「…だ、大丈夫…?」


仁湖の声は震えていた。必死に涙を零さないようにと意識していたため、声の震えには注意が散漫になってしまったのだ。


「…俺は大丈夫だ。それより、仁湖の親父さんは?」

「馬鹿、…こんなときくらい、…自分の心配しろよ…。」


仁湖は後悔する。何で屋敷を飛び出す前に野獣の話をもっと聞かなかったのかと…。そうすればこんな状態になる前に、傍に居れたのに…。


「…約束破って、ごめん…なさい。ずっと傍に居るって、約束したのに…、」

「いや、…俺こそ仁湖に酷い態度を、…取って、しまったな…」

「違うよ。全部俺が悪いんだ…っ」


喋るのも辛いというのに、こんな状態になってまで謝罪をしてくる野獣に、仁湖はギュッと抱きつく。




「仁湖、……これは報いなんだ。」


「報い?…何だよそれ…っ?!」


報いを受けるような悪いことを、優しい野獣がするわけないと仁湖は、「何かの間違いだ」と否定する。



「間違いでは、ない。…俺は、仁湖が思ってくれているほど、…いい奴、…ではない。」


「で、…でも、」


「悪いこともしていたし、…好き放題していた。……だから、こんな姿に変えられたんだ。」


「…え?」


「俺は、…元々、普通の人間の姿だ…」


「そうなんだ…」


仁湖にとっては野獣が元が普通の人間だろうが、そうではなかろうが、大して関係はない。
それよりも一ヶ月も近くに居たというのに、全く野獣のことを知らず、こんなことになってしまうまで気付けなかった自分に、苛立っている。



「…俺、何にも知らない…っ」


「俺も、仁湖のこと…、もっと、知りたかった。」


「い、今からでも間に合うよな?!…知らないことはこれから知っていけばいいじゃんか!」


「…そうだな。だが、…俺にはもう時間がない。」


野獣はそう言うと、小刻みに震えている仁湖の手をギュッと握る。



「…そ、んなこと言うなよ…」


まるで自分はもうすぐ死んでしまうようなことを…。

やはりどう足掻いても野獣はもうすぐこの世を去ってしまうようだ。そんな事実を受け入れられなくて、仁湖は必死に塞き止めていた涙が、ポトポトっと零れていくのを感じた。



「…やだ、…よ。」


「仁湖、…泣くな。」


「やだ、…置いて行かないで…っ」


「悪い…、仁湖…。」



ヒックヒックとしゃくり上げながら、悲痛の声を出して、泣き出す仁湖に、野獣は仁湖の目元から零れ落ちる雫を指で拭う。



「一生傍に居ろ、って言ったのは…そっちだろ…っ」


「あぁ、…約束破ってごめんな。」


「ば、か、…謝るなよ。俺の、我侭なのに…、」


「自分勝手だが、俺は最後に仁湖に会えて良かった。…泣き顔にさせてしまったが、一目見れて、…本当に良かった。」


「……泣き顔にさせたくないなら、傍に居てよ。俺、…離れたくない…っ」


「……仁湖…、」


「やっと、自分の気持ちが分かったのに、


…好きって、分かったのに…っ」



野獣がもうすぐ死んでしまうとの電話を貰って、仁湖は例えようのない恐怖を感じていた。
…不躾かもしれないが、兄から父が病気で危ないと告げられたときよりも、言い知れない不安感を抱いていたのだ。



傍に居れば居るほど、分かってくる野獣の温かさ。


体温も、心も…。


まるでぬるま湯に浸かったときのような安心感を与えてくれる。



“尊敬”でも、“友情”でもなく、




これは、





“愛情”だったと、仁湖は気付いた。


一緒に寝るときに恥ずかしくて、緊張してしまうのは、人との触れあいになれていないのではなくて、“野獣のことが好き”だったからこそ、恥ずかしかったのだ。


仁湖は自分が気付かない内に、野獣に淡い恋心を抱いていたのだ。



「…俺を、置いていかないで…っ」


「仁湖、…本当か?…好き、って…、」


「好き、…大好き、…だから置いていかないで、傍に居てよ、死なないで…っ」


我侭なことを言っているのは十分分かっている。
こんなことを言えば、優しい野獣を困らせてしまうことは知っている。


…だが言わずにはいられないのだ。



「仁湖、…俺もだ。お前のことが、仁湖のことが愛おしくて堪らない。」


野獣はそう言うと、そっと…優しい手付きで仁湖の頬を撫でていく。


「…本当?俺のこと好きなの?」


「あぁ、…誰よりも仁湖を愛している。」


「知らない内に、…両思いだったの?」


「そうみたいだな。……それなのに、ここで死んでしまうとは、……嫌だ。死にたくねぇ…、」



野獣は死への恐れを、初めて仁湖に告げた。



「仁湖ともっと傍に居たい。…仁湖と離れるのが、怖い。」


「大丈夫、…死なせないよ、あの世になんか連れて行かせない。…俺のなんだ。誰にも譲らない。」


「逞しいな…。」


「俺だって、男だぞ…、」


「弱虫だけどな…。」


野獣はふっ…と笑うと、自分の顔を仁湖に近づかせる。


「…目を瞑って、」


「……う、…うん。」


まるで壊れ物を扱うような野獣の優しい手付きに、仁湖は断れるわけもなく、顔を赤く染めながら野獣の言う通りに、目を閉じた。




チュッ、



「…ン…っ」


触れ合うだけでの優しいキス。
唇が重なっているだけなのに、こんなに心地よいのは何故なのだろう、と仁湖は混乱する頭で考える。


「…っ、…んぅ…」


長いキス…。キス自体初めての仁湖は、息の仕方など分かっていない。段々と苦しくなって、野獣に制止の合図を出そうと、恐る恐る目を開けてみると、




…そこには、




野獣とは別人の、端正な顔立ちの人間が居た。




「……っ?!」


「…どうした仁湖?苦しかったか?」


「ち、違う、……す、姿が…、」


「姿…?」


野獣は仁湖の慌てようにどうしたのだろうか、と不思議に思いながらも、顔を正面に上げる。

……すると正面の鏡には、忌々しい野獣の姿ではなく、元の人間の姿に戻っている自分が居た…。



「……戻ってる。」


「…え?えっ?!…元の姿…?」


「姿どころか、…あんなに苦しかった痛みが、…嘘のようになくなっている…。」


先程まで心臓が締め付けられるような痛みがあったのだが、姿が元に戻っているのと同時に、その痛みが無くなっている。



「…治ったのか?」


「ほ、本当?!」


「分からないが、…全然苦しくない。」


「…嘘…っ、本当?!」


「いや、…やはり少し苦しいかもしれない…。」


「…え?だ、大丈夫?!」


「仁湖があまりに可愛いから、胸が苦しい。」


「…ば、馬鹿っ…?!」


仁湖は勘弁してくれ、と言わんばかりに顔を真っ赤に染めて、俯く。



「奇跡だな。」


元の姿に戻れただけではなく、病気まで治ってしまったことに、野獣は仁湖をギュッと抱きしめながらそう呟いた。



「奇跡じゃないよ。」


「………?」



「愛の力だろ?」



恥ずかしそうに、だがはっきりと言う仁湖に、野獣が暴走してしまったのは言うまでもないだろう。









_______




そして野獣が元の姿に戻ってから一年経った今、



「ちょ、…馬鹿、何処触ってっ…?!」


「仁湖の尻。」


「わ、分かってるなら、…離せよ。変態、馬鹿、ケダモノ!」


「あぁ、仁湖の言う通りだ。…何て言ったって俺は、



野獣だからな。”」




晴れて恋人同士になった仁湖と野獣は、相変わらず楽しく過ごしているようだ。




END


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