dear dear

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 やっぱりいた! 天敵を見つけたクレスツェンツはせんないことと知りながら素早くアヒムの背中に隠れる。
 兄は導師と女子爵に愛想良く微笑んで挨拶をしていたが、無駄な抵抗をしている妹の姿をほどなく発見する。その瞬間、クレスツェンツと同じ鈍い緑色の瞳が雷光を発したように光った。
「そこにいたのか。帰るよツェン」
 声音こそは穏やかだが、兄の目はまったく笑っていない。
「わたくしは、ナタリエ様をお送りしてから……」
「女子爵はお前の馬車で送らせる。私と一緒に来なさい」
「…………はい」
 あまりの威圧感にクレスツェンツは次の言い訳が思いつかなかった。
 露骨に不服な表情を浮かべながらも、不承不承、まったくもって不承不承、兄が乗ってきた馬車へ乗り込む。
 オーラフとナタリエに挨拶をしたかったが、彼らの前に立ちはだかる兄はそれすら許してくれなかった。
 そうだ、アヒムにも別れの挨拶をしていない。彼のほうを振り返ろうとしたが、その姿が見える寸前で扉は閉められてしまう。とどめといわんばかりに、反対の扉から乗り込んできた兄が氷の仮面を被ったような無表情で向かいの席に座る。
 ああ、もう……終わった。いろいろと。
 クレスツェンツが魂ごと吐き出すような溜息をつくと同時に、馬車はエルツェ家の屋敷を目指して動き始めた。


 兄妹はしばらく無言だった。テオバルトは薄暮の街並みを眺めるばかりで、クレスツェンツも自分の足許を見るばかり。
「やってくれたね、ツェン」
何をきっかけに口を開こうと思ったのか知らないが、テオバルトは唐突にそう言った。
「何がでしょう」
 クレスツェンツはあくまでしらばっくれる。
 確かに、許しもなく王に言葉をかけたのはいけない。頼みごとをしたのもいけない。王は公人であって、ひとりの貴族の娘の話を聞くためにあの場にいたのではないのだから。

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