dear dear

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 語る言葉は少なかったが、ユニカのところにいたときよりずっと長い時間、クレスツェンツは息子を見つめていた。アヒムも彼女の気が済むのを一緒に待っていた。


 最後に夫のもとを訪れるころには、初秋の日射しは傾いていた。
 茜色の西陽が差し込み、王の執務室はほんのりと赤く染まっている。
 侍従長をどこか使いへ出しているのか、夫は秘書官とふたり、互いに言葉を交わすこともなく書き物に集中していた。
 クレスツェンツは机の前に立ち、ペンを走らせる夫を見下ろす。
「陛下」
 呼びかけても、返事はない。身体から抜け出したクレスツェンツの声など聞こえないのだ。
「陛下」
 もう一度夫を呼ぶクレスツェンツの声には、溢れ出るほどの愛しさがこめられていた。
 彼女は顔を上げてくれない夫の顔を窺うために屈みこむ。
「至らぬわたくしをいつも導いて下さって、ありがとうございました」
 沈黙。かりかりとペンが紙を引っ掻く音だけが響き渡る。
 寂しい。
「施療院の組織作りは、陛下のご理解無しには推し進めることが出来ませんでした。たくさん我が儘も無茶も申し上げた覚えがあります。陛下はわたくしの思いを頭ごなしに否定するのではなく、理屈を丁寧に話し、もっとよい方法がないかと一緒に考えて下さった。本当ならばわたくしが陛下をお支えせねばならなかったのに、佐けられていたことが多いのはわたくしのほうです。ずっとお傍にいて、これから先こそは陛下のお役に立とうと思っておりましたが、それも叶わないことを、どうかお許し下さい」
 本当は人恋しい性分で、妻のことも息子のことも誰より愛していて、けれど立場ゆえにそんな感情におぼれるわけにはいかず、いつも顰め面をしているしかなかった孤独な人。
 でも、愛情に溢れた王。
「陛下。どうか、クヴェンのことをよろしくお願いいたします。わたくしにそうして下さったように、わたくしたちの息子のことも導いてやって下さい。そしてユニカのことも――ユニカの、陛下に対する憎しみを取り払えなかったことは本当に心残りです。しかしあの子の優しさも、陛下の優しさも、わたくしはよく存じております。陛下とユニカの間にあるわだかまりもいつか解けると、わたくしは信じておりますから……。陛下の御代が、乱れのない織物のようにいつまでも美しく、平らかに続くよう見守っております。お傍にいられず、お傍に……」

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