天槍のユニカ



ゆきどけの音(6)

「施療院は、その制度は、この十年と少しの間に王妃さまのお働きで大変大きなものに成長しました。しかしまだ、一人で歩き出すほどの力はありません。力に見合わぬほど大きくなり過ぎてしまったとも言えます……それをうまくまとめ、陛下や議会との交渉を行って下さっていた王妃さま無しでは、各役所との連携がうまく機能しなくなっている部分もあって――」
「そんな大きな問題、私にどうにか出来るはずがないじゃない。エリュゼ、私なんかの傍にいないであなたがやればいいのよ。貴族院の、それも陛下が直接諮問を行う小議会に席を持っているのだから、王妃さまがなさっていたことに近い仕事は出来るはずでしょう?」
 クレスツェンツがしていたのは、施療院を巻き込んだ『政治』だ。ユニカがまったく触れたことのない世界である。この先も、関わるなんて想像できない。だから慌ててエリュゼの言葉を遮り、そうきり返した。すると彼女は思いの外傷ついた顔をする。
「意地悪を言ってやるなよ。エリュゼはまだ新米貴族なんだ。というか、結婚する前に家督を継ぐ羽目になって、どうしていいか分からんのはエリュゼだよな。だからって貴族の仕事サボっていいとは、王妃さまも言っちゃいないだろうけど」
 召使いの出入りに紛れ、いつの間にか黒い法衣の青年と少年が部屋の中にいた。まさに他人事の脳天気な声で言いながら、エリーアスは部屋中を見回している。彼の後ろに控えていた従者の少年は、ユニカとエリュゼの視線を受け止めて控えめにお辞儀を返してきた。
「エリュゼ、そういう難しい話をしてもユニカは後込みするだけだぞ」
「はい……」
 もう一言エリーアスが付け加えると、悄然としたままエリュゼは大人しく引き下がった。ちょろちょろと動き回っていたリータを捕まえると、設置し終わっていたテーブルにお茶を用意するよう命じている。すっかり熱っぽさも覇気も消え失せた様子だ。
 何か悪いことを言っただろうか、とユニカは気まずく思いながら考えた。いや、充分に言ったではないか。クレスツェンツの遺命でユニカの傍に仕え続けてくれていた彼女の言葉を、ことごとくはねのけた。
「ほかにどうしようもないじゃない……」
「うん?」
 エリュゼに代わって顔をのぞき込んできたエリーアスに、ユニカはむすっとしながら非難の視線を浴びせかける。話の端を聞いていたらしい彼は何となく察してくれたようで、鷹揚な笑みを浮かべただけだった。そして手に持っていた筒入りの書簡をすっとユニカの鼻先に差し出す。
「お前に手紙だ」
「誰からの?」
「パウル様から。今日はちゃんとした仕事で来たんだぜ。この後別件で急ぎの用があるから、ゆっくりは出来ないけどさ」
 エリーアスは教会の伝令役であり、その中でも最高の地位に上り詰めた彼は特定の高位僧の言葉のみを預かる。今までなら、王城にいるユニカに会うため、主にクレスツェンツに宛てた施療院関係の伝書をほかの伝師から積極的に預かったり、それも手には入らないときは、自分が仕えている導主にわざわざ王家宛ての手紙を書かせて城門をくぐっていたらしいのだが、今日はそんな狡い真似をしなかったそうだ。しかしそれはそれで、ユニカにとって衝撃的だった。

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