貴族というもの




結局、手ぶらだよーーー。手ぶらでご帰還ですよーーーー。
何しに行ったんだ、私。



まだ約束の時間までは間があるから、と辺りをぶらついて広間に来てみた。



「喉が渇いたー……」



だるーんっと、開いている椅子に座る。
礼儀作法なんてなんのその。



っていうか、礼儀作法の先生からは逃げ回っていたりする。
……だって、面倒くさいし。



ご飯食べるのに、背筋を伸ばせ、あれを食べるな。これを先に。


サラダは上品に食べろ。音を立てるな。パンは齧りつくな。
スープは、スプーンを音を立てず奥から手前に回し入れろ。
食べる時のスプーンの角度が違う。肘はつかない。ため息もつかない。


飲み物を取る時は、食器に当たらないように注意して、相手に失礼にならない程度の
間を置いてから取れ。
食べ物を食べながら歓談する際は、
にこやかに微笑み、食べ物はついでだと思え。

衣装の裾も気を使え。
座る際は皺にならないように座り、立ちあがる際の形も気にしろ。
自分がどんな格好をしているのか、理解して立ち振るまえ。



何度言ったら分かるのか、どうして出来ないのか。寵愛者なのに。
そう言われる度に嫌になってしまう。



礼儀でご飯が食べれるか。


そんなことを思っているせいで、広間に偶然居たローニカに一度教わったのしか
殆ど覚えていない。
ローニカに教えて欲しいよと言ったけど、専門家ではないからとにこやかに
お断りされてしまった。

ちぇ。


そのローニカ曰く、城での友人を作ることは大事だということなんだけど。
チラチラと、こちらを気にする視線はあるものの、話しかけてくれるような人はいない。
後でこっらから、話しかけてみようかな……。


とりあえず、温かいお茶を貰って飲む。


こちらの世界のお茶は、香る物が多い。
紅茶というカテゴリーが無く、最初は苦労した。
ようやく、私の好きな香りと味を見つけ、最近はそればかり飲んでいる。


「……美味しい」


カチャンとカップを置くと、ようやく人心地ついた気分になる。
ほうっとため息をついて、さて、顔見知りでも作るかと席を立った時だった。


「おやおや、そこにおられるのは候補者様!」

「……?」


候補者って私?
首を傾げて辺りを見回すと、広間の一角に私より3、4歳年上に見える男女が
卓を囲んでいる。


顔は……覚えてない。


まあ、貴族なんだろうなと思う。良い服着てるし。
男は、妙にテカテカした素材の上着に、マダラ模様が入った趣味の悪いスカーフ。
女は、フリルが一杯あしらわれたフリフリのドレス。
どっちもきっついな……。


彼らは、ニヤニヤと笑ってこちらを見ていた。
なんだろう。いやな感じだ。



それでも顔に出すこと無く見ていると、貴族風の男が自分の卓を
にこやかに、掌で示しながら声を掛けてくる。


「どうですか、こちらで一服していかれませんか?」
「是非、候補者様のお話をおうかがいしたいですわ」


一緒にいた女性も、ニコニコと微笑んで誘ってくれる。


「…………」


……どうなんだろう。
嫌な感じがすると思ったのは、気のせいかな。純粋に仲良くなろうとしてくれてるんだろうか。
それなら、無下に断るのは良くない気がする。


「……では、少しだけお言葉に甘えさて頂きます」


卓に近づき言えば、男性の方が席を引っ張って促してくれる。


「どうぞどうぞ、さあ、席にお座りください」
「ありがとう」


座ると同時に少し前に席を出して、エスコートしてくれたことに礼を言うと
彼と彼女は、私の左右に陣取った。
少し挟まれているようで、狭苦しい。


「いやあ、さすがお忙しくて、お名前ばかりうかがってはいても、お話しできた人間は
あまりいませんからね。
皆に自慢できますよ」


男が、軽薄に言葉を乗せる。
何だろうか、薄っぺらいような……。本心で言ってるかどうか怪しい気がしてならない。
それに、少し微笑んで「そうですか」と言えば、女が続く。


「何しろ、私たちとは違うお人ですからね。話すのも……恐れ多いと申しますか。
ねえ?」


二人は目線を交し合い、くすくす笑う。


ああ、駄目だこりゃ。
どう見てもイジメるために呼んだな。
そう思って一瞬だけ半眼になるも、どうにか笑顔を保つ。


「あ、申し訳ございません。何かお飲みになりますわよね。
すぐに持って来させますわ、いいものがありますのよ」

「いえ、さっきお茶を頂いたので、お気づかい無く」


結構はっきり言ったはずなのに、貴族風の女は聞こえなかったらしい。


チラリと私を見ながら嘲笑うような顔をしたから、
耳が急に営業停止になっただけかもしれないが。


女が申しつけると、すぐに侍従が色鮮やかな陶器のカップを運んでくる。
透明の液体が満たされたそれは、私のすぐ前に置かれた。


くすくすと、女が笑っている。
男は、笑いを堪えて真面目な顔を作ったようなおかしな顔で言う。


「まあ、まず召しあがってくださいよ」

「…………」


何かあってからでは事だ。多分、単なる候補者イジメというか、弄りなんだろうけど。
まずは、顔を近づけてみた。
むせかえるような匂いが鼻の奥を刺激する。


これは……かなり強い蒸留酒みたいだ。
まともに呷ったりすれば、どうなるか分からない。


眉根をしかめる私に、あからさまな揶揄の言葉がかかる。


「……あらあら、思いのほか、小心なのですわね?
王を望まれる方が、これでは、ねえ?」


女が小馬鹿にしたように男に同意を求め



「レハト様はご慎重でいらっしゃるんだよ。素晴らしいことじゃないか」



字面で見るなら、良い言葉だろう。
すうばらしいことじゃあないかぁ、と演劇でもしているかのような発音でさえ無ければ、
素晴らしいフォローだ。


最初から私をからかうために用意してあったシナリオなんだろう。
二人はにやにやと私の出方を待っている。


「…………」

ここまで馬鹿にされて、飲まないのもムカつく。
飲んでやろうじゃないか、くそ貴族どもめ。
そう思って、カップを持ちあげ口に含もうとした瞬間、今朝のサニャの様子が
目の前に浮かんだ。





『あのですね。今日は、お早めにお帰り下さいです』



頬をバラ色に染めて、嬉しそうに私の名前を呼んでいた。
何かあるのだろう。
たぶん、私が喜ぶような何かが。


サニャが陰口を叩かれているのも、貴族出身の他の侍従たちに良く思われてないのも知ってる。
本人がその悪意に気付かないはずが無い。


それでも、それを私に見せようとせずに、田舎から出て来たサニャは一人で頑張っている。
私のためにと微笑んでくれる優しい侍従。



「…………」


ここで貴族たちに対抗して飲むのは簡単だ。


でも、飲んではいけない。
挑発に乗らず、馬鹿にされていなくてはいけない。サニャの為に。
約束したのだから。



「申し訳ないですが、こちらのお酒は頂けません」


そっと、カップを卓に戻す。

背筋を伸ばして、真っ直ぐに彼らを見つめて。何を言われても、
馬鹿にされたままでいれるように。


「どうされました?
何かまずい点でもございましたかしら?」


女が、カップを置いた途端、眉根を寄せて気だるそうに聞く。
飲まないなんて失礼なと言わんばかりの表情だ。


「こらこら、仕方がないだろう。レハト様は、私たちの出すものは
お口に合わないとおっしゃられているんだよ」


男は、フォローのように聞こえが良い毒を、舌に乗せる。
にややかに馬鹿にしたような顔で。
この田舎者が、贅沢にもより選び出来るとでも思っているのか、と心の声が聞こえそうだ。


どうやら、タナッセと何度も話したことで
私にも、貴族のなんたるかが分かってきたみたいだ。……悪口メインだけど。



「それは残念ですわ。つい先日穀倉地帯より運ばせたばかりの品ですのに」


ここで残念ですと言えば、それを皮切りに飲まされてしまう。
私の交渉力では乗り切れない。
ニコニコと言われるままにしておくのが一番だろう。


私が何も言わないことに調子に乗ったのか、男は首を傾げて私の顔に近づいて来た。
もう少しでキスが出来そうな程の近さで嗤う。


「私たちとは違うお方でいらっしゃるからね。
何せ…………ひっ」

「…………ひ?」


ひって何だ。日……火……火が欲しいとか?
いや、意味分からん。

言葉を詰まらせた男の目線を追えば、私の頭の上を泳いでいる。
えっと。後ろかな。


そう思って振り返ると、私のすぐ後ろにローニカが立っていた。



「ろーにか?」


ぱちぱちと、何度か目を瞬いて彼を見上げると、ふぅっと空気が弛緩し
ローニカがいつものように微笑む。


「どうされましたか?」


好々爺といった風情で、尋ねる私の侍従に、男はズリっと椅子の上で後ろにずれている。
今にも逃げてしまいそうだ。


「え、いや、何も……」


貴族風の男は、キョトキョトと目線が泳いでいて、明らかに様子がおかしい。
ローニカは、にこっと笑って言葉を紡ぐ。


「ご歓談のところ、お邪魔いたしまして申し訳ございません。
レハト様、少々お部屋にお戻りいただけますでしょうか」


「……あ、うん」


頭を下げたローニカに促され、席を立つ。
少し歩いた後、一応と思い彼らに声をかける。



「あの、声を掛けてくれてありがとうございました」

「…………」
「…………」


聞こえたかな。
ポカンとした顔の彼らに、軽く手を振ってみたけど何の反応も無かった。
……駄目か。



単なる自己満足だから良いけど。
そう結論付けて、私は先を行くローニカの後を追った。













「ローニカ、ありがとう。助かった」


広間から遠ざかってしばらく無言のままでいた私は、彼に礼を述べた。
ローニカは私の半歩右後ろで歩きながら、苦笑する。



「……まともに相手をする必要はございませんよ。彼らの遊びに付き合うのは疲れますから。
彼ら程度でしたら、さして悪意もございませんし、
可愛いものですが……万一ということもございます」


「ん。そうなんだけどね」


分かっちゃいてもイライラする時があるのが困るな……。



ガシガシと頭を掻いていると、ローニカがぽつりと尋ねてくる。


「レハト様、貴族というものを、どう思われますか?」
「貴族」
「はい」


貴族。さっきみたいに、ニヤニヤと笑って常に見下して。
人の弱みを見つけたら、噂せずにはいられない。

そうすることでしか、群れることが出来ない人達。



「……好きじゃない」


どうしてその地位に見合ったことをしないんだろう。
振る舞いや、服が綺麗でも、言っていることは誰かの悪口ばかりだ。


それにどれだけ私やサニャのような者が傷ついているか。少しは考えてみれば良いのに。
眉根を寄せる私に、同意を得たと思ったらしいローニカは頷く。



「そうでしょうね。私めも同じ気持ちでした。
どいつもこいつもろくでもない奴ばかり、全員いなくなってしまえばいい、と」


「……極論だね」


普段の穏やかなローニカからは想像できない言葉に、私は一瞬声を詰まらせた後、
和ませるように声を出す。
ローニカも言い過ぎたと思ったのか、ふっと笑みを浮かべる。



「まあ……そのはずだったのですがね。
リリアノ陛下は、生粋の貴族でいらっしゃいましたから。
結局のところ、己の立つべき場所に正しく立ってこそなのでしょう」


「…………うん」



『己の立つべき場所に正しく立つ』
それはどこだろう。

あるのだろうか。私にとって、正しい場所なんか。



「この国の王たるに必要なのものは印のみ。出自は問われません。
しかしながら、やはり王たる者が育ち暮らすのは、貴族の只中なのです。
まあ、王によって多少の入れ替えは起こりますがね」



王たるに必要なのは印のみ。本当に不思議な制度で、不思議な世界だ。
王の子として産まれても、王にはならない。



「時が経つにつれ、変わるのは王の顔だけ、などということになっていくのではないか……と、
そう思わなくもありません」


「…………」


そうかもしれない。それは可能性でなく、ありえる未来として。


だからこそ、ローニカは、貴族では無い私に期待を込めているのかもしれない。



かつて居た王を私に重ね、貴族社会に風を開けようというのだろうか。
……私なんかに過度の期待を込め過ぎている気がするけど。


考え込む私をどう思ったのか、ローニカは首を振って話を霧散させた。



「……おっと、おかしな話をしてしまいましたね。
どうも年を取ると愚痴っぽくなっていけません」



笑う彼を見上げて、私は少し寂しく思った。
私は、ローニカにとって、誰かの代わりでしかない。




「ううん、色々考えさせてもらった」




笑って言えば、「左様ですか」と微笑んでくれるローニカ。
笑みに笑みで返して、独りごちる。



どうなるかなんて未来は分からない。
それでも、もし私が死んでもローニカはきっと大丈夫だ。


その考えは、少しの胸の痛みと、どうしようもない安心感があった。





20120107



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