直訴





「温かくは無いけれど、お風呂はやっぱり良い」
「何だい。贅沢言うんじゃないよ」


大浴場で叫ぶと、おばちゃんがコツンっと私の頭を小突いた。
げんこつで。
……コツンっていうか、ゴンッって感じだ。痛い。



「だって……前に居たところだと、週に一回お湯沸かして桶に溜めて入ってたんだもん」


頭を摩りながら言えば、おばちゃんは感心した声を出す。


「へぇー。そりゃ贅沢だねぇ。
まあ、お貴族様たちの中には、2日に1回湯あみを所望される方もいらっしゃるがね」


な、なんだって―!そんなの……そんなの……!
いや、ずるいとか思っちゃダメだ。
おばちゃんの半眼から察するにそれは凄い我儘なんだろう。使用人たちを困らせる訳にはいかない。


首を振って、煩悩を去らせる。


でも、2日に1回かぁ……。
それは無理としても、10日に1回でも温かいお風呂に入れたら、また違うんだろうなぁ……。



「ここは特に水源が豊富だから出来ることとはいえ、辺境の村かなにかだっけ?アンタの出身は」
「……へ? あ、ああ。うん、そうそう」


考え事をしていたせいで曖昧になった答えを言ってから、少ししまったと思った。
辺境の村から来た子どもって……駄目じゃないか。
焦る私をスル―して、おばちゃんは髪を洗っている。それを見ながらほっと息を吐いて、
手伝うよと声を掛ける。


青の月青の週。
今週は武勇と知力を頑張ろう。そう決めて、週の前半は武勇に力を入れた。


めきめきと……とは言わないものの、新人衛士には
負けないぐらいにはなったと思う。



「中々、筋肉ついたと思わない?」


訓練や勉強の後はお風呂。水よりも少しぬるい程度の風呂も慣れれば、快適だ。
午後4時過ぎ位の時間。大体、いつもおばちゃんと鉢合わせする。


そんなお風呂場で腕を曲げて見せれば、おばちゃんはしげしげと見てから
はっはっはと豪快に笑った。


「そうだねぇ。ポキンって折れそうではあるねぇ」
「いや、それだめじゃん」


まあ、ヴァイルも言ってたけど、成人しない内は、
筋肉付きにくいって。


「今すぐに分化しちゃえば、筋肉付いて良いのに」


ぶくぶくとプールに沈みながら言えば、おばちゃんはそうとも言えないと言う。


「成人の儀を待たずに体が変化することもあるにはあるらしいんだがね。
ただねぇ。心が伴ってなけりゃ、不完全なままだったり
下手すると死んでしまうこともあるんだから、危険って話さ」

「へぇ〜そっか。何事も理由があるんだね」


感心すると、おばちゃんはぐしゃぐしゃと私の頭を撫でてくれた。


「そうさね。あんたがそうやって髪の毛で隠そうってのもそれだね」
「…………」

咄嗟に少し避けそうになると、おばちゃんは豪快に笑う。


「はっはっは。バレて無いとでも思ってたんかい? 
甘いねぇ。あんたは。
最初はともかく、何度頭洗ってやったと思ってんだい。
もう少し警戒心ってもんを持った方が良いよ。ねぇ、『寵愛者』様?」


にひひっと、笑いながら私の額に掛る髪の毛をどかすおばちゃん。
私はもう抵抗しない。
水で濡れた前髪は、ぽたぽたと水滴を落としながら横にずらされた。
現れた光に、おばちゃんは少しだけ目を開いた後、やっぱりという顔をする。



「……おばちゃん……。意外と策士だね」

「そうかい? はっはっ。そう見えるなら嬉しいねぇ。あ、嬉しいですって
言い改めた方が良いかい?」


分かりきったような声で、優しく問うおばちゃん。
敬語にしろといえば、してくれるだろう。それぐらいは出来る人だと
一月半の間で分かっている。


「いや、やめてやめて。そんなの鳥肌がたっちゃう」


ぶるぶると震えてみせると、相変わらず丸い顔をより丸くしておばちゃんが笑う。


「そうさね。あんたに今更敬語なんて、私もいやだわ」

ぶるううっとおばちゃんが震えると、水滴が顔に少しかかった。
手で拭って笑う。


「んー。公式な場なら仕方ないけど、ここはほら真っ裸だし。
裸になっちゃったら、偉い人も、村人も、厨房のおばちゃんもおっちゃんも関係ないよ」


相変わらず、この時間は人がいない風呂で呟けば、おばちゃんは少し
考えるような時間を取ってから、ぽつりと呟いた。


「……あんたが王様になったら、面白いかもしれないねぇ」



それに、私は苦笑するだけ。
おばちゃんを信用してないわけじゃないけど、王になるか否かは
迂闊に答えることが出来ない内容だから。











青の月青の週5日。

明日から、知識の勉強をメインにしようと思っていた私は、
図書室に向かう途中だった。


パタパタと誰かが急ぎ足で走ってくる音を聞いて、振り返る。
黄色の上着。エメラルドグリーンの線が入ったそれは文官の衣装だ。


見慣れた姿が珍しく焦っているようなので、どうしたのだろうと
首を傾げつつ声をかけた。


「モゼ―ラ。どうしたの?」


私の声に、モゼ―ラは嬉しそうに笑って近づいて来る。
少しだけ額に汗がにじんでいるから、結構長いこと走り回っていたんじゃないだろうか。


「レハト様!良かった、お探ししておりました」
「えっと……何か、用事?」



そのほっとした様子に驚きながら、ポケットからハンカチを出して彼女の頬に当てる。
汗を拭ってあげようと思ったけど、額まではつま先立ちしても届かなかった。



「……ああ、ありがとうございます。お借りしますね」



ふっと微笑むモゼ―ラは、私が出したハンカチで額を軽く拭い、
それをギュッと握って興奮気味に声を出す。




「もうすぐですね、ここを陛下がお通りになります。今が狙い目です!
おかしいことは、ちゃんと訴えて筋を通すべきです」

「…………あ」


何の話だっけ?と首を傾げそうになってから、先日の門でのやり取りを思い出した。
モゼ―ラは、陛下ーリリアノに直訴しようというのだ。
私が囚人では無いことを。自由に出入りする許可を取ろうとしている。


どう言ったものかなと、思っていれば、タイミング良くというか悪くというか。
さわさわと衣擦れの音と人の話し声が聞こえ始める。
チラリと見れば、侍従たちに囲まれてリリアノの姿がある。



「あ、ほら、来られました、陛下です!行きましょう!」
「も、モゼ―ラ……!」


ぐいっと右手を取って、早足で歩きだしたモゼ―ラに半ば引きずられるようにして
私も歩きだす。


リリアノの歩みを横切る形で現れた私たちに、衛士や侍従たちがリリアノを
庇う様に構えたのが分かる。
でも、私の顔を認めるとその警戒を解かせた。


「何だ。
どうした、レハト。何か急な用か?」


リリアノは淡々と聞いて来る。
それでも、いつもの調子でありながらも、少しだけ驚いたような響きに聞こえるのは
気のせいだろうか。


沢山の衛士や侍従、そしてリリアノ自体の醸し出す威圧に負けず、
モゼ―ラは居住まいを正して真っ直ぐに王を見つめた。


「あの、陛下にお考え直していただきたいことがございます!」


その声にリリアノは私の右横に立つモゼ―ラを見つめ、その衣装から
相手がどんな地位のどんな人物か判断したようだった。


「……お前は文官か」
「は、はい、モゼ―ラと申します。図書室付きです!」


少し緊張した面持ちでモゼ―ラが頬を赤らめて告げる。普段、陛下に謁見が敵う身分では
ないからだろう。
幾分、浮足立ちそうになっているモゼ―ラは珍しい。


「いえ、そうではなくて……あの、レハト様の外出の件です。
どうして、城から出してもらえないのですか!?」

「…………」


それは、危険だからだろう。
私の身の危険。他の者が私を旗頭に謀反を起こす危険。どちらもありうる。
ただ、それと私が外出が出来ないストレスは、反対のことだ。
危険でも外に出たい、そう思うのは心の問題だ。だから、説得が難しいことではあるのだけれど。


そういった諸々を考える私とは違い、リリアノは他のことに観点を持ったらしい。
怪訝な眼差しで少し拗ねたような口をして尋ねる。


「……? レハトならともかく、それを何故お前が訴える」



それにモゼ―ラは少し息を詰まらせた。



確かに、それはそうだ。
うっかりそう思ってしまうし、リリアノが責める口調でも無く、素朴な疑問のように
言っていることで、喧嘩を売られたとも言えない。

なるほど。そこを突かれると弱いところをついたのか。
咄嗟にそう判断したかは分からないけれど、リリアノの弁はお見事だ。



「それは、あまりにおかしいと思いましたので。
ですから……!」


なおも何か正当な理由を言いつのろうとするモゼ―ラ。
それが意味を為さないと判断したのか、リリアノはモゼ―ラを見ずに、私の方に
視線を向ける。
王の目は、冷たく私を見下ろす。


「レハト」

「……はい」


自分の名前を呼ぶ王の声。
他の者に余計なことを言わせない有無を言わさない響き。



「お主が不満と思うなら、改めてその旨聞かせてもらおう。
このような場での訴えは聞かぬ。
良いな」


緑の目としっかり目を合わせる為に、私は背を伸ばして見つめる。
ぱちりと瞬きをした後、ふっと笑って答える。


「はい」



それに少しだけ頷き、一方的にともいえるやり取りで話を打ち切ったリリアノは
再び移動を開始する。
脇に逸れてその通行の邪魔にならないようにしていれば、ぞろぞろとお付きが通り、
廊下には私とモゼ―ラが取り残された。


「…………」


納得のいかないような、何か思う所のあるような顔でモゼ―ラは
リリアノの後ろ姿を見つめていた。















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