正しいことは





緑月黄週。
今週は、知力と武勇に力を入れた。



「大分慣れて来たけど……うーん……」



良くもなく悪くもなく。
取り柄も無い田舎者だと噂されているのは知ってる。


ゲーム画面で言うなら、
武勇30、知識20って所だろうか。
交渉と魅力は、あるか無しか程度。

良くも悪くも、手ごたえがない。成長している!と思えるものが少ない。


その上、自主訓練していたら手合わせにとやってくれた衛士に
ぼろ負けしてしまった。



今までの練習は何だったんだろう。
唯一、剣だけは私の力になっていると思っていたのに。


剣でもボロ負け。
知識力は全然及ばず。
こんなことで、居る意味があるんだろうか。




「……はぁ……」




落ち込んでいても朝は来る。
今日も空は快晴。風もなく、綺麗なものだ。



「本日は、御前試合がございますが……見学なされますか?」



今日、私付きで居てくれるのはローニカの番らしい。


飲み物の手配や、勉強の道具、細々としたことをしてくれるのが
私付きの侍従の役目だ。
侍従は2人。毎日交代で、その役を交代している。

私自身、他の仕事の方が大変だと思っているから、
朝に用意をしてもらった後は、他の仕事をしてもらうことが多かった。


サニャは洗濯に行ったのか、部屋の中に居ない。
夕方にはフカフカのシーツや、服を持って来てくれると思う。



「御前試合、か」



本当なら、ここで出て、ある程度勝ち進んでおくべきだ。
もしくは、顔だけ見せるのも王様になるには必要なことなんだろう。


でも、私はそんな華やかな場でニコニコ出来る自信がない。


もそもそと鈍い動きで顔を洗って、
サニャが用意してくれた服に袖を通す。


御前試合。
行かなきゃいけないのは、分かってるんだけど……。


落ち込んだ気分は、朝ごはんを食べ終えても
元に戻らなかった。


「……ごめん、ローニカ。
ちょっと……そういう気分じゃなくて……」


はぁっとため息をつけば、ローニカは深く頷いてくれる。



「そういう日もございましょう。
……ああ、どこか、気晴らしにお出かけなさっては如何でしょう」


家の中で、本の続きでも読むか、
知識の学習でもしようかと思っていた私は、
ローニカの言葉にパチリと目を瞬いた。



「お勉強も必要ではございますが、毎日頑張っておられるのですから、
たまには何も考えずにお散歩などされてもよろしいと思いますよ」


にこっと笑う好々爺。
本当は、御前試合に顔を出した方が知名度が大分違うのは、
ローニカだって分かっているだろうに。


「……うん。ごめんね。駄目な主で」


ローニカは、沈んだ声の私を元気づけようとしてか
微笑んで言葉を紡ぐ。


「いいえ、とんでもない。レハト様はいつも努力されておられます。
そう焦らずとも、まだ1月目ですからね」

「……そ……。そう、だね。……うん」



もう一月。
あと一週間で緑月が終わる。

一月経ってしまう。


一体、私は何をしてたんだろう。
頑張っていたつもりが空回りしてたんだろうか。


そういう気持ちを隠して、せめて心配してくれる侍従たちには
大丈夫だと思って貰わなくてはと口元を引き上げる。



「じゃあ……ちょっと出かけてくるね」


「……いってらっしゃいませ」


何か言いたげなローニカを残して、私は部屋を出る。
きっとここに居ても、彼の邪魔にしかならないだろうから。









空がどこまでも青い。


中庭を通りながら見える四角い空は、青くて綺麗で、
届かないものの象徴みたいに見えた。


……このまま、この四角い空しか見ることなくこの城で過ごすかもしれない。
実力なんて無い。自信なんて無い。
誰かに好かれているわけでもなく、ただただ生きているだけ。


そんな私がリリアノを助けるなんて、
お角違いもはなはだしいんじゃないかな。



「……はぁ」


暗くなる考えを消すように、首を振って前を向く。
誰もいない廊下。
いつもなら、侍従の姿や衛士の姿があちこちで見えるのが当たり前なのに
閑散とした雰囲気はめずらしい。


ぼーっとしながら歩いていると、足が勝手にいつものコースを
辿っていることに気付く。
このままだと図書室に行くことになる。


「まあ、いっか。適当に本でも借りて来よう」


ここまで来ちゃったんだし、と足をそのまま進める。
この間、上巻を借りたから下巻を借りるのもありかもしれない。
ああ、でもアレは暗い話だったから、今の気分じゃきついかも。



そんなことを思って図書室に入る。



相変わらず、本のくすんだ香りが立ち込める室内。
紙のかび臭さなんだろうけど、馴染んでくると中々好きな香りだと思う。

辺りは、いつもは何人かいる閲覧者が居なくてガランとしている。
皆、御前大会を見に行ったんだろうか。
眉を少し潜めて、何を借りようかと本に目をやる。


分厚い本がギッシリ詰まった書架。


この辺りは、多分、まだ、読めない。
そう思いつつ試しに、一冊抜きでして読んでみた。


「…………」


何個か分からない単語がある。
前後の文脈から、この辺りの地域について述べた論文だろうと思うんだけど、
肝心の何が言いたいかが分からず、ため息を零す。


バサバサッ。


「……ん?」


私が何かやらかしちゃっただろうか。
そう思って辺りを見回しても特に何も変化が無い。


紙が落ちたような音が、書棚の奥から聞こえたと思ったのに。

……まさか。

まさかというより、きっとそうだろうと確信を込めて、
書棚の奥が見える位置まで歩いて行く。


奥にしつらえられた机の周辺の床に、紙が散らばっている。
その机に腰掛けていたモゼ―ラに、やっぱりと苦笑した。
彼女も、私の視線に気づいたのか会釈を返してくれる。



「こんにちは、レハト様。
お見苦しいところをお見せして、申し訳ありません」


「こんにちは、モゼ―ラ。
また凄い紙の量だね」


彼女が落とした紙を拾ってまとめる。
何気なく見れば、そこには書架の本がジャンルや作者別に書かれているようだ。


「ちょっと、本の分類見取り図を作りなおしておりまして。
前の整理で、大分動かしましたから」


いつからやっていたんだろう。
目の下にクマがうっすらと浮かび、いつもキッチリと結ばれている髪の毛が
ほつれている。



「だ、大丈夫? 大分疲れてない?」


眠そうにあくびをしかけたモゼ―ラに、声をかけると
途端に背筋を伸ばしてキリッとした表情を見せる。


「あ、気にしないで下さい。
なるべく早くやらないと、ちょっと。そう、言われてますので」


「えええ……そんな、何か……ゆっくりで良いのに」


モゼ―ラの仕事への情熱は分かる。
でも、早くやれって言うのは、単なる嫌味か、嫌がらせじゃないかな。
彼女が寝ずにやらなくてはならない程のことじゃない気がする。


モゼ―ラの様子にそう思うも、どう言えば良いか分からず曖昧な言葉になる。


それに思う所があるのか、苦笑を返した彼女は
瞬きをした後、自信ある顔に戻る。



「前のままでは、分類もめちゃくちゃで、欲しいものもすぐに
見つけられない状態だったんです。
担当の文官だけが位置を把握していればいいなんて、
それは間違っていると、私思います」


「…………」


確かに、それは綺麗に整頓されていれば
きっと使い勝手が良くなるし、担当じゃなくても見つけられるだろう。



「だから、これは必要なことだったんです。
だから、私頑張れます」


「……そ、そっか」



言い切るモゼ―ラの勢いに押される形で頷く。

なんだか、それで良いのかなと少し疑問に思うような。
問題のすり替えというか、座り心地の悪い感じがしながらも、
モゼ―ラが納得しているなら良いのか。


もやもやした感じを心に秘めながら、
再び口を開いた彼女の言葉に耳を傾ける。



「正しいことは、すぐには無理でも、きっといつか認められるものだと
思っています」


「…………」



正しいこと。


彼女の正義、私の正義。誰かの、リリアノの。タナッセの。ヴァイルの。


私の正しいとされることを通せば、ヴァイルは王様になれない。
リリアノが正しいと思うことをすれば、タナッセを手放すことになる。
ヴァイルが正しいことをするならば、2人目を求めたり出来なくなる。
タナッセが。


タナッセが正しいと思うことをするならば、私は死ぬことになるだろう。



「…………」



白の裏は黒じゃない。黒の裏も白じゃない。
全部、灰色だ。
人の心は曖昧で、その時正しいと判断して行っても、後で後悔する。
そして、後悔する出来事は他人に糾弾される。


モゼ―ラの言い分は、確かに正しい。正しすぎるくらいに。


正しすぎる思想はこわい。
現実感が無くて、どこかふわふわした印象を受ける。

濁らない水に、魚は住めないのだ。




「レハト様は、どう思いますか?」



期待する眼差し。そうだ、と言って欲しいと目が言っている。
その目に、私はきっと、今言ってみても分かって貰えないと
分かっていながら口を開く。



「……そうとも言えない」


硬い口調で言った言葉に、モゼ―ラはあからさまにがっかりした様子だった。


「そうでしょうか……。
正しいことが認められない、そんな世界はあって良いのでしょうか」


「…………」


あるか、無いかで言えばある。無くすことは、きっと出来ない。
正しいことでご飯が食べれるわけじゃない。
明日の食べ物が無ければ、正しくなくてもパンを盗むだろう。

彼女の真意はそこではないと、少し考えてから思い至ったけど、
一度言ってしまった言葉は取り消せない。



「私は……。…………」


何かを悩むように少し下を向いたモゼ―ラに何て言えば良いか分からない。
今さら、『正しいことは良いことだ』とも言えない。
矛盾してるし、ただの御機嫌取りだとバレバレだ。



顔を覗きこんでおろおろする私に気付いたのか、
モゼ―ラは、無理に作った笑みで笑ってくれる。



「ごめんなさい、作業に戻ります。
どうぞ、レハト様もお戻りください」


「…………。うん」



何も言えない自分が情けなくて、何度も後ろを振り返ったけど
モゼ―ラは淡々と作業を進めているらしく、
後ろを振り返ることは無かった。










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