雷雨の日(後)








なんて素晴らしい日なんだろう!



親切で優しくて素敵な男性と知り合っただけでなく、
抱きついちゃったし!

人生初の浮かれ行事だ。


彼は、良い匂いがした。
もっと匂いを嗅いだりしとけば良かったかもしれない。
……って変態か私は。




その上、絵本まで貸してくれるようだし。
嫌味を言うこともない上に、無料で。



村にはそんな人はいなかった。


本が読みたきゃ金を持ってこい、それが常識。
明日のご飯も怪しいのに、そんなことが出来るはずもない。
銅貨数枚渡して本を借りるぐらいなら、小麦粉を買う。


それでも、偉くなりたい人は、字を習う為に本を借りたり、
買ったりする。
だから、本貸しや本売りは、月に数度来て、本はいらんかと聞いて来る。

借りた人に聞けば、返せ返せと取り立て屋のように
やってきて大変だったという。
写本しようにも、借りたその日から見張りが見ているから出来ない。

当然と言えば当然だ。
彼らにも生活がある。

写本されてしまえば、もうその本は村では売れないし、貸せない。
だから、恫喝して良いかと言えば違うと思うけれど。




日本じゃありえない光景だ。
それでも、それが今の私の常識。



なんて親切。なんて良い人。




どこかの嫌味陰険野郎もこういう風に好意的だと、
凄く良いのに。



「……まったく、同じ男の人でもこうも違うなんて」



言って、手探りでソファを見つけ出してそこに座りこむ。
ふぎゅっと、私の体重を受けて革張りのようなソファーが音を立てて
少しだけ沈む。
でも、子ども一人乗った所で何の問題も無いのか、
ふわんっと反発して戻った。



絵本なら、言葉が分からなくても大体を絵で想像できる。
そして、想像できれば、言葉も何となく分かる。
ちょっとした単語が分かれば、そこを皮切りに分かっていくんじゃないか。


そんな予感がしている。





しばらく、ぱたたぱたたと小さくなった雨音の中、闇を堪能してみた。


彼はまだ帰って来ない。
そろそろ結構な時間が経ったように思うんだけど、まだかな。まだかな。
まさか、嘘付いて逃げたとか。
……なんて。無いよ。うん。疑うなんて駄目だろう。


「えー……」


しかし、暗い。誰もいない。
なんという風流。なんという静けさ。
なんという……えっと。


……暇だ。


ああ。駄目だ。
せめて月夜なら、月見でもってなるのに。



「ひーまーだー」



暗闇に目が慣れることが無いのは知っているから、
クツを脱いで、ソファーに行儀悪く体操座りをしてみる。

大人用のソファーは、私の体を簡単に受け止めてくれたので、
そのまま、左右に揺れて歌を歌う。



「〜♪〜♪〜〜♪」



懐かしい日本の歌。
何だかときめいちゃったので、恋の歌を。


可愛い曲で、独り身が歌うとダメージを食らいそうだけど
今は良いと思う。
なんせフィフティーンの乙女ですし!


恋は……恋は、うーん。
わかんないけど。


テンションの高い曲を歌って、体を左右に動かして。
それが終わって、次は何にしようかなと思う。



童謡でいっか。



「〜〜〜♪〜〜♪」



そう思って、誰もが知ってる童謡を歌う。
選曲ばらばらすぎ。


笑いながら歌った曲は短い。



次は……。




青春応援歌のようなものを。
願いを。ここで生きるということを。明日を希望を歌う。



「〜〜♪〜〜♪〜〜♪」




希望がある、と。
そんな歌詞を歌いながら、あるのかと自問自答する。



本当に、誰かの光になれたら良いのに。




何を目的とすれば良いかなんて分からず、ただ与えられた課題をこなし
毎日、必死にしがみついてるだけ。
それが今の私。




誰かが見ていてくれるよというような歌詞に、一体誰が見てると言うのか、
ストーカーか!なんて茶化さないとやってられない。
……本当に、しょうもない。



歌い終わって、少し凹んで。
小さく、ぽつぽつと今度は自分の現状を歌ったような歌をチョイスする。



「〜〜〜〜……♪」



私はただの操り人形だと。
分かっているのに、それをまるで楽しいことのように歌う歌を。


ゆらゆら。
左右に揺れて、夢うつつのように、ゆらゆら。



綺麗な着物。綺麗な人達。
美味しいご飯。美味しくて豊かな水。
単なる馬鹿でいれば、きっと彼らに気にいられるんだろう。
ただ、彼らの機嫌次第で殺されるけれど。



あげよう。すべて。
あなたは人形だから。



幸せすら、誰かから享受するもののような歌を歌いきって、
ふふっと皮肉に笑う。



「……ばかみたい」



ぽつりと呟いた声は、思った以上に寂しく聞こえた。
ガシガシと髪の毛を掻いて誤魔化す。



「あああああー!やめやめっ。暗い暗いっ!
よっし。今日も頑張らんとまた馬鹿にされる。折角、絵本読ませて貰えそうなんだし、
気合入れて読まなきゃっ」


よっし。頑張るぞ―!
ふんもっふ、と両手の拳を握っていたら、斜め後ろから声が掛った。



「……そのような気合いはいらないだろう」


低い声。
ビクンっと肩が上がったのは、急に声を掛けられたからだけじゃない。
無意識なのか、少し色っぽく聞こえる声のせいだ。


「うわっ!? あれ? い、いつから……」


歌を聞かれてたら恥ずかしい。
赤くなる頬をそのままに、彼がいるであろう方を見つめる。
相変わらず単なる闇にしか見えない。


「…………。つい先ほどですが、何か不都合でも?」


淡々とした声に、本当だろうか?と首を傾げそうになったけど、
嘘をつく理由も分からない。
首を振ると、彼は納得したらしい。


「そうですか。寵愛者様の御不興を買わずに済んで嬉しく思いますよ」



まるで用意された台詞のようだ。
平面的で、何の感情も見えないというか、冷たいというか。
さっき、声を掛けてくれた時はそんなことなかったのに。



「あの、その敬語をやめて貰うことは出来ませんか?」

「……何故です? 不敬罪で私を捕えるおつもりですか?」


何だろう。皮肉っぽいのにこっちの方が、感情があって好きな気がする。
……いや、私が虐められるのが好きか否かじゃなく。
じゃないはずだ。違うはず。
タナッセに言われ過ぎて目覚めちゃったとかじゃない限りは。



「いえ、あまり……その、貴方は敬語を使う方では、無さそうな感じなので。
失礼を承知で言えば、私に敬語を使うのが嫌々そうな雰囲気がさっきっから……」

「…………」


ああ。うっかり本音が。
でも、普段は敬語なんか使わない人なんだろうなとは思う。
驚いた時とか、ちょこちょこ敬語が無かったのが良い証拠だ。



「……お言葉は嬉しく思いますが、寵愛者殿は、末だ私が誰だか
お分かりになられておられないご様子。その上で、そう仰るのですか?」

「あなたが誰かは分からないけど、
あなたが喋りにくいんじゃないかなってそう思ったから」


言えば、彼は、はっと吐息を洩らすような声を出す。
その仕草に、誰か似た人を知っていると既視感を覚えるも、
直ぐに彼が言葉を発したので、ふっとその予感は消える。



「それはそれは。お優しいことですな。しかし、宜しいのですか?」


クツクツと笑う声。
上から見下すような、低く冷たい声だ。


「何がでしょう?」


何を言われるか、何となく予想がつく。
似たようなやり取りを誰かとしたことがあるから。
それでも私は、声に出して彼に問う。



「人に侮られます。誰にでも親しい態度とは聞こえは宜しいでしょう。
身分関係なく接するのは、上の身分の者たちは面白くないでしょうね。
侮られたと、侮辱だと恨む者も出ましょう」

「…………」


闇の中で聞こえる声は、冷たく淡々としているけど、的を得ている。
彼の目がどんな風に私を見ているのか知りたいけど、知ってはきっと駄目なんだ。

そう本能で思って、ふっと笑う。



「そっか。うん、分かった。ありがとう」


言えば、空気を飲んだような音が聞こえた後、
震える声が聞こえる。


「……な、何がですか。
私は、貴方に感謝されるようなことを、申し上げたつもりはありませんが」


信じられないと言わんばかりの響きに、貴族の人ってのは
お礼を言うと動揺するのだろうか、なんて思う。


「……そう? 私は、貴方の言葉は真理だと思った。
事実だし、私が受け止めて分かってなきゃいけないことでしょう?
だから、ありがとう」

「…………」


変なことを言ってるんだろうか。
そんなつもりは無くても、貴族には鼻につくみたいだから
彼もそう思うのかもしれない。


そう思ったら、ちょっと悲しかった。



「あ。そうだ。それで、絵本は……」
「…………。ありません」



話題を変えようと、闇の中、聞こえる声の方に目を向けて言うと
低く唸る様に声が返ってくる。


「え。あ、そ、そう。そっか。
そりゃそうだよね。
小さい子どもがいないお城じゃ、絵本は無くて当たり前だよね」


急に低くて冷たい声色が返ってきたことに驚いて聞く。
そして、無いのかとちょっと残念に思った。


そもそも、絵本は子供向けに作られるもの。
子どもがいないらしいこのお城で、絵本が長々と保存されることも
稀なんだろう。


残念だけど、仕方ない。
そう考えて声に出せば、彼はいいえ、と言う。



「絵本は確かにありました。
でも、貴方に貸せる本は、ひとつもありません」



低い声。
図書室で言われた言葉が、フラッシュバックする。



『読まない本はべたべた触らないで』
『お分かりにならないかもしれませんが、貴重なもの』
『継承者様は文字がお読みになられないと』
『……どうぞ、お部屋にでもお戻りくださいませ』



「…………。そ、そっか。
そ……そう、だよね。わたし、字読めないし……。
いなかもの、だから……よごしちゃうかも、だし……。
でも、べんきょ……して、つもり、で、ごめん……なさっ」



恥ずかしい。


ぽたぽたと熱いものが頬を伝う。
子どもみたいだ。
字が読めない。読めないから読みたいと思うのに、誰も彼もが
敵みたいに思えて出来ないと泣く。


馬鹿だ。他にもやりようはいくらでもあるはずだ。
泣くことじゃない。泣く程じゃない。
こんなの、まだまだ大丈夫だ。泣くな。


でも、止めよう止めようとすればする程、溢れて止まらなくて。



「……な、何故泣く! 
い……いや、泣いたところで絆されるなどと
思っておられるのならば、筋違いというものです」


「………う……ん。……ごめ…なさ…」


彼が言ってることは正論だ。間違っていない。
親切にしてくれた人を困らせては駄目だ。
ずずっと鼻をすすると、言葉が何度も途切れてしまう。
目元を拭って、大きく息を吸って吐く。



「はぁ……うん。あははっ。久々に泣きました。
ああ。すっきりした」


ふぅっとまだしゃっくりをしそうな喉を落ち着かせて、口元に笑みを浮かべる。
彼は、雷に怯える私を助けてくれて、本を探しにいってくれた。
それで十分、有難かったのに、泣いて困らせてしまった。



「ありがとう。探しに行ってくれて。
ぎゅってしてくれたのも、すごく助かりました」


「…………」


こっちで大丈夫だろうか。
声を出してくれないと、精確な場所が分からない。
変な方向を向いていたら嫌だなーと思いながら、頭を下げる。



「泣いてしまってごめんなさい。
大丈夫。絵本が無くても、教えてくれる先生がいますから」


「…………」

「その、えっと……」

「…………」

「きっといつか、読めるようになってみせますから。
あ、それは、貴方にはあまり関係ないかな。
ふふっ、でも、なんだか言わなきゃいけない気がしたので」



そこまで言うと、大きくため息をつかれたのが分かる。


……ああ。喋り過ぎか。

彼は、私と仲良くなんてなりたくないんだろう。
なのに、勝手に期待して勝手に落ち込んで勝手に泣いて。
どうしようもない。


どうにか、別れの言葉だけでもと空気を吸い込んで、
吐く前に彼の声が差しこまれる。



「……嘘です」

「……は……え? えっと?」


嘘って何が?
何がどこまで嘘なんだろう。
闇を見つめる。
予想よりも右側から彼の声がしたので、そちらの方に体の向きをかえながら。



「だから、……絵本はここに……あります」

「……ええと?」

「……まったく、察しの悪い奴だな。
単に貴方を試しただけだと申し上げているんです」


ぽそりと聞こえた悪口。それにちょっとムっとしつつも、
後半の言葉を反芻して、ああっと思いいたる。


「じゃ、じゃあ借りても良いんですか!?」

「…………。ええ、まあ」


今すぐにでも借りたい。そう思ってクツを履き、方向を見定める。
こっちだろうか。
聞こえた声の方に向かって両手を突き出したまま歩く。

途中に何か硬いものがあったのか、足先をぶつけた。
ドカンッ。


「……うっ!痛っ」
「…………」


鼻が鼻が。
前世よりは高くなった鼻がまたぺっちゃんこになってしまう。
顔面から、机らしきものにぶつかったらしいと判断して、鼻を抑える。



「何を、なさっておいでですか」


呆れたような声に、こっちか!と微調整して歩きだす。
コンッ。
また何か硬いものを蹴飛ばした。


「い……っ痛……くない、痛くない痛くないっ小指なんて痛くないっ」
「…………」



小指。足の小指ーーー!
無事か。無事なら返事しろ。

いや、指が返事したら怖い。



「あまり動かれると怪我されますよ?」
「……う。はい。えっと、こっち……?」


そう呟きながら、彼がいるだろう方向に体を向ける。
って。何かおかしい。
全然距離が縮まった感じがしない。

さっきまで右側斜め前にいたはずなのに
また右斜め前から声が聞こえるのもおかしい。


……まさか彼は、移動しているんだろうか。
そんな馬鹿な。
いくら雨で光があまり差さないと言っても、彼には私が見えてるはずだ。
印が闇にぼんやりと光っているのは、自分でも分かる。

その自分が近づいてると知ってて、逃げるというのは、つまり。


「えっと……」
「どうしました? 本はいりませんか?」


何だろう。この人、良い人、だよね?
なんか、あれ。何かおかしいような。


「い、いります。必要なんです!」
「…………」


言って、今度は慎重にこの部屋の見取り図を書くつもりで足元を探る。
コンコン。これは机の脚。
トントン。これはソファー。同じのが二つ並び。

横並びにソファー2つもおかしいから、4つあって机を挟んで左右対称に
あると考えるのが自然だ。

観葉植物もあるだろう。
広間や案内された小部屋と同じならば、窓辺と四隅辺りに。
他に障害物らしきものはないはずだ。


「あの……」
「……何です? やはりいりませんか」


声をかけると、やっぱり右斜めに移動してる。
ずず、っと少しづづ、少しづつ。目が見えない分、音がよく聞こえる。
声を掛けたのは、足音だけじゃなく、彼がそこにいると確認するため。


ここだ。
今しかない。


「とぉっ!」
「……なっ?!」


全身のバネを生かして、飛びつく。真っ直ぐ前に。
両手を広げて、何かに当たったと分かった途端、ぎゅっと抱きしめる。
これは、彼の肩と首回りだろう。

成功した!
と、思ったら、彼の体が後ろに傾ぐ。


「うわわわ……。落ちる。落ちる」
「……ぐっ。お前な……っ」


驚いたせいか、いきなりお荷物が飛んできたせいか、ドサドサと
何かを床に落とした音がする。

きっと手に本を持っていたんだろう。彼の言から察して、絵本を。
それにしても、意外と多そうな音だ。


「捕ーまえたっ。あははっ」
「…………っ。何て事をする……んですかっ!」


ぎゅっと、首筋に懐くように一度抱きつくと、驚いた様子で
彼が一度言葉を詰まらせる。
それに笑って、だって、と呟く。


「いじわるするからでしょ。もー。何でそんな子どもみたいなことしたの。
……まあ、楽しかったから良いけど」

「…………」


ふふっと笑えば、彼は脱力したらしい。
顔が近いことで印の光で彼の顔が見えそうになって、目を逸らす。


見たら、きっと駄目だ。
そんな予感があるから、そっと手を離した。
ストン、と簡単に地面につく足。



落ちてしまった本を拾う為にしゃがむと、彼もしゃがんだようで
空気がふわりと動いた。



「……まだ鬼ごっこする?」

「鬼ごっ……! 
私は、そのようなものをしたつもりは、ありませんがっ」


子どもでもあるまいし!
そうキンキンと怒る彼に笑って、本を拾う。


何冊あるだろう。
数えてみれば、私の手元に6冊。
これだけでも、十分教材として優秀だ。


「……まったく、あんなことをなさるから……
ああ、これも、です」


ポンっと軽い調子で4冊追加されて、嬉しさがこみ上げた。
ぎゅっと抱えて、彼に頭を下げる。


「ふっふっふ!これだけあれば無敵!
御親切に感謝いたします。ありがとうございま……」


ずるり。

頭を前に下げた途端、抱えていた本がバランスを崩す。
彼が乗せてくれた本が数冊、地面に再び落ちた。


「ああっ!」
「……貴様は阿呆なのか」


ため息と共に彼が再び本を乗せてくれた。
よし。今度こそ。


「頭を下げるな。また落とす」

「……はい。しません。えっと。ありがとう」
「……ああ」


面倒そうな声。
何故私が、とブツブツ聞こえる声を無視して、さあ、部屋に返って
勉強だ!と意気込んで。



「あのー。迷惑掛けついでに宜しいですか」

「……駄目だ」

「じゃあ、ずっと抱きついてても良いですか」
「何故そうなる!? ……なんだ、言ってみろ」


闇の中、疲れたのか敬語を話さなくなった彼に頷く。



「帰り道を教えて下さい!」

「…………」



この後、お前はその年で迷子とは恥ずかしくないのかと言われたけど、
とりあえず、恥ずかしいから内緒で!と
一応の口止めを試みた。



その後、彼が呼び付けた侍女さんに手を繋いで貰って
何とか部屋までたどり着けたのだった。






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