雷雨の日(前)





今週はひたすら知力だ。


そう決意したものの、本を開けて閉じて。
その読めなさに絶望した。


「……ああああああ」


読めないっていうか、読みたくないっていうか。
題材がそもそも無茶な気がする。
最初から、論文のような面白味のない教材なのだ。


……たぶん。
読めないから、だろうと思うだけだけど。


開始一日目で挫折しかけ、それでもまた
図書室で馬鹿にされるのはしゃくだからと、ページをめくり
そしてまた机につっぷす。
その繰り返しだ。


気分転換にと、武勇訓練をすれば、そっちが面白くて
どんどん上達してしまった。
……何してんだ、私。


開始3日目。
30日に雨が降ったばかりだというのに、再び雨の日。



「雨〜今日も雨〜明日も雨〜。
……本が読めないのに雨ーーーーー!」


このやろーーーー!アネキウスのばかたれー!


武勇訓練が出来ないじゃないか!
……いや、本読めよってことですね。分かってます。


はぁっとため息をついて、廊下を歩く。


この辺りは、特に重要な部屋じゃないらしく、雨で薄暗い。
一寸先は闇状態だ。


「……うう、勘弁して」


選定印の持ち主は、意志強固にして頑強、才に長けるなんて
よく言われるけど、私はあまり当てはまらない。
いや、才能はあるんだろうとは思う。


初めてやったことをこなすのは得意だし、
大体今まで、体力面で困ったことは無い。



ただ、唯一、私の目は闇に弱い。
月のある夜ならまだしも、曇天や雨の日の室内は、かなりおぼつかない。


正直、いま、この廊下が真っ暗で迷路です!!
ここはどこ!?



「……ま、まじか……この年で迷子とか」



言ってみて、ついてない日はとことんついてないとため息をつく。




今日の授業が終わった。
相変わらず文字はちんぷんかんぷんで、それでも先生の話から
歴史について暗唱出来るようになった。

いつものようにお風呂場で浮いてみたりしてから、
私は部屋に戻ろうと歩いていた。


慣れた通ってきたはずだった。
中庭を挟んだ場所が近道だと知っているからそこを通りかけた時、
廊下の先から声が聞こえた。


「……だろ」


ぼそぼそと。
何だろうと気になって思わず聞き耳を立てたのがいけなかった。


複数の声。
田舎者がどうだ、とか。


あと一年、引っ込んで居れば良いのに。
誰も歓迎などしないのに、よくもまぁと。



「…………」



このまま歩けば、噂話の渦中に突入することになる。
噂は一時的に止むだろうけど、悪い噂を流している人たちが、
コロっと掌を返して笑顔になるのを見たく無かった。

そちらに向かおうとしていた足が、無意識に別方向に向く。
初めて通る道だ。
でも、回り込めば大丈夫だろう。


そう思って、足を速め速め速め。
長い廊下を走った気もするし、階段を登ったような気がする。
ぜえはあと息を切らすほど速めた足をようやく止めた時、
辺りは見たこともない場所になっていた。




「わーたーしの、ばーかーさーは、しんじーられなーい」



変な節をつけて歌ってみる。


雨音でかき消されるだけじゃなく、人気が無い為に
多少大きな声で喋っても見とがめられることは無さそうだ。
……まあ、つまり迷子確定なわけですけども。


ローニカの護衛を断るんじゃ無かった……。


もう一月……いや。
ついつい日本時間で換算しちゃうくせが抜けないなと思ってから、
半月ー30日もここにいるから、と彼の案内を断った。

お風呂場までは毎日通ってるコースだし、ローニカに案内して
貰わなくても大丈夫。
なるべく人の多い所を通るし、すぐに帰ってくるから、
ローニカは他の仕事をしてて。

そう言って、部屋を出たのにこのざまだ。
はっはっは。



ピカッ。



「……あ」


雨に混ざって曇天が光る。雷が落ちる前兆だ。
嫌だな……。
こういう、本当についてない日というのがあるんだ。
そう思って眉根を寄せる。


光った方に窓があるだろうと方向を見ていると、
ずずずっと音が沈むように少し静かになり


ドォオオン!


轟音を響かせて雷鳴が轟く。
雨はアネキウスの恵み、雷はアネキウスの裁きだという。


誰が裁かれるのだろう。


沢山人を殺した人か。罪を犯した人か。
誰かを裏切った人か。偽りを言った人か。


それとも……私か?


「……心当たりがないって言ったら嘘になるよなぁ」



前の世界では、親より先に死んだ。
この世界の親も、幸せにしてあげられなかった。

この世界の、裏情報を先に知っている。
王になる気が無いくせに王になりたいなんてうそぶく。



「……うわ、ありすぎ」


寒さからか震える体をギュッと両手で抱きしめて
窓から離れる。
どこか、逃げ込める場所は無いかな。


ピカッ。


再び、雷光が辺りを照らす。
それでようやく辺りの様子が見えて、いつもの場所とは
本当に全然違う所にきてしまっているようだと気付く。


いや、全然こわくないけど。全然。もう、全然。
カタカタと震えるのは、寒いからですけど。


ひんやりした廊下。
高い位置にある窓は、少しだけ雨風を通し廊下を濡らしてしまっている。
私がいた場所よりも密閉されたかのような空間。


「……あ」


ドアがある。
広間にあるドアに似ているけど、こちらはあれよりもシンプルで
あまりゴテゴテしていない。


どうしよう。
勝手に入ったら、怒られたりするかな。
誰かの部屋だったら……。


ドゴォオオン!


「……ひっ」


ビクッと肩と首がくっつきそうになって、慌ててドアノブを回す。
ガチャリッ。
ドアに鍵は掛っていなかったらしく、簡単に開いた。


その勢いそのままに中に入る。

「……っ」


ふっふっと息を整えてながら回りを見回す。
手を伸ばす範囲すらも、暗くてよく見えない。
……この目は、本当に変な時に役に立たない。

そろりそろりと部屋の中に入って行くと、ごつんっと何かに
足が当たった。
痛い。

「……ふぐっ」


変な声を上げると、空気が動いた。
ギュッと何かの音がして、こちらに視線がきたのが分かった。


「……誰だ」


低い誰何の声。
どこかで聞いた声のような気がするけど、思い出せない。
人がいたのは嬉しい。
今の状況で、独りで耐えるのはきつい。


「あ。えっとすいません。私、その、レハトと申します。
初めまして」


「……知っている」



闇に向かってぺこりと頭を下げてみると、
少しずれた所から声が返ってきた。
あ、こっちか。


「ご存知でしたか。すいません。
えっと、失礼ながら、私、いま、目が見えてなくて
あなたの顔というか、姿も見えないので」


出来るだけ丁寧になるように喋る。
どこの貴族だろうか。
妙に偉そうな口調だと感じたから、階級のある人か、
それなりの地位の人なのかと思ったからだ。


「……目が、見えない? 
何か薬でも……飲まれたか?」


相手は戸惑うような疑うような声で聞いて来る。
相手は男性。多分若い人かな。低くよく通る声をしている。
結構、好きな声だ。


「いえ、元々そういう体質で……。
あ、でも、普段は平気なんですよ。
曇りとか雨の日の暗い所は、真っ暗になっちゃって見えませんけど」

「…………」


電気があればなー。
こういう時、本当にそう思う。


声のした方へと少しづつ足を向ける。
空中を何度も手探りで探ると、クッションのある椅子のようなものがあること。
机のようなものがあることが分かる。


ここは応接室みたいなスペースかな?
もしくは談話ルームのような。


広間だけじゃなく、あちこちに小さな部屋があるのは知っている。
利用したことは無いけど、
誰も利用していなければ、好きに利用しても構わないらしい。



ハタハタと揺れるカーテンの音と、風の流れがあるから、
窓もどこかにあるのだろうと思う。
雨が降っているのに、窓の木戸をしめてないのかな?


そう思うも、今の私に木戸を探し当てて締めるのは不可能に近い。
椅子のある所まで来ただけでも、かなり凄いことだ。



「あの、申し訳無いんですが、しばらくここに居ても……い」


ドゴォオォン!
良いですか、そう聞く前に、私はその場にしゃがみこんだ。


「……っ」

「ど、どうした?」


相手が慌てたのか、驚いたような声が上がる。
こちらに来ようとしてくれているのか、さっきよりも大分近い所で
彼の声が聞こえたように思う。


見ず知らずの人を心配させてはいけない。
私は、大きく息を吸い込むと早口でまくし立てる。


「ふ、不意打ちとはやるな。雷よ!きっさま。約束がちがうじゃないかっ。
ピカッの後だろう!いなびかってくれよ!
その後じゃないとこっちにも心の準備というものがあるんだよっ」


両耳を抑えながら、立ちあがり
窓と思しき方向に向かって指さして言えば、ピカッと空が光る。
違うよ。
私は雷さんに、おいでおいでした覚えはないんだよっ。



「ひっ……!」
「…………」


私は、中腰になって耳を抑えた。


ドゴオオオオン!


心臓に響く轟音。
バクバクと心音が早まり、嫌な感じが心を満たす。
嫌だ嫌だ。嫌だ。


頭を振って、大きく息を吐く。
震えた両手を無理やり開いて、パンパンと両頬を叩く。
よし、大丈夫だ。


「す、すみません。えっと、お見苦しい所を……」
「……いや」



謝って頭を下げている途中に、またピカッと光る。
その光で少しだけ見えた彼は、短髪で私よりも背の高い人物だということ。
顔は逆光で見えなかったけど、今はそれどころじゃない。


「ひっ……」
「…………」


ビクッと肩が竦み、その場に座り込みそうになれば、誰かに強く腕を引かれる。
私は意味が分からず、されるがままになった。
力が込められた方向に体が傾き、ぽすんっと何かに当たる。
あったかい。そして凄く良い匂いがする。

って、あったかい!?
これって男の人の体が目の前にあって、つまり抱きついてるような状況っていうか。
あれこれなにフラグ!?


私は気付いて少し離れると、相手が息を飲んだのが分かった。
あ……。


「え、えっと……」


謝るべきかな。それともお礼を言うべきか。
何か言い訳を言うべきか。
迷っていると相手の声が頭上から響く。


「何かにすがっていた方が、少しはまし……でしょう」


どうやら闇が見えない私の為に、親切にも彼は私の前まで来てくれたらしい。
ましだろう、と言いかけたのを丁寧に直したのは、
印を持ってる者に対する礼儀だろうか。

でも、何かって、この男性の腰に手を回してしまっても良いんだろうか。
少し恥ずかしい。


「それとも、私なぞ貴方様には縋り木にするにも及びませんか」
「……え? いいえ、そうじゃなくって」


っていうか、何でそうなる。
どう考えても恥ずかしいからだろうに、斜め上の方向に勘違いされてしまった。

何だろう。この妙に皮肉っぽい言い方。
誰かを思い出すような……。
誰だったか。こんな声で、こんな喋り方で……そうこんな風に。


何となくイメージが固まりそうになった時。



ドゴォオオン!


「ひぁっ!」
「……!」


ギュッと目の間にあるものを抱きしめる。
力一杯抱きしめても、その温かいものは嫌がることはなくそのままにしてくれて、
凄くありがたい。


「す、すいません。ごめんなさいっ!
は、恥ずかしいんですが、し、しばらく腰を貸して下さいっ」

「……腰を……」


相手が戸惑ったのが分かる。少し照れたような声に、首を傾げてから気付く。
あれ? 腰を貸すってなんか。


「あああ!いやらしい意味じゃないですよ!?」
「あ、当たり前だっ。何を言っている、貴様はっ!」


ですよねー!分かってますよねー!


良かった。



そう思って何度か、雷鳴の度に彼の腰に抱きついてはビビり、
抱きついてはホッとしの繰り返しをしていると、
そろりと頭を撫でられた。


びっくりして見上げるも、彼の顔は見えない。
残念。どうしてこう、タイミングが悪いんだろう。
これを切欠に恋が始まるスト―リーが合っても良さそうなのに。


「ふふっ」
「……何を笑っている」
「いえ、不思議で。こんなに近いのにやっぱり顔が見えないから」
「…………そうか」


相手が少しだけ落胆のような、ほっとしたような声を出す。
何だろう。
正体がばれたらいけないような人なんだろうか。


「ディレマトイ」
「……!? な、何の話だ?」

「あ。いえ、謎の詩人だって言うから、今の状況っぽいなとか思って。
謎の男性に抱きついてるみたいな……うーん?
あれ? 何か違いましたかね」

「…………。思いつきで話をするのは如何かと思いますが。寵愛者殿」


少し冷静になって、敬語を使ってみると彼も敬語に戻る。
何だかちょっと残念だ。



「んー……。読んでみたいんですけどね」
「……お読みになられる程の物ではございませんよ?」


あれ。この人はディレマトイが好きじゃないのか。
意外に思いながらも、そういう人もいるだろうと納得する。



「でも、まずその段階じゃないんです。
残念ながら、まだ文字が読めなくて……。
絵本とか無いですかって先生に聞いたら、絵本など読むに値しません。
寵愛者様ならば、この本が読めるはずですって」

「…………」


彼の腰は、抱きついていると安心する。
二つに分かれたものが一つになったような妙な一体感。
スリっと頭を寄せると、彼の手が頭を撫でてくれて、すごく幸せな気分になる。
ピカッと光る雷も、轟音も、雨も、全部どうでも良くなって


「……ヴァイル様は出来ましたよってのが、先生の口癖なんです」


私は普段言わないようなことを言ってしまう。


「ヴァイル様なら1日目で読み終わりましたよって。
ヴァイル様ならこんなにかかりませんよって。
先生は言うんです」


「…………」


ヴァイル様なら。ヴァイル様なら。
ヴァイル様は、既にこんな所まで出来てらっしゃるのに。
ヴァイル様は……ヴァイル様は。


知力の先生は、私にライバル心を煽って勉強させようと必死なんだろう。
結果を出したいんだ。
それは分かってる。


悪い先生ではないことも、勉強熱心で、
天才肌で、自分が出来ることは皆が出来ることだと思ってる人なだけで。



「……私は、きっと……」


その先は言ってはいけない。
いくら彼が優しくても、寵愛者がみだりに弱音を吐くのは駄目だ。
リリアノが苦労してくれているのが台無しになってしまう。


はっと気付いて、私は彼の腰から手を離す。
さらりと撫でて貰っていた髪が揺れた。



「……ごめんなさい。つい、甘えちゃいました」
「…………いえ」



謝ると、彼は何か言いたげに少し黙ってからそれでも追求せずにいてくれた。


「雨、弱くなったみたいですね」
「……そのようで」


私の言葉を繰り返すように、彼が呟く。
しばらく落ちた沈黙の後、彼が小さな声で聞いてきた。


「……失礼でなければ、絵本をお持ちいたしましょうか」
「えっ」


絵本。
欲しかったもの。字を勉強出来るもの。図書室に借りたかったもの。
あまりに見つからないから、もう無いのかと思い始めていたもの。
簡単に彼の口から出た単語に絶句していると、
彼は気を悪くしたと思ったのか、すまなさそうに声を落とした。


「いえ。おかしなことを申しま……」

「あ、あるんですか!?本当に?良いの?」
「……え、ええ。まあ……」


相手は少し硬いような口調で戸惑っている。
喜び過ぎた私に引いたのかな、と思ったものの興奮は収まらない。



「わぁっ!すごいすごいっ言ってみるもんだなぁっ!
あ、お金とか必要ですか?
田舎者に貸すのは補償金がいるって話だから……
それにしても、変な制度ですね」

「…………」

「えっと。いま、お金を持ってないんですが、ローニカに言えば……」


「いえ……。そんな大層なものではございませんので。
……しばしこちらでお待ち頂ければ、お持ちいたしますが」


「あ、はいっ!すいません。お手数かけて」



相手がコツンコツンと足音を響かせて歩いて行くのが分かる。
ドアまでたどり着いたらしく、キィっと引く音。
バタンという音がして、彼が出て行ったのが分かった。






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