【Tside】全ての始まり






そんな馬鹿な。


目の前が暗く思考が沈んでいくのを自覚しながら、
今、目の前で告げられた言葉を反芻する。


「…………」


そんなことが。

ありえない。



ガシャンッ!!


銀器が割れそうな程の大音量で響き、ようやくハッと我に返る。
まさか自分が粗相をしたのかと一瞬焦ったが、違ったようだ。


隣を見れば、緑の髪を跳ねさせた従兄弟が
茫然と母上を見つめている。
その手にあったであろうフォークとナイフを投げ出して。

その様を母上はじっと見つめていたようだが、
音を立てた張本人は意を返してもいないようだ。


「お、大きな音を立てるな、はしたない!」


フォークを握りしめ、
震えそうな両手を叱咤して彼に告げる。


月に一度の食事会。
定例的に開かれる場で、母上がー王が告げた言葉は
場の空気を一転させた。


そう思ったのだが、
感じたのはどうやら自分だけだったようだ。


ナイフとフォークを銀器に叩きつけるという暴挙をした粗忽者は、
私の言葉など聞きもせず、
高揚した頬を、嬉しそうに笑みに変えている。


「そいつ、いつ来るの?
もう来るの?
明日? 明後日? どんな奴? 名前は?」


楽しみだとばかりに、告げられる言葉。
何をのん気な……!


寵愛者は一代に一人。
彼がその選ばれし者だ。


ずっとそうであったように、当代に一人。
ただ一人の、王になるべき者。


それが選定の印の示すところ。



そうだったはずだ。
つまり、それは偽物であり、偽った者に見せしめが必要になる。
第二、第三の寵愛者など、冗談ではない。


もしも……。
そう、母のいうようにもしも本当であるならば、
同じように扱うべきでは、ある、とは……思うが。



母に抗議し、重要なことをはぐらかすような口調の母に問う。
玉座をどうするのかと。


一つしかない玉座に簒奪者を座らせるのか。


疑問を投げかければ


「二つにしても良いんじゃない?
二人になったんだしさ」


ヴァイルがのん気に言う。


「くだらぬ冗談を言うな!
この世に王は一人、自明の理だ!
二人の王など誰が認めるものか!」


自分で言って納得する。
そうだ。誰が認めるものか。


話の流れの中で、最悪の事態を考える。
何が最も悪い状況と言えるか。


新たな印持ちが現れたことか。
簒奪者になる可能性があることか。
いや、それ以上がありえるのか。



もし、もしも。
ありえない話だが、それが異様なまでに王にふさわしかった場合は。


母がーリリアノが。
止めるだろうか。


「…………」



形だけでも競わせよというのならば、その能力があってしまえば
可能となるのだ。
止めるとすれば、能力が満たない場合にのみ。



ぞっとした。
血の気が下がり、最悪の未来が描かれる。





2人目が、奪う。




彼女の立場が、性格が、それを余儀なくする。
王とは、かくあるべしと定めるかのように。


それでも否定して欲しくて、私は母上に問いかける。
2人目が、王になる可能性はあるのかと。


問えば、母でなく、王の表情で彼女は笑う。



「タナッセよ。
お主とて、我の気質は良く承知していると思ったが」



やはり、と胸に鉛が落ちる。



もしも、もしもと心音が何度も体を脈打つ。

それはありえないと砂を食むように口の中に戻しながら、
それでいて、寵愛者の能力の高さを嫌というほど知っている
わが身は、ありえると答えを出す。


ありえるのだ。
簒奪者が王座を奪うことが。



「私は……納得できません」


その言葉を告げるのが精いっぱいだった。
これ以上ここにいれば、みっともなく母上に取りすがり
やめてくれと叫び出しかねなかった。


そして、それをしたところで、王である彼女の決意を変えることはできないと
分かっているのだから。



ありえて良いはずの無いことが起きている。
何故、今なのか。
何が目的で神はこのような事態を起こすのか。



考えてから、自身をあざ嗤う。
神。そんな者がいるのならば。


改めて嘆息し、辺りを見回す。
中庭まで歩いて来ていたらしい。
律儀について来たモルの気配を背後に感じつつ、眉を寄せる。


どんよりと色あせた曇り空に、雨が降ることを予見しながら
再び思考の渦にのまれた。


二人目。
寵愛者ー神に選定されし王になるべきものは、一代に一人。


母であるリリアノであり、従兄弟であるヴァイルであるべきだ。
彼らは、この城で生き、王たるものは何かを知る人間だ。

正当なランテの裔。
資格は自分と五分といって良い。

奴にあって自分にないのは、ただ単に運が悪かっただけなのだと納得できる。


それが、貴族ですらない子どもに。
あの印が。


「二人目の寵愛者だと?
そんな……そんな者が存在していいはずがない!」


気分が悪い。
どくりとトゲを刺されているかのようなつかえの悪さ。


言葉にするには、まだ何か足りないような
だが、早くその事実に気づかねば取り返しのつかないことに
なりかねないそんな焦燥。


印があることへの嫉妬。
そう、それはあるだろう。


印を持つ訳の分からない者への嫉妬。
そうだろう。


……いや、それ以上に。


考えが深く深く潜り込んで、真実に到達しようとした時、
男の声がかかる。



「おや、ご機嫌ななめだねえ、王子様」



姿は見えないが、誰であるかはわかる。
この低く蛇が這うような口調は、聞き覚えがある。



さっさと去れと、失せろと告げても彼は嗤うだけだ。
風に乗ってどこからか、愉快気な声がきこえる。



「貴方のためらいが、身内を手にかけることから来るならば、
それはすごく都合の良いものじゃないですか。
まさに神が遣わしてくれたかのように」



かみが、つかわした。



その言葉が、妙に頭に残る。
だが、今はそれについて考える時ではないと頭を振り、
彼の言葉に返事を返す。


偽物だ、と。



ありえないのだ。2人目など。
歴史書を紐といてもそんな事実どころか、おとぎ話すら無い。
ない、はずだと記憶を手繰る。


それでもなお、男は実際に見てみれば良いと告げてくる。
実際に見て、どうするか決めろと。
言い捨てて気配は不意に消える。


立ちつくす自分の服の裾を湿気交じりの風がばたばたと
煽って通り過ぎていく。


ばかばかしい。
そんなはずはないのだ。


そう口では言いながら、心は常に最悪を考える。



もしも、簒奪者が現れたとしたならば。
それは何のためか。


「…………」


王は、一代に一人。



「……いや、だが、それは、まだ分からない」



暗い考えを吹き飛ばすように、何度も頭を振る。
そうしてから、考えずに迎え入れ
迂闊にも皆がそれにほだされたらどうするのかと思う。

その方が大事だ。
思い直して、考えを続ける。


答えは嫌でも心の奥にあり続けた疑問と共に出る。



2人目が現れたのが、神の意志であるのならば。

神は、1人目をどうするつもりか。



今でも思い出す。
無残になったヴァイルの傷を。額に刻まれた刻印は、なおも輝き、
彼を縛り続けていた様を。



「……神よ。我らが父母たるアネキウス。
あなたは勝手だ。
ヴァイルを王にと、私を印のない王子にと選んだのではなかったのか」



彼は、それによって失ったものがあるというのに。
私は、それによって得られなかったものがあるというのに。

母も……思い出すのも嫌だが、クレッセ・ランテ=ヨアマキスにしても
そうであろう。


印がすべてを歪ませ、
アネキウスが全てを決めていたのではないのか。


くっと口元を歪めて笑う。


これより1週ののち、簒奪者が現れる。
彼は、田舎からやってきて何も知らずといった風情を装うかもしれん。


だが、私は。
私だけは、騙されず、歓迎してやろうではないか。



さあ、来るが良い。


歓迎してやろう。
2人目の寵愛者よ。








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