プロローグ


時刻は真夜中。
梟の鳴き声を聴きながら、ある一人の女はくるくると白蛇の顎を撫でた。気持ちよさそうにかぱりと口を開ける白蛇にくすりと笑い、女は月明かりに照らされたデスクの上に目を向けた。

白い、一通の手紙。少しくしゃりと皺が寄った紙は先ほど女が握りしめたからだ。女は白蛇を撫でながら、もう一度便箋を広げてみせた。


「そろそろ帰っておいで。」


便箋の真ん中に書かれた、たった一文のそれは女の顔を歪ませるには十分だった。眉尻を下げ、ゆらゆらと瞳を揺らす女をこれ以上見ていられないのか、今まで撫でられていた白蛇がするすると女の腕を這い、長く、赤い舌でちろりと女の頬を舐めた。


「……わかっているんだよ、でも…、」


ぱさり、と便箋を落とし、女は両の手のひらで目を覆った。何も見たくない、何も感じたくない、というようなその態度に、白蛇は今度は目を覆う手の甲をちろりと舐めた。


「…怖いんだ、どうしようもなく。」


デスクの上で手を組み、そこに額を乗せる。しゅるるっと白蛇が首を這って反対側の肩へと移動した。女は多少のくすぐったさを感じながらも、咎めることはしなかった。

――かの場所から離れて、いったい幾つ年を迎えただろう。最初は平気だった。四人がいないあの城は広かったが、やがて人数も増え、今では魔法使い育成学校として世界各地に名を馳せるくらいになった。

誇らしかった。ただ純粋に。


「…闇の魔法使いだなんて、何考えてんだか…。」


名前を呼ぶことさえ今では憚れてしまうようになってしまったかつての旧友を思い出し、そっと息を吐き出した。
女がかの場所を離れて、もう10数年経った。それは、同時に闇の帝王と恐れられている魔法使いが活発に動き出した時期と、ぴったり重なっている。


「うじうじしてるなんてらしくないよ。」


聴こえた言葉に、女は笑った。それは女のすぐ耳元から聞こえてきて、ちろちろと舌を出し入れしている。
そう、今喋ったのは白蛇だ。白蛇は緑の双眸をきゅっと細め、つるつるした頭をぐいぐいと女の顔に押しやった。


「お留守番なら任せてー。ぼく得意だから。」


えへんと鎌首を持ち上げる白蛇に、女の口元も次第に緩んでゆく。「そうだね、」と口がかたどり、デスクの引き出しに入れておいたもう一つの手紙を手に取った。
ある魔法魔術学校の押印で封がされた手紙をしばし見つめ、女はレターナイフで封筒を開けた。


「もう、逃げるのはやめにするよ」


いつもの力強く、覇気のある声色に戻った主人に、白蛇は満足そうに「シャァ、」と鳴いた。

それは、月が明るい満月の夜のことだった。


「彼女の役目はまだまだ終わらぬ。」


ふと、綺麗な鈴のような、とてもじゃないが聴いたこともないくらい綺麗な声が空から降ってきた気がした。
それが本当に聴こえたのか、はたまた空耳だったのか、それを女が知るのはまだまだ先の話である――…。






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