自分が何者で、ここがどこで、どうしてここにいるのか。何にも分からない私に、何も言わずに手を差し伸べてくれたのは、赤だった。
「お、お帰り尊……ってちょ、おま!何誘拐してきてんねん!」
「拾った」
「わあ!キングってば大胆!ねぇねぇ、名前は?俺は十束多々良、よろしくね?」
多々良さんは、出逢った時からマイペースで、突然よろしくなんて言われて正直びっくりしたのを覚えている。
にこにこと微笑む多々良さんは、暖かい陽だまりのようで。つい、私も返事をしてしまったのだ。
「……茅野、優衣…です…」
まさに右も左もわからない状態の私は、嘘でもよろしくなんて言えなくて。ただ自分の名前を口にした。それだけでも嬉しかったのか、多々良さんは子どものようにはしゃいで出雲さんや尊さんに笑いかける。
「十束はちょい落ち着きや。ったく……あ、俺は草薙出雲。ここ、バーHOMRAのマスターや。よろしくな」
煙草を口に咥えたまま器用に喋る出雲さんが、最初は怖かった。サングラスのせいできちんと目が見えないせいか、何の感情も読めない出雲さんと仲良くなるまで、時間がかかったように思う。
「バー……?」
「せや。あー…お嬢ちゃんはストレインか?」
「すと……れ?」
「ストレイン、や。ちゃうんか…?尊、どうなんや?」
問いかけられた尊さんは唐突に私を見て、知らね、と呟いた。その時出雲さんのこめかみにぴきりと青筋が立っていたのは、今でも忘れられない。
「ただ、そこにいたから。だから連れてきた」
店の近くにいたってだけなのに。そんなことを言って出雲さんを黙らせる尊さんは、バーカウンターの椅子に座りながら私の腕を引っ張った。
ぱちくりと目を瞬かせる私に、尊さんはフッと笑って、
「俺のとこに来い、……優衣」
名前を呼ばれて、まるで自分には私が必要みたいな言い方されて。
堕ちない人がいるのだろうか。
ましてや、自分自身でさえもまだ自分のことが何一つわからないというのに。
「……私、記憶がないんです」
ぽつりと呟いたそれに、出雲さんが目を細めた気がする。それが嘘か真か見極めているのだろう。
多々良さんは心配そうに私の顔を覗き込み、尊さんは何を考えているのか、ただじっと私の目を見つめる。
「…自分が何者で、ここがどこで、どうしてここにいるのか。……どうして、記憶がないのか。何一つわからない状態です。
…これでも、まだ私が必要ですか…?」
記憶が戻ったとき、もし私が尊さん達と敵対する人物だったら?それが、何よりも怖い。
なのに、尊さんはフンとそれを嘲笑し、
「ンなの関係ねェ」
その一言で、何もかもを吹き飛ばしてくれたんだ。
「お前はただ、俺の…俺らの側にいればいいんだよ。グタグタつまんねぇこと考えんじゃねェよ」
「………はい…っ…」
その日、私は赤の王――周防尊のクランズマンになった。