どうぞよろしく
桜も満開な今日この頃
総北高校は入学式を迎えていた
そんな晴れ晴れとした日にも関わらず、一人の少女は早くも帰りたい気持ちでいっぱいだった。
「(ううぅ…!尽八、じんぱち…っ!)」
既に教室はワイワイと賑わっている。けれども少女――間宮雫は椅子に深く座り、顔を俯けたまま膝の上でぎゅうっと手を固く握り締めていた。
尽八、という名前をひたすらに繰り返しながら。
「(どうしてこんな事に…!お母さんとお父さんのバカ…!!)」
ついに涙が落ちる。けれどその瞬間、前に人が座った。反射的に雫が顔を上げるのと同時に、その席に座った人物――小野田坂道もまた、雫へ目を向けた。
今までまともに女の子と話したこともなかった小野田は、ぼふん!と顔を赤くする。
「あああ、ああの、えと、」
「……っぷ…!」
「…へ……」
「あ、えと、ごめんね…?つい笑っちゃって…。あー…っと…、」
少しそわそわと辺りを見渡し後、雫はにひ、と笑った。
「私、間宮雫。よろしくね!」
突然そう言われてテンパる小野田。あわあわと慌てながら小野田も口を開いた。
「えと、僕は小野田坂道…。よ、よろしくね」
「さかみち…、へぇ…お母さんも凄い名前つけるねぇ。由来とか聞いたの?」
「あ、うん。えっと…逆境に強くなれるようにってお母さんが…」
「わあ!素敵な名前だね!」
素直に褒める雫に、小野田もまた嬉しくなって眼鏡の奥にある瞳を細めたのだった。
「――へぇ、アニメ好きなの?」
「うん!」
怒涛のように語られた後、雫は嫌な顔一つせずにそう言った。小野田はほわほわと頬を赤くして頷く。が、すぐに自分がベラベラと喋ってしまった事に気付き、ぺこぺこと頭を下げた。
「ごっ、ごめん!いきなりこんな話して…」
「…?どうして謝るの?面白かったよ、小野田君の話!」
「ほ、ほんと!?」
「ほんとほんと!それにしても…ここから秋葉に自転車で行くなんてすごいねぇ。しかも普通の自転車なんでしょ?」
ロードバイクなら十分有り得る話だが、小野田は普通のママチャリ。今まで東堂とずっと一緒にいた雫は自転車の事なら詳しいのだが、ママチャリで40kmも走るなんて聞いたことが無かった。
東堂と何処かへ行く時でも、ロードバイクが基本だった。東堂と共に練習するお陰で、雫もロードバイクはお手の物だ。けれど、ママチャリで40kmも漕げと言われたらきっと眉を顰めるだろう。
「なんか部活に入らないの?」
「アニ研に入りたいなって…」
「あ、そっか!そうだよねぇ…」
ママチャリでそんなに漕ぐ事が出来るのなら、自転車競技部に入ればいいのに。
そう思った雫だったが、決めるのは小野田だとぐっと喉奥で堪えた。
そうしてやっと高校初日が終了。こんなにも1日が長く感じたのは久々だった。早く、早く家に帰りたい。
「じゃあね、小野田君。アニ研頑張って!」
「う、うん!またね、間宮さん!」
「……雫」
「え?」
くるりと背を向けていたのを振り返り、また無邪気な笑顔を小野田へ向けた。
「雫でいいよ!」
そう言い残すと、雫は足早に去っていった。
残された小野田は暫く動きをストップさせた後、ぼふん!とまた顔を赤くさせていた。
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