順位争い
電光掲示板の表示が、学年順から周回順へと変わった。それと共に、選手達の心構えも変わっていく。
小野田は真波や雫と走ったことで、本当に1000q走り抜くことを目標に更に力強くペダルを回す。
「…ペース上がってきてるね、1年生。……だとしたら、そろそろかな…」
3日目の夕方。
勝負が、始まる。
「っし、と……こんなもんかな!」
選手達が走っている間、特にマネジメントをすることもない雫は晩ご飯作りに勤しんでいた。
勿論ドリンクやパワーゼリーの手渡し等は均等的に行っている。しかし、選手達がペダルを漕ぐことをやめない限り、雫にもやることは限られてくる。
応援なんて、そんなものは無粋だ。頑張れ?とっくに頑張っている。むしろ限界なんて超えているくらいだろう。それなのに更に頑張れだなんて言ったところでそれは選手の気持ちを無視しているのと同じだ。
「ふぃー……。あとはなんとかなるでしょ。……時間も時間だし、外見にいこっと」
エプロンを外して外に出た雫は、まず電光掲示板を見に行く。そこにはトップは勿論予想通りとでも言うべきか、3年生が独占していた。
その次は手嶋、青八木という2年生の名前が並んでいる。その下が1年生だ。
「……そろそろ、かな」
順位は、同じ。と言うことはつまり、そういうことだ。
「順位争い、始まったぐらいかねぇ…」
どうにも今泉や鳴子は3年生を念頭に置きすぎて、その間にいる2年生を楽観視しすぎている。そのことには雫は既に気がついていた。
ロードレースは才能云々よりも、努力だ。そしてあの2年生2人は並々ならぬ努力を強いてきたことだって、雫は知っている。だからこそ、今起きているであろうこの勝負、どっちが勝つか分からないのだ。
「“いつもの練習”では、その人本来の実力は分からない。その人がどういう走りで、どういう才能を持っているのか」
雫はそこまで呟くと、もう日が落ちていくのに気づいた。今日の日落ちが早く感じてしまうのはなぜだろうか。
「立ちっぱなしだとしんどくないか」
「…金城先輩」
黄色いボードを出してきた金城は、もうすっかり汗も引いていてとてもじゃないが先ほどまで自転車に乗っていただなんて思えない。
「私は全然平気ですよ!……選手達の疲弊に比べればこれくらい、大したことないです」
完全に日は落ち、辺りは暗闇に包まれる。金城も“夜間追い抜き禁止ボード”を出した。
それを見た雫は、誰が来るか分からない不安と興奮を抱えながら真っ直ぐに暗い道を見据えた。
――ジャァァァ……ピッ、ギュン!バチン!ジャリ…、
「出したのか、追い禁ボード」
「ああ。インターバルか、田所」
「…まぁな」
「お疲れ様です!」
「お、サンキュー」
息切れする田所に素早くタオルと冷えたドリンクを渡す雫。最初の頃は怖がってまともに話せなかったが、やはり月日が経つというのは大事なことだ。今ではすっかり平気になっていて、逆に慕っているくらいだ。
「……やっぱり、順位争い…始まってます、よね…?」
「ああ。1年と2年、闘いは3周目に入った…。あいつらもこの周回で追い禁ボードが出て、追い越し禁止の時間帯になることはわかっているだろう」
ニヤリとした笑みを浮かべる田所は、ごきゅごきゅと豪快にドリンクを飲み干していく。
「それまでに獲ったポジションが優劣を分ける。2年がキッチリ引き離すか、1年が勢いで追い抜くか…。
この周回ストレートが、インターハイメンバーへのゴールになるだろうぜ」
田所の言葉に反論することなく、金城はただ前を見ていた。誰が来てもおかしくないという表情で。
「……つか、ウソくせーくらい静かだな…。どっちが先に入ると思う、金城」
「……、運のある方だな」
なんとも濁した答えだ。隣で聞きながら雫は苦笑を零した。
「….…おまえは…」
「ガハハハハ、決まってる!!」
大きな笑い声を上げた田所は、自信満々に己の予想を口にした。
「2年だ。手嶋と青八木はオレがきたえたんだ!!」
なるほど、それならば可能性もぐんと上がる。雫は田所の話を聞きながら頷いた。
「金城先輩は運のある方。田所先輩は2年生。だったら私は……、」
今朝のことを思い出す。
真波と雫と走った小野田は、きっと今まで以上にそれが良い刺激となり、己の成長にも繋がっているだろう。
「……一番大穴の、坂道君で」
ニッと笑った雫は、2人が予想だにしていなかった人物をあげた。
「願望が強いのかもしれません。…けれど、坂道君ならって…思ってしまうんです」
正直、朝の競争でもゾクリとした瞬間があった。きっと、恐らく、小野田は、
そこまで考えて、雫はゆるりと頭を振った。ここで考えたって意味がないし、たとえそれが正解だとしても今は関係ない。
「…ま、手嶋と青八木…。あいつらをきたえたのはこのオレだ」
それは知らなかった雫は、つい田所へと目を向けてしまう。その田所の表情は笑っていて、思わず目を奪われた。
「あいつらはこの1年で、信じられないくらいの進化をとげた。インターハイという目標を見据えてな。
特に、呼吸と体動を2人で完全に合わせて、極限まで接近して極限まで空気抵抗を削る走り。
“
あれは速い!!」
ドクリと心臓が波打った。
闘いたい。純粋に、選手としての雫がそう訴えている。
「(……ああもう、ほんと…素直な身体だなあ…。自分でもそう思うよ)」
疼く身体に苦笑し、雫はぎゅっと拳を握った。やっぱりダメだ、自転車部に関わるのは。どうしても我慢が出来なくなる。
それでも、見ていたいとも思う。ひどく真っ直ぐで、ひたむきで、どろどろなみんなの姿を。
「きた!!」
「2台…いや、今泉、鳴子、手嶋、青八木…小野田、5台全員だ!入ってくるぜ、ホームストレート。これで…インターハイメンバーが決まる!!」
じわり、走ってもいないのに汗が吹き出る。なんでだろう、辛そうなのに、苦しそうなのに、
楽しそうに見えるのは。
「うお!! ホームストレートに最初に飛び後できたのは、5人全員だ!!!!」
ペダルを漕ぐ音が、タイヤが地面に擦れる音が、全てが重なってより大きな音になって聞こえてくる。
暗闇でも5人の表情が分かるのは、自分も同じような表情をしたことがあるから。
「インターハイを賭けた、命がけのゴールスプリントだ!!」
並ぶ5人。近づくゴール。
「残り…100m…!」
「…ゴール前のスプリントは、マラソンを走った最後に100m走をやるようなものだ。肉体を限界ギリギリまで追いつめて、速度をしぼり出す!!
レースでは、最後のスプリントに加わることさえ難しい。
ヤツらは強い!! 5人全員だ!! それぞれが持っている強い意志と肉体を最大限にして走っている!! ……だが、この中から確実に勝者と敗者が出る!!」
金城の言葉は重く、そして正論だった。
勝負とは何か、強さとは何かを知っているからこそ、言える言葉だ。
「……皆さん、かっこいいですね」
汗水流して走るその姿は、雫には眩しく見えた。
「決まる!! どっちだ!! 先に入ってくるのは!!
1年か、2年か!!」
田所が吠える。金城は何を思ったのか、咄嗟にサングラスを外して肉眼で選手を見た。
「…レースって、残酷ですね」
ぽつり、雫が呟いた。
「……ああ。どれ程思いが強くても、仲間との絆があっても、それが必ずゴールに導いてくれるわけじゃない」
並ぶ、並ぶ、並んで、
「ゴール前の差はいつだってほんのわずかだ。一瞬の判断のミス、肉体の限界…それらが勝者を敗者に変える。ほんのわずか、運に嫌われたせいで――」
前に出たのは、
「届かない頂があるんだ!!」
鳴子、今泉、そして――小野田だった。
「手嶋………青八木…。…残り、5m……」
たった5m、されど5m。
この距離が、勝者と敗者を分けたのだった。
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