感じた鼓動


グラウンドから聞こえてくるのはカキーン、と言う音。中学時代では自分も部活に集中していたため、なかなか聴く機会がなかった。
今日は何故かその音がやけに気になり、足をグラウンドへ向けたのだった。


「おおお、やってるやってる。キツそうだなぁー」


あのサングラスの人が監督かな、怖そう。いや、怒った征十郎の方が怖いかも。
なんて紗凪はそんなくだらない事を思いながら、目の前で繰り広げられている試合――1年対2・3年の試合を眺める。

フェンスの内側にあったベンチに座って暫く眺めていると、紗凪の隣のクラスの沢村がマウンドに立っていた。球種はストレートのみ。なのに打者は決定的な一打が打てない。んん?と紗凪は首を傾げながらじーっと見つめる。


「野球って投げる球の種類いっぱいなかったっけ?」


んん?と更に首を傾げていると、いきなり紗凪が座っているベンチ向かって物凄いスピードでボールが飛んできた。これには先輩達もびっくりしているようで、スタメンメンバーも走っているのが見えた。
…でも、ね?これくらいは、

――パシィッ!!

受け止めなきゃダメでしょ。
紗凪が素手でボールをキャッチしたからか、一瞬の静寂、後に大きな声が彼方此方から聞こえてきた。


「すげぇ! なんだあの子!」
「素手でボール取ったぞ!」
「つかあの反射神経やばくないか!?」


そこまで騒がれるとは思ってなかった紗凪は今更ながらに恥ずかしくなり、ヒリヒリと痛む右手をひらひらと振った。
このボール返しにいかなきゃ、いや、でも恥ずかしい…。などと心の中で葛藤を繰り返し、漸く足を進めた。


「すいません、これ…」
「ごめんなさい! 怪我してないかしら!?」
「大丈夫ですよ、手くらい。フェンスに入ってた私も悪いんですし」


綺麗な女の先生。大輝に紹介してあげたい。
などとふざけた事を思いながらまだ心配そうな高島にボールを渡し、グラウンドから出ようと踵を返す。


「待て」


すると、それを片岡が止めてきた。声まで怖いとかもうやめて、こう見えて私チキンなんだよ、と、もう紗凪の心は叫んでいる。

おず、と振り返り紗凪は片岡を見上げると、サングラス越しの目に合った気がした。


「…なぜ、素手で受けれた」
「へ、あ、あぁ…。ボールが私の所に来るまで大分距離がありましたし、ああいう勢いのあるボールは何度も取った事があったんで…」


何度も取った事がある、というのは黒子のパスの事だ。パスボールだから感覚も短いし、何よりも豪速球と変わらないパスもある。
だからついいつもの様に取ってしまったせいか、まだ手のひらがピリピリする。

すると、何を思ったのか片岡が口を開いた。


「…キセキの世代だな」
「! …ご存知なんですか?」
「当たり前だ。…その力、見てみたい。野球経験は?」
「キャッチボール程度…です」
「そうか…投げてみるか?」
「い、いいんですか!? 私完璧な部外者ですよ!?」


思ってもみなかった事態に紗凪の声が上ずる。
さっきからずっとこの光景を見ていた紗凪の体は、疼いて疼いて仕方がなかったのだ。
そんな紗凪に片岡はフ、と笑って頷いた。それはイコール、投げてもいい、と言うこと。


「やったあ! 私野球するの初めてなんです! うわぁ、嬉しい!」
「ふふ、私は高島礼。よろしくね、はいグローブ」
「あ、ありがとうございます…! わあ、久しぶりのグローブ…」


父親とキャッチボールをしたのなんて、もう何年前だろう。紗凪の脳裏によぎるのは、まだ才能も開花してなかった子供だったあの日々。
でも、今は違う。私は、もうあの頃の私じゃない。

気づいたら沢村はマウンドからおろされていた。ごめんね、と小さく謝る紗凪に沢村はケッと悪態付いた。
ザッ、と音を立ててマウンドに上がる。いつもと違う足の感覚に、何だかくらくらと酔いしれた。
バスケをする時とはまた違う高揚感。未知数の敵がいる嬉しさ。その全てが紗凪のボルテージを上げる調味料だ。


「えっと…、白崎紗凪です! よろしくお願いします!」


ぺこりと頭を下げて、ボールをぎゅっと握りしめる。片岡からの厚意を無駄にする訳にはいかない。
それに、今の紗凪は“キセキの世代”の看板を背負ってここに立っている。そんなの、負けられないじゃないか。

スッ、と構える。ちゃんと捕手のミットの位置を見て、投げた。

――ドパァン!!!

土煙が上がる。その煙が晴れ、誰もが捕手へ、そして監督へ目を凝らすと――ボールはミットの中に入っていた。


「ストライク!」
「すげぇえ!!」
「つかめちゃめちゃ速くなかったか!?」


またもや上がる歓声に、紗凪は気まずそうに頬を掻いた。久しぶりに投げたが、どうやら上手くいったようだ。


「何モンだあの子…」
「ただの学生、って訳でもなさそうだね」


一軍レギュラー陣達は面白そうに笑う。その中には勿論御幸もいた。フェンスに凭れさせていた背中を離し、立ち上がった。
今の一球だけでよかった紗凪は、すぐにマウンドから降りて沢村にバトンタッチする。今の投球に感動したらしい沢村は涙ぐみながら「お任せあれ!」と叫んで去っていった。


「どうだった」
「気迫が凄いですね…でも、私目線で言うなら…そうですね、腑抜けてる…と言いますか、その…」
「言いたい事は分かった。…礼を言う」
「いえ! こちらこそ貴重な体験をありがとうございました!」


今度こそグラウンドから離れると、待ってましたとばかりに御幸がニコニコと笑顔を浮かべながら紗凪に近寄っていく。
その存在に気づいた紗凪は、あからさまに無視する訳にもいかないので歩みを止めた。


「見てたよ、さっきの」
「あ、っと…勝手なことしてしまってすみません…」
「はっはっはっ、何で謝んの? 君のおかげで少なくともみんなのやる気は確実に上がったけど?」
「そう…ですか?」
「そうそう! あ、俺は御幸一也、よろしくな」
「白崎紗凪です、よろしくお願いします」


軽い挨拶をして、御幸から伸ばされた手に紗凪も手を伸ばす。互いに握り合った手は、どちらもスポーツをする手だった。


「(ごつごつしてる…と言うか豆が…この手になるまで相当な練習してきたんだ…)」
「(かてぇな…、ボールを触る手だ。なるほど、こんな手だったら素手でボール取ることも出来るな)」


その握手だけで感じ取った互いの想いに、両者にこりと笑う。紗凪は純粋な笑みだが、御幸は違う。
この子は、確実に青道野球部にとって大きな戦力になる。そんな笑みだった。


「それでは、失礼します」


ぺこりと綺麗に礼をして今度こそ家に帰る。その後ろ姿を御幸は面白そうに眺めていた。






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