涙の海

ベッドの中で泣き、枕を濡らすのもそう珍しいことではなかった。セレナは時々夢の中で父と逢い、ひとときの安らぎを得ては悲しみに沈んだ。父が現れる夢は大きく分けてふたつに別れる。ひとつは今述べたように安らぎを得る優しい夢。もうひとつは悲しく、辛い現実が生々しく蘇る夢。ふたつが混ざり合い、同化し――今、という時間へと辿り着く。目覚めると涙の海に彷徨している自分に気付くのだ。長い髪は父とそっくりな色をしている。鏡に自分を映すたびに、父との記憶が僅かに浮かび上がってくるのだ。天馬騎士になったのは母への想いを断ちきれなかったからなのかもしれない、シンシアから誘われたからというのも勿論あるのだけれど。

屍兵と戦った夜。やはり、夢には父が出てきた。とても優しい父の手が、セレナの頭を撫でた。あたたかくて、やわらかで。甘えたくなってしまうほど居心地が良い空間。けれどもセレナはわかっている。これは全て夢なのだと。全て幻にすぎないのだと。

「……」

深夜の三時あたりをまわった頃。セレナは目を覚まし、降りかかる闇に身を任せた。

「……父さん」

久々に、そう口にした。甘い夢だった。少女と呼んで良い年齢の彼女が見た、その夢はどこまでも優しかった。だからこそ涙が溢れそうになる。叶わぬ夢。触れられない幻。もう二度と会えない人への想いが生み出した、世界のレプリカ。そこに居ることが出来たら。そう思ってしまうほど彼女は親からの愛に飢えていた。けれどもそれは叶わない。自分はこの世界に生きており、使命もある。あの世界は虚像でしかない。そこに母がいても、父がいても、妹がいても――そこはセレナの居場所ではない。セレナはゆっくりと体を起こして、あたたかなベッドから抜けだした。

静かな夜だった。彼女は公園に向かった。シンシアが迎えに来てくれた、あの公園へ、だ。

そこには誰もいなかった。当たり前だ、まだ朝と呼べるかわからない時間帯なのだ。ベンチに腰を下ろして、空を見上げた。月が浮かんでいる。月光と夜風がなにかを奏でている。少女は錯覚する。すべての命が消え去った世界に迷いこんでしまったのでは、と。ここにいるのは自分だけ。シンシアも、ルキナも、アズールも――みんなみんな、消えてしまったような悲しい錯覚。少女が頭を垂れる。ざあっと風が吹き抜けて、長い髪を揺らした。瞳からなにかが溢れだして、薄紅色の頬を伝い、大地へ落ちる。そこから青い世界が広がっていく。

その時だった。

「――セレナ」
「……!?」

毎日聞いている声が降りかかってきたのだ。まさか、と疑いたくなった。今は深夜三時過ぎ。彼女がここにいるなんて、あり得ない。だがその声は確かに耳に届いた。顔を上げたセレナの瞳にその姿は映った。癖のある濃紺の髪をふたつに結わえ、肌には赤みが帯びており、唇は桜色。

「シンシア!?」

なんで此処に、と言うセレナにシンシアは少しだけ目をつりあげ、それからすぐに笑顔を作った。

「セレナに呼ばれてる気がして。……なんてね。セレナが城を出て行くのが見えたから、追いかけちゃった」

すごく悲しそうだったから、とシンシアが答える。セレナはふたたび涙を零した。独りじゃないことを、目の前に居る彼女は教えてくれた。悲しい記憶が薄れることはないのかもしれない。辛かった日々が消えることなどないのかもしれない。それでも、それを覆うように優しい感情をくれる人物がいる。求める愛のかたちとは違うけれども、熱い感情を向けてくれる存在がある。涙の海で溺れそうになっていた自分を、救ってくれた。

「……あ、ありがと……シンシア」

セレナは涙を拭おうとはせず、ただ、礼の言葉を友へと向ける。

「辛い時は言ってよ。あたしなんかでよければ幾らでも聞いてあげる。独りで泣かないで。セレナはもっと弱さを見せたっていいと思うよ」

シンシアが微笑んだ。ふたりの関係は、今やティアモとスミアが築いていたものと酷似していた。



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