顔のないひと

夢を見る。母さんが笑っていて、父さんも笑っていて、妹も笑っていて。その笑みはあたしに向けられていて。温かな眼差しはあたしだけのもので。ああ、母さんたちがいなくなってしまったのは全部幻で、いまこうやって四人でいられるのが優しい現実なんだ、ずっとずっと悪い夢を見ていただけなんだ、ってあたしは笑う。ねえ、父さん。父さんにそっくりのこの髪はどう?毎日毎日、キレイを維持する為に梳かしてるのよ。ねえ、母さん。あたしと母さんだったらあたしのほうが絶対足が速いと思うんだけど競争してみる?ねえ、マーク。今度一緒に街で買い物しない?とっても可愛い雑貨を売っているお店を見つけたのよ。ねえ、父さん――。


「……っ」

少女は頬の涙を拭いながら身体を起こす。壁にかけられた時計の針は随分と早い時間をしめしており、少女ははあと息をついてからごしごしと目を擦った。やっぱり夢だったのだ、最初から夢だとわかっていてみる、あの夢だったのだ。時々見るこの夢には奇妙な点がある。それは三人――母であるティアモ、父であるルフレ、そして妹のマークの顔が見えない、ということ。顔を知らないというわけではない。現に今、頭の中に三人の笑顔が浮かんでいるのだから。それにしても、とセレナは溜め息を吐いた。なにも今日この夢を見なくたっていいじゃない、と。今日は仲間たちで揃って彼らの墓標に花を手向ける日。月一回訪れる、過去と向き合い、未来を誓う日なのだ。セレナはブラシで長い髪を梳かし、手慣れた様子で結い上げる。鏡に映る自分の目が腫れている。それに気付いてまた溜め息を吐く。甘い、優しい、ぬるま湯に浸かっているかのような夢を見た朝はいつもこうだ。もう夢のなかでしか会えない人たち。会いたいと願う時には会えない人たち――。セレナはその幻を振り払うようにして、それから身支度を整え自室を出る。まだ早いけれど、二度寝なんかしたら絶対に寝坊するだろうから。

「あれ?セレナ?」

随分早いんだね、と彼が言った。彼は綺麗な瞳を少女の方に向けている。アズールだ。それはこっちの台詞だと言えば、彼は笑い、そして空を仰ぐ。彼の名によく似た空色を。ここはイーリス城の中庭。セレナのお気に入りの場所でもある。

「なんか目が覚めちゃっただけよ」
「えー?僕に会いたかったとか、そういうのは?」
「無いわよ!」

馬鹿、と言えば彼は再び笑う。が、それをすぐに引っ込めて少年は言う。

「悪い夢でも見たの?」

目が腫れているよ。そうアズールが優しい声で言った。それを聞くと、ぽろぽろとなにかが崩れていくのを少女は感じた。胸が、いや、心が痛い。夢のなかでしか会えない人たち。会いたいと願う時には会えない人たち――振り払ったはずの幻影が纏わり付いている。アズールは泣くセレナの肩にそっと手をやり、ただ黙した。――彼女が一番、辛いのかもしれない。世界の全てを終わらせようとした人物は彼女の愛する父親で。愛する母親を殺めたのもまた父親で。彼女の父の姿をしたそれはクロムとその仲間を殺し、そして自分たちをも殺そうとしたのだ、辛くないわけがない。時がいくら流れてもその事実は揺らぐことはない。彼が見せた微笑み。彼が紡いだ優しい言葉。彼が願った娘の幸せ――それらもまた本物であるのだから、余計。セレナの嗚咽が空に響いた。彼女はシンシアがルキナを伴って中庭に来ても、泣いていた。ふたりもまた黙して彼女の泣き声を聞いて、胸を痛めた。



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