昨日キレイに拭き掃除をしたばかりの窓から差し込む明るい夏の光の下で、メアは運んで来た椅子とテーブルについて銃のメンテナンスをしていた。
広げた小ぶりの赤い工具箱のようなキットの中には、銃の整備に必要な掃除用のブラシやロッドが一式詰まっている。
かつては白かったはずの、薄汚れたグレー色になったナイロン製の手袋を嵌め、引っ張り出したボロ布にオレンジ色のボトルから薬液を絞り出した。
独特の刺激臭に眉をひそめながら、金属製のロッドに布を巻き付け、通常分解してやった愛銃のブローニング・ハイパワーの銃身の中を磨いてやる。
拳銃の扱い方は、お下がりとしてこの銃を譲ってもらった時に父から一通り教えてもらった。
"汗や湿気で錆びてパーツがダメになる事が多い。もしダメにしたらお前の小遣いから修理費用を引くからな"
そう半ば脅すように言いつけられて射撃の練習をした後は必死に手入れをしていたのをよく覚えている。
体に染みついた動作を再生するように鋼のブラシでゴシゴシと銀色のスライドからカーボンを削ぎ落としながら、メアは静かに鳴らない電話の方を見やった。
マレット島からダンテが帰って来て一週間ほどが経ったと思う。
嵐のように訪れた、写真立てのダンテの母と同じ顔をしたトリッシュは、またもや嵐のように去って居なくなってしまった。何でも"知識欲が疼く"とのことで、暫く旅に出ると言っていた。
少々突飛な行動は目立ったが純粋に綺麗で強くてカッコイイ人だとメアは思った。レディとも気が合いそうだったしもっと話してみたかったなぁ、と二人が不在の間半壊した事務所の整頓と留守番を余儀なくされていたメアはぼんやりとそんなことを考えながらダンテの帰宅を待っていたのだが。
島で何があったのかを、未だに深くは聞けていない。
"母の仇討ちが出来る"と喜び勇んで出掛けて行ったダンテは幸いにも無事に帰って来た。どうだった?と尋ねるとまあ上々だな、と初めは嬉しそうにしていたのだけれど。
いつも通り机上に足を投げ出し、眠たげに天井を見つめているダンテは、陳腐に言い表すならば"元気がない"の一言に尽きた。どこか虚ろでまるでもぬけの殻になってしまったみたいだった。会話をしている間は普段通りの彼に戻るのだが、それも取り繕っているに過ぎないのだろう。
聞きたいことが沢山あった。
仇討ちは本当にきちんと果たせたのか、島はどんな様子だったのか、依頼人だったはずのトリッシュは何故一緒に戻って来たのか。
白い半袖の肩口で、浮き出した額の汗を拭ってメアは淡々とクリーニングの作業を続けた。
父から継いだこの銃に嫌気が差す日もあったけれど、今となっては立派な遺品になってしまったから。少なくとも手の平には吸い付くように馴染み、使い心地が良いのは間違いなく、メアは買い換え時を逃し続けていた。
もっと弾数の込められる有利な銃や、性能の良い取り回しの効く新しい銃は沢山手に入る。
そうだとしても、だ。父親のことは嫌いで最低なヤツだったと思っているが、いざ居なくなってしまうと寂しいものなんだなとたまに思い出しては、この拳銃に改めて命を託してしまうのだ。
「よし、完璧」
愛憎の入り交じった相棒のクリーニングを手早く終え、オイルで磨いて乾拭きしてやったパーツたちを組み立て直し、手袋を外す。
そしてメアはテーブルの上を片付けると、足元に積んでいた銃弾の箱を引き上げてマガジンに弾丸を詰める作業に移った。
いつでも仕事の依頼が飛び込んで来ても良いように準備をするクセがついている。
ダンテが気乗りしない、ただの便利屋としての依頼や合言葉なしの悪魔絡みの依頼をメア一人で片付けることも板に付いてきた。二人分の家計を支えるにはそうでもしないとやっていられないし、自分の分は自分で稼ぎたい思いも強いメアにとって、現状の役割分担には満足していた。
黙々と弾込めをしたマガジンを量産していると、
「メア」
「うわっ、びっくりしたぁ」
いつの間にか気配を消し、傍らに立っていたダンテにメアはびくりと肩を揺らした。
見上げると、長く伸びた前髪の下に隠れたアイスブルーの瞳はいつにも増して物憂げで、肌は柔らかな日差しの中でも白皙を通り越して血色不良のようにも見えた。
出会った頃のダンテに少し似ているな、とふと思った。
初めて会った時の彼はどこか尖っていて、行き場のない悲しみを無理矢理胸の底に押し固めたような、そんなほの暗い空気を纏った青年だったと思う。
思い返すとそれも十年も前のことで、もうずっとこうやって一緒に居るのか、と思うと時の流れの早さに愕然としてしまう。
ダンテはおもむろにメアの背後に回ると、三つ編みに結って露出したうなじに頬を擦り寄せて深い溜め息を吐いた。
顎の下に絡みついた、黒いインナーに包まれた二の腕をぽんぽんと撫でて、メアはそんな近頃にしては珍しい様子のダンテについ戸惑ってしまう。
「島で何かあったの……?」
そう勇気を出して尋ねてみると、耳元でグッと奥歯を噛み締める音が聞こえた。
「そう、だな……」
明らかな生返事をふうんと聞いていると、ダンテの指先がメアの腕の上を蛇のように這った。グローブ越しでも冷たいと判るその温度にメアは不安を抱いた。いつもは温かいのに、まるで血の気が失せてしまったみたいだった。
弾込めをしていたメアの手元をそのままダンテの大きな両の手の平がぎゅっと掴んだかと思うと、首元で静かな溜め息が上がる。
すり、とその頭に頬を寄せながら、なんとなく窓の方を見上げた。日差しの中で空中を舞う埃の粒がキラキラと光を反射している。穏やかな昼下がりだ、と思った。お昼ご飯は何を作ろうか、などとメアが考え始めた時だった。
「なぁメア、」
首の辺りでダンテがもごもごとくぐもった声を上げたかと思うと、
「その銃でさ、俺のこと撃ってくれないか」
手の平にこもる力が増し、言葉尻が心無しか震えている気がした。
メアは目を大きく見開き、呆然と思慮を巡らせる。
一瞬その台詞を飲み込むまでに時間を要したが、ダンテが吐いた言葉の裏をあれこれと思い浮かべてみた。死なない、というより死ねないダンテにとっては銃で撃たれることは虫に刺されるくらいの軽微なダメージである。それは彼にとってはちょっとした遊びであり、それに付き合ってくれ、とダンテはメアに頼んで来たのだ。
何故か?と考えた時に目の前の憂鬱げなダンテの姿が視界に広がり、メアは囁くように尋ねる。
「……それでダンテの気分は晴れるの?」
「たぶん」
ふっと上がった、悲しげに冷えたアイスブルーの瞳と目が合い、メアは眉をひそめながら判った、と呟いた。
どこかホッとしたように引き結んでいた唇を緩ませると、ダンテは反対側の部屋の端に移動した。窓から差す光の中で眩しそうに目を細めながら、いつでもどうぞ、と笑う。
何を考えているのだろう、とメアは震える息を吐きながらマガジンを銃に装填した。
こんな四、五メートルもしない距離なら何処だって正確に狙えるだろうと思う一方で、撃ちたくない気持ちの方がどんどんと、何倍にも膨れ上がっていく。
メアはその気持ちを殺すように確実にセーフティロックを解除すると、両手でグリップを固定して深く息を吐き、そして止めた。
それからいつも通り、悪魔たちを殺すのと同じ強さでトリガーに指を掛けて、引く。
ダンテの胸の真ん中から少し横、心臓を貫いた弾が骨の隙間を抜け背後の壁の木材を砕いた。
指先の震えを押し殺してダンテを見やると、彼はどこか気だるげに笑った。
「やっぱり上手いな。射撃の的だと思ってくれよ」
まだ足りないということか、とメアは唇を噛み締めてもう一度トリガーを引く。
傷を負っても痛くない訳じゃない、とダンテは言っていた。そこでこれは遊びじゃないんだな、とメアは思った。きっと彼なりの自傷行為に似た何かなのかもしれない。そんなことを思い浮かべながら、メアは淀みなく一定のリズムで残りの十二発をダンテの胸に撃ち込んだ。全ての弾が最小限のダメージで彼の体内を通り過ぎ、事務所の壁を砕いた。
耳鳴りがする中、硝煙をあげながら弾切れでスライドオープンした銃をじっと見つめてから、メアは床に銃をかなぐり捨てた。
あっという間に塞がっていく傷口を、無表情のまま指でなぞっているダンテにツカツカとブーツの底を鳴らして歩み寄ると、右の拳を固く握り込み、高い位置にある頬骨目掛けて腕を力いっぱい振り抜いた。
その青ざめた頬とメアの右手から同じくらい骨の砕けるような鈍い音が響き、予想していなかった衝撃にふらりとダンテはよろめく。
「……ってぇ!……何だそれ、そのパンチのが何倍もやべぇ!」
「私だって痛いよ!」
渾身の力を込めたせいで血が滲みヒリヒリと痛む拳をもう一度握り込んで振りかぶると、ダンテがひらひらと手の平を振って降参のポーズを取る。
「ごめん、メア、もう判った。もう充分だ」
「言い出したのはダンテでしょ!」
「本当に、もういい」
気が済んだ、とふにゃりと笑う口元を強く睨みつけてメアは半ば体当たりするようにダンテに抱きついた。
そのまま二人で床を照らす日差しの中にひっくり返ると、ダンテが後頭部を強かに打つ音と呻き声が聞こえたが、そんなに痛みをお好みならばちょうど良かろうに、とメアは顔を顰めながら深紅のベストに顔を埋めた。
「……ダンテのバカ」
「ごめん」
「意気地無し、クズ野郎、気取り屋、怠け者」
思いつく限りの汚い罵詈雑言をのべつ幕無しに並べたてて、メアはダンテの胸板、治ったばかりの傷口に拳を強く叩きつけた。
「臆病者」
「ごめん」
少しだけ早い心臓の音を聞きながら、メアは堪えていた涙が押し寄せて来てはホロホロと頬を伝い始めるのをその熱で捉えていた。
「何があったのか、ちゃんと教えてよぉ……」
ぐすぐすと泣き出したメアの体を抱き寄せながら、ダンテはもう一度ごめんな、と呟いた。
「俺、お前に甘えすぎた」
ダンテが血の滲んだメアの手の甲をすくい上げると、その指先をかいくぐってメアはダンテの頬をぱちんと張った。
「まだ判ってない。本当にバカ……!」
「あ?」
「苦しかったらちゃんと言葉で伝えてくれないと判らない!」
私が怒ってるのはそこなんだ、とメアはダンテの首に腕を回してきつく抱きしめた。
どうして私はこんなバカな人を好きになってしまったんだろう、とメアは鼻をすすりながら止まらない涙をダンテの肩口にぐしゃぐしゃと擦りつける。
どうしようもなくバカで不器用で臆病者で優しい人だと、判ったつもりになっていただけなのかもしれない。
「そうか。そういうもんか……ごめんな」
ダンテは嗚咽に震えるメアの背中を撫でながら、そっと魔力を分け与えた。
一度頬を殴っただけで指の骨が折れていたのか、手の甲は丸く腫れ上がり始めていた。
無駄に頑丈な大バカ野郎め、とメアは怒りで煮えくり返るお腹の底を鎮めながら、その痛みを訴える右手を敢えて治さずに無視することにした。彼に言われるがまま撃った自分も同罪だと思ったからだ。
ダンテは長い長い溜め息を吐くと、どこから話したらいいんだろうな、と暫く黙って考え込んだ。
「ゆっくりでいいから、ちゃんと話して」
「はい」
「辛かったこともきちんと言葉にして」
「判りました」
床の上に寝転んだまま、島で起きたことをぽつりぽつりと話し始めたダンテの銀髪が日の光を浴びてキラキラと輝くのを腫れた目で見つめながら、メアは痛む指先でその髪を手櫛で梳いた。
島全体が悪魔だらけの罠だったこと、仇だった敵を倒せたこと、トリッシュは敵の手先だったが改心して共に崩れ落ちる島から脱出してきたこと。
「ただ、死んだと思ってた兄貴が、居てさ……」
「お兄さんってバージルさん?」
「ああ」
そこで喉を詰まらせたダンテの頬を撫でると、アイスブルーの瞳からぽろりと一筋涙が零れ落ちた。
「また救えなかったんだ、俺は。アイツ操られて正気を失ってたし、まさか兄貴だと思わなくて、」
気がついた時には遅かった、そう呟いて噛み締めた唇から赤い血が流れるのを、メアはやんわりと親指で遮った。
ダンテの頭を胸に抱えてそっと丸い後頭部を撫で下ろすと、背中に回された腕により一層力がこもる。
「何も知らない私があれこれ言える立場じゃないけどさ、」
さらさらと手の中で流れ落ちる銀糸を眺めながらメアはそっと囁く。
「ダンテはきっと苦しんでたお兄さんを解放してあげられたんじゃないかな。ダンテが私のお父さんにしてくれたのと同じように」
ふっと息を止めてこちらを見上げてくる、普段より含水率の高いアイスブルーの瞳をじっと見つめて、メアはその瞼に静かにキスをした。
「そうじゃなかったとしても、そう思って前に進んでくしかないんだ、きっと」
ダンテは暫く凍りついたように息を止めたかと思うと、くしゃりと顔を歪めて眩しそうに笑いながらメアの胸元に顔を埋めた。
メアはその頭を撫でながら、
「頑張って話してくれてありがとう」
「ガキ扱いすんなよ」
「だってダンテ、たまにすごく子供っぽいんだもの。知ってた?」
くすくすと笑い合っているとどちらともなく、くぅと小さくお腹の鳴る音がした。
「もうお昼ご飯の時間だね」
「俺が作る」
昔はてんで料理の出来なかったダンテだったが、メアが作ってる様子を見て興味を持ったらしく、根気強く教えているうちに今では簡単な家庭料理くらいならば作れるようになっていた。
お願いしようかな、と言って体を起こすと不意にダンテにくしゃりと頭を撫でられる。
「メアが居てくれてよかった」
ぽつり、と素っ気なく呟かれたその言葉にメアはハッと目を見開き、また込み上げて来そうになった涙をどうにか呑み込んでから「うん」と小さく頷いた。
それはこちらの台詞だ、と返したくなるのを堪えてキッチンに向かうダンテの背中を追う。
"ダンテは私の傷を癒してくれる力を分け与えてくれるけれど、私にはそんな真似出来っこなくて。"
メアはいつも分け与えてもらってばかりの自分が彼のお荷物になっているのではないか、と心のどこかで怯え続けていた。好意を伝える言葉は沢山もらって来たが、ダンテの口からそんな風にはっきりと言って貰える日が来るとは夢にも思っていなくて。
「私、クロックマダムが食べたい」
「朝飯じゃないか?それ」
「いいじゃん。昨夜の残りのマカロニサラダがあるからきっと足りるよ」
メアはカウンターに座って足をフラフラと揺らしながら、熱く痛む右手に意識を注いで治すことにした。もしもダンテが調理に行き詰まったら助けてあげないといけないからだ。
冷蔵庫を覗き込むダンテの丸まった背中を見守りながら、このバカで不器用で優しい人を好きになってよかったな、とメアは小さく鼻歌を奏でて微笑んだ。

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