青ざめた蛍光灯の光の下で、交換されたばかりの人型のターゲット紙が揺れていた。コンクリート打ちっぱなしの広いシューティング・レンジはいつ来ても肌寒く、ここが地下であることを忘れさせてくれない。
銃声が反響する度に空気がビリビリと震える。
100m先にぶら下がったターゲット紙にアサルトライフルの銃口を向け、ゴーグルとイヤーマフをつけたメアは黙々とセンターに狙いをつけてはトリガーを引いていた。
単発を五回、その後にフルオートに切り替えトリガーを二秒引き、再び単発に戻す。それを淡々と繰り返していた。予備のマガジンはまだあと二本ある。
咥えタバコならぬ咥えキャンディをしながら、メアは次のマガジンを手に取った。硝煙の中にほのかに甘いチェリーの香りが混ざっているのが何とも彼女らしい気がした。
これで試した武器は七つ目だ。種類を絞り込むまでにも苦労したし、試射の段階でもまだメアは悩み続けている。そろそろ疲れてもくる頃合いだろう。
その後ろで余り物の二倍率のACOGサイトを覗きながらダンテは楽しそうに爪先を揺らしていた。なかなかの集弾率だな、と口笛を吹く。アサルトライフルの扱いも父親とやらに教わったのだろうか。それにしても使い慣れない銃器をものにするのが早いと思った。器用なもんだ、天性のセンスなのだろう。
ダンテが寄りかかっている壁もコンクリート製だったが、そこには様々なロックバンドのフライヤーやステッカーがベタベタと貼り散らかしてあった。この地下がかつては大規模なライブハウスだった頃の唯一に近い名残りなんだろう。奏でられるのが楽器ではなく銃火器に変わっただけで、この場所の音楽は決して止むことがない。
このガンショップはダンテやレディもたまに利用する馴染みの場所だった。
今日はもう夕方に近いので人気もなく、八レーンあるシューティングレンジにはダンテとメアの二人しかいない。セキュリティはザルだった。
ラストのマガジンに込めた全弾三十発を撃ち尽くし、メアはいそいそと銃にセーフティをかけるとゴーグルとイヤーマフを勢いよく剥ぎ取った。
「ダンテ、私この子にする!」
振り返ったサファイアブルーの瞳はいつもの数百倍キラキラと光っていた。ブランドショップで同じ瞳をする女は数多く見てきたが、どうやら彼女の瞳はガンショップで輝くらしい。




買ったばかりのM27アサルトライフルを、真向かいの楽器屋で選んだソフトカバータイプの赤いギターケースに放り込んで、メアは意気揚々と背負った。
ロリポップをかろかろと口の中で鳴らしながら三歩前をスキップで歩いているメアの背中に、ダンテは苦笑いを投げかける。
「てっきり服や化粧品を欲しがるのかと思ってた」
ホテルの依頼を片付けた駄賃の一部でメアが欲しがったのは新しい武器だった。店選びと見繕うのを手伝ってくれと頼まれて、馴染みの店を紹介した。ハンドガンを新調するのか、それともスナイパーライフルかサブマシンガンか、いざ決まったかと思えば商売根性を見せだしたオーナーとカスタマイズパーツやら値段やらで揉めたりなんだりしているうちに時間があっという間に消し飛んでしまった。
背中のケースを撫でながらメアはくるりと片足を軸にして回ると、白い歯を見せてニッと笑った。
「3000ドルのヴィトンのバッグと、同じ値段のアサルトライフルだったら私は後者の方が断然好き。ただそれだけ」
傍目から見るとバンドの練習に行く学生にしか見えないのだから笑えてしまう。これで首にヘッドフォンの一つでも掛けていたら完璧だっただろう。
メアはありがとう、とダンテのコートの袖を掴むと柔らかく微笑んだ。
「これでもっと自分の身が守れるし、あわよくばダンテのことだって守れる」
「人にボディガード頼んどいて何えらそーなこと言ってんだ」
前髪をくしゃくしゃと撫でるとうひゃっ、と喉をひっくり返してメアが驚く。
メアはボサボサになった前髪を撫でつけながら伏し目がちに呟いた。
「自分だけの武器が欲しいなって思えたんだ。父からのお下がりじゃない、私専用の武器。ちゃんと強くなれるように」
「……そういう気持ちは判らなくもない」
ホテルの事件の際に負傷し、自分のことを弱いと責めていたメアの姿が思い浮かぶ。さっきは"自分の身を守る"と言っていたし、きっと大丈夫だろう。あまり考えを押しつけるのも良くないかな、とダンテは今は沈黙することにした。
ーーどうしても、脳裏にバージルの姿がチラついてしまった。力を渇望するあの青い瞳が焼き付いて離れない。
「ダンテと選べて嬉しいなあ」
買い物して帰ろ、とスーパーマーケットの方向に手を引かれながら、ダンテはメアの父親は何者なのか掘り下げる必要があるのかもな、とぼんやりと考えた。






夕飯はフライパンで焼き上げたふわふわのコーンブレッドと安売りしていたキドニー豆の缶で作ったチリスープだった。メアは家事全般にこなれていて、料理も美味かった。手狭な事務所のキッチンでも器量良く動き回っては二、三品を手早く作ってしまう。
「いつもありがとな。美味かったよ」
「お粗末さまでした」
メアが訪れた初日にデリバリーピザを一日三回頼もうとしたら卒倒されかけたので、それからは彼女の好きに作ってもらっている。下手に手伝っても妨害行為にしかならない自信があったので、ダンテは後片付けの皿洗い担当になっていた。
シンクに水が貯まって行くのをぼんやりと見つめていると、
「ダンテ、まだお腹に余裕ある?」
「食えるけど、甘い物が欲しいかなとは思ってた」
メアはむふふん、と鼻を鳴らすと背中側に回していた手をじゃーんと言いながら前に突き出した。その上にはイチゴのパックが乗っていた。お、とダンテは表情を明るくしながら、
「ストサンか?」
「……にしようかなと思ったんだけどこのイチゴ酸っぱそうだったから、パイにしようかなと」
「イチゴのパイ、食ったことないや」
美味そうだな、と呟くと自然と喉が鳴った。ちょっと待ってね、とメアはパタパタと二階に走って行く。
ダンテが手早く洗い終え皿を拭いていると、メアは古びたペーパーバックを一冊抱えて戻って来た。朱色とクリーム色で回転木馬が描かれた表紙だった。
「……"ライ麦畑でつかまえて"?」
「うん、お母さんが好きだった本なの」
カウンターでページを捲りながら、メアは何かを探しているようだ。よく見るとそのくたびれて色褪せた本には沢山のポストイットやメモ用紙が挟まれていた。
「いつもキッチンに置いてあったから油染みが酷いんだけど……レシピの走り書きも沢山書いてあるの。あんまりマメな人じゃなかったから専用のレシピノートは作らなかったみたい」
あった、と言ってマスキングテープで止められたレシピのメモを見つけると、手順をざっと読んでメアは準備に取りかかった。
「前にも作ったことあるからたぶん大丈夫」
「母親からは教わらなかったのか?」
メアは困ったように眉を下げて淡く笑った。
「教わりたかったんだけど、私が七つの時に死んじゃったから」
イチゴの下準備をするメアの手元を眺めながらダンテはそっか、と呟く。
「お母さんの作るチキンスープとサクランボのムースケーキが大好きだったんだ」
その言葉に母・エヴァの顔がふと浮かんだ。あの人も料理をする人だったけれど、そういえば不思議と味を覚えていないことに気がついた。美味しかったはずなのに、封印したい過去と一緒に忘れてしまったのかもしれない。いつか思い出せる日は来るんだろうか。
「……私のお母さんはね多分、お父さんに殺されたんだ」
ぼんやりとしていたダンテの鼓膜にその言葉が突き刺さる。
「……なんで?」
「判んない。……邪魔になったんじゃないかな」
メアは断片的な記憶を話した。微睡みの中にいた幼いメアが聞いたのは、深夜に帰って来た父親と口論する母親の声、揉み合う音、鈍い殴打音、割れた陶器の音。
「朝起きたらね、玄関先に割れた灰皿と麻袋が置いてあったの。私はお父さんからシャベルを渡されて"家の裏に袋ごと埋めておけ"って」
メアは言われるがまま穴を掘って袋を埋めようとした。
「でも気になってつい中を覗いたの。そしたら、陥没した頭蓋骨とそれ以外のパーツ、一人分の骨が入ってた」
慌てて袋を埋め、怖かったので忘れようとしたがそれも上手く行かず、後に記憶の特徴と照らし合わせて恐らく出産経験のある女性の骨だと見当をつけた。
「お母さんは何処に行ったの?ってお父さんに聞いたら"家を出ていった"としか答えてくれなくなった。それで諦めがついた。私はお母さんの骨を埋めちゃったんだろうなって」
淡々とした声音と何の感情も見透せなくなったメアの横顔にダンテはそっと彼女の前髪を撫でた。彼女がどこかへ行ってしまいそうな気がして、少し不安になってしまった。
メアはハッとしてダンテの方を見た。
「ごめんね、変な話しちゃって」
「ぜんぜん。無理して話さなくてもいいんだぞ」
彼女の過去は知りたくないと言えば嘘になるが、苦しませてまで知りたいとは思えなかった。
メアはふるふると首を横に振り、
「違うの、こんな話誰にもしたことなかったからどうしたらいいのかなって。誰かにずっと聞いて欲しかったんだけど、普通に話したらヤバいやつだと思われちゃう」
「この街だとそう珍しくもないぞ」
そうなの?と笑って、鍋に砂糖とイチゴを入れて煮詰めながら、メアはサファイアブルーの瞳をゆらゆらと彷徨わせた。
「……その日から私はお母さんがしてた仕事を受け継いだみたいだった。色んな武器の使い方や護身術も教わるようになったし、お父さんが殺して処理した人の骨を埋める仕事をずっとしてた」
暗殺稼業で食ってるやつか、マフィア辺りの下請け掃除人か、そんな所だろうかとダンテは思案する。
「答えたくなかったから答えなくてもいいんだが……人を殺したことは?」
「ないよ。でも仕事の手伝いで囮になってターゲットの気を逸らしたりしたことはある。それって結局、殺したことと同じじゃない? 私の手はお父さんと一緒で、血で汚れてるんだ」
カスタードクリームの材料と冷凍のパイ生地を並べながら、メアは悲しそうにダンテの目を見上げた。
「ごめんね、ダンテ。私はきっと貴方が思ってるような女の子じゃないよ」
「只者じゃないことくらいとっくに判ってるさ」
ダンテは笑いながらメアが作ったイチゴのコンポートを一粒つまみ食いした。
「ん。美味い」
「よかったぁ」
鍋の中で練りあがっていくカスタードクリームとバニラの香りがキッチンに立ち込める。
「……俺がどうこう言える立場じゃないけどさ、」
ダンテはシンクに寄りかかりながらメアの整った横顔をじっと見つめた。
「お前は悪くないと思うぜ。親父さんにいいように利用されてただけなんだろ。普通、怖くてまともな思考力を奪われるに決まってる。……それを、自分の意思できちんと逃げ出してきたお前は、本当に偉いと思う」
上手く言えないけど、と頬を掻くダンテの途切れ途切れの言葉にメアはそっと振り向くと、息を止めて目を見開いた。その宝石のような瞳からぽろりと雫が落ち、一つ落ちると堰を切ったように零れだした。
「ぁっ、……ごめん……ごめんね」
両手に顔を埋めて泣き出してしまったメアにダンテはやっちまった、と下唇を噛んだ。危なっかしいガスコンロの火を止めて嗚咽に揺れるメアの肩にそっと手を置く。
「悪い、余計なこと言った……」
「違うの……っ、……そうじゃ、なくて……」
もたれかかって来たメアの頭を腕の中に抱きとめながら、ダンテは柔らかいブルネットの髪を撫でた。同じシャンプーを使っているはずなのに妙に甘い匂いがしてドギマギしつつも、その胸の内にどれだけの恐怖と重圧を詰め込んで生きて来たのだろう、と考えると憂鬱な気持ちになってしまった。ふいに破裂してしまうくらい、メアはここに来てからもずっと緊張していたのかもしれない。
「……っ、ありがとう」
しゃっくりを上げる苦しげに丸まった小さな背中をゆっくりと撫でる。溢れ出した涙がメアの手の甲とダンテの胸元をしとしとと雨のように濡らしていった。




無事に焼き上がったストロベリーパイは綺麗なきつね色をしていた。バターと砂糖の匂いが立ち込め、事務所の空気も和らいで行く。
三角に切り、取り分け皿に乗せてから、メアは冷凍庫を開けてアイスクリームを取り出した。
温かいパイに添えられたバニラアイスは、コンポートのシロップと混ざり合いながらもったりと溶けていく。
「どうぞ召し上がれ」
フォークを突き立てるとサクリと軽い音がした。生地は歯ごたえも軽やかで、滑らかなカスタードクリームと甘酸っぱいコンポートのバランスが絶妙だった。温かなパイの優しい甘さを冷たいアイスクリームがよく引き立ててくれている。
おふくろの味は?と尋ねられてアップルパイを引き合いに出すやつが多かったのはこういうことなのか、とダンテは初めて食べるその味に懐かしさを感じた。
「すげー美味い。ストサンと同じくらい好きだ」
メアは泣き腫らした目をしながらも良かったぁ、とにっこり微笑んだ。
「作ったかいがあったよ」
「お前は食わないのか?」
ん、と一口分フォークに乗せて差し出すとメアは少し悩んでからおずおずと口に含んだ。
顔をしかめながら、頬をもごもごと動かす様子は小動物じみていてどこか愛らしい。
「ちょっとシナモンが足りなかったかな……まあいいか」
「普通に美味いって」
ぺろりと一切れ平らげてダンテはお代わりをリクエストした。大きめに切り取ったピースを皿に取り分けながら、メアはごめんね、と囁く。
「取り乱して、迷惑かけちゃった」
「別に迷惑だなんてこれっぽっちも思ってない」
二切れ目でもまだ飽きない味に黙々とフォークを進めていると、メアが寂しげに呟いた。
「……私お父さんのこと殺したくもないし、殺されたくもないんだ」
伏せた青い瞳からまた涙が零れそうになるのが見えて、ダンテは心配すんなと口の端で笑う。
「俺が守るよ。依頼を受けたからにはきちんと果たす」
メアはゆっくりと言葉の意味を飲み込んでから、ふわりと柔らかい微笑みを浮かべた。
「よろしくね、"便利屋さん"」

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