magic steam




昨日までグラウンドやテニスコートから聞こえていた部活生の掛け声も、教会のパイプオルガンも、今日は聞こえない。

空調のきいた脱衣所を抜けて男子風呂の戸を開けると、むわっとした蒸気が私を包んだ。寮生は今朝のうちにみんな帰省したというのに、湯船にはなみなみと湯がはられている。なんてことだ。湯船の横では全自動湯沸かし器のスクリーンが光り、電源が入っていることを私に教える。私は持ってきたデッキブラシを壁に立てかけ、洗剤をその足元に置き、湯沸し器のスイッチを切った。

私は掃除のおばちゃんではない。寮長でもない。もっと言えば、寮生でもない。それなのに何故か私は寮生管理委員であり、その委員会のジャンケン最弱王でもある。
湯船の横に積み上げられた洗面器を一つ手にして湯をひとすくいし、ゆっくりとひざ下にかける。染み込む熱が気持ちよく、二度、三度繰り返す。
たまりませんなあ。ぼんやりとした自分の声がお風呂場に響いた、その時だった。戸がカラカラと音をたてて開いた。

「えっ」

声を出したのは私だ。戸を開けた人は、目をまんまるくさせてその場に立ってる。隣のクラスで、同じ委員の観月くん。赤ワイン色のタオルを腰に巻いて、片手にこれまた赤ワイン色の洗面器を持っている。惜しげもなく晒された透き通る四肢。湯けむり美人。私は彼を見て、思わずほうと感嘆の息をはいた。
それが観月くんの地雷を踏んだのかもしれない。彼は途端に赤面して
「ばっ、ばかもの!」
そう言って戸をピシャリと閉め、脱衣場の方へ消えてしまった。

生まれて十五年。馬鹿者、なんて罵られたのは初めてだ。自分がマゾヒストであると思ったことはないが、ドキドキする。相手が観月くんというのがポイントだ。
「ごめんよ、観月くん。もうみんな帰ったのかと思ってさ」
嘘じゃない。年の瀬だもの。
一枚板を隔てた向こうで、観月くんはどんな顔をしているのだろう。両手で顔を覆ってぷるぷる震えているかもしれない。羞恥心と、怒りで。そう思うと私の頬は緩みきってしまって。もう一度「ごめん」と言ってみたけれど、言葉に笑みが滲んでしまった。
「わたし、出るからさ。そっちに行ってもいい?」
聞いているのかいないのか。反応が無い。
「観月くーん」
開けちゃうよ。そう言えば、やめなさいと一喝された。
「ちょっと待ちなさい」
「はいはーい」
さっき見たものはしっかり目に焼きついている。何度も思い出してはフヒヒと笑って、ジャンケンに負け続けた自分の手をこすり合わせた。眼福、眼福。

「いいですよ」
あちらからの声に、戸に手をかけて一気に開ける。しばらく湯気の中にいた私の肌や髪はしっとりしていて、着ているシャツの背はぴたりと身体にはりついている。脱衣所のさらさらの空気は、すっと私の体温を下げてくれた。
観月くんはきちんと制服を着て、腕を組んでいる。唇がちょっとだけ尖っていてかわいらしい。
「ごめーんね」
「……もういいです、何も、誰にも言わないでください」
「もちろん」
誰にも言うものか。グッと親指を立てて見せると、観月くんはやれやれという風に目を伏せた。作り物のような綺麗な顔だ。私は、彼の顔が色々に変わるのを見るのが好きだ。
「観月くんは帰省しないの?」
「僕は明日の朝帰ります。苗字さんは、こちらの人でしたね」
「うん。みんな帰っちゃって、年末年始は暇でさあ」
だから、冬休みなんて早く終わってほしいなあ。そう続きそうになる言葉を口の中に留める。
「そうですか」
「そうなんです。……えーと、お風呂、邪魔してごめんね。掃除は明日するから」

早く休みが終わってほしい。それはささやで、切な願いだ。

じゃあ、また。ピッと敬礼のポーズをして見せ観月くんにさよならを言う。
みんな冬休みを心待ちにしていた。私のお願いは自分勝手で、どうしようもない。心の内を観月くんに知られたら呆れられてしまうかも。思考を振り切るように、止めていた足を動かした。
「苗字さん」
けれども一歩目で、観月くんに呼び止められた。
「なあに」
「美味しい紅茶が飲めるカフェをご存知ですか? 出来れば駅に近いと楽なのですが」
観月くんが続けた言葉を噛み砕く。そして私は、知ってるよ。そう言いながら、自分の表情がぱあっと明るくなったのを自覚した。
「明日の朝、そこへ連れて行ってください」

観月くんは笑いも呆れもしていない。彼を知らない人から見ると、愛想なくツンとしているように見えるだろう。でもそれは、私が教室の窓から見ていた観月くんの顔だ。テニス部の後輩の世話を焼く時の、あの顔だ。



2013/01/14

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