億万長者(5/5)


幹部の皆様への顔合わせも済んだことですし、今度はヴァリアーのボス、ザンザス様への挨拶へと行くことになった。談話室を出る際、レヴィ様が「ザンザス様――!」と叫んでいたが、スクアーロ様が早く行けと言ったので、お言葉に甘えてザンザス様の執務室へ向かう。


ザンザス様の扉は重々しい雰囲気を出している。部屋の外からも伝わってくる威圧感。談話室の時とは段違いの緊張がある。

雇われ先のボス、すなわち企業で例えると社長との初対面というわけだ。私はメイド。平社員のような立場。本来メイドのために時間を割いていただくことなど、失礼に値するのだ。
けれど私に与えられた仕事は多忙なボス、幹部の皆様の身の回りのお世話をすること。顔を合わせないわけにはいかない。誰だって見ず知らずの人間に勝手に身辺をうろちょろされては気分が悪いだろう。


「誰だ。さっきから鬱陶しい。用があるならさっさとしろ」
「っ、大変失礼いたしました。入ります」


出来る限り気配を消していたと言うのに、緊張でどこか緩んでいたようだ。情けない。いくら腕がなまっているとはいえ、主に不快な思いをさせるとは使用人の恥。ドスのきいた声からそれが伝わってきている。

慌てて扉を開き、粗相を犯した謝罪も含めての一礼をする。ザンザス様は扉を入って真正面の机に脚を乗せ、見るからに高価そうな椅子に座っていた。

成る程。ヴァリアーが暗殺者の馴れ合いで成り立っているという考えは撤回しよう。理由はこの方、ザンザス様にある。圧倒的な王者の覇気。絶対的な強さ。
弱き者は強き者の元につく。弱肉強食。生物界の掟だ。プライドの高い暗殺者の何人をもこの人は束ねているのだ。考えてみれば至極当然のこと。それだけのカリスマを、この人は有している。


「挨拶に参ることが遅くなり、申し訳ありません。ザンザス様含め幹部の皆様のお世話を暫く務めることになりました、メイドの稲葉アルと申します」


私の挨拶にザンザス様は閉じていた瞼をゆるりと上げた。瞳の赤色がちらつく。そして私を目に入れ、僅かに目を見開いた。


「あ゛?……テメェは」
「…もしや私のことをご存じなのでしょうか?」


たとえ主と言えど、以前の私のことを知られていては色々と困る。何が困ると尋ねられると返答に困るが、仕事に支障が出かねない、と答えておく。

それにしても、私がそれ系統の仕事を請け負っていたのはもう何年も前の話。まさか私の顔と仕事を知っている人がまだいるとは思わなかった。
私が聞いたある筋の話によると、ザンザス様はとある事情により眠られておられたらしい。きっとそのせいで当時の記憶が明確に残っているのだろう。使用人如きが厚かましいとはわかっているが、どうにかして黙っていて欲しいものだ。


「念のため申し上げておきますが、今の私は一介の使用人に過ぎません。単なるメイドにございます」
「人手が足りねえ中使えるカスを肥やしにするつもりはねえ」
「先程厨房を覗いた際、最高級のラム肉を見つけました。本日のご夕食はそちらでよろしいでしょうか?」


暫くの沈黙後、「……チッ」という小さな舌打ちが聞こえた。きっと了承してくださったのでしょう。意外に物分かりのよい上司で私からすれば非常に都合がいい。
今日から私の中で最も偉くなる主人は、思うようにいかず、まるで子供のように機嫌を悪くされたが、私は満足気に笑って退室した。

この日から私のヴァリアーでの生活が始まった。


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