不憫な男
暁のトビには、否、うちはオビトには気に食わない存在がいる。
その者はとにかく質が悪い。外見、年齢とは裏腹に、狐より相手を化かすことが好きで、屈辱にまみれた顔を見ることを好む性悪のことだ。その狡猾さに騙された者は数知れない。
もしからしたら木ノ葉出身の忍の中で、あのうちはマダラと同等、いやあるいはそれ以上に悪どいやつである。
ここまで言えば名を挙げずともいいとも思われるが、オビトが憎んでいる相手というのが、かつての彼の師の愛娘、ナルセのことである。
その天敵は、今日は昼前から居間と呼ぶべきであろう部屋に入り浸っていた。
天敵は(認めたくはないが)忍としての計り知れない実力を持ちつつ、研究者に劣らぬ頭脳と好奇心を有していた。今日も飽きることなく、フラスコとレポート用紙を机の上に広げ、熱心に己が探究心を満たしている。
「なーなーオビトー」
ちなみに今日アジトにいるのはこのオビトとナルセ、それからイタチの三人のみだ。この三人ならば名前を呼ばれる程度、問題ではない。
問題であるのはむしろ、これから押しつけられるであろう面倒事だ。
渋々といった様子を隠そうともせず、だが律儀にオビトは応じた。
「……なんだ」
「いつもの店に薬品を注文してんだけどさ、今日届くんだわ」
……つまりオレに取りに行け、と。
オビトは窓の外に目を向けた。ここは雨隠れの里。終日雨が降り続いている地域だ。こんな天候の中外出は控えたいと思って当然。もちろんオビトもうんざりした。
「そのぐらい自分で行ったらどうだ?」
「いいじゃん。お前は神威で一瞬だろ?代金だってもう払ってるんだからさ」
誇り高きうちはの写輪眼を、そんな使い走りに使うな。オビトは声を大にしてそう主張したかった。
「荷の受け取りくらい、行ってやってもいいんじゃないか?」
ここでイタチが後押しをした。イタチはナルセに甘い。イタチがナルセの肩を持つことは明白。この場にオビトの味方はいないのだ。
「そーだそーだ!どうせ暇なんだろ」
イタチに肩を持たれて調子に乗ったナルセが、さらなる口撃を加えた。
お前と違い、暇なものか。オビトは声に出さず、睨みつけて目で主張した。それをさらにイタチが庇う。
「あんたの方が歳が上なんだ。大人げないぞ」
「大人げないぞー」
ぷーくすくす。その笑い声に擬音をつけるならばこんな具合だ。
飾りのある言葉で遠回しに言うのは止めよう。滅茶苦茶ウザい。殺したいくらいウザい。
だがここで結局引き受けてしまうのがうちはオビトという男なのだ。たとえその後、後悔に苛まれて枕を濡らそうとも。
*****
その日は、ナルセが三徹をしてようやく厄介事を片づけた日だった。仕事を終わらせたナルセは早々に部屋に引きこもった。足りていない睡眠を補うためだ。
ここで存分に休ませてやるのが優しい人間というものだろう。しかし生憎オビトはナルセに優しさを向けるような人ではないし、急を要する仕事がまだ詰まっている。寝入った直後だが、起こすという選択肢以外はなかった。
ナルセの部屋はいつものことだが、鍵がかかっていた。が、オビトの神威の前では施錠など意味を成さない。
部屋に入り込んだオビトは、周囲を見回すまでもなく、ベッドの中のナルセに目を留めた。
随分とぐっすりと眠っている。しかしその顔色は悪い。
普段の彼女の様子からは想像がつかないが、(こう言って正しいのかはわからないが)ナルセは体が弱い。三日分の疲れが溜まっている今、その状態はいつもより悪かろう。
そんな時、オビトの頭に悪い考えが過った。ーー今ならこいつを殺せる。
そもそも強制的に手を組まされたのであって、望んで協力関係にあるわけではない。ならば自分の秘密を知っている者を生かしておく道理があろうか。
普段なら容易く返り討ちにあう。しかし今ここで寝首をかけば、こいつを殺すことができる。簡単なことだ。その、細い首の骨をへし折ってやればいいのだから。
邪魔する者も今はいない。熟睡している今、ロクな抵抗もできまい。
簡単だ。……だが、なぜ手が動かない。オビトの意思を裏切り、腕は宙に置き去りにされた。
やつを殺さない道理はない。ならば実行すればいいだけのこと。しかし体が動かない。なぜだ。
同情?こんな小娘相手に。この“マダラ”が?
そんなことがあるはずがない。なぜか心中で必死に仮定を否定していた。
その最中、とうとうナルセが目を覚ました。震える瞼を見た瞬間、オビトはしまったと感じた。
冷ややかな瞳と目が合った後、オビトの意識は暗転した。
*****
……暑い。ぼんやりとした思考の中、オビトはそれだけを感じられた。南国にいるような感じとはまた違う。猛火のすぐ傍にいるような。
そこまで考えて、危機感からオビトの意識は覚醒した。
「ようやく目を覚ましたか」
意識を失う前に相対していた者の声がした。あの時見たように冷たい目をして、こちらを見下ろしている。
気づけばオビトの体は縄でふん縛られていた。オビトにとって拘束は恐れる類いのものではない。神威を使えばいいのだから。
拘束から脱け出す前に、オビトはまず自分達がいる場所を確かめた。そしてあの暑さの正体が判明した瞬間、彼はぎょっとした。その様子を見てナルセが軽く笑う。
「流石のお前でも、突然こんな場所に連れて来られれば驚きもするか」
そこは火山だった。目下でマグマが沸々と沸いている。こんな状況に、オビトは思わずごくりと喉を鳴らした。
「……何をするつもりだ」
かろうじて声は震えなかった。くつりとナルセが笑う。
「なに、馬鹿にはどちらが上かをはっきりさせてやろうと思ってな」
オビトにはなんとなく、目の前の性悪が何をするのか察してしまった。これから起こりうる可能性のある未来に、オビトの顔から色が失せた。
「おい、まさか……」
「大丈夫。いざとなればお前には神威があるんだろう?」
予想的中だ。縄から脱け出そうとしたその前に、ナルセが動いてしまった。
「じゃあな」
細い足がオビトを蹴飛ばす。当然落下地点はマグマの海。高笑いが辺りに響く。迫り来る熱気に、遠ざかる少女に、オビトは恨みの言葉を浴びせた。
「このッ!最低のクズやろうが!」
うちはオビトには殺したいほど恨めしい存在がある。暗殺、決闘。あらゆる手を尽くした。但しその相手を殺すことは敵わず、オビトは不憫なまま、今日まで至る。
prev / next