バラのアダージョ



今日も変わらぬ時間の流れを消化するために広間のソファに座って本を読んでいた。彼から組織の名前を教えられてからも特にこれといった接触があるわけでもなく、淡々と日々が過ぎていった。実はこの家にはカレンダーがない。正確に云うと、彼らは自室に置いているのかもしれないが私はそれを確認することができないため今日が何日なのかわからないのだ。此処に連れて来られる前、最後に見た日付が思い出せなくなった。どんどん俗世から切り離されていく気がして、うすら寒くなった。

「ドスくんおまたせ〜!」

突如自分の呼吸音しか存在していなかった空間に大声が聞こえて心臓が飛び跳ねた。持っていた本も床に落とし、バクバクと騒ぐ胸を手で押さえて声の主を瞬きせずに見つめた。


「びっくりし…え、貴方今どこから…」

突然現れた奇妙な装いをした彼も予想していた人物が居なかったことに驚いているのか「おまたせ〜!」と両手を挙げた状態からピクリとも動かない。

「………」

「彼は、ここにはいないけれど…」

おまけに声も発しない。

互いに何のアクションもせず見つめあっている。無言だ。

何秒間そうしていたか、パチリと相手が瞬きをすると一気に破顔した。




「おわわわわ!!君もしかして新しい仲間!?こぉんなに可愛い子迎え入れたなんて何で教えてくれなかったんだドスくんの…あれ、なんだっけ、かわず?なまず?違うな、意地悪って意味の日本語…」

「…もしかしていけず?」

「そうだそれだ!君はクイズを当てる才能があるね!そんな才能あふれる君にクイズだ!私の名前は何でしょう!?正解はゴーーーゴリ!あ、答え言っちゃった。じゃあ次の問題だ!私とドスくんの関係は何でしょう?」

マシンガントークについ身を引いてしまった。とにかく情報量が多すぎる。なんでいけずなんて言葉知ってるんだ、かわずはカエルだしなまずは鯰だ。カエルと鯰じゃ大違いだ。関係…?関係なんて知るわけないじゃないか。そもそも貴方さっきどこから入ってきたの。扉空いた気配なんてしなかった。

「あれ、ねえ聞いてる?」

「…二種類とも水の中で生きるのには違いないけど片方は魚類でもう片方は両生類でしょ?似ても似つかないわね。あ、でもおたまじゃくしのうちは淡水でしか生きることができないからそういう意味では淡水魚の鯰と出身は同じ…つまり同胞?」

「途中何のこと言ってんのかさっぱりだったけどだいせいかーーい!!よくわかったね!私とドスくんは同胞なのだ!じゃあ今度は君のクイズに私が答えてあげよう!」

気づかない間に会話が成立していたようだ。テンションについていけない上に圧が強すぎる。だがそんなことはお構いなしに彼は私からのクイズを求めてにこにこしている。彼のペースに全くついていけてない。クイズにすることなんて何も、と思ったときに私ははっとと思いついた。もしかして彼なら知っているかもしれない。


「……では、私はどうして此処にいるのでしょうか?」


それを聞いたほんの一瞬だけ彼の表情が消えた。真顔になったわけでも笑顔がなくなったわけでもない。眼球の光が消えた気がしたのだ。
ひゅっとそれに気づいた私が息を飲むと同時に彼は今の表情が嘘であったかのように大きく口を開いて嗤った。

「そぉんなの簡単すぎるよ!答えはドスくんがそれを望んでいるからだ!そしてドスくんがどうしてそれを望んでいるかは、残念だが私には考える価値もない」

自分のことをゴーゴリと名乗った男は、座っている私に顔を近づけ、三日月のように口を歪めた。彼は小指のみ曲げた右手を顔の横にかざすと高らかに語りだす。

「君に道化師としての四つの極意を特別に教えてあげよう!一つ、ネタばらしは絶対にしてはいけない。二つ、真意を悟らせてはいけない。常にポーカーフェイスでないとね!三つ、自分が判らないということを観客に気づかせない。観客は舞台に立っている人のことは摩訶不思議な事象を繰り出す超人であり、全知全能であると信じたいからだ!」

先ほど私が云ったことを指しているのだということは流石に判った。縦に傷が入った目でじっと見つめられ、居心地が悪くなって唾を飲み込んだ。

薬指、中指、と極意とやらを数えながら曲げていき、一本残った親指をちらりと彼は見るとぐっと手を握った。四つあると云った間違いを誤魔化したかったようだ。
そして私ににやりと笑いかけたかと思うと握っていた拳をぱっと開いた。

「わっ」


何も掴んでいなかったはずの手に一輪の花が現れた。差し出されたそれを思わず受け取ると彼は満足そうに笑った。花は冷たくみずみずしい本物だった。


「君は訳も判らずドスくんに連れて来られて此処に閉じ込められているのかい?」

「そう…。もう何日経ったか判らないの」

「じゃあ僕と同じく籠の鳥というわけか」


”籠の鳥”。それは私が物心ついたころか周りから言われ続けてきた言葉だった。苗字という家に生まれてしまったからには重厚な籠に囲われて育てられ、将来的にはまた違った籠へ移される。幸か不幸か、私はその籠を失ってしまったが、どういう運命か、こうしてまた檻の中だ。

「貴方も何かに囚われているの?」

「嗚呼。僕は生まれながらにして与えられた全てのしがらみを取り払って自由になりたい」

風が吹き、木々がざわめく音と鳥の鳴き声が窓の外から聞こえてきた。飛んでいく鳥が太陽光を遮り、大きな影が部屋を通り過ぎて行った。
先ほどまでとは打って変わって穏やかな表情をした彼は窓から差し込む光に目を細めて云った。

「君は地獄は何処にあると思う?」

私に質問をしているという点では変わらないのに、まるで別人のように彼は私に問いかけた。


「地獄、地獄ね……。そう捉えたことは無かったけど、私を縛るしがらみ…蜘蛛の糸は脳に張り巡らされてると思ってる」

だから、地獄も頭の中にあるんじゃないかしら、と私はフョードルを思い浮かべながらそう云った。
すると目の前の彼ははっとしたような顔で目を見開き、ゆるりと笑ってから「成る程、彼の見込みなだけある」と呟いた。

「君はこれからどうする。革命を起こさない限りこの現実は地獄であり続ける」

「それが残念ながら思いついてなくて。当面はその革命の内容を考えることを生き甲斐にしようかしら」

「そうか、それならば…楽しみにしている!」

ゴーゴリはそう云って口元に手を寄せて笑った。その様子に私は首を傾げた。何か私は面白いことを云ったであろうか。私の気持ちなど知らない彼は姿勢を正して恭しくお辞儀をした。

「却説、ドスくんが待っているだろうから私は彼のところに行かなければ。中々楽しい時間だったよ!」


それでは、御機嫌よう。


その言葉は彼の身体と一緒にマントに吸い込まれていった。






「待たせたねドスくん!あの女の子と話してたんだ!随分面白そうな子じゃないか!」

「遅いですよ。面白そう、ですか。目が覚めるのもそろそろじゃないでしょうかね」

「目覚める…?彼女は夢遊病か何か患っているのかい?そうは見えなかったけれど…あ、そーだ!如何して引き入れたことを僕に早く教えてくれなかったんだい!?」

「そうですね…ぼくはいけず、なので」

「……おぉ〜っと流石の僕でも引いちゃうかなドスくん!」

***


「名前さん」

「なに?」

昼下がり、広間で浅くまどろんでいた私にフョードルが声をかけてきた。少し驚いてゆらゆらした意識がはっきりとした。

「少し外に行きませんか」

「え、いいの?」

ええ、と彼は頷く。私に許された外出というと、自室の窓の外から出れるバルコニーのみだ。せいぜい5mほどの外界しか私には与えられていなかった。

「ずっと家の中にいては、健康によくありませんから」

「……それは冗談?」

自室は地下で、いかにも日光にあたると悪霊よろしく蒸発してしまいますみたいな顔色をしている彼に云われても驚くくらい説得力がない。不健康促進活動でもやろうと云われたほうが納得できるというのに、どういう風の吹き回しであろうか。

「実はここの近くのバラが綺麗に咲いていたんです。今日のティータイムはそこで」

すでにゴンチャロフには話をしていたようで、彼はキッチンでその用意をしているようだった。
それならば、と思い私は了承の返事をして、少ないながらも自室に荷物を取りにいった。

そうか、もうバラが咲く季節になるのか、と時の流れを感じた。私が最後に外を歩いたときは、桜が散り終わり、葉桜になる直前の額しかない、あまり見栄えが良くない季節であったように思う。


***


久しぶりに踏みしめた土は柔らかく、何だか温もりを感じた。外の地面を歩いていたとしてもアスファルトとコンクリートであったから尚更土に靴越しではあるが触れたのは久しぶりだった。
三人で森のなかを進んでいく。天気は晴れで、木漏れ日に心が洗われる気分だ。


少し歩いて行くと視界の先に赤とピンクなどの鮮やかな色がちらりと見えてきた。確認するように横を歩くフョードルを見ると彼は肯定であると眼差しを緩めた。




「綺麗…」

そこは彼らが咲き誇るために木々が空間を開けたかのように、色とりどりのバラが群生していた。人間に管理されているバラ園とまで形が揃っているわけではないが、生命力を感じてむしろ好みであるくらいだ。

「誰かが手入れしてるわけではないんでしょう?こんなところに広がってるなんて不思議」

「憶測ですが、昔はここ一帯は誰かの土地であったのでしょう。庭に植えてあった株が繁殖してかつて建物があった範囲にも及んだのではないでしょうか」

彼が指さしたさきには自然には有り得ないガーデンアーチがあり、それをバラが覆っていた。その近くには白い石でできた円形テーブルとデザインが彫られたガーデンチェアがおかれており、確かに誰かの庭であったのだろう。

「彼方に行ってみましょうか」

花の美しさに見惚れていたために一歩遅れたフョードルのあとをついていこうとすると、私のまえにすっと入り込んだゴンチャロフが「私の後ろを」と云って笑った。
歩道は無いので、株のあいだを縫っていく。彼は棘から守るために先導してくれていることに気づいて、心配りに感動し思わず胸を押さえた。


机と椅子の素材は大理石のようで、これなら主がいなくなった今でも残っているのも納得であった。
ゴンチャロフは持っていた大きなバスケットから白いクロスを取り出し、テーブルと二つのスツールにそれを掛けた。
礼を云ってフョードルと向かい合って座る。ティーカップにソーサー、ステンレスの魔法瓶、焼き菓子の缶が並べられていく。先ほどから彼の周到さに驚くばかりだ。

「そのバスケット、もしかして四次元と繋がってる?」

「そんなことはありませんよ」

魔法瓶からカップに紅茶が注がれ、ソーサーと一緒に私の前に置いてくれた。そして同じようにフョードルへ。お互いに紅茶はストレート派であった。

雲が若干混じっている空に鮮やかなバラの花。カップに口をつける彼。一級品の絵画の様だった。






「ひとつ聞いていい?」

「ぼくに答えられることなら」

「貴方達って、異能力者の集団なの?」

この家に来てすぐの時にもこうして彼に正面から問い詰めたことがあった。あのときははぐらかされてしまったが、今回こそはと彼の目をじっと見つめた。私の質問に彼は白々しさをにじませて笑った。

「ほう、如何してそう思いましたか?」

「道化師の格好をした彼、何もない虚空に消えるなんて、常人じゃ有り得ないわ。そんな彼が訪れるからには可能性が高いと思ってね」

彼はソーサーの上に持っていたカップを置いた。

「その通り、ぼくとそこの彼は異能力を持っています」

どのようなものかは秘密です、と彼は肘をついて自分の唇の前で人差し指を立てた。

そこの彼と呼ばれたゴンチャロフは園芸ばさみを片手に私達とは少し離れたところで一輪ずつ見比べている。綺麗に咲いているものを持ち帰るつもりなのだろう。


「どう思いますか。異能力のことを」

私のことをじっと見つめる瞳からは相変わらず真意は読めない。
私は横を向いて、赤く咲いているバラに手を寄せた。人間の手が加わっていないため、バラの持つ棘もそのままだ。怖いものみたさと同じような気持ちから、恐る恐る棘に指を近づける。

「…美しいものには危険が付き物。同じように特殊な強さにも欠点…というよりも副作用のようなものがついて離れないんじゃないかしら」

そうして首を戻して合わせた視線に私はぞくりと背中が粟立った。




フョードルの知らない彼のことを私はひとつだけ、知っている。

彼は元々背がかなり高いが、姿勢が良くないため面と向かって向き合わない限り身長のせいで圧迫感を感じることはほぼない。寧ろ、獲物を狙っているときの猫のような上目遣いであることのほうが多いくらいだ。

だが彼は、何かを図ろうとしているときだけ、顎をほんの少しだけあげて目線を下げる。
いわば、“俯瞰”の目をするのだ。

それは恐ろしく冷たく、見つめられた方は全てを見透かされている気がする。
自分の無意識下の身体反射的な癖を、更に目の動きなど自覚しているとは到底思えない。


彼は今その目をして私を見ている。私の何を“見下ろして眺めようと”しているのだろう。


「どうしました?」


ほら、やっぱり自覚していない。自分の視線の変化は流石の彼でも把握出来ないようだ。

「なんでも、無い」


誤魔化すように紅茶を口に流しこんだ。とっくに冷めたそれは渋みを強く感じた。


もしかしたら私を攫ったのはこのことが関係しているのかもしれない。ふと、そう思った。根拠もないしましてや私はごく普通の一般人で、思い当たる節もちっとも無い。

だが、なんとなくそう思えるのだ。こういうときの直感は割と信頼できるものだと思ってるから。

紅茶を飲むふりをしてティーカップで顔を隠しながらそろりと様子を伺う。フョードルはもう私のことを見てはおらず、花の鑑賞をしていた。そのことにほっと息を吐いた。

太陽でさえくつろいでいるように思えるほど時間はこんなにもゆっくり流れているのに、私の心はざわざわと、嫌な予感に怯えていた。



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