切り裂いて、永遠


太宰は廊下を歩いていた。その革靴のコツコツという音はいつもよりも軽やかで、今にも鼻歌でも歌いだしそうな様子である。

「太宰」

「やァあねさんじゃないか!」

後ろから掛けられた声に太宰は振り向いた。彼女の気配に気づいていても声を掛けられるまで振り向かないあたりが彼らしい、と紅葉は思った。

「どうした。今日は随分と機嫌がよさそうじゃな」

「ふふ、今日はねぇ、これから逢引デェトなのだよ!」

大方、彼の相棒にまたちょっかいを出してそれが成功しただのと予想をしていたのだが、思いもよらない返答であることに驚く。そして目の前の少年から聞きなれない単語が出てきたことに訝しげに声を出した。

逢引デェト?して誰と」

「資料室にいるなまえちゃんだよ」

「あぁ、あの娘か。それならばわっちも数刻前にうたわ。広い資料室を探し回らずとも済むようになったのじゃ、首領もえならぬ者を置いたものじゃのう」

「姐さんがそんなに人を褒めるのは初めて聞いたね」

「暴力しか取り柄がない奴らには出来ないことであるからの」

確かにそうだ、と太宰は笑った。五大幹部がこうも目を向けているとなると、元々の才と相俟あいまって、彼女の名前が組織全体に知れ渡るのもそう遅くないだろう。

「そういえば姐さんは彼女の記憶の事は知ってるの?」

「無論じゃ。其方そなたらが長く空けていたとき誰が首領の相談にのっていたと思っておる」

「その節は御免って」

口元を袖で隠しながらじとりと睨まれればへらりと笑って謝るしかなくなってしまう。

「それで?何故逢引なのじゃ」

紅葉はまるで母が子供を揶揄うときのように問いかけた。まなこは三日月の形になっており、普段から手をかけている彼の珍しいありさまを愉しんでいた。

「この間ちょおっと意地悪をしちゃってそれのお詫び」

「其方が詫びるなど稀有けうなこともあるのじゃな。ならばさっさと行け。引き止めて悪いことをしたのう」

太宰は彼女の言葉にふと既視感を覚えた。記憶を遡り、その正体を見つけ出すとはは、と笑った。

「また『女子を待たせるなどおぬし其れでも男か!』って怒るんでしょ?」

「全く、いつの話をしておるのじゃ」

「姐さんには色々なことを教えて貰ったからね。それじゃあ私は」「太宰殿!いらっしゃいましたか!」

一歩を踏み出そうとした太宰の動きを止めさせたのはまたもや遠く後ろからかかった己を呼ぶ声であった。

何も云わず聞こえないふりをして動作の続きを再開させようとする太宰の腕をぱしりと紅葉が掴む。
太宰が首を回して紅葉を疎ましそうに見た。

「姐さん」

「此処では私生活プライベートよりも仕事であるのは重々承知であろう」

「でもさっき姐さん」

「太宰」

「さっさと行」

「太宰」

「………」

「ほれ、何をしておる」

そう云い腕を離した紅葉は駆けてくる黒服のほうをくいっと顎でしゃくった。

太宰は今にも泣きべそをかきそうな顔になり、とぼとぼと歩いていった。「なんだ!事によっては許さないぞ!」とただ幹部を探していただけなのに怒鳴られた部下が不憫でならなかった。

紅葉は太宰がちゃんと部下の話を聞き始めたのを見届けてから踵を返してその場を離れていく。

(そうか、彼は今年で十八か)

其れは歴代最年少幹部となったと考えると若すぎるよわいであろう。然し紅葉にとっては彼と出会った頃のことを思い起こすと、もうそのような歳になるか、と年月の長さを感じるものであった。

(折角年相応の顔をしていたというのに)

彼女は初めてといっていい表情を見せた彼を思い出す。同年代すら少ない彼の置かれている境遇に新しい風が吹いたのだろうと微笑んだ。
そして、この出会いが彼を彼の絶望から救ってくれるのではないか、と小さな希望を抱いた。

紅葉は少し痛む胸の古傷に向き合うつもりなどなかった。
彼女にただ出来ることは奴なら下手なことはしないだろうと、底が知れない器に並々と犀利さいりたたえた彼を信じることのみであった。

***

太宰は久方ぶりに急いでいた。任務中に身体は走っていることはあっても頭は全く冷静であることが多いため、大股で歩いていて焦っている今に違和感があった。

この仕事では毎日が不規則に動いているため、時間は決めずに資料室に行くとだけ云っていたのだが其れでも昼時はゆうに越しており遅いのは明らかだった。

「なまえちゃん、遅くなって御免!部下に引き止められていたんだ」

遅いと怒られるか、はたまた大丈夫だと云われるか、今迄の経験を動員してから彼女の居る部屋の扉を開けた。

「あ…太宰、さん……?」

返ってきたのはそれらのどれにもあてはまらないものであった。

太宰は彼女の顔を見てきょとんとしてからああ!と手を叩いた。

「記憶なくなっちゃったのかな?そろそろ十日経つものね」

自分のことを忘れられているというのにあっけらかんと笑う目の前の男になまえは戸惑いを感じた。今まで出会ってきた人は殆どがなまえが「覚えていない」というような言動をすると怒ったり、もういいと関係を断たれたからだ。

「ご存知、なんですね、すみません、今日の約束ことは手帳に書いてあったので知っているのですけど…」

「気にしないでくれ給え!わかった上で約束をしたのだから。それで?手帳にはなんて?」

「何とは、」

「君は今私が名乗る前に名前を呼んだ。詰まりその手帳には私の名前や容姿が記されていたはずなんだ。ねぇ、なんて書いてあったんだい?」

矢っ張り背の高い美男子イケメンって書かれてた!?と太宰は興味津々と彼女に問い詰めた。
自分の印象を他でもない彼女自身に聞けるのだからそれもそうだろうか。

「背の高くて」

「うん!」

「右目を包帯で覆っていて黒い外套を羽織っている方と…」

「……抽象的でなくて如何にもなまえちゃんらしいね…」

「その、なんだかすみません…」

太宰は自らがハードルを上げたということに気づいていないようだった。

「これから食事に行く理由とかは?」

「お詫び、とだけしか…あの!私は何をしてしまったのでしょうか…!」

太宰は又もやきょとんとしてから笑い出した。

「ははは!そうだね、じゃあ問題だ。お詫びをするのは私の方だよ。何故だと思う?」

彼女は不思議そうに頭を傾げた。手帳には彼は五代幹部というこの組織のかなり権力を持つ人の一人だと書いてあった。そのような人にお詫びをされる側であるというのはにわかに信じがたい話だ。

「その答えは後で聞こう。兎に角御飯に行こうか!もう昼食なんて時間ではなくなってしまったけれどね」

「はい…!」

なまえはわたわたと荷物を纏めてカウンターを回り太宰のもとへ向かった。
資料室を出て、廊下を歩いていく。なまえが一歩後ろを歩いているのに気づいた太宰はさっきまで急いでたため早歩きになっていたことを思い出し、歩を緩めた。

「時間も検討がつかなかったから予約が必要な店には行けなくてね。今から行くのは私の行きつけの純喫茶だ。店主マスターの作るナポリタンに蟹缶の天日干しをのせるのと絶品なのだよ!」

「待ってください、え、蟹缶の何ですか?」

「天日干しだよ。店主マスターが私のために作ってくれる特別なものでね、噛めば噛むほど蟹の味が出てきて良い調和ハーモニィを奏でているんだ。なまえちゃんも是非どうだい?」

「………太宰さんの分が少なくなってしまうのは忍びないので私は大丈夫です、はい…」
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