幕の裏







三日間続くお城の舞踏会は毎年の恒例行事である。
不思議なことに、最終日になると、節目を感じる。
駆け抜けてきた一年を、思う。










 楽器の演奏とともに複数の仲間たちと歌った。演目は続き、ダンスが始まり、料理がところ狭しと並べられる煌びやかな空間は、毎年のことながら衰えることを知らず盛り上がっている。
 森の奥から、街の中心から、人々が集まるこの行事は、キューレにとって特別だった。毎年のスケジュールの中で最も大きな催しである上、この舞踏会に招かれる"道化師"で居続ける為には、実績が必要になる。手帳の最後の方に赤い印を付けて常に意識し、この日の為に積み重ねてきたのだ。言わば一年の集大成の様な位置付けになるこの舞踏会に賭ける思いは、人一倍大きくあった。


全力で駆け抜けた3日目の中盤、幕の裏


「キューレさん、お疲れ様でした。」


 真っ白いグランドピアノでのソロ演奏を終え、舞台裏の控え室に戻ってきたキューレに声が掛かる。振り返って「ありがとう」と返事をしたが、誰が声をかけてくれたのかも解らないくらい人の動きが早かった。舞台裏はいつだって忙しない。キューレもいちいち返答先を探すこともしなかった。
 自分の荷物の中からタオルを取り出し、浮いた汗を拭う。化粧をしたままだったから、勢い任せてぬぐい切れないのが毎度のことながら焦れったい。その後に水分補給をし、一口分のオリーブオイルを喉に流して掠れる手前の喉裏の補強をする。歌った後は毎回こんなことをしている。生まれ持って喉が丈夫ならどんなに良かっただろうかと思う。とはいえ、この3日間は歌い、演じ、酒を飲む超過勤務だから、どんなに頑丈な喉を持っていても、とうに限界が来ていて可笑しくはない。毎年のことだから慣れてはいるが、年々苦しくなってきていた。


(20代と比べてはいけないね…。)


 キューレは髪をタオルで拭いながら苦笑した。セットアップした髪の流れも御構い無しに一度掻き乱す。この後はしばらく休憩となるから、張り詰めた緊張が解けて開放的な気分になり始めていた。が、
「あ、キューレさんそこのスペース、貰っていいですか?」
 背後から忙しない声を上げながら給仕がやってきて、返答を待たずにキューレの荷物の横に舞台装置を置いた。自分が一息ついている間も、舞台は歯車の様に目紛しく回っている。


「スマンね、もう退くよ。」


 キューレは苦笑しながら自分の荷物ーーー上着とタオルとオリーブオイルの瓶ーーーだけ持って、控え室を出ることにした。一息付いていられる場所ではない。馴染みの役者たち用の控え室が別にあるから、其処で休息を取るのが正しいのだ。乱れた髪を手櫛で治し、インスタントに整えると、控え室から出てダンスホールへと足を踏み入れていく。ホールを経由して廊下に出る必要性があったからだ。
 華々しい舞台の脇、大変目立たないところに設置してある扉から出ると、うまく観衆に紛れられる。舞台メイクもそのままだったが、誰にも気に留められずにダンスホールに出てくることができた。ダンスを楽しむ一行を横目にし、そのまま視線は窓際へと流れた。ロナンシェとクレハがテラスに移動していたのを、舞台の上から見つけていたからだ。


(あの二人は、どうしたやら…)


 テラスを一瞥するが、それらしき姿は見つけられない。上手いこと恋仲にでも発展していれば良いのに。そうなれば次には悪戯心の侭にどんなチョッカイを出してやろうかと楽しみが増える。娼館で遊んでいる仲間の彼が、取り乱す姿は想像するだけで楽しい。クレハにも見せてやりたいと思うし、そのままクレハを取り込んでしまえば色々とこの先に面白いことが待っているのに。悪知恵ばかり働くけれど、張本人たちはカーテンの影に居りキューレの見えない位置にいる。キューレも執着することなく、早々に諦めることにした。視線はそのまま会場の中をぐるりと回る。
 ご飯を食べる事に夢中な者も、談話に花が咲く者もいる。キューレは参加者たちの表情を眺めていた。笑顔があるか、何ぞ困ってはいないか、退屈そうにしていないか。裏方にいると、どうしてもキャストを立てたくなってくる。お節介の発揮どころを探して、ダンスホールを歩いていた。休憩中なのだからわざわざ仕事を増やすような事はしなくても良いわけだが、やはり気にかかるところだ。自分もこの社交場の運営側の人間である。それにキューレが休憩中だなんて誰も知らないのだから、有事の際には働けと言われても致し方がないから、というのも理由になるがそんな固い理由は1割にも満たない。



(嗚呼、やっぱり…)
 そして、やはり詰まらなそうにしている者も、いる。または、相手が見つからないのか。
目敏く見つけると、キューレは歩み寄っていった。手頃なソファに荷物を置いて、ジャケットの内側からトランプを手に取る。
「お暇ですかな?坊や。もし宜しければ、手品など、如何でしょう?」
 首を傾げて微笑む。手のひらの軌跡を描く様に空を流れるトランプの列が、パラパラと音を立てた。





 重々しい蝶番の音が響く。
 キューレが本来の目的通りに廊下に出たのは手品を始めてから40分以上経った後だった。
わかりきった事だ。鳩を出したり、手のひらから薔薇を出したり、トランプの柄がネクタイに模写されていたりすれば、観衆がどんどん増えていく。だいぶ時間を割いたが、退屈そうにしていた”坊や”は、集まってきた観衆の誰かに連れられて行ったので、無事に懸念材料はなくなった。人を集めれば人同士が繋がって新しい笑顔が生まれていく。繋がりが増えることはいつだって見ていて楽しいし、それこそが道化師の使命だと思っていた。とはいえ、疲労はピークに達する。キューレは絨毯張りの内装が美しい廊下を進み、奥へと向かった。
 靴音を吸収する品の良い廊下。複数人とすれ違ったが、特に関与せず進んで角を曲がる。
すると、
 前方には衣装室があった。何ごともなく通り過ぎて、3時間後に用がある場所だ。次の舞台衣装を取りに来なければならない。
「……、持っていくか。」
 至極単純な効率の良い判断だ。通り過ぎるなら今、衣装を取っていけば再びここまで来なくても済む。
キューレは衣装室の前で歩みを止めると、扉を開けて中へと進んだ。ところ狭しと並ぶウォークインクローゼット、服を着たハンガーの隊列の中を進みながら、男性用の一角を目指した。リハーサルでも着ていたものだから、探すことに手間を掛けずに見つけ、おもむろハンガーを外した。


「きゃ」

 キューレは唐突に聞こえてきたか細い声に驚いた。瞬き、手に取ったばかりの服を眺める。
(……?クレーかな…?)
 服を取った瞬間に声、となれば、小さな彼女が紛れていたのだろうか、なんて。先日、帽子の中に紛れていたから、そう思っってしまったのだけれど。だがどこを探してもあの愛らしい羽根は見つからない。服には潜んでいないのだろうか。
「?」
 頭の上に何個も?を灯し、別の服を叩いて原因を突き止めようとする、と、パサパサと服が揺れた拍子にもう一度「やー、」と声がした。見下ろすと、キューレの足元、掛かった服の合間、裾部分に紛れて座り込んでいる女性がいた。頭を抱えて困り眉を携え、頬を膨らませてこちらを見上げている


「……、驚いた。君は確か、…レディ・ベリオかな?」
「そうよ、ベリオ」


 キューレと同じ、白髪に、アンパーカラーの瞼を持った女性は、ベリオだった。前はもっと純白の髪だったと思ったが、日に日にすこしずつ色が付いてきている気がした。アザラシの毛色が大人に変わる様に、彼女もそんな変化をしているのだろう。いつものアザラシ姿とは違い、煌びやかなドレスを纏っているところを見ると、舞踏会に参加していると解るが、それにしても、こんなところで蹲っている理由とは


「お兄さんはたまに見るわ、広場にいる魔法の人でしょう?鳩とか出すやつ!」
「魔法…の人、まぁ、良いでしょう。ならば小生はレディの前でだけ、魔法使いということで。」


 言葉使いが何処か拙い。拙いけれど、大人びて見せている様な不自然さがあった。伏せがちの円らな瞳を持ち上げて貴婦人のつもりなんだろうか。キューレは吹き出しそうになるのを堪えて微笑み、一歩引いて右手を横に流した。出ておいで、と促すよう。
 するとベリオはその仕草を見て、目を丸めて瞬いたが、すぐに立ち上がって、一歩二歩、胸を張って歩いた。ハンガーに吊るされた服の列から出てくると、両手を腰の後ろに回して顎を持ち上げる。ツン、とした出で立ちに何のこだわりがあるかは解らないが、お姫様みたいな立ち振る舞いを意識しているのではないかとキューレは悟った。

「……ご機嫌如何ですかな?プリンセス ベリオ?」

 プリンセス、という言葉を聞くや目を輝かせ、ベリオはうふふと嬉しそうに笑った。ドレスの裾を摘まんで振り回しながらその場でくるりと回る。藍色のグラデーションが入ったふんわりとしたドレスだ。

「ふふぅーん!いいでしょーう。ユリカみたいでしょ!」

 一張羅を自慢してご機嫌に笑うが、あいにくキューレは”ユリカ”が誰か解らなかった。容姿を告げれば検討は付くかもしれないが、ベリオはそんな配慮が出来ない。とはいえ「誰のことかも解らないから感想の返しようがない」などとはベリオの気持ちが削げてしまうので、口には出さず、「そうだね」と告げた。
「ところで、こんなところで何をしているのかな。まさかお着替えをしにきたのかしらね?」
 ここは関係者以外立ち入り禁止の区域で、且つ、ここにある衣装は舞台用なんだけど、とは言わず、やんわりと聞き出すことにした


「そうよ!お着替えをしにきたの。ライカに貰ったお洋服じゃぁ、舞踏会はダメって言うし、アザラシの時のお洋服も飽きちゃったから、お着替えしにきたの!」
「………?何だって?」
「お着替え!お洋服がいっぱいあったでしょ?これが一番ユリカのお洋服の色に近かったから、これにしたのよ。みんな、きれいなドレス着ていたから、私も人間の時にお洋服キレイにしたくなっちゃったワ。」
「………つまり、無断で着ているということかしら。」
「むだんってなぁに?」
「………んー…、まぁ、いいや」


 簡略すると、「着たくなったから無断で借りて着ました。許可を取る云々はよく解っていません」ということだ。キューレも流石に困り眉を作って微笑んだが、叱りつけることはせず、下唇に残した髭を触りながら、考えた。上手いこと、出来ないものだろうか。それにはもっと、ベリオと話さねば


「………うん。それにしても、そのドレスはとても似合っていると思うよ。君に着て欲しいが為にその服は此処で待っていたのかもしれないね。」
「ふぁ?本当?」
「本当だよ。美しいナイトドレスじゃない。深海から水面を見上げているみたいに煌びやかな青だよ。さぁレディ、そのドレスを着て一番やりたいことはなぁに?」
「一番やりたいこと?ふふ、ん〜〜〜〜何かなぁ…」
 ベリオは持ち上げられて気分が鰻登りしていく。指を絡めて夢見る乙女の様に視線を持ち上げてあれこれと”やりたいこと”を考え始めた。やがて楽しそうに んー だの うー だのとうなったあと、ベリオは何かを思い出し肩が跳ね上がるほど大きな声で「あ!」と発した。
「あのね、ヘンリーとカイと、ダンスをしたかったのよ。でもカイはお城に来れなくて、ヘンリーはね、今裏口で待ってるんだったわ!」
「裏口で?」


 ヘンリーとは、…やはり容姿が解らずに顔が出てこないが、カイ、と言われてなんとなく思い浮かぶ顔があった。宿泊施設と飯屋をしている青年だったんじゃないか。大分前から務めていた気がするが、ならばユリカもヘンリーもその仲間なのだろうか。ともあれ、裏口で待つ理由はキューレには解らなかった。故にそのまま疑問を返す


「裏口で、…ヘンリーが待っているの?」
「そうなの!中に入っていいのか解らない?とか言うのよ、!だから私が先に中を見てきてあげるわって言ったの!そしたら楽しくなっちゃって、…ちょっとだけ忘れちゃったんだわ、ヘンリーのこと。」


 衣装室に辿り着くまでの時間は相当に経っていそうだと思った。寒空の下で誰かを待たせているのであれば、キューレも長くベリオを引き止めていられない。キューレはとうとう苦笑を浮かべて肩をすくめた後、解った、と小さく告げた


「じゃぁ早く裏口に戻って、ヘンリーを連れておいで。中は楽しいよ。居ずらくて仕方がないなら、私のところに連れておいで。手品を披露するから。」
「てじな?ひろう?」
「…………、楽しいことをいっぱい見せてあげるから、と伝えておいて。」
「本当?解った!じゃぁ頑張って連れてくる!」


 夏場に咲く向日葵のような満面の笑みを見せて喜び、ベリオは駆け足で裏口の方へ向かっていった。大きく手を振りながら去る姿が見えなくなるまで見送ると、キューレは衣装室のスタッフを呼んで、事情を離し、貸出簿に記帳した。


「……あのドレスって、1着レンタルだといくらだったかな?」
「(とっても高額)です」
「…………領収書を切ってもらっても?2枚に分けて」







***




 金も時間も浪費して、漸く控え室に戻ってきた時には残り時間も3時間を切っていた。
 持ち運んでいたものを片付け、手早く湯に入り、汗と化粧を落として自室に戻ってくると、さらに30分も時間は削られていて、時計の針の進み具合に苦笑した。タオルで髪を拭いながら半裸のまま大枠の窓に近づき、カーテンを閉めようとすると、正面玄関から馬車が入ってくるのが見えた。そして馬車の身の丈と変わらぬ巨体の影も共に見つける。雪かき用の道具を持っているところを見ると、護衛のヴィルヘルムだろうか。パーティにも出ずにストイックに仕事をしている姿には素直に感心してしまった。同時に、やれやれと、肩を竦める。少しくらい楽しめば良いものをと。

「……甘いものはお好きでは、…なさそうかな。年齢的にも宜しくはなかろうか。」

 自分自身も、甘いものはあまり好んで食べない。疲労がピークに差し掛かり、どうしようもなくなった時に甘いものを口に入れるくらいだ。雪掻きもいくらやっても切りがない。少しばかり差し入れでもと思うが、彼の好みは解らなかった。湯に当たったことと、疲労困憊の為に浮遊でもしそうな脳で考えながらカーテンを閉めると、暖炉の傍にある複数人掛けのソファに腰を下ろした。そのまま倒れて、天を仰ぐ。
 高い高い、天井を見上げる。横になったことで脳に血が流れ始めたのか、米神の辺りが熱い。
 視線をずらしてテーブルの上へ流すと、ティーセットと煙管と、手帳が置いてある。他にも手袋や、ペンなどが乱雑に置かれていた。半身を捻ってカップを引き寄せるが、もちろん中身は入っていない。ポットの中も空だ。給仕が持ってくるのを待つしかない。そのまま指先は流れて、コーヒーミルクへ。付け添えのものばかりはたっぷりと中身があった。すぐに飲めないことに落胆し、また仰向けに体を放る。同業者たちが出払っているこの時間が憎かった。こういう些細な手間にこそ、誰かの手が欲しくなる。


『お疲れですわね…?』


 ふと、脳裏に過るのは、懐かしい声だった。


『貴方って、お疲れになると、優先順位の低いところから気遣いが減りますのね…。例えば、物を置く位置。ネクタイの掛け方、それから…』


「手帳の投げ方、煙草の置く位置、だったか…?」


 口で言いながら、腕を伸ばし、わずかながらそれらの配置を変える。ふう、と長く長く深呼吸をして、再び瞼を閉じた。唯一、籍を入れた女はいろいろなことに気づく良妻だった。こうして寝ていれば、頼まなくてもミルクティを持ってくるし、毛布も掛けてくれる。腰を抱こうとすると恥じらって避けたがったが、離れて行こうとはしなかった。5年も前のことだが、この時期にはいつも思い出す。加えて今宵は、この会場で顔を合わせてしまった。毎年、あの塔から出てくることはなかったものを、今年はどういう風の吹き回しだろうと思う。とはいえ、塔の中から出てくることがなかった彼女がこうして出歩くようになったのは、大した進歩だ。5年も経ち、互いに随分と歩み初めて、何が変わったんだろう。
 5年前は分岐点だ。いろいろなことに気づいた。道化師として走り続けた26歳の若造では、納得がいく幸福は手に入れられなかった。どちらが悪い訳でもなかったが、単純に、互いに平行線を辿っていたから。一緒に生きていく上で、互いに歩み寄らなければならない。歩幅の分だけ犠牲となるものを、どうしても手放すことができなかった。
 
離婚を決意する前夜


 常に大衆の真ん中で笑いを提供する道化師は、唯一の愛しい人間に満足のいく幸福を与えられていないと気づく。そして自分自身も、何かが満たされなかった。
 このままでは行けないからと、見直した自分自身の在り方。変わりたいと思い、明日の自分を組み直し、思い悩む日々の、果てにきっとまた、誰かと過ごしたいと願うのだろう。
その時に
 一瞬の感傷ではなくて、生涯健やかにいられる選択を、自分も、この先出会う恋人となる誰かにもさせなければならない。
 そのために、一年、一年、歩みを止めずに続けて

「……あと、3年。」


 あと3年の期日で、本当の節目になる。その時に、
 求めていた自分に近づくことはできるだろか


「………愛しているなんて、気軽には言えないな。」

 キューレは瞼を閉じて、傾き掛ける意識を睡魔に明け渡す。


「……無責任だ。」





意識は微睡みの中に溶けていく。
そして翌日、彼の人を見初めることとなる


fin.




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2015.01.04 旧ブログ掲載済み
ナノ移動に伴い分割していた分を合算しました。





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