結晶に虹を宿す
ウルダハ、宝石の煌めくその街にて。 そこを訪れたのは、カットした宝石を馴染みの相手に卸すためだった。クズ石の山と言われ依頼先で譲り受けたそれは、しかしきちんと検品すれば宝石の原石を多分に含んでいたのである。本当の礫と鉱石を分け、物によっては加工して手放した。それなりの額になったのだから、そもそもあの山を無償で引き取って良かったのかと不安にすら思う。 けれど、受付でそう口にしたら肩を竦められてしまった。分かっている、本当は。不用品の処分を体良く押し付けられたのだ。それでも僕にとっては宝の山だったのだし、言えるならそう、見る目がないと損をするという事くらいだろう。 結果としてそれなりに懐中を潤わせた僕は、休憩を兼ねてクイックサンドで紅茶を飲んでいた。持参した手製のクッキーはモモディにも分ける事で見逃して貰っている。林檎の練り込まれたそれは、ダージリンティーと調和し周囲に香りを満たした。同じものをと注文が幾つか入った様だけれど――まあうん、あれだけの量があれば店に出すにも充分だから、いいんじゃないかな。だってちび、摘みすぎなんだもの。 昨日ちびが大量に持ち帰った林檎はとても三人で処理できる量ではなく、仕方がないので擦り潰してもらった。一部はジャムにし、他は生地に練り込んで焼き菓子を作成したのだ。小分けにしたものは出会った相手に適当に分け――その代わりにクズ石の山を得たりして、大きな包みはクイックサンドに納品されたという訳である。 僕はまたしても入る注文を背後で聞き流しながら、視線を前方へと遣った。そこではララフェルの女性が一人、鏡の前で腰に手を当て立っていた。僕の目がついそこへ向かってしまうのは、 「やっぱこれでしょ! 揺れる情熱の赤い薔薇、これで皆の視線は私に釘付け――ってね」 彼女の独り言がとても大きかったからだ。皆の視線はともかく、少なくとも僕の視線は彼女のものである。 「大輪の花も恥じらう乙女うわきのこ十七歳、ホントは――ごほん、ともかくこれで次の依頼もバッチリだよ!」 彼女がいるのはマーケット側の入り口付近、僕が座るのはモモディからすぐのテーブル席。それなりの距離があるにも関わらず一字一句を聞き取る事が出来る。彼女の声は明朗によく通った。今日はマーケットの方で宝飾品が多く出回っていたから、そこで満足のいくものを見付けられたのだろう。嬉しそうな様子にこちらまで楽しくなる気がした。 しかし彼女の不幸は、浮かれた人間が他にも大勢いたという事だった。そして不運な事にそこは出入り口付近で、不可抗力として彼女の体躯はとても小さかったのだ。 「ねえ、マーケットであの工房の新作出てたって」 「なら急いで行かないと売り切れちゃうよ!」 通り抜けたそれはまさしく嵐だった。若い女性の集団が彼女に向かっていく様を僕の目は捉えていた。しかし視界の高さも向きも異なる彼女はそうもいかない。その衝突は当然起こるべくして起こり、その嵐の後には床に転がったララフェルが一人残されたのであった。 「えっと、その。大丈夫?」 僕は遅ればせながら席を立ち、転がるその子に手を差し伸べた。呆気に取られた様子の彼女は僕の顔と手を何度か見比べ、ぱちりぱちりと白い瞳を瞬く。こてんと首が傾いた。すると同じく白い髪がふわりと揺れて、あぁ、ほんのり金に光る毛先は太陽みたいだ。 「ん? んんっ?」 それから暫く。僕と反対側へ首を傾けたままであった彼女は、数秒待って漸くそれらしい反応を示した。僕が差し出した手に小さな掌が重なる。 「えーっと、ありがとう。えっ、今のなに?」 「彼女たちは随分と慌てていたみたいだ、君の事が目に入らないくらいにね」 「ありゃ〜、周りはちゃんと見ないとダメだね」 私もね、と言いながら彼女は立ち上がった。ふわりと広がるリビエラドレスの裾を叩き、ぐんと大きく伸びをする。逆に僕は膝をついたまま彼女の肘を指で叩いた。小さな傷を星の光で塞ぐ。 「ありがとう! わるいねぇ世話になっちゃって。私きのこ!」 「僕はアルス。きのこは丈夫なんだね。あんなに綺麗に転がったのに、たったこれだけで済むんだもの」 「まあこれでも、私も盾を持つ者なんでね」 ふふんと胸を張る小さな騎士へ、僕はくすりと笑った。僕はどうやらこういう騎士と縁があるらしい。 「ね、きのこ。せっかくなら僕と少しお茶でもしない?」 「もちろん喜んで。はっ! これってもしかして――ナンパ?」 「ふふっ、もしかしたらそうかも? 君が誘いを受けてくれるならそれでいいよ、僕はね」 何となく興味が湧いて彼女を引き留めた。くるくると動く表情が楽しかったから、家族とどこか重なったから。理由は幾つかあったけれど、結局の所はどれでもよかった。せっかくの出会いをこのままなかった事にしてしまうには惜しい。僕も一応は冒険者の端くれであるから、ほんの一時の語らいをやはり愛したのだ。 「美味しいお菓子もあるから、ね?」 故に僕は例の包みを取り出した。リボンで結ばれたそれは林檎の香りで悪戯に揺れる。それを見て顔を輝かせた彼女――きのこの表情で、僕は提案が好意的に受け入れられた事を知ったのだった。
「――というわけ。まあ結局その依頼で報酬は貰えたからよかったけど、まさか木から蜂の巣が落ちてくるとは……やられたね」 「よく刺されずに済んだね? うん、狩も採集も、結局は自然を相手にするのは同じだって事かな」 「その時報告場所でたまたま友達に逢ってさ、この話をしたら即座に危険手当要求してびっくりしたよ。おー怖、さすが魔女やり口が違う」 話す事暫く、そこできのこが一息ついてクッキーを頬張る。一つ、それからもう二つ。凄まじい勢いで消費される甘味。 「あー、美味しい。やっぱり労働の後の甘いものはしみるねぇ。というかアルスくん、こんなに食べちゃっていいの?」 「ん、いいよ。元々作りすぎて困ってたくらいだから」 「おっなら遠慮なく! いただきまーす!」 更にもう三枚が彼女の頬を膨らまし、あっという間にしぼみゆく。 余っていた山はむしろ足りないくらいで、僕はそれをただ微笑み見守っていた。最初の包みはとっくに空になり、持てる全ての在庫を放出した後だった。喜んで食べてもらえるならそれが一番だし、うん、林檎も本望だと思うよ。 飢えた小動物の様にもりもりと菓子を溜め込み、はふぅと息を吐くきのこ。彼女に紅茶を差し出しながら僕は続きを促す。 「きのこはそうやって依頼を受けて生活してるんだね」 「まあね。それで大金持ちになって、毎日たらふくご馳走を食べるって算段よ……ステーキ! ハンバーグ! パフェ! 夢と胃袋は大きくてなんぼだからね!」 すると彼女は、白い瞳に野望の火を灯し力強く頷いた。身内にもこういう奴がいた事を思い出す。今日はハンバーグを作ろうと密かに心に決めた。 きのこ然り、家族二名然り。己の望む結果に向かい突き進む人間と僕は相性がいいらしい。それは勿論やり方は問うけれど、何にせよ、目標をもって事に臨む姿が眩しくない訳がなかったのだ。 しかし悲劇の第二幕は、僕が心を許した頃に始まりの一音を奏でたのである。 「まあなに、それはそれとして、盾を持つ者としてもうちょっと頼り甲斐のある感じになれればと思ってるんだけどね、私も」 この手にあるのは守る為の盾だ。だから次は大きめの依頼を、と彼女は耳に手を当てた。そこでは大輪の赤い薔薇が揺れている。彼女は小声で依頼の内容を教えてくれた。彼女もまた僕を信頼してくれたという事だ。 曰く、後日ウルダハのパーティ会場へ忍び込み、違法取引疑惑のある人物を釣り会場の外へ誘導するのだという。成程、その手の依頼は僕も得意分野だから彼女の狙いは理解できた。いかに疑わせず相手の目を己に向けるか、その戦略が全てなのだから。 とはいえ結局それは武力行使と裏返しであるから、潜入が危険である事に変わりはない。相手を警戒させない容貌と有事の際の実力が求められる。人を選ぶ依頼であるから報酬もそれなりになるのだ。 上手くやれば要人警護などへの橋渡しにもなる。騎士として着実に経験を積むにはいい選択だと思った。 しかし、彼女の計画はその時点で既に綻びていたのだ。 「まあイヤリングは必要経費ってことで我慢して、それで上手く行けば儲けもんって――え」 「――ぁ、」 ぽろり。それは呆気ないまでにあっさりとその花弁を散らした。きのこが触れた指先から薔薇が崩壊する様は、皮肉にも人間の散り際と同じ色をしていた。ついで金具に罅が入り、かちゃりと音を立てて計画は机上へ墜落したのであった。 「え、う、うそぉ!? 高かったんだよおこれぇ!?」 そんなばかな。叫ぶも現実が変わる訳ではない、しかしこれがどうして叫ばずにいられよう。 初期投資への失敗。これが彼女の身に起きた悲劇の概要である。 「もっ、もっかい買う……? いやあ、無理でしょ。さよなら私の賞与ちゃん……儚い命だったね」 彼女はしょんもりと肩を落としてその残骸を追悼した。そんなきのこを僕は軽く突く。振り向く彼女の白へ微笑んで見せ、それ、と悲しみを指差した。 「ちょっとだけ、見せてね。……あぁ、君これ騙されたかも。今日はマーケットの方が賑やかな様だけど、こういった催しが開催される時は、粗悪品を高値で売るような業者が紛れ込むこともあるから」 「だっ、だ、騙された!?」 「うん、転んだ程度の衝撃で壊れてしまうくらいは脆かったようだし。ほらこの金具の所――普通、こんな風に割れたりなんてしないよ。花の処理も甘かったみたいだね」 「そんなぁ……」 見る目がないと損をするとはつまりこういう事でもある。僕はふと先程嵐のように通り過ぎて行った少女たちを思い出した。彼女たちのように浮かれすぎても、また目の前の小さな勇者のように気張りすぎても、狭窄した視野では見えるものも見えなくなってしまうのだ。 「失敗したなあ。また別の作戦を考えなきゃだね」 わかる人に聞けばよかった。それか、言える人に頼ればよかったのか。きのこが財布の中身を確認しながら眉を下げる。 「でも。でもね、きのこ。君はある意味ではとっても運がいいよ」 「えっ、つまり?」 「つまりね、僕は彫金師でもあって、君に似合うものを用意できる――ってこと」 「つ、つまり、作ってくれるってこと!?」 「ん、そういうこと」 その顔があまりにも切なかったから、そしてそれが可能であったから。つまりはそう、僕はこれを悲劇のまま終わらせる気などまるでなかったのだ。 僕の提案が二度めの場面転換を齎す。幕が上がり、きのこがぱあと花咲くように笑った。遠慮のないその顔は明るく朗らかで、純粋な喜びがそこにあった。 うん、君はそうでなくちゃね。そして折角作るのなら、君の願いにあったものを、そして今後も君に寄り添えるものを。 僕は鞄から幾つかの材料を取り出した。彫金道具を手に細かな金具を一から作り直して、ふと思い出し無属性クリスタルの欠片を袋から摘み上げる。譲り受けた山の中の、礫ではないが宝石にもなりきれなかったもの。値段のつかなかったそれは色を持たず静かに沈黙している。無価値と言われた抜け殻を僕は小さくカットした。途端宝石の様に光を反射する。価値のないものだなんて、言わせない。それを幾つか金具へ繋いでゆく。それから道具を錬金に持ち替え、純白の花を加工した。最後に仕上げれば、ほら。 「はい、どうぞ。お気に召すとよいのだけれど?」 彼女の耳に白が咲く。白く気高いトリテレイアイヤリング。少々元の意匠より手を加えすぎた気もするけれど、それはそれ、これはこれ。似合うのだから、それでいいよね? わあ、と声を漏らしてきのこの手が花と触れ合う。誇らしげに咲くそこから垂れ下がる装飾の先では、無属性クリスタルが屈折する光を反射してゆらゆらと輝きを放っていた。それは朝露の零れる様とよく似ていた。 それからきのこは身軽に椅子から飛び降り、始まりの場所へ駆けて行った。同じように鏡を見遣ると、彼女は勢いよく僕を振り向き、しかし立ち止まり辺りを確認してからまた駆け戻ってくる。 「すごい! ありがとうアルスくん! 気に入ったよ、これなら――うん、間違いなく皆の視線は私に釘付けだね」 「それならよかった。やっぱり身に付けるなら、その人に似合ったものでなくちゃね」 僕はそんな彼女へくすりと笑う。 「ねえ、きのこ。君はトリテレイアの花言葉って知ってる?」 「え、知らないけど……?」 「あのね、」 ――守護、ていうんだよ。 それはとびきりの内緒話を明かすかの様に。 僕は小さく囁いた。するとほら、宝石が二つ交錯する。 「へえ! いいね! 盾を持つ私にぴったりだねえ」 「ふふ、そうでしょう。小さな勇者さん」 一つはターコイズ・グリーン。もう一つは未完成の、白。 僕を見返す瞳は、まだ何者でもないクリスタルと同じ可能性を宿し煌めいている。 ふわりと髪が揺れ、彼女の仄かな金がクリスタルを淡く染めた。それはまるで属性を宿したかの様に幻視させ、美しい。柔らかな大地の色。やがてそこに彼女自身のエーテルが込められる日が来るのかもしれない――爆発的なエーテルの奔流、それが必要な事態にはならぬ方が良いのだけれど。 けれども、彼女は守る者だから。いつかそんな事件が起きたとしても、盾である彼女をどうか守ってくれますようにと願いをかける。 「よっし、これうさたろくんに自慢してこよ〜っと。じゃあねアルスくん。私頑張るよ!」 再び椅子から飛び降りたきのこがひらひらと手を振った。僕は黒い革手袋に包まれた手を同じようにひらひら返し、柔く微笑む。彼女はにっかりと花咲き、扉へと駆け出してゆく――。 風に揺れる、何者にも染まらぬ白。これから何色でも描ける、無限の可能性を秘めた器。 それは埋もれ、磨かれなければ道端の小石である。けれど一度磨き上げられれば、眩いばかりに輝きを放つものなのだ。 ここはウルダハ、宝石の煌めく街である。 今日も僕は訪れた先で原石に出会う。林檎と紅茶の香る午後。結晶が虹を宿す、そんな柔らかな昼下がりの物語であった。
[ 26/118 ] [mokuji]
|