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その旅路に祝福を



 秋の日は短い。昼間は蒼く澄んでいる空は、太陽が転がり落ちるとすぐにその表情を変える。木の葉の隙間から差し込む光は赤みを帯びた橙で、振り返ればもう星が瞬き始めていた。そんな宵の入りの事である。
「久しぶりだね、アルス。元気にしてたか――なんて、君にはちょっと愚問すぎるかなぁ」
「久しぶりだね、エリィ。僕の方は普段と変わらないよ。君と一緒でね」
 ひらり、手を振る。にこり、笑みが返ってきた。嘘つきと詰れば、くすりと悪戯に肩を揺らす。その人は二年ぶりに会う家族だった。
 アルスとエリィ。血の繋がらない家族。今は違う道を歩み世界さえ分たれた存在。しかしずっと気にかけてきた相手だ。久しぶりに少し会いたいと連絡を取った。難しいと思われたそれはあっさりと承諾され、こうして逢瀬は叶う。
 彼に指定されたのは夜の始めであり、昼の終わりだった。夕方というには更けすぎて、宵というには闇が浅い。それはかつて見守ったあの葬送を思い出させた。あれからもう、二年だ。
「エリィは全然、変わらないんだね」
「アルスはすごく、変わったんだね」
 そうかな、と彼は微笑した。そうかもね、と星が瞬く。見慣れた色だった。けれど宿る温度がまるで違った。彼はもう以前とは別の存在なのだと、それで思った。
 そう、あれからもう二年分の経験が降り積もったのだ。
 再会はやはりこの土地、グリダニアのカーラインカフェである。時間はともかく、此処が森であったのは必然というものだろう。かつてその家族が物語を紡いだ舞台なのだから。
「ね、何か食べる? 僕が出すから、好きなものを注文して」
「ううん、私が払うよ。君に出させたんじゃ、今日私がここに来た意味がない」
「――え、」
 ぱちりと不思議そうに花緑青が瞬かれる。カップを片手に首を傾げたその顔はあどけない。
 彼は美しい硝子の前でそれよりずっと絵になった。歳を重ねる程に震える睫毛がより繊細な光を帯びていく。無垢な幼さと香り立つ妖艶さはまるで毒だ。あてられる人間が憐れでならない。まあ、私には関係のない話だけれど。
「えって何。まさかアルス、今日がいつか覚えてないの?」
「ん……? あの、僕は君との約束を何か忘れてるかな?」
 店員にココアを注文しながら、気まずそうな歳上の弟を見遣る。孤児院で家族として育てられたのは自分の方で、年齢は彼の方が僅かに上だ。分かっている。しかし彼は変な所で抜けていて、体が弱くて、天然なのだから仕方がない。面倒を見てやる他にないではないか。そうそう、だから君は弟だって言ってるんだよ。
「全く、アルスは変わったくせに変わらないね。君さあ、今日誕生日でしょ。祝う側が払わせてどうするの?」
「――ん。成程、そうだね?」
 ぱちり。また花緑青が瞬かれる。どうやら完全に忘れていたようだ。
「今の家族から何も言われてないの?」
「あぁうん、そういえばね、今日はちゃんと帰ってくる様にって萬里が。ちびも何か言いたそうだったけど、依頼に間に合わなくなるからそのまま置いて来ちゃった」
「言わせてあげなよおめでとうくらい」
「だって仕方ないじゃない。僕は忘れてたし、萬里は後でいいやって思ったんだろうし、ちびは中々口に出さないし。時間がなかったんだもの」
 言いたい事があるなら躊躇わず伝えればいいのにね、相手を傷付ける内容でもないんだから。
 そのあっさりとした意見は萬里とひどく似ていた。この人は優柔不断に見えて、必要とあらば苛烈な線引きを辞さない冷酷さを持っていた。
 彼が躊躇うのは、相手が不利益を被る時だけだ。一時的に傷付いてもそれが最後は役に立つと思えば、泣く子供にすら鋭い言の葉を突き立てるだろう。家族であるからこそ知る、彼が隠している一面。しかしそれは、真に相手を思うからこそなのだ。己に付随する評価には無頓着なまま、時に彼自身の想いを不必要と切り捨てながら、その飴と鞭は振るわれる。
 本当に、本当にそういう所だと思う。ため息をついて見せるも、彼はまるで気にした様子もなくエーテルの小瓶を割るばかりだった。無感動な瞳。昔は隠れるように行われていた動作が、しかし現在は至極当然といった様子で為される。遠慮や躊躇いがなくなった。彼の意思は最早固く、同時に以前より己に頓着していない様子で――それはとても、よいとは思えないのだが。
 言ったところでどうせきかない。そういう性格ばかりが変わらないから厄介なのだ。だから。
「ほらアルス。お誕生日おめでと! 贈り物はこれです」
「ありがとう、エリィ。開けてみても?」
「どうぞ。でもまあ、洒落たものではないよ」
「そんなこと――って、んん、これは実用的だね。素直に助かる」
「ケーキとか焼いても、体調によっては食べられないでしょ。ならこれが一番いいと思って。どうせアルスは今日も一度くらいは吐いてるんだろうから。こんな時間まで動き回ってるんだし」
「あはっ、流石だね、僕の家族は?」
 なあにが、流石だね、だか。
 遠回しな肯定に肩をすくめ、投げやりにココアを煽る。冬が近付く季節の変わり目、毎年寝込んでいたのを忘れたとでも思っているのだろうか、この大馬鹿者は。
 だからこそ、この贈り物を選んだというのに。
 得意の裁縫で作成した袋の中に、彼が先程煽ったのと同じ小瓶が二十。誕生日の贈り物としては無骨すぎる。しかしそれでよい。情緒も何もあったものではない遣り取りは、確かに二人が同じ屋根の下で価値観を形成した事を示していた。
「二十歳だね。アルス」
「そうだね。まさかこんなに生きられるとは思ってなかったかな」
「自分で言っちゃうの?」
「だってそうでしょ? 殆ど床から起き上がれない様な時期とかもあったんだし。そうすると、うん、何だか感慨深いね」
 その台詞は内容を裏切り、まるで他人事の様に中空へ放り出された。そしてくすくすと肩を揺らすのだ。全くもって笑い事ではないというのに。こちらの心配はいつも軽くとられてしまう。
「そっかあ、二十年かぁ。ねえエリィ、僕はあと何年生きられると思う?」
「明日の天気みたいな言い方で訊かないでもらってもいい?」
「実際そんなものじゃないの、僕ら英雄として生きる者の明日なんて。一度頁を捲れば筆はもう止まらない。今日と同じ物語は続かないし、命は簡単に掌から転がり落ちていく」
「だからこそ今を生きてるんでしょ、アルスは」
「ん、そうだよ。故に君もね、エリィ」
 ふわりと蕾を綻ばせ、供花が咲いた。己を焚べることに躊躇いのないその人は、しかし確実に己の物語を生きる人だった。
 彼は贈り物から一本を引き出して割る。ぱりん。音を立てその命を繋ぐもの。そこに込められた願い。
「――生きて。生きてね、アルス。そのために私は君を広い世界へ連れ出した。あと十年でも、二十年でも、生きてね」
「ふふ、努力するね?」
「……この頑固者、分からずや」
 どこ吹く風な相手へ、あの日と同じ台詞を投げ付けた。それは彼に掠りすらしなかったけれど、この願いが届かなかったなんて言わせない。
「ここに君の生を願う家族がいる事、忘れないで。十年後は三十本。その次は四十本。その命を繋ぎに来てあげる」
「あはっ、なんだか誕生日の蝋燭みたいだね。成程、君が僕の篝火の守人を務めてくれるという訳だ」
 そんな家族に囲まれて僕は贅沢ものだね、と彼は笑った。それで彼が今の家族にも愛されている事を知る。しかしそこは幸せ者というところだろう。本当に、本当にこの人は。
 まあ、その説教は他の家族に任せるとして。
 ひょいと椅子から飛び降りる。空になったカップの横へ硬貨を置いた。ほら、家へお帰り。きっとそこでは、彼の命を心から祝す相手が待っているのだから。
「またね、アルス」
「またね、エリィ」
 再会は短い時間で、別れの言葉はそれだけだった。しかしそこには万感がこもっていた。
 そう、理解している。一度頁を捲れば筆はもう止まらない。今日と同じ物語は続かず、命は簡単に掌から転がり落ちていく。そんな事は承知の上で、それ故に会いに来た。そして別れゆくけれど。
 またね。そう相手に願いをかけた。それは祝福である。暮れる空、流れる月日に、降る光へと。闇を照らす花緑青。その旅路を愛している。だからねえ、今を生きる君へ。
 君が紡ぐその物語が、どうか一行でも長く続きますように。



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[mokuji]











 


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