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森から出でて、森へ至る。




昔々、あるところに。
 暖かな陽だまりの揺蕩う午後、きぃとリビングの扉を開ける。するとそこでは、俺のお姫様が優しく微笑むのだ。
「おかえり、ちび。今日は早かったね」
 星の瞳を持つ俺の天使は、百合の香りを纏い気高く咲く。振り向いた彼の顔は穏やかで慈愛に満ち、俺を包んだ。
「ただいま、ししょー。あれ、萬里は?」
「納品に行ってる。あとね、お使い。そう経たず帰ってくるから、そのあと皆でお茶にしようね」
 彼は青いミトンを嵌めた手をぽふりと合わせた。可愛らしい音を立て小首をかしげる様が、あぁ、なんて愛おしい。
 俺はその花に誘われ、ふらりと側へ寄る。いつも百合を纏う俺のお姫様からは、これでもかというほど甘く優しい香りがした。
「アルス、これ、百合とりんごと――ラベンダー?」
「ふふっ、正解。よく分かったね? ちび、あんまり鼻がよくないのに」
「う、うるさいやい。俺だってこれくらいは分かるんだぞ!」
「そうかなぁ、ふふっ、そういう事にしておいてあげようかな?」
 くすくすと笑む師はひどくご機嫌で、鼻歌を歌いながら焼き上がった菓子をバスケットへ移していく。白い花の飾られたそこへ美しく繊細な焼き菓子が並ぶ様は、なるほど職人の技に違いなかった。
 俺はカウンターに腰掛けて、彼のやたらと上手い歌に耳を澄ませる。ここまで素直にはしゃぐ姿は珍しい。楽しげな挙動の一つ一つが香りを纏い、俺の良くはない鼻を刺激する。柔らかなハーブと果物と百合。明るく静かな森を思わせるそれは、どこか故郷の景色を想起させた。
「僕の家が昔ベントブランチの近くにあったんどけどね、久しぶりにお墓参りにいったら、帰りにたくさん林檎を頂いたから」
「ああ、近くに趣味でやってる人が居たなあ。だからジャムにしたんだ。ししょーって、ほんと甘いもんすきだな」
「ちびだって好きでしょ?」
「アルスほどじゃないよ」
 アルスと俺、実は故郷がかなり近いんだもんな。
 会話をしながら思い出す。よく果物をくれる女性がいたはずだ。人の好意は嬉しいから、彼がご機嫌になるのも分かる気がした。
「じゃあ、ラベンダーは?」
「ハンドクリームと、あと作り置きをちょっと。君の分もあるよ」
「そっか。ありがとー、ししょー」
「どういたしまして、僕の可愛い弟子」
 可愛いのはお前だよと心中でだけ返事をし、優しく彼を見守る。くるくるとよく動く小柄な天使はすぐに無理をするから、様子には気をつけてやらないと……それにしても。
「百合と、りんごと、ラベンダーか。ほんと、お姫様みたいだな」
「ん、何か言った?」
「なぁんでも」
 そう、と彼は首を傾げて。
 調理師であり錬金術師でもあるアルスからは、よく森の香りがする。見れば、今日もポプリ作りに勤しんだ様でソファーの前の机にはいくつも小さな袋が並んでいた。これが後で全員の衣装箪笥に仕舞い込まれるのだから、頭が上がらない。
 加えて窓辺にハーブが吊るされているのは、使った分の補充だろう。きっと帰宅した萬里が消費した分の素材を持ち帰る。そうしたら仕分けくらいは付き合おう。
 けれど今だけは、俺がこの昼下がりを独占できるわけなので。ちょっとくらいの意地悪くらいはしてみたくなってしまうのだ。
「アールス、そっちのオーブンで今焼けたのはなんだ?」
「こら、お前は料理できないんだからキッチン立ち入り禁止!」
 途端にぷぅと頬を膨らませる姿が欲を煽る。二人称が変わる瞬間の、少し機嫌の悪そうな窘めも可愛らしくて好きだなんて、そんなことを言ったら師匠は拗ねてしまうのだろうけれど。
「ほんと、甘くていい匂い。ししょー、お菓子みたいだ」
 懲りずに後ろから低く囁くと、目に見えて彼の背がぴくりと震えた。耳が僅かに下を向く。はは、可愛い。そう、俺のこの声であらぬ事を連想させるくらいにはもう長く側に居る。騎士はお姫様のおそばに、例え報われなくてもそれが幸福だ。
「可愛いお菓子のお姫様。たーべーちゃーうーぞ!」
 それでもたまには牙を剥く。さあ、俺を御してみろよお姫様?
 がお、と格好つける俺の前。愛しの姫君は赤くなって視線を彷徨わせた。俺はまっすぐに森の瞳で星を貫く。
「っ、う――ほら、食べるならこっち!」
 アルスは逃げ場を探して俺の口に菓子を詰め込んだ。ジャムが乗ったバニラのクッキー。口の中に広がる果物の香り、部屋に満ちるラベンダーの香り、目の前でさく芳醇で玲瓏な百合の花。
 この幸福を愛している。
 美味しい、と俺はその象徴に告げた。嬉しそうに笑う顔もまたあまりに食べ頃なものだから、結局欲望のまま唇に齧り付く。激しく貪り、優しく啄んで。砕ける腰を腕で支える。小鳥が止まり木で囀る様に、俺が唯一でなかったとしても、それでも。
「ねぇ、アルス。うまいんだけど、でも、ししょーも食べたい」
「っあ、はぁっ、は……、ち、び」
 ――ねぇ、だめ?
 出会ったばかりの頃を思い出させる様なおねだりで、しかし育った情欲を多分に含ませた声を吹き込んで。彼が纏う甘い香りに、俺のスパイスの辛味が混ざり込む。
「あっはは、アルスの顔、りんごみたいだ」
「もぅ、……ばか」
 彼は顔を真っ赤に染めたまま、潤む星で俺を見上げ、そして、それから。


 ふわり、窓から優しく風が吹き込む。イシュガルドの短い春。木の内装は柔らかく家族を包み花が咲く。
 果実と香草、それを纏う百合の花。雪降る街に森が在る、そこが俺の帰る家。幸福の象徴。森から出でて森へ至る物語。



 昔々、あるところに。暖かな陽だまりの揺蕩う午後、きぃとリビングの扉を開ける。するとそこでは、俺のお姫様が優しく微笑むのだ。
 そんな美しい、物語。




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[mokuji]











 


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