虚像と万華鏡 ☆後
★前編
***
はらりはらり、雪が積もるよう時計の針もまた進む。
あれから一月程経過したある朝。やはり開幕は蒼天街のその工房にて。 その日は孤児院前のオブジェのささやかな完成披露宴を予定しており、男は己の工房の前に小さなテントを設営していた。 一応露天商のつもりで、食器やら宝飾品やらを展示していく。ふむ、まあ大体これでいいだろう。肩を回して周囲を確認すれば、同じような店が通りにずらりと並んでいる。蒼天街を活気付けようと有志たちが集った結果だ。 この企画は職人たちの自発的な企画として国に認められ、なんと今日はわざわざアイメリク議長殿がスピーチに来るとの事だ。なんたることだ、こんな大事になるとは。まあなる様になるだろう。たぶん。 正直な所、不安がないとは言えない。なにせ、なにせだ。 これだけでも男の手には余るというのに、なんと議長殿はかの英雄殿にも声をかけたらしい。竜詩戦争の英雄殿は、孤児院の子供達とも良好な仲だという。そんな民草と英雄なんて御仁が交わるなどあり得るのか不思議でたまらない。いやはや、本当なのかそれは。 そんな話に街は浮き立ち、一目でも議長殿とかの高名な英雄殿を見たいと既に人でひしめいていた。スピーチまではあと少し、予定箇所は警護に当たる神殿騎士と場所取りに必死な民で隙間もない。 一方男は工房の前、娘のフローラは朝から孤児院の子供と遊び回っている。彼女はその首に瞳を守り、耳には何も着けていなかった。それは在るべきところに収まったので。 すいと視線を高台へ移す。人がひしめいてなお見えるその場所。男が見守る先には、先日出会った星の彫金師を思わせる黒猫がベンチに寄り添っていた。モニュメントをそうあるように望んだのは子供達だ。その耳には娘に授けられた緑のイヤリングが接合されており、それが余計その人を思わせた。望んだ娘もまた彼を重ね見たのだろう。まるで星の様な。 思いを馳せる男の元へ、客が一人。 「ゴードンさん!」 男――彫金工房のゴードンは顔を上げた。目の前に新品の鎧を身に纏った騎士見習いが立っている。耳におそろしく精巧なイヤリングを装備したその男は、星の彫金師アルスが示した客だった。 「おぉ、レックス。その様子だと完成したみてえだな」 「おかげさまで、さっき受け取ったばかりです。この祭りに間に合ってよかった。記念と節目には相応しいですからね」 そう言って騎士見習いのレックスが嬉しそうに笑う。ゴードンは背中を軽く叩いて労った。雪で冷えた金属と皮のワークグローブが優しい音を立て場を彩る。 「似合ってんじゃねえか。見習いにはなれたんだっけか?」 「いえ、それはまだで。今日この祭の後でも門戸を叩いてみるつもりです」 「そうか、頑張れよ」 ふむふむと頷き破顔する若者を眩しく見やる。 顔見知りだったレックスが星の彫金師の客だと知り、あの日は大層驚いたものだ。実直に働くその若者が騎士を目指していたとは寝耳に水で、しかしその動機を聞けば応援したくなるというもの。ゴードンは伝手で幾つかの工房を紹介し、先程完成品が揃ったという訳である。 「そういやレックス、お前さん仲間はどうした。一番に見せてやらなくていいのか? 金を稼いで協力してくれたって言ってたじゃねえか」 「実はそれなんですけど、いま調達隊が狩に出ていて、それが少々問題だとかで。この催しに出す食肉が、予定より人が集まったので不足しているんです。それで、うちのメンツは一応戦えるからと弓やら槍やらを持って加勢に行きましたよ。普段より手こずっているとか……心配ではありますが、信頼もしているので」 そろそろ戻ると思うんですけどね、とレックスが不安げに言った。見れば確かに、調理を受け持つ工房はまだ慌ただしい。スピーチの後はささやかながら立食パーティーだ。間もなく始まるそれに間に合うかはかなり怪しいだろう。 「まあ、パーティーは俺たちの打ち上げみたいなもんだ。多少遅れてもどうってこたぁねえよ。それよりも無事に戻ってくれるといいんだが」 「本当に。こういう時に英雄様がいてくれればって、つい思ってしまって。情けないですよね……、叶えばこれから守っていく側になるのに」 「そこは格が違うんだ、憧れと現実は違うんだろうよ。それにしても英雄か、どんな奴なんだろうな、そいつは」 ゴードンはまた猫の像へ視線をやり、その人を思い浮かべた。英雄がどんな人物かは知らない。終末で助けてくれた勇士たちが、実は世界を救った暁の血盟であるという事は後に伝え聞いた。 しかしその中心にいる英雄と呼ばれる相手には結局会えず仕舞いだ。未だ見ぬその人は、きっそさぞかし逞しい英傑な者なのだろう。 けれど、自分にとってそれが誰かというのなら。 「俺は英雄ってやつはしらないが、俺にとっての英雄にはもう会ったからな。それでいい」 「そうですか。確かに自分も、これぞ英雄と呼べる様な相手になら会ったなぁ」 その人は、花緑青の瞳を持っていて、流星の如く現れた。 「星の彫金師」 「破天荒な採掘師」 二人は声を揃えて異なる言の葉を放った。そして顔を合わせて笑う。ゴードンは豪快に、レックスも日頃の態度の割には粗野な笑い方で、空を割る様に。 思い浮かべるのは、星の瞳を持つ一輪の百合。 「あの小僧、採掘なんてやってたのか? あの残念な筋力で?」 「わっはは、で、ですよね。一応、飲料の蓋はあけられるらしいです」 それが同一の人物を指すと知り、二人は暫くその場で互いの出会いを語りあった。成程それは確かに、同じ人物の異なる側面を鮮やかに切り取った物語だった。 「……で、ここまでバイクで帰ってきたんです。せめて何か襲ってきたら戦おうと思ってたのに、自分にはあれだけ群がってきたものが一匹も近寄ってこないんですよ。バイクって凄いですね」 欲しくなっちゃって、でも流石に手が出る金額じゃないですよ。そうレックスが肩をすくめる。普通はそんなもの入手出来ない。民間人はチョコボポーターにお金を払っているくらいである。 「まあ、なんだ。本当にとんでもない小僧だな、アルス・セルティスってやつは」 そうゴードンがぼやいた時だ。 「アルス・セルティス? 知り合いか?」 ちょうど露天を通りかかった男が会話に割って入った。蒼天街で暮らす職人の一人だ。 「あぁ。ちょっとしたな。小僧がどうかしたのか?」 「どうかって、小僧って、いや随分だな」 確かに星の彫金師殿を呼称するには随分だが、本人に怒られていないのでいいのだ、それは。 そんな事よりも、と男が言う。 「ここはイシュガルド、竜詩戦争のあった国だ。そしてここは蒼天街、英雄殿の尽力で成り立った様な街だな。ここは彼と縁が深いから、顔や名前を知っている奴もそれなりにいるって話さ。俺は知り合いじゃないけど」 ほら、おいでなさった。 そう男は高台の方を指差した。顔を輝かせて群衆へ突っ込んでいく。そんなに見たいならここの方が却ってよく見えるのだが――少しでも近くへ行きたいという心理がそうさせるのなら仕方ない。 残された二人は示された方へ視線を向け。 「――は?」 ゴードンは思わずそんな意味のない音を中空へ放った。その光景の意味を図りかねたからだ。 神殿騎士達がかろうじて守った通路を歩いてくる一団があった。先陣を切るのは我らがアイメリク議長殿。 その後ろからエレゼンの双子と、帝国の制服を身に纏った若者。そこまではいい、まあ分かる。 問題は議長殿の隣、白いコートの美しい青年である。 「なんていうか、見覚えがある奴が来るんだが」 「そ、そうですね。だっていや、そんな、まさか」 答えるレックスの声も震えている。それはそうだろう、何せアイメリクへ気安い様子で声をかけるその人は、つい先程まで名前を挙げていた人物であったのだから。 アルス・セルティス。 ある時は破天荒な採掘師として、またあるときは星の彫金師として、二人の前に現れた不思議な青年。 彼はアイメリクの少し後ろで止まり、ベンチへ寄り添う猫を見て目を見開いた。そして照れた様に笑う姿には妙に信憑性がある。なんのって、そりゃあ。 暫く議長殿のスピーチが続いた。我々民草にとってはあまりにも雲の上の人だ。それだけに、やはり緊張してしまう。 イシュガルドからそういった垣根が消えつつあるとはいえ、やはり貴族と平民という立場の差はそう埋まるものではない。 現に支援を持ちかけられた時、かろうじて出来たのは謝意を伝えて頷く事だけだった。本当に、色々な意味で心がふるえた。 それなのに控えて立つ彼の、威風堂々とした姿といったら。 アルスは当然といった風にそこに居た。気負う様子も緊張した面持ちも無い。ただ楽しくて仕方がなさそうに、しかし静かにそこに存在している。だからやはり、彼は。 「あっ、わっ、ちょっと! アイメリク、押さないでってば。わかった、わかったから……! 話せばいいんでしょ、もう!」 未だ硬直から解けぬ二人の耳に、あの柔らかな声が飛び込んできた。アイメリクに腕を引かれ、次いで背中を押され、舞台の中央に立たされたその人は。 「――アルス・セルティス、か」 「あの人が、英雄――」 英傑たるもの、玲瓏に咲く星の守護者。 自然と口から感嘆が溢れる。どうやら、知らぬうちに随分な相手と縁を結んでいたらしい。 まさか英雄だなどとは思わず、けれど思い当たる節もある。 冒険者として手慣れた様子に見えたのも、獣が寄り付かぬのも、全てが当然だった。彼は英雄、強者である。獣は己より上位の存在に牙を剥かない。本能が彼らに教えるのだ。近寄れば命はないという、明白な自然の理を。 しかし壇上の彼はどこまでも静謐に、穏やかに。夜空を彩る星のように瞬くのだ。 一人一人に、その隣に、寄り添うように。 それでも、彼こそが竜詩戦争を終結に導いた英雄である。この終末を砕いた英雄である。呆然としたままの二人へ追い打ちをかけるように紹介が流れた。 そしてその人が口を開く。 「ええと、あの。皆に一言って事なんだけど、僕はこういうの柄じゃなくて」 途端、後ろの双子のうち片方が、何いってるんだこいつという顔で肩をすくめた。それをもう片方が窘める。視界の端に収めたのだろう、アルスの耳がぴくりと動いた。あの表情は少々ご機嫌斜めに違いない。 彼は存外分かりやすく、そこがまた親しみを持てるのだ。 「だからその、柄ではないんだけど! 僕が思った事、感じた事、決めた事。そんな個人の在り方でも、それが誰かの背を押すというのなら。この場を借りて僕はそれを語ろうと思う」 仕切り直しと言わんばかりに始まった彼の話だったが、そう宣言する頃には完全に場を惹きつけていた。決して大きくない柔らかで甘い声は、しかし圧倒的な覇気を以て舞台を支配するものだ。 それは、工房で感じたのと同じ威圧感。 「そもそも僕は単なる一個人で、特別な誰かとして生を受けた訳ではない。ここに居る全ての人と変わらない、普通の人間なんだ。だから僕と君の間に垣根はなく、遺恨もなく、価値の差もありはしない」 遺恨がないっていうのは僕の願いなんだけど。そう悪戯にくすくすと英雄が笑う。 「僕の手では全てを救う事などできない。何もかもが上手くいくという事はなく、選択には常に犠牲がついて回るだろう。故に、僕を恨む誰かの存在を僕は承知しているし、何かを選ぶときに捨てられる何かをも、決して忘れはしない。だからこれは僕の願いで、同時に、僕がそう在りたいと目指す姿でもある、と先ずは述べておこうと思う」 それが竜詩戦争に伴ってイシュガルドに齎された混乱を指す事は容易に理解できた。彼によって平定されたこの争いは、しかし新たな火種を生んだのだ。それもまた事実で、彼は臆することもなくそれを口にするのである。 「そう、不意の悲劇は多くあった。そしてきっとこれからも。喪った者、斬り捨てるしかなかったもの。痛みは僕らそれぞれの内にあり、時に膿み、眠れぬ夜を齎すだろう。その絶望の末に待つものを僕らはもう知っている。先の終末はまだつい昨日の出来事で、多くの混乱と悲しみが世界を覆った。それでも、なお」 そこで一度彼は言葉を切り、静かに煌めく星を伏せた。胸の前でそっと握られた手が僅かに震えているのが分かる。あぁ、痛みがそこにある。彼はそれを静かに悼んでいる。 誰も言葉を発さなかった。これだけの人数がいて、誰もその凪を乱さなかった。誰もが胸中の痛みを悼んだ。そうさせるだけのものを、その英雄は持っていた。 やがて長い睫毛が上がり、百合が花開く。 「それでも、尚。僕たちは生きて此処にいる。痛みは僕らが歩んだ道の証明そのもので、その傷は人間の強さそのものだ。それはきっとね、完治する事の無い傷だよ。けれど、癒えぬ傷はない。僕らは創傷の絶えぬ道を征く。流した血は始点を示し、岐路を分け、人生という物語に於いて、その傷の数だけ君を前に進ませるだろう。君がまたその意志で立ちあがろうとする限り、何度でも」 強い光だった。星が全員を射抜く。 「そしてその限り、僕はその傷に寄り添うと誓おう」 夜空だった。苦難満ちる暗闇の中で輝き、導となるもの。我らが英雄は星として瞬きそこに在る。 英雄アルス・セルティスの言葉は、工房で聴いたそれと本質を同じくしていた。だからこそ言葉に宿るものは真実だと理解出来た。彼は心底願い、誓い、歩んできて、今此処に在る。 故にその台詞は重みを持ち胸に落ちるのだ。 わ、と会場が沸いた。途端に活気が満ちるそこで、打って変わり照れたように微笑む英雄を見遣る。 全く、柄じゃないとはよく言ったものだ。これだけの啖呵を切っておいてその顔はなんだ、お前は。 拗ねて見せたり、照れてしまったり。かと思えば相手を怯ませるほどの覇気を纏う。角度により変化するその光。 まったく、本当にとんでもない。 その在り様に肩をすくめた、その時である。 壇上の彼がまた纏う空気を変えた。後ろの双子を振り返りもせず呼びつける。同時に蒼天街入り口付近で悲鳴が上がった。 駆け込んでくる狩人の一団と、それを追う無数の牙。その牙を折らんとさらに後ろから剣を手に追い縋る神殿騎士。 「おい、なんだぁこりゃ……!」 「何で獣が街の中に!?」 ゴードンは呻き、レックスは声を荒げた。一体何が、何だってこんな事に。 狼の群れと鳥が、逃げる人を追いかける形で街に雪崩れ込んで来ていたのである。 ささやかな、しかし豪華な客人を迎えたその広場は一瞬にして混乱に飲み込まれた。人混みが事態を更にややこしくする。 人波を割りアイメリクが統率の乱れた神殿騎士の方へ駆けてゆく。その後ろを帝国の制服の若者が追いかけた。忙しない。 喧騒の中心はこちらへ逃げて来る一団。獣は彼らを追い迫る。これでは街の中心まで誘導しているようなものだ。一箇所に固まっていた人々は方々に逃げ惑い、祝祭さなかの蒼天街は混沌の様相を呈していた。 「どういう事だ、これは」 「――どうやら、彼らは獣の縄張りの奥を暴いた様だね。子供でも仕留めてしまったのかな」 「ッ、小僧!」 「こんにちは。ゆっくり挨拶をするには、ん、ちょっと場が騒がしいね」 ひらりと手を小さく振ったのはかの英雄で、ゴードンは驚きに肩を跳ね上げた。いつの間に隣にいたのか。 「収穫を焦りすぎたのと、急ぎすぎて血を纏ったまま自然の中を歩いた事と――いけないな、討ち漏らした終末の獣が混ざっているみたいだ」 冷静に場を分析する瞳は翠に煌めき、最早隣を見ていない。彼は視線を戦場と化した街から外さないまま淡々と告げる。 「さて、僕から君たちに一つお願いがある。僕はこれから、あそこ――そう、あのライン。あそこからこちらへ、格の違う獣を入れない様に防衛網を貼ろうと思う。けれど既に幾らかはこちらに入り込んでいる。君と、それから君。民間人の所までは行かないよう引き付けて欲しい。出来る?」 肯定以外はありえないという問い掛けだった。それは依頼の形をした指示である。確かに騎士は獣の更に奥、警備にあたっていた街中の騎士は民間人の誘導で人手が足りない。そしてこの付近に散った獣はよく見慣れた、それこそドラゴンヘッド周辺にいるものとさして変わらない。 ならばこの盾役を活かす他にないと。それは理解できるが。 「騎士見習いのレックスはまだ分かるが、小僧、俺はどうしたことだ」 「え、だって君、戦えるでしょう。その手のマメ、彫金でつくものじゃない。何かもっと、大きくて重いものを振り回す様な――例えばそう、斧とか、ね?」 はあ。自分は民間人としか思えないような手をして、他人にはそのいい草か。 ゴードンはため息をついて肩をすくめた。全くもってその通りだった。昔海賊であったその過去を、この英雄は星の瞳で見透かしていたのである。 だからここまで駆けてきた。 「仕方ねえな。英雄殿がそう言うんなら、応えるのが男ってもんだ。いやー、久しぶり、久しぶり」 「ふふ、そう言う割にはよく磨かれているんじゃない?」 「そりゃあ金属は何だって磨くさ。ここは彫金工房なんでな」 「んん、そういうものなのかな」 「あぁ、そういうもんだ」 ヤカンと同じさ。そんな戯言にくすりと彼が笑った。崩れた日常の中、あまりにも平静と変わらない。その調子にこちらまで整ってゆくから、やはり彼は英雄なのだと思い知った。 「さあ、大暴れだな」 倉庫から素早く引っ張り出した斧を担ぎ、英雄アルスの右隣に並ぶ。 英雄はそこで初めて後ろを振り返った。そこではレックスが立ち竦んでいる。 「また会ったね、あの日の採掘師さん。君の夢は、どうやらあと一歩の所まで来たみたいだ」 ふわり。場にそぐわぬ程鮮やかにアルスが笑んだ。やはりそれはあどけなく、それでいて怜悧な、百合が花開く様な姿であった。 その視線に絡め取られたレックスが肩を跳ね上げるの見て、ゴードンは密かに同情した。あれは何の覚悟もなく合わせていい目線ではない。 「エッ、あ、あの時はありがとうございました! それにその、インゴットに装備まで。どうお礼をすればいいのか……」 「ううん、いいの、気にしないで。君が無事ここまで来れた事を嬉しく思うよ。そして願わくば、君が鍛錬で磨き上げたその力、今僕に貸して欲しいんだけれど?」 お礼はそれでいいよ、と英雄が言う。それはお姫様のお願いであり、王の命令に他ならない。そうすればやはり、応えねば騎士の名が泣くのだ。 「う、承りました。いまこの盾を、貴方のもとで守るために使います!」 覚悟を決めた顔で剣を抜き盾を掲げたレックスが、その英雄の左隣に立った。 それじゃあ、と彼が革手袋に包まれた細い指先を美しく前へ差し伸べる。 「僕が前方へ向かうタイミングで、今僕を警戒して止まっている獣も動き出すはず。君たちはそれをここで留めてほしい。すぐに戻るから、その間僕に力を貸して」 「あぁ」 「はい!」 ぱしゅんと軽い音を立てアルスのコートが黒く変わった。掲げた大剣は暗黒騎士のもの。片手剣、両手剣、斧が並び立ち壁を築く。 堅牢なる守護を受け持つ、人理の城塞。 美しくコートの裾を靡かせるその立ち姿は玲瓏として、彼自身が一振りの剣であるかの様に思わせた。 その後ろから、怪我人の治癒を行いながら駆けてきた双子が辿り着き指を差す。 「ちょっとあなた、それもうしないって言ったじゃない!」 「だって、今はこれが必要な力なんだもの。えっと……、ごめんね?」 「知ってるんだから、そういう顔をしている時は、ぜんっぜん、悪いと思ってないんだって! 知ってるんだからー!」 「アリゼー、落ち着いて。けれどアルス、私たちをここに呼んだという事は、何か策があるんだね?」 「うん、策というか、お願い……、なんだけど」 お願い、と口にした途端その言葉は頼りなく尻すぼみになる。弱々しく下がった目尻と眉が彼の躊躇いを如実に語っていた。反対に双子は顔を輝かせる。 「そんなの、なんだってきくわよ!」 「勿論だとも、だからそんな顔をしないで。さぁ、君の望みはなんだい」 「えっと、あのね、少しでいいから――僕に、」 声の明るい調子に勇気付けられるように、エーテルを、と彼は望みを口にした。その声は僅かに震えていた。しかし杞憂だ。やっと分かったのね安心したわ、と双子の片割れが笑う。英雄はばつが悪そうに微笑む事しか出来ていない。 そうしていると、穏やかで押しに弱い青年にしか見えないというのに。 双子がアルスに向かい手を差し伸べ、柔らかな光が彼を包み込んだ。その光が強まるのにあわせて、隣にいるのがつらくなる程の力がアルスから立ち昇る。儀式めいたお願いが遂行された。そうすればほら、紛れもなくそこに立つのは英雄なのだ。 「ありがとう。――それじゃあ、いくね」 地を駆ける英雄と続く者たち全員をエウクラシア・ディアグノシスのバリアが包み込む。続いてエンボルデン。頼もしい支援を受けて、これで負けてなどいられない。 先頭のアルスが大剣を振り下ろした。次いで高く跳躍。雪が降り始めそうな曇天を漆黒の波動が割った。その狭間に滞空する星。 「――冥界を統べるもの、星海を揺蕩うもの。刻の彼方より来たれ、この座に於いて星よ集え」 静かな詠唱が上から降り、赤と黒のヴェールが円形に街を覆う。ダークフォース。暗黒騎士の守護の力は彼自身のエーテルで強化され、獣を内へ寄せ付けない。 それでもその間に入り込んで来ていたものを釣るのがこちらの仕事である。ディフェンダー、さぁ、支度は整っているぞ。 飛び込んでくるスノウウルフ・パッブにトマホークを食らわせ引き付ける。そのまま隣のもう一体をオーバーパワーに巻き込んだ。次だ。 反対側ではレックスが同様に二体の狼を相手取っている。シールドロブ、トータルエクリプス。動きに危なげはない。程なく死体が積み上がる。問題はなさそうだ。 更に中央を赤魔道士の少女が突破した。コル・ア・コルの突進、その一突きで確実に仕留める。正確で強烈な一撃。 もう一度バリアが全員を守護する。故にまだ駆けられる。そう、まだこれからだ。 さて。我らが英雄殿は空から降りてきて、とん、と静かに爪先と石畳を触れ合わせた。白く変わったコートが眩しい。羽根のように軽やかで、天使のように儚くも英傑なその姿。僅かに浮いたその身体は――あぁ、天球儀に込められたエーテルが彼を天へ連れて行こうとしているのだ。 「開け天の扉、星よ降れ――我がもとへ」 闇の守護を残したまま、黒の内側を青が塗り替える。一面の星空。光が弾け降り注ぎ、小さな煌めきが街中の人を癒す。占星術師の奥義、星天開門である。 いつの間にか皆が動きを止めその人を見上げていた。あれ程混乱していた街は、今や丸ごと一つの舞台だった。一つの星、ただそれだけが眩い舞台。それはなんて遠く――それでいて、隣に寄り添うもの。 完璧に着地した英雄はそれでいて止まる気配を見せず、ついと視線を滑らせた。その先には柵がある。柵の向こうは空だ。そこを境に街が一段さがり、下の街区では外から来た狩人の一団が追いつく獣に手間取っているところであった。 「ん、あとちょっとなら大丈夫――かな?」 そんな不穏な呟きを残して英雄は駆け、軽々と柵を踏んだ。まて、まさか。飛び降りるのでなく跳び上がる。また、空へ。 追い付いた側からこれだから堪らない。全く、追いかける側の人間の事も少しは考えて欲しいものだ! 「続き降れ。天翔ける矢、その威光を此処に」 静かな声が淡々と詠唱を繰り、代償の様に光が溢れた。 かつん。空へ跳ぶ英雄と引き換えに小瓶が三つ落ちる。ぱりん。それは静かに割れて跡形もなく消えた。その音を掻き消すかのように、天から数多の矢が降り注ぐ。英雄は黒いスーツに身を包み弓を携え、爪弾くようにその粛清を奏でるのだ。 息もつかせぬ速さと密度で矢が獣を貫く。サジタリウスアローが一瞬で獣の群れを討滅した。見事という他にない。 英雄が地面に帰還した。もう残るは禍々しい見た目の獣だけだ。終末の残滓がそこで猛威を振るわんとしている。 「さあ、仕上げだよ。君たちをこれ以上中へは通せないから――悪いけれどその命、摘ませて貰う」 静かに英雄が告げた。矢をつがえ、ぴいんと弾く。それは光を纏い獣の眉間へ突き刺さった。そこへ全員で追い付く。 続き右隣からフレアが包み込み、その反対側ではフレグマが爆ぜた。光の奔流。その上からシャドウバイトが最後の足掻きを縫い止めた。ぱりん。小瓶が割れ、静寂が訪れる。 容易く訪れた静寂に再び場が沸いた。近くにいた狩人の集団は涙を流して英雄を讃える。彼は小さく微笑んで礼をとった。美しい仕草だった。 しかしその一団から少し離れたところで。 「あれ、皆どうしたんだ。こっちへ来ればいいのに」 レックスがそちらを見て呟いた。街の入り口に近いところで固まっているのは、彼の年上の家族たちだったからだ。 レックスが仕方なさそうに肩をすくめた。この騒動で腰を抜かしてしまったのだろうという顔で駆け出す。その真横を。 ひょおんと矢が風を裂いた。 それはレックスの真横を通り、立ち尽くす一団を掠めるようにして、しかし決して触れず、その背後の鳥を撃ち落とした。 更に背後で事後処理をしていた神殿騎士が残した最後の一体だった。アイメリクの姿もそこにあった。 国家の長たるものと、世界を掌中に握るも同然の英雄と。 そしてその狭間に、その背後に、力無き民が佇んでいた。 レックスが振り返る。ゴードンが英雄を見遣る。弓を構えたその姿はどこか冷たく、星は凍てついた冬と似ていた。 それは戦闘終了と共に雪解けを迎えるとその場にいた者は全員知っていたけれど。 「ぁ、あ、ぁ……」 花緑青が見据えた先にいる、三人の震える狩人にはその限りではなく。 彼らは恐怖に怯えた目で英雄を見ていた。がらん。音を立てて武器が石畳へ落ちる。震える足で一歩後退り、そして。 「あ、アルス・セルティス……ッ!」 一番年嵩の男が、英雄の名を唸るように吐き出した。それは呪いと似た響きで寒空に溶ける。だが星には手が届かない。 呼ばれたアルスがゆっくりと弓を下ろした。しかしその武器を消す事はなく、瞳には凶星を宿したまま。 一人と、三人。分かたれた温度、その狭間でレックスが彼方と此方を見比べている。 「なあ、皆どうしたんだよ。英雄が助けてくれたんだ。助かったんだぞ」 彼の顔には笑みが浮かび、しかし見守る先の家族には恐怖しかない。怯えた目は星に縫い止められて動かなかった。一番星は微笑まない。 昏く毒を孕む花緑青。 「――あぁ、そっか。うん、そんな事もまあ、あるよね」 伶俐な横顔のまま彼が小さく囁いた。その声に色はなく、あらゆる感情を削ぎ落として鋭かった。 その声に思わず背が震える。怒鳴ったわけでもない、拳を振り上げたでもない、ただ視線を受けてそこに立つだけの彼の。日常で見せていた姿とは違いすぎる、摘み取る者の烈しさが。 自然すぎるまでの姿で纏う、違和感すらあるその覇気が――恐ろしい。 「ねえ、君は、どっち? 僕の記憶が正しいのなら、君は」 英雄の独白は隣にいるゴードンにしか届かない。どちらでも構わない、彼の突き放す様な台詞が聞こえると共に、目の前では哀れな獲物が更に一歩後ずさろうとし――いや、踏みとどまった。 かわりに、狩人の震える手がしかし真っ直ぐに英雄へと伸ばされた。あいつが、そう、あいつが。そう言わんばかりの動作であった。 「英雄――、アルス、セルティス。その名前は、その人は……そいつは」 そして今この時、全員が知る。 「あの最後の晩餐の後に。オヤジを、殺した男だ」 彼の白く柔らかな両手が、真実血に濡れている事を。 「オヤジは討伐隊に追われて――榎の射手に斃された。アルス・セルティスが、オヤジを殺した……!」 この人殺し。顔見知りの騎士の家族が発せなかった一言は、しかし確実にこの空間に突き刺さったのだ。 頭上を覆っていた闇が晴れ、星が消える。空は遂に泣き始めた。温もりを残したそれは酷く中途半端な優しさで、白に成りきれず体温を奪う雫となった。 「――そうだね。僕は君たちの顔を知らなかったけれど、その男の話なら身に覚えがある」 歓声は止んでいた。静かで淡々としたその声には誰をも責めておらず、しかし明確な威圧感を持っている。 「そう、盗賊の頭を討伐したのは――君たちの家族を殺したのは、この僕だ」 ざあと音を立てて現実が降る。冷たい雨、貫く言葉。 英雄は様々な顔を持つ。英雄は人を救い、国を救い、星を救い、輝きを纏いそこに在る。 そしてその光には、必ず影が存在するのだ。 「それで? 今それを此処で指摘して、君はどうしたいの? 復讐で僕を殺すの?」 ゆっくりと英雄は言った。それは道に迷った旅人に問うかのように。或いは幼子が親に教えを乞うように。 静かで華やか、冷ややかで穏やか。その声にはあらゆる矛盾が含まれ、彼の真意を読み取らせない。 「確かに君たちは追い詰められていたんだろう。ベントブランチの街に火をつけて目立ってしまい、その後派手な動きが出来なくなった。飢えても稼ぎ頭は行方不明だ。うん、そうしたら、目立たず誰も知らない所で、それでも有るところから奪うしかないよね。仕方のない話だ。君たちの養い親はその条件を満たす場所を知っていた。だから奪った。愛する者の為なんだもの、仕方ないよね。そうでもしなきゃ生きていけないものね。――でも、それが何? 僕には全く関係がない」 歌う様に柔く英雄は言った。彼が歩き出す。その姿が白に変わった。荒れ始めた風に翻る外套がドレスのように美しい。彼はその舞台で踊る。姫君の如く、それでも王の覇気を纏いながら。 「そう、知らないよ、そんな事。それで奪われる謂われなんて、僕らには全く無かった」 レックスと狩人の中間で英雄が足を止めた。その距離から星がかつて賊であったものを射抜く。 石畳に溶けそうな姿は、しかしどこまでも異質で噛み合わない。平坦に凪ぐ声、透明な吐息。静かなる烈しさ。 「榎の診療所は患者を選ばない。その素性も問わない。ただ平等に癒しを与え、その生命を掬い上げる。見返りは望まない、感謝されなくてもいい。それでも、だから殺していいなんて事はない。君たちの養い親がした事は殺人で、君たちがしてきた事はその幇助だ。こんな当たり前の事を今更僕が言わないといけないの? はあ、馬鹿みたい」 ――それとも、理解ったうえで僕にそれを言うの? あは、と英雄が声を出して小さく笑った。それは自嘲と嘲笑の狭間で歪に咲く。 「当時の僕はまだ十五に満たないくらいで、あの日は両親の結婚記念日だった。贈り物を持って帰宅した僕を待っていたのは、一様に胸を切り裂かれ倒れ伏す家族と、暮れる空に溶ける様に燃える家だった。誰も生き残れず、何もかもが燃えた。誰のせいかはすぐに分かった。少し前まで匿っていた怪我人が野党であった事を僕たちは知っていたからだ。知っていて咎めなかった。その優しさは仇で返され、僕はあの日全てを失った。ねえ君、自分たちだけが悲劇の中で生きてきたとでも言うつもり? 笑わせないでよ。そんなのは何処にでも転がっていた物語でしょう。僕だってそうだ、そう、君たちのせいでね。あの穏やかな時間はもう存在しない。僕は家族の仇を憎んだ。殺してやろうと思って、討伐隊に立候補した。そいつは弓を携えた僕を見て分かりやすく怯えた。うん、見知った顔があったんだもの、復讐されるって分かったんだろうね。なら始めなければよかったのに――なんて綺麗事は、でも僕には言う権利くらいあるよね? ……ん、あぁそう、それからタムタラまで追い詰めたんだ。そいつの息の根を止めたのは、君の言う通り、僕の矢だよ。僕は大義名分を背負い、正義の名の下にそれを執行した。矢にたっぷりの憎しみを乗せて弦をつまびいた。真っ直ぐ額へ向けて」 とん、と黒い革手袋が白い額を叩いた。一撃だったよ、と英雄が笑う。 凶星が向けられる先で、三人の告発者の顔が歪んだ。その中心、一番年上の男は当時の状況に一番詳しかったのだろう。握る拳が目に見えて激情を表している。 「ねぇ、僕が憎い? 僕を殺してやりたいと思う? 思うよね、君の目はそう言ってる。まあそれはそうだよね? 分かるよ――あはっ、うん、よく解る。僕は憎くて堪らなくて、縋る様にその殺意に従った。僕が行ったのは討伐ではなく復讐だって、僕はそれを認めている。つまり君にもその権利があるって事を、ねぇ、僕は認めているんだよ?」 だからほら。英雄は両腕を広げた。雨の中に慈悲の微笑みが降る。その舌で地獄へ誘う台詞を吐きながら、天の使いの様に優しく囁くのだ。 だから、ほら。僕は此処にいるよ、さあ。僕を殺すんでしょう、ねえ。 その響きは甘やかに、 「そうしたいのなら、どうぞ? ――やれる、ものならね」 しかし何処までも鋭く。 とすり。言葉が相手の胸に突き立った。微笑みが最後の駄目押しだった。 「ッ、ぁああァアッ!」 男が駆け出す。その勢いのまま振るわれる拳。避ける事など容易いであろうその感情に任せた一撃は、しかし確実に彼の柔らかな頬を打った。 どしゃり。柔らかくも重い音を立てて英雄が地に叩きつけられる。英雄は一言も発しなかった。暴力を振るう男が彼に飛びついて馬乗りになっても、何も言わなかった。 嫌な静寂が場を支配していた。陰鬱な冷気が肌を刺す。 雨が降る。額を擦ったのだろう、物言わぬ英雄は顔面から血を流し、その赤が透明に地面へ滲んでゆく。 灰の雨天、黒い石畳。汚れる白、広がる赤。 そこに新たな雫がふる。後からあとから大男は涙を流し、英雄の胸ぐらを掴むのだ。 「オヤジは! あいつは底辺のクズだったかもしんねぇが! 俺たちにとっては家族だった……ッ、家族、だったんだ!」 それでもやはり、星は黙り込んだまま。 これ以上は見ていられなかった。沈黙を貫いていたゴードンはついに歩き出し、その後ろから双子が駆ける。やがてレックスの隣で足を止めた。そこから数歩の場所に悲劇がある。 「俺たちが望んだわけじゃねえ、なんで俺たちが石ころみたいに生きるしかねえんだ、なんで、なんで、なんでだよ!」 どうしてこの運命の元に生まれてしまったのかと。暖かな屋根の下から零れ落ちた者が、奪う他生きる術がなかった者が、奪われた唯一の幸福を想い嘆く。 願いは恨みとなり、恨みは刃へ変わった。懐から取り出される鈍色の――。 それは、それだけは駄目だ。 ゴードンは前に出た。待てと言葉を発しようとし、しかし叶わない。双子の兄が小さな身体でそれを制したからだ。彼は静かに首を振った。どうか見守って欲しいと、その瞳は明確に意思を譲らなかった。 振り返れば、妹の方も唇を噛み締めて拳を握っていた。自身の力で割入れない悔しさを何とか消化しようというその姿を見て、ゴードンも踏み出した足を戻す。 英雄との付き合いの長い者達がアルスを信じると言うのなら、自分がそれに倣わぬ理由などない。 故に舞台は、英雄が描いた脚本通りに進む。 「かえしてくれ、なぁ、かせえよ……ッ!」 とすり。刃が英雄の胸に突き立った――いいや、肩口へずれている。何かが男を踏み止まらせたのだ。 刃の半分ほどを肩に埋めながら、英雄はやはり何も言わなかった。顔を顰める事すらない。痛みなど感じていないかの様に、耐えるでもなく。 ただ静謐に、玲瓏に英雄は空を見上げていた。白いコートに鮮血を滲ませながら、そんなものは存在しないと言わんばかりに穏やかなまま。 雨が降る。広がる血が水に溶け、狩人の膝を濡らし、レックスの鎧を汚した。 「ッア、あ……」 沈黙の末に小さな呻きを上げたのは、加害者の方だった。 溢れた呻きは嗚咽に変わる。蓋をした感情をこじ開けても己の何が変わるでもないその現実は、男を打ちのめすには充分過ぎたのだ。 火を見るより明らかな稚拙な復讐は、それでも男にとっては必要な一歩であったのだろう。しかしそこから立ち上がれなくなってしまった。 英雄に跨り閉じ込めたまま男が泣く。勢いに任せども結果何も成せず、鉄の匂いを纏わせて震えることしかできない哀れな姿がそこにあった。 そんな男に向かい、英雄の細い指先が向かうのだ。 「ねぇ、気はすんだ……? これで君の器は満たされた……?」 アルスが流れる涙を掬い上げながら、柔らかく囁いた。男はただ首を振る。ちがう、こんなつもりじゃなかった。その声無き答えを英雄は拾い上げ、ふわりと微笑むのだ。 「うん、そうだよね。君は大切なものを想っただけで、誰かを傷付けたい訳じゃなかったんだよね。分かってるから、ほら、泣かないで」 男はその言葉に目を見開いて英雄を見た。刺されたとは思えない、先程まで詰る様に笑っていた相手とは思えない、そんな彼のあり様に。 「……どう、して」 「――ん、怒ってないよ。寧ろ、僕が怒らせちゃったよね……ごめんね」 星は闇の中で光る。苦悩と悲哀の中でも瞬くもの。憎しみと怒りにさえ寄り添うもの。 慈愛に満ちた、聖母の様な星の瞳がそこに在った。 「それに、傷付けちゃったよね。それもごめんね。心が痛かったでしょう。それは僕では癒してあげられない傷なのに、爪を立ててしまった――でも、それでも。君は知らなくちゃいけないと思って。君がしたことは、僕がした事と同じだから。君がそれを理解していないということは、君がまだ歩き出せていないって、そういう事だと僕は解釈したから、だから」 言いつつ英雄は起きあがろうと上体を起こす。そこで初めて、ん、と小さく呻いた。利き手側の肩にある憎しみの象徴は、彼が腕を上下させたことで新たな血を吐き出している。 「ご、めん。あの、ちょっと退いてくれると嬉しいかな」 「ッ、わ……わるい、その、俺は」 狩人が華奢な肉体の上から飛び退いた。その顔には別種の恐怖があり、男の心が解けてしまったことが一目で分かった。 それはそうだろうと思う。可哀想に、違う角度から心を折られてしまったのだ。厳しさと優しさが継ぎ目なく襲い来る感覚には経験がある為、つい同情してしまう。 この男はもう煌めく百合を憎めない。蠱惑的なまでの在り様はいっそ毒のようで、心が絡め取られるまではほんの一瞬なのだから。 「んっ、ありがとう。ふふっ……もう、そんなに慌てなくてもいいのに」 ふわりと星が笑う。花緑青の瞳が柔らかく弧を描いて――だから、それが。それが毒だというのに。 心が緩んだ頃、英雄は役目を終えたと言わんばかりに威圧感を抑える。となれば彼はもう脆く儚い青年にしか見えず、そんな人間が己の行いの末今にも倒れそうな様子でいれば、怒れる者すら正気に戻らざるを得ないのだ。 もしこれが全て計算の上だとしたら、彼はなんて恐ろしい存在なのだろう。 その英雄は真っ青な顔のまま、気にしないでと小さく吐き出した。けほと小さく咳込む姿が痛々しい。 「分かってる。わかってるから、大丈夫――僕は、大丈夫だから、ね?」 アルスが小首を傾げながら、細い指をナイフの柄にかける。彼はずるりと引き抜いたそれをさりげなく後方へ弾いた。双子がそれを即時確保する――あまりにも、慣れている。 同時に彼は小さく指を振った。その動作で星が煌めき、彼の額の傷が跡形も無くなる。おそらく肩口も同様だろう。起きた事件を物語るのは、残された鮮血だけだ。 「……ぁ、う――、」 傷が塞がると同時に、しかしその小さな身体が大きく傾いだ。だれもが彼に駆け寄ろうとし、彼自身にそれを阻まれる。大丈夫とアルスは再度呟いた。彼は自分で起き上がり直し小瓶を煽る。こほりと咳き込んで、その手の平を握りつぶした。まるで何かを隠すように。 その星は遠く手が届かない。手を届かせてなどくれない。ぱりんと音を立てて想いは割れた。 「えっと……、その。皆、そんなに心配しないで? 僕は大丈夫だし、それに、わかってるから」 彼は結局一人で、けれど立ち上がる事はしなかった。背筋を伸ばし地面に座り込んだまま、周囲の人々を見上げる。 「僕はね、こういう事があるなって、それも含めて分かっていたから――大丈夫。言ったでしょう、僕を恨む誰かの存在を僕は承知しているし、何かを選ぶときに捨てられる何かをも、決して忘れないって。僕は常に誰かの願いを摘み取り、誰かの想いを踏み付けてこの道を征く者だ。……うん、ちゃんと分かってるよ」 分かっているから大丈夫。彼は再度繰り返した。事実に他ならないであろうその台詞は、繰り返されるたびに胸を焼いた。この嘘吐きと、そう詰れればどんなにか。 それはおそらく、彼自身さえも。 「僕は君たちを恨まない。それはね、やっぱり当然家族を殺した奴は憎い、この事実は変わらないけれど――今ここにいる、前を向こうとしている君たちを憎むのとは、また別の話だから。僕は既に君たちの背景を知っている。奪う側でしか在れなかった嘆きを聞いた。それでも大切なものがあった事も、また進もうと決めたその心の向く先さえも、今の僕は知っている。そう、余所余所しい故郷の味と共にね。うん、あの……、僕だって、何も思わない訳じゃないから、大丈夫、君の嘆きは僕に届いたよ。僕は本当は英雄なんて柄でもなくて、さっきも言ったけど、君と同じ単なる一個人なんだから。その怒りも、悲しみも、綺麗事で塗り潰すつもりなんてない。でも、その過去を消したいなんてもう言わないって、僕は決めているんだ。心が折れそうな夜があっても、それでも、復讐から始めた僕の旅は確かに世界を変えた。君たちは生み出す側として日々を生き、守りたいという次の願いを育んだ。ならばそう、僕はあの日の僕を責めないし、目の前の君たちを恨んだりもしない。今僕たちが此処に在るのは、全ての過去の選択に因るんだろう。それを運命と呼ぶのかもしれないけれど、それを切り拓くのは紛れもなくこの両手なんだ。君のその傷が、いつか強さに変わるようにと。僕はそう願ってやまない――だから、」 ぽつり、ぽつりと。考えながら発せられたであろう彼の言葉が、優しさと哀しみを孕んで降り注いだ。 アルスという脆弱な一個人は、しかし紛れもなく統べる者の光を宿し雨天を見上げる。 雫は彼の柔らかな頬を濡らし、つうと白い肌の上を滑り落ちた。涙を流さぬ彼に施されたその化粧が切ない。 大丈夫。囁くようにもう一度溢れる言葉。 英雄という肩書きがアルスという若者に蓋をする。彼自身の傷は他者に寄り添う為だけに開示され、決してそれ以上踏み込ませないのだ。 天高く煌めく星、高潔な百合の花。 ぱりんともう一つ彼へ向ける想いが割れた。手を差し伸べることすら許されぬまま、英雄が立ち上がった。 「そう――物事には常に裏と表があり、自分が属する側は常に正しいものと思いがちだけれど、誰にとってもそうとは限らない。誰かを詰れば己にも同じものが返ってくる。それは世の真理で、それ故に僕ら一人一人が御していかなければならないものだ。君もまた同じ様に。君のその痛みは決して無くなりはしないだろう。君のその傷は今の君の核であり、痛みを知る君は優しさを知る。その傷を無かった事にしてはならない。どんなに痛くても、その傷は自分で抱えなければならないものだよ。誰かを傷つける刃に変えないで。途端それは君の中に空虚な怒りを生むだろう。けれどそれと向き合う限り、穏やかな時間はいつだって君の隣にあるんだ」 そうでしょう。確認するように彼が微笑む。その目線の先に、今なお生きる男の家族。 あぁと男が言った。静かな面持ちだった。簡潔な返事はけれど男の全てなのだろう。もうその手に凶器はない。そしてこれからもう二度と、握られる事はないのだ。 そういう世界に、英雄が変えた。その手を赤く染め、深く傷付いた心を隠したまま。癒される間もなく創傷の道を征く覇者。その奥では儚くアルス・セルティスという星が瞬く。 その星までは遥か遠く、光は地平を明るく照らす。 血の繋がりのない家族の真ん中でレックスが頷いた。実は英雄よりも歳下の彼は、とてもそうは見えない体格の良さで胸を張った。彼は家族を愛し、己に誇りを持っている。故にもう道を違える事はない。その辛酸は舐め尽くした後なのだから、だからこそ。 もう既に次の道へ走り始めているレックスは、未来へ芽吹いた若葉なのだ。 その時、みゃあとか細い鳴き声が全員の耳に届いた。みれば、アイメリクの近くで痩せっぽっちの黒猫が震えている。 「あっ、おまえ、ちび!」 レックスが声を上げた。みすぼらしい黒猫は、最近レックスがこの辺りで面倒を見始めた野良だ。小さいからちび。学のない自分では名前を付けることさえ難しいのだと、店で話していた姿を覚えている。 その黒猫の元へ未来の騎士が走る。辿り着いた先、彼はそっと子猫の側へ盾を傾けて置いた。震えるその体が、これ以上雨に打たれぬようにと。 ひとつ、それからもうひとつ。降り注ぐ涙の先に世界がある。小さな優しさを生んだ、夜明けの物語に祝福を。 気付けば皆が穏やかにレックスを見つめていた。そんな若者の側へアイメリクが歩み寄り、レックスは飛び上がって覚えたての礼をとる。それから。 「あの! 俺――、自分は騎士になりたいんです! 守れる人になりたいんです! だから!」 朗々とした声が空を割る。雨足は弱まり、国の長が柔らかく笑んだ。告げられる歓迎の言葉。あぁ、やがてはこの曇天にも虹が架かるだろう。 見守る人々の中、隣で英雄が目を見開き、そして笑う。 「っ、黒猫の……ちび? ふふ、そっかぁ。ちびかぁ」 「どうしたんだ、小僧」 「あのね、僕が個人的に面倒を見ている子がいるって言ったでしょう? 彼はね、ちびって名前の騎士見習いで――そのちびへ贈る装備の制作のために出向いた砂漠で彼に会ったんだ。そうしたら、最後に出ててくるのが、ふふっ、黒猫のちびなんだもの! ふふっ、あははっ!」 おかしくて堪らないといった様子でアルスが口元を覆った。柔らかく星が弧を描き、出会いの日に思いを馳せ語る。 例えば砂漠で、或いは彫金工房で。今隣にいる存在。 こんな事ってあるんだ、と彼が言う。おかしな奴だった。それを言うならこちらの台詞だろう。工房に訪れたのがなんと高名な星の彫金師で、それがまさか娘に寄り添ってくれた優しさに他ならず、更に蓋を開ければ英雄ときた。どんな物語だ、これは。 「まぁ、なんだ。運命ってやつなんじゃないか、これは」 「君が言うなら、うん、そうなのかも。僕らのこの出会いは偶然で、だからこそ運命だったのかもね」 その、数奇な運命の中。 殺し殺された者達は、皇都の石畳を踏み締めて手を取り合った。その象徴である新米騎士見習いは、家族と貯めた資金で発注した鎧を纏い、英雄が贈った宝石で身を飾るのだ。 そこに立ち会うのが自分であることを、ゴードンは誇りに思う。この出会いは喪失から生まれた。悲劇の舞台で娘が出会った優しさが目の前でまた咲いている。発注したリーヴ、求められた黒猫とその正体。全てを繋ぎ此処に至る物語の奇跡を思った。この奇跡の名を、運命でなければ何と呼べばいい。 もしこれが必然でなくても。この物語にはそう名前を付けよう。煌めきと偶然で織りなしたこの出会いを祝して。 雨が止む。雲間から光が条と成り差し込む。時間がまた、動き出す。 狩人達は仕事を思い出し、己の獲物の解体に向かった。騎士見習いの座を手にした若者はそのまま指揮下に入り、転んだ老婆に手を差し伸べている。 我らがイシュガルドの統治者の横には帝国の制服をきた青年が並び、互いの健闘を称え合っていた。 こんな日が来るなど誰が想像できただろう。 しかしそれを夢見た者は確かに存在し、その願いは行動へ繋がった。行動は波となり、ついには激流を切り裂いて変革をもたらした。 暁の血盟。そして、英雄。 彼らは身を以て示したのだ。特別に生まれた存在でなくても。心に傷を負っても。立ち上がる限り物語は終わらない。想い在り方一つで世界は変わる。己の選択が世界を、変える。 その全ての物語の中心で星は煌めくのだ。 ぽふり。主人公たる英雄が、仕切り直しと両手を合わせた。それは相変わらず間抜けな鈍い音で、しかしそれでいて明確に場に響くのだ。 「さて、そうしたら僕は調理の方を手伝ってこようかな」 「ちょっと! その顔色でまだ大丈夫なんて言うつもりじゃないでしょうね!? いい加減休みなさいったら!」 思い付きを口にすると同時に英雄が踵を返した。すかさず双子の妹が走って追いかけ、しかしアルスは立ち止まりもせず装備を変更する。カエアンビロード・クラフターワークシャツ。そのポケットを漁り小瓶を確認する姿は堂に入っており、調理師としても実力者である事を伺わせる。 全く。ゴードンは溜息を吐いて肩をすくめた。 「あの小僧は、一体いくつの顔を持っているんだか」 「ふふ……そうだね。彼は本当に多才だけれど、実はある程度偏っていたりもするんだ」 頷いたのは双子の兄だった。彼は英雄の特徴を指折り数え始めた。まずは占星術、彫金、調理に錬金、暗黒の力と、実は弓も扱う。困ったら全てを魔法で解決してしまえばいい。 つまりと尋ねればくすりと笑う。 「基本的には筋力を要求しないことが得意なんだ、彼は」 「成程、そりゃあ確かにそうだな」 木箱を運んできた時の、あの震える指先といったら! ゴードンは思い出した光景と見たばかりのものを重ねた。日常のアルスと戦う英雄。彫金は手工業の部類で、アルスが作るのは小さく繊細な宝飾品ばかりだ。それから聞くところによると、英雄が得意とするのは占星術であるという。暗黒騎士などの例外はあれど、その例外も基本は魔法で運用しているという事が今証明されてしまった。 確かにそれは、隣に寄り添えば見えてくる彼の個性というやつだった。そう思えば彼はひどく堅実で、己の力量を過信しない人間である事が分かる。現実主義の夢想家。それは二律背反には陥らず、加えて言えば彼が怠惰であるという意味でもない。 寧ろその逆だから堪らないのだ。 英雄であるアルスは、しかし己出来る事の範囲内で研鑽に励み、かと思えば時に無理をしてまでその範囲を拡げてしまう。 恐らく、痛みに蹲る自身を置き去りにしたまま。 「英雄ってやつは、まあその、なんだ。ちんけな言葉になっちまうが……、大変だな」 遠ざかる小さな背中を見送りながら呟く。隣から返事はなかった。それでよかった。 「小僧が俺に見せた顔、レックスに見せた顔、狩人連中に見せた顔。仲間に見せる姿、誰にも見せない姿。どれが本当のアルス・セルティスなんだろうな」 答えは必要なかった。そんな事は他人に分かるはずもないからだ。それでも呟いたのは、傷だらけの英雄に届かなかった想いへの手向けに他ならない。 心身に裂傷を負いながらも指先一つで消して見せる彼は、柔らかな大丈夫の奥に踏み込ませてなどくれない。しかしその孤高の姿こそが彼を英雄として輝かせ、その煌めきで以て世界を牽引してきたのだ。 誰よりも彼自身が、己にそう強いて来るしかなかったのだろう。そうする事でアルスという個人はやっとの想いで此処まで走り続けてきたのだと。 わかっている。何も知りなどしなくとも、誰しもその手の傷を抱えて生きているのだと、それくらいの事は分かっているのだ。それでも。 ただ、そう。彼という人物をこれ以上なく気に入ってしまった身としては。 「心を許してくれている。だがこちらから歩み寄る事は許されない。まあなんだ、寂しくはあるな」 結局はそこに尽きるのだ。あぁ、と隣から吐息が溢れた。それは同意を含む感嘆だった。あたたかく優しい音だった。 「そうだね、それでも。嘘つきで強がりばかりの彼は、すぐ無理をしては私たちを心配させるけれど――その想いには一つも嘘がないんだ」 彼は私たちにとって大切な仲間であり、彼からもそう思われている事を私は知っている。 双子の片割れが言う。英雄の隣を歩んできた者が、静かにその愛を語る。 「どの時間も全てが真実だから、全てに意味があり、それ故に今がある。だから目の前にある現実、それを信じてみてもいいのではないかと。彼はいつもそう言うんだ。見る度に違う角度から煌めく彼の姿は、どれも本当に美しくて――きっとそう、それは偽りの虚像ではなく、カレイドスコープの様なものなのだろうと、私は思っているよ」 そしてその言葉が、あまりにも的確に真理を貫いていたものだから。 ゴードンは思わず声を出して笑い、その勢いで隣の子供の背を叩いた。彼は前につんのめり慌てた様子で体勢を整える。その仕草は何処か不意をつかれた時のアルスと似ていた。長く時間を過ごしてきた事がそれだけで分かった。 ならばそう、心が届かないなどと嘆く必要はないのだ。彫金工房で過ごしたあの時間も全てが真実なのだから。 「はは、万華鏡か。確かにそうだ。鏡合わせに心を写して、煌めき屈折の末、星空に溶ける。悲しみも、怒りも、全部内包した夜空が連れて行く。虚像ではないが実像は掴めず、美しく目が離せない。全くもってその通りだな」 全くもって、不器用で仕方のないやつだ。 英雄という肩書きを背負うその華奢な青年が、どうか今後も星のように瞬きますようにと、虹のかかる空へ願う。 「さぁて、さて。いい加減に俺も己の仕事をせにゃならんな。幸いにも露天は無事だ。ならそう、万華鏡でも作りながら祭りで売るとするか」 「それは素晴らしいね。ぜひ私にも一つ作っては貰えないだろうか?」 「おお、任せろ。幾らでも作ってやる――花緑青の、満天の星空をな」 ゴードンもまた己の工房へ歩を進め、気合を入れ大きく肩を回した。その後ろから駆けてくる声が注文を入れる。そうしてまた世界は続き、新たな縁が結ばれるのだ。 祝祭はまだ終わらない。歩き始めた道の先、東屋では猫の像が緑の宝石を揺らし街を見下ろしている。その隣に小さな黒猫が身を寄せてみゃあと鳴いた。子供達と娘が大喜びで駆け回り、それから――。
やがてまた舞台は揺れ動く。英雄の進む先、創傷の絶えぬ道の末に物語は成るだろう。次の運命の一幕を飾るのは果たしてどの場所か。 選ばれた演目が何であろうとも、夜空は変わらず煌めき星と星を繋ぐ。縁が結ばれ、別れすら断ち切れぬ奇跡を撚り合わせるのだ。
そう、あらゆる出会いは偶然の中で生まれるが、その物語を紡ぐものは紛れもなく運命である。たとえそれが齎す未来が悲劇でも、その傷を抱えて生きていく。 特別に生まれた存在でなくても、心に傷を負っても。立ち上がる限り物語は終わらない。英雄は確かにその道を示して見せたのだ。 想いの在り方一つで世界は変わる。己の選択が世界の理すらをも描き変える。 そしてその運命を拓くのはこの両手であると。 虚像と万華鏡、美しい宝石細工の様な指先で以て、彼は教えてくれたのである。
その真実の願いと共に、満天の星に百合が咲く。
[ 14/118 ] [mokuji]
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