眠れる獅子は静寂を促す
僕、アルス・セルティスは光の戦士であり英雄と呼ばれているが、何時でも何処でもそうという訳ではない。いくつもの世界線の混ざり合うその狭間、同じ境遇にある違う主人公たちと時を共にすることがあるのだ。 その中で、僕が最近仲良くさせて貰っている友達の一人、らっこまりーというララフェルの少女の話をしたいと思う。 彼女――らっこさんは、熟練の光の戦士だ。各世界線に一人しかいない存在を指してこの表現はどうかと思うが、僕からすればその通りなので仕方がない。彼女は全職見事にこなすし、人を教え導くのにも長けているのだから。 僕らの家系は――実質身内であるエリィをも含め――戦闘にあまり秀でてはいない。それぞれ己の物語では最前線に立って戦うが、光の加護という点を抜けば割と凡庸な部類に入ると僕は己を分析している。そんな事はないと、友人たちは言ってくれるけれど。それでも体質の問題はある程度否めない。 ならば何が得意かといえば、僕は読書や音楽が好きだし、エリィもまた同じようなものだ。遠い従兄弟のマーリンは小説家で、やはり文化系の特技を持つといえるだろう。 では対するらっこさんはというと、僕たちが戦闘指南を貰いたい時真っ先に思いつく人物の一人なのであった。僕もエリィも、何かあるとすぐ彼女に教えを乞う。タンクが欲しい時は尚更だ。習うならば本職相手の方が分かりやすい。 つまり今回もまた、その講義を僕は望んだのだ。僕は彼女の邸宅を訪れていた。しかしどうしたことだろう、彼女の家には何故かこちらの見知った顔が常に屯しているのだった。僕はその様子の異様さに、ひくりと息を飲んで立ち尽くした。 まず、らっこさん本人は庭の奥にいた。ひたすらに回転する肉を眺めながら、呆けたように佇んでいる。炎に炙られる肉が程よくいい香りを漂わせているのが、これまた何とも言えない気持ちにさせるから堪らない。 そして、その隣には友人のカストールさんがいた。此方は全く落ち着きがない。踊り子のステップで、らっこさんの前後を行ったり来たりし続けている。その武器は濃い桃色に染色されていた。とても目を惹く光景である。 しばらくその様子を恐々と確認し、僕は踵を返した。うん、来る時期が悪かったのかもしれない。出直そう。 また明くる日、僕はその邸宅を訪れた。今日の先客はエリィだった。彼女は只管キャロットラペを作成している。他人の家の庭で。 その隣ではらっこさんが暴れていた。どうしたのだろう。聞き耳を立ててみる――途端、やはり僕は動きを止めた。嫌な予感が確信に変わり、そっと気配を消す。 「えりさん、鎖ブンブン丸いかないの? ブンブン丸」 「えぇー、ブンブン丸? ええー」 「ブンブン丸楽しいよ、ブンブン丸。ね、いきましょ? ブンブン丸」 「高難易度はなぁー」 「大丈夫です、えりさんなら行けますから。ブンブン丸いきましょ。いまならかっすんもいるよ。ブンブン丸いこう? ブンブン丸いかない? いく? いきましょ」 「えー、行かない」 なんという恐ろしい会話だろうか。僕は身震いをした。そんな所に行ったら床の塵になってしまう。そして絶対鎖が痛い。 そこへ、何処からともなくカストールさんが現れる。座標はぴったりエリィの隣だった。 「行かないの? かわいそう」 開口一番これである。巻き込まれたら僕などひとたまりもない。というわけで、今回も退散することにした。 更に数日置いて、僕はまた庭を訪れた。今日はエリィが床で伸びていた。彼女は只管何事かを呟いている。 「チャネリングコーヒー……」 後で気になって調べたところ、ロケーションは水道だった。下水だったらどうしよう。絶対に行きたくない。脳内で萬里が、そんなに潔癖症で冒険者なんて出来るのかと問うてくる。うるさい。 挨拶くらいはしたい気持ちを堪えて退散することにする。そんなコーヒー、僕は飲みたくないです。 そして迎えたこの日、漸く僕はらっこさんと話をする機会を得たのである。 今回のらっこさんは、庭のベンチに座って足をぶらぶらと揺らしていた。こんにちはと挨拶をすると彼女も返事をしてくれる。僕もまた彼女とは友人関係にあり、そのらっこさんが僕を手招くので、それに従って隣に腰を下ろした 「えっと、失礼します」 「はい、どうぞ。アルスくんはここの所よく来ていましたね。声をかけてくれてもよかったんですよ」 「え、知っていたの?」 僕は驚いて背を伸ばす。誰も僕に気が付いていないと思っていたのに。そうすると、随分と失礼なことをしてしまったかもしれない。僕のした事といえば、毎日覗いて帰っていただけである。 するとらっこさんは、楽にしてください、と笑った。まるで気にした様子もない。だからそれに甘えて、さっそく話を切り出すことにする。 「実はその、らっこさんにお願いがあって」 「はい、何でしょう」 返すらっこさんの声は穏やかで、ただこれだけの会話なのに楽しそうな雰囲気すらあった。僕はその反応が何だか嬉しくて、つい耳を揺らしてしまう。微笑ましいものを見る目の彼女を知覚して、僕は帽子を置いてきた事を後悔した。素直な感情の発露を察せられるのは恥ずかしい どうしようもなくて、赤くなった顔を手で隠し、指の隙間から彼女を伺い見た。もう、笑わないでよ。 「……その。らっこさんって、メインはタンクだったよね?」 「はい。ガンブレイカーですよ」 「いま僕もこっそりタンクを練習していて」 「ほお、いいですね。アルスくんも一緒にガンブレします? 教えるよ?」 申告直後に彼女のジョブがガンブレイカーに変わった。得意げに笑う彼女は、純粋に仲間が増えることを喜び、教えることに心を躍らせているとよく分かった。でも、これはまずい。 このままだと僕の少し触って投げたガンブレイカーが極まってしまうから、慌てて手を振り否定する。 「いやっ、あの、実はその――あ、暗黒で」 「暗黒ですか。暗黒かあ〜、私は暗黒はな〜」 あんまりなー、と言いつつも彼女は瞬時に大剣に持ち替えた。その風格は相当なもので、相当な実力者である事など一目瞭然だった。 「えっと、触ってみた感じ肌に馴染んで、それで暗黒にしてみたんだよね」 「そうかあ、アルスくんが暗黒かぁ。いいと思いますよ、やっぱり相性がありますからね。でも暗黒の力ってこう、かなり痛くないですか?」 「うん。痛い、すごく。エーテルを消費して暗黒を扱うのはとても僕と相性がいいんだけど――」 「――エーテルを大量に消費するということは、アルスくんの体質的に絶望的に相性が悪いとも言える訳ですね」 「そう、なんだよね……」 暗黒の力は、扱うものが強大になる程痛みをもたらすものだ。未熟な者が触れれば闇にのまれてしまう。僕はそれを、僕の内なる影から習っていた。 それから暫く修行を続け、今では影――フレイは僕と共に前線に立ってくれる。その上で、僕の特性を生かしエーテルの上乗せを狙って模索している所だった。 この現状をらっこさんに説明すると、彼女は手を口元に当てて考え始めた。 「今のところ、課題はエーテルの枯渇ですか?」 「まずはそうかな。何時もみたいに困ったらルーシッド炊けばいいというものでもなくて。戻り方が違うから」 「……そうしたら、第一前提として、常にブラッドウェポンは回していきましょう。加えて、エーテルを上乗せする技を絞った方がいいですね。魔法攻撃が多いのでやりやすいとは思うんですが、全部にのせていたら倒れちゃいますよ」 「やっぱりそうだよね。欲張りすぎてるなとは思ってた」 僕はその忠告を聞いて頷く。戻る量より使う量が常に多ければ、倒れるのは当然の摂理である。一人で修行して一人で倒れるので、毎回フレイの怒りが酷いのであった。 そんな僕に対し、彼女は静かに微笑むのだ。 「でもちょっとだけ意外でした。アルスくん、普段痛みは癒す側でしょう。それで盾役の中でも、痛みと隣り合わせの特性を持つ暗黒を選ぶとは」 「ん、そうだね……やっぱり僕も、護る力の選択肢が多い方がいいと思ったんだ。盾として出せる職業の中で一番相性がいいのが暗黒だった。己を護る盾は持たず、護りたいもののために痛みと背中合わせで孤独に戦うもの――。僕個人はともかくとして、アルス・セルティスには必要な力だった」 僕は目の前の英雄を正面から見つめた。これが本題なんだけどね、と前置きをして告げる。 「らっこさんはずっと、皆の盾として先頭に立ち、あの道を駆け抜けてきたんだよね。君は何を思いそうして来たのかなと、そう、思って」 すると彼女は、穏やかな色を浮かべていたオッドアイを驚きに見開いた。途端に視線を彷徨わせ、えっと、あの、を数度繰り返す。 そして絞り出した言葉は。 「その、秘密です」 黙秘であった。 そのうえ、告げた声音があまりにもはっきりしていたものだから、僕は思わずくすくすと笑った。発言した本人も釣られたように笑い出す。暫く僕らは二人、昼下がりの暖かなベンチで肩を寄せ笑い合った。陽だまりのような時間が流れる。 やがて彼女は深呼吸をし、つまりね、とまた言葉を継いだ。 「こういうのはね、あまり人前で言うものでもないかなって思うんです」 そう言った彼女の表情があまりにも優しく透明であったから、僕はただ一言、そうだねとだけ返した。結局この職業は縁の下の力持ちなのだ。皆の先頭で痛みを背負い、護るもの。その心中を語らぬ光の戦士はとても格好良く、美しく見えた。彼女の小さな背中はとても大きかった。 僕もまた、語らぬ思いを胸に宿す。僕はこの穏やかな時間のために、忌避されるような痛みですら、自ら受け入れることに決めた。理由なんて結局それで充分なのだ。それはやはりそう、人前で宣伝するようなものではないのであった。 頷くと、らっこさんの笑みが悪戯なものに変わる。 「あっ、でも、アルスくんがタンクを心から楽しめる日が来たら。その痛みをも超えて笑える日が来たら。その時は私の気持ちを君に伝えようかな」 「ふふ、来るかな。来たらいいな。らっこさんの話、楽しみにしてるね」 「そうしたら、一緒に鎖ブンブン丸も行くんですよ?」 「んえっ、えっ!?」 「ふふ、ふふふ」 その笑みといったら。天使のような言葉の後にすぐ手のひらを返すから、本当に彼女といると楽しくて仕方がない。そして抜け目がないので、冒険とも隣り合わせだ。そんな彼女の顔には、皆のことが愛しくて仕方がない、と書かれていた。 だから僕はつい口を開いて、 「やっぱり、らっこさんは――」 す、と。彼女の指に言葉を遮られた。 らっこさんはその指を己の口元にもって行き、しー、と僕に静寂を促す。その先はだめですよと伝える目元は柔らかく溶けて、しかし獅子の煌めきを持って僕に忠告していた。 そう、表に出さずとも、この心あれば。 僕は何も言わず、微笑み返して頷いた。二人の秘密の視線が交わり、僕らはくすりと小さく笑った。穏やかな時間が春の陽気を連れてくる。 間も無くして、おぉい、と呼ぶ声が門から響いた。カストールさんの声だった。その声はまた僕の名も唱えたから、思わず目を瞬いた。ああ、そうか。この大きな輪の中には、僕もまた居るんだね。世界は繋がり、広がり、その分だけ輝きを増してゆく。だからそう、この愛おしい日常が、今日もまたこの舞台で、同じ項で始まるのだ。
僕、アルス・セルティスは光の戦士であり英雄と呼ばれているが、何時でも何処でもそうという訳ではない。いくつもの世界線の混ざり合うその狭間、同じ境遇にある違う主人公たちと時を共にすることがあるのだ。 彼らのうちに尊敬する人は何人もいるが、その中でも今回は小さな縁の下の力持ちを紹介しよう。 らっこまりー。その少女は、穏やかでおかしな日常を護る、熟練の光の戦士である。
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