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白昼の星に百合を捧ぐ


閉じられた世界が開いていく。
星の輝く空が広がり、繋がり、遠くに夜明けが僅か光る。
そして孤独な星の隣に、いつか光が、ひとつ、それからもうひとつ――。
思い出を光の粒に変えて、僕は己の世界へと帰還した。その血濡れた歴史は僕を英雄として出迎え、物語はまたその項を捲るのである。



白、白、それから白。
白い光に満ちる世界。その中を繭を切り裂き駆ける。静かに茂る森とせせらぎの小川。舞う白が幻想的で美しい――その美しさが残酷で仕方がない。そんな悲劇からまた物語は始まる。
いつだって英雄が生きる世界は悲劇の中だ。
「――ごめんね、先へ進ませてもらう」
星の光で一人を弔う。けれどその先でまた一人が幸福から溢れ落ち、きりがない。
向かう先から逃げくるものが刃に沈んだ。血飛沫を上げた人間が瞬く間に繭となり、再誕する。白く醜い獣。天使になんかなれず、歪に触手を揺らすのみ。
哀れで悲しい世界。英雄が失われた世界によばれた星。その役目くらい理解している。それが誰の為であろうと成すべき事に変わりはない。
掲げた天球儀にエーテルをこめた。身の内から勝手に溢れるものを操作し、意識して引き出したものに合わせ練り込む。
さぁ、この力で。せめて、せめて君たちへ安眠を贈ろう。
許容量を超えるエーテルを流された天球儀が眩く輝いた。それは悲鳴をあげるが如くで、あぁ、そろそろこの装備では力の奔流に耐えられないか。
指差す先へ星の光が着弾する。弾ける色はやはり白。天体の重力が哀れな獣の足を地に縫い止める。
その様を確認したであろう仲間と一呼吸で連携をとった。横の気配が動く――水晶公のインターヴィーンが獣へ突き刺さった。アリゼーのコル・ア・コルが即座に追従する。彼らにかかる守護は鼓舞とアスペクト・ベネフィク。サークル・オブ・ドゥームとコントルシクストが無慈悲に被害者たちの息の根を止めた。
しかし駆け行く脚は止まらない。救援が遅れるほどに被害は増えるというのに、休んでなどいられないのだから。
向かう先から襲いくる悲劇を力で捩じ伏せて進む。時には盾役の水晶公すら待たせて魔法を放つ。
守りを万全にした上で敵の足を止めて叩く。その些か過剰なまでに安全に偏ったやり方は、仲間の負傷を厭う英雄の我儘であり、また偶然にも術師ばかりが集まった暁での常套手段でもあった。
ぱりん。音を立ててエーテルの小瓶が割れる。煽っては捨て、過剰に引き出しては割り、負荷を受けた肉体が内腑から傷付いて軋む。痛い、けれどこの程度なら痛くなんてない。
これくらいなら普段と変わらない。ねえ、そうでしょう。
「っごほ……、」
こみ上げた吐き気を殺す。代わりに小さく咳き込むと、黒い革手袋に赤い花が咲いた。その微かな悲鳴を握りつぶして誤魔化す。うん、大丈夫、誰にも見られていない。
感慨もなく不調を葬り去る僕の横で、しかし水晶公がフードの下から此方を睨んだ。そう、睨んでいる事が分かる。
「頼んだ身である私が言えることではないのだが――あなたは、少し無理をしすぎではないのか」
「それこそ、僕だって君に言われたくはないけど。僕と水晶公が出会ってからのこの僅かな間に、何度君は休めと注意されたの?」
「疑問に疑問を返さないでくれ」
ほら、そんなに怒ったらフードの向こうが見えちゃうよ。声に出さずただ笑って、素の滲む彼の言葉を流した。
気遣いに混ざる小さな苛立ちが、側から見た自分の状態を如実に伝えてくる。
仄かな星の光は、燃え上がる命の悲鳴に他ならない。堕ちる惑星と同じ終焉。残された時間は僅かで、風前の灯火であった。
まあ、でも。こんなものは些細な事で、本当にどうでもいいのだ。求める結果に対して代償は当然要求されるのだから。
ぱりん。もう一つ小瓶を割る。何もしなくても勝手に溢れて出ていくエーテル。結局こうして補充してやらねば満足に動けなくなることに変わりはない。元々病弱な肉体はその上穴が空いた欠陥品で、しかしだからこそ出来ることがあるのだから、何を躊躇うことがあるだろう。
「ほら、次が来る。この問答の間に救えるものを取り零す気なんか、僕にはないよ」
「あぁ……それはあなたの言う通りだ。しかしこの後時間があれば是非私に割いて頂きたいものだよ」
「気が向いたらね」
返事と共にエーテルを込める。天球儀の光は割れんばかりで、やはりもう限界が近そうだ。昔より上手くエーテルを扱えるようになった。そして昔よりも身体は重く、痛むようにもなった。
およそ五年ほど前、全てを失い冒険者となったあの駆け出しの頃と比べれば、随分と保有エーテル量が増えていることを自覚している。一方で消費も当然ながら増え、幾度も装備の更新を繰り返して来た。
歩んできた道の分だけ内から身体が壊れていく。外の傷を綺麗に塞いで隠しても、それだけでは取り繕えない。昔の姿を知る者が見れば気付いてしまうであろう程に――そう、彼らのような相手にはどうしても。
それでも、誰かに肩代わりをさせるつもりはない。誰も肩代わり出来ない事を理解している。そしてこの想いは他ならぬ僕自身のものだから。
救助と討伐の為、殺戮の中を駆け抜けた。立ち塞がる人であったものを摘んで進んだ。必死だった。守りたかったのだ――奪いながらそう宣う矛盾を理解して、その上でさえ。
幕は上がり、嘆きを謳う死の天使が空に舞う。
殺戮の最中にある郷村はホルミンスター。それが滅びゆくものの名である。
そしてその先で。
「ひ、ぁ、あ……ッ」
赤、赤、それから赤。
その炎を見た時、思わず足が竦んだ。
火花を散らし煙を纏いながら村が燃えている。ぱきりと音を立て呆気なく崩壊する家屋。救済すら必要としない終わりの世界。塵と瓦礫の中にヒトは存在しない。皆変わり果ててしまって、あぁ、もう戻らない。
赤い花が咲き、余波を受けた森が葉を枯らして風に嘆いた。まさしくその舞台は悲劇と称するに相応しい。
何もかもが燃えていた。命を焚べられ空を染める赤。
途端、僕の世界は均衡を失う。
決意のもと広場まで駆け抜け、しかしその光景に僕は生唾を飲んだ。だめだ、それは、だってそれは。
覚悟をして来たのに、殺してでも守ると決めたのに。踏み越えてゆくと決めたのに。例え血を流す己の悲鳴でさえも、恨み嘆きこの身に振り下ろされる刃すらも。
「――っ、う、」
それなのに、何もかもが溢れそうになる――これ以上進めば、決壊する。あしが、うごかない。
「っひ、ぁ――、はぁ、は……」
そう、僕は、火災が苦手だった。
僕はその心的外傷を自覚していた。魔法は平気だ、そんな無機質なものに怯えたりなんてしない。けれど、火事はだめだ。その禍いが恐ろしくて堪らない。
木苺の焼ける匂いが蘇り頭痛を引き起こす。
「はっ、はぁっ、あっ……ぅ、ん……、は、ぁっ!」
耐えようする程に頭痛は鋭さを増し、抑えきれない悲鳴が小さな呻きとなり外へ逃げた。精神が軋み、理性と身体の乖離は手綱を振り切り進む。そんな僕に皆が気付かぬ訳もなく。
「――アルス!? ちょっとあなたどうしたの、顔色が真っ青じゃない!」
「ッ、ご、め……、大丈夫、だから」
急に様子がおかしくなった僕の所へ仲間たちが駆け寄ってくる。顔を覗き込むアリゼーに微笑んで見せるけれど、あぁ、上手く出来なかったかな、ごめん。
「これは……っ、なるほど、火災か……!」
水晶公がそんな僕を庇い、盾で周囲を警戒しながら憎々しげに呟いた。敵はまだ繭の中で再誕を待っている。
揺れる木々、災厄の炎。悲劇の舞台。
彼はこの景色が何処かグリダニアに近い事を理解してしまったのだろう、背中に焦りが滲んでいた。
というよりも、それは、そうなんだけど。その意味を知っているって、君は知られたくないんでしょう。
「っ、だい、じょ……ッ、はぁ、あ……んっ!」
思考を逃がそうとして失敗する。自己暗示も形にならない。
大丈夫、大丈夫。まだ、大丈夫。口に出す事が叶わないのなら、せめてと胸中で何度も言いきかせた。それでも心臓は勝手に駆け出して止まらない。息が切れて世界が回り始めた。揺らぐ足元が制御できない。だめだって言っているのに。もう怖くない、大丈夫だって、そう言っているのに。
吸っても酸素が入ってこない。苦しくて何度も繰り返すのに目の前は暗くなるばかりだ。頭も割れそうで救いがない。必死で息を整えるも、医者として学んできた知識が逆効果だと警鐘を鳴らす。けれどねえ、理屈で何とかなるならもうとっくに。
「ん、ぅ、もお、」
「大丈夫、支えている、私たちがそばにいるから」
胸を抑えても苦痛は収まってくれず、僕はついにくずおれた。背をアルフィノの手が温める。見れば、皆一様に痛そうな顔で僕を囲っていた。
あぁ、まあ、そうだよね。胸中で弱く呟く。君たち皆が、僕の過去を知っているのだもの。眠れぬ夜に飛び起きる事も、上塗りされる喪失の恐怖も全て。弱いところはもう見せ尽くしてしまったから。
悪いことをしてしまったなと思う。しかし同時に世界は過去の悪夢へと変貌する。
あの日。全てを失ったあの日。燃え上がる炎の中で大切なものが消えてゆく。肉が焦げる臭い、木々の香ばしさと木苺の甘酸っぱさ。何度でも夢に繰り返すその幻覚は、いつも思い出を焼き尽くして燃え盛る。
目の前で、赤く、炎が揺れる。木々が軋み、家が。
そう、冒険者となるきっかけになったあの日からずっと、この光景が何よりも苦手だった。耐えきれず意識を手放したのはつい最近のことだ。そして僕は夢に逃げ、しかし過去に墓標を立てまた歩き出したのに、それなのに、こんなにも。
大丈夫、大丈夫だから。僕はもう、乗り越えるって決めたんだから。
僕は弔ったのか、それとも弔われるのが僕なのか。
立ち上がれない。息ができない。助けて欲しいと口にする事も叶わず、ううん、そんな事はないから、大丈夫。大丈夫。
蹲る僕の前で、炎の中に命が消えてゆく。
赤い炎も黒い煙もあの日と同じで、しかし空ばかりが裏切るように白い。




それは少し前の出来事。
「なあ、太陽って何色だと思う?」
久しぶりに会った幼馴染は、フォークを片手に身を乗り出してそう問うた。机上に並ぶ皿、皿、それから皿。
その一つずつを綺麗に平らげながら笑うそいつは、あまりにも自由に僕の前に在った。
「何色って、そんなの見たままだと思うけど」
「だからさー、そんなの人それぞれじゃん?」
僕はコーヒーカップを傾けて、共に首も傾げる。数年ぶりに再開した相手が初めて投げかけてきた問いが、近況でなくそんな突拍子もないものだったからだ。
普通ならばそこは、元気にしていたかとか、いま如何しているかとか、そんな事を尋ねるものではないのだろうか。けれどこいつは開口一番で僕を食事に誘い、財布がないと宣い、メニューを開いてからは凄まじい勢いで食べ始め、そして。
そんな僕の向かい、また一つ皿が空く。
「すみませーん、パエリア追加で!」
「……まって、お前今オムライス食べたよね? また炭水化物摂るの?」
「んー? タンスイカブツって何? 何でもいいけどさぁ、美味いもんは幾らでも食べれる、これが世の真理ってヤツ。しかもアルスの奢りだし」
「お前相変わらず最悪だな……」
「アルスも相変わらず顔色が最悪だなー」
うるさい、と一言で切り捨てた。幼馴染、サンシーカーの萬里がけらけらとまた笑う。フォークをハンバーグに突き刺して口に運ぶ萬里は、昔と変わらぬ青い瞳を機嫌良く細めている。
僕よりもほんの少し身長が高く、けれど体格は僕よりも多少いい同い年の友人は、その事実に見合わぬあどけなさでオレンジジュースを煽った。僕はエーテルの小瓶を一つ空ける。
「んで? なんか食べないの?」
「僕が殆ど食べないのなんてお前には今更かと思ったけど」
「まーね。その今更を訊いてるんだから、それはいい加減食えって事だってさあ、アルスは説明しなくても分かってるかと思ったけど」
意地の悪い問いに黙秘を貫く。元々食が細いことなんて今更で、それにしてもまともに寝食が整っていないことを萬里は指摘しているのだ。分かっている。
黙ってしまった僕に対し、萬里はそれ以上食事を勧めてはこなかった。まあいーけどね、と適当に返事を放り投げナポリタンを口に含む。また炭水化物だ。見ているだけでもう何も食べたくない。
「結局さぁ、何言ったって昔からききゃーしないじゃん、アルスはさ? それで納得してるって言うなら、俺からは何も。自己責任ってやつなー。それにしてもまぁ、相変わらずよく寝込んでそうな顔色で」
「……、昔よりも元気なつもりだけど」
「隠すのが上手くなったのと健康になったのって違うと思うんだけどー」
パエリアが届き、萬里がパフェを追加注文する。彼はウエイターの少女にぱちりと片目を瞑って見せた。するとどうだろう、伝票外のプリンアラモードが出てくるではないか。全く呆れてしまう。
「これもまー、なんていうか? 生きるための手段ってやつ。適当に声をかけてさあ、一夜楽しく過ごして、結果的に飯と宿を奢ってもらう。狩が下手な俺の処世術な訳。俺も大人になっただろー」
萬里があっけらかんと言った。僕は何も言わなかったが表情に出ていたらしい。昔から刹那的かつ快楽主義者であった彼はそこに磨きをかけたようだ。
萬里はかつて狩が下手すぎて群れから捨てられ、一人の冒険者に拾われた。その後数年の間、榎の診療所に預けられて生活していたのだ。当時の萬里には、養ってくれる相手と安全な家が必要だった。庇護されねばならなかった。それは一人では生きていけない子供だったからに他ならない。
診療所に、運動音痴の健康優良児が一人。しかし彼が浮くことは終ぞなかった。健康そのものであった萬里だが、不健康そのものであった僕と何故か気があったので。
外で駆け回る方が好きな萬里と、部屋で小難しい本を読むばかりの僕。一見正反対の二人は、しかしどこか通じ合うものがあったのだ。
まあいいよ、と僕は軽くため息をついた。
萬里の道は僕なら決して選ばない生き方であったが、それを否定しようとまでは思わない。結局は個人の自由なのだから。
「お前がそれに納得していて飢える事もないなら、それでいいんじゃないの。自己責任だと思うし」
「あっは、俺たちって全然違うのに実は似た者同士だよなー。理解が早くていい。俺、アルスのそういうところ好きだよ」
「僕を口説いたって何も出ないけど」
「何言ってんの? 現在進行形で奢られてまーす。それ以上をくれるって言うならそりゃあもう、遠慮なんかしないけど」
「調子に乗るな馬鹿」
黒く薄い革手袋に覆われたままの手で、萬里の頭を叩く。ぱこんと軽い音がした。何も入っていない音だった。
彼は大袈裟に痛がって見せ、それから肩をすくめる。
「まー、なに? 適当に楽しく生きてさあ、好きにやって死んでいく。俺はそれでいいんだよね。自己責任の範囲内なら文句を言われる筋合いもないし? ただまー、アルスはそうもいかないんだろーから」
また一人で全部抱え込んでるんだなあ。萬里がそう言って頭を振った。僕は瞠目して彼を見やる。
「なんで分かったんだって? そりゃ分かるって。アルス分かりやすいもん、嘘つきのくせにな」
言いながら萬里は僕を見ない。ナポリタンの皿が空き、パエリアに取り掛かるばかりだ。
続ける萬里の口調は軽いまま、揺るがない。
「家のことなら知ってる。大変だったなとか、んな薄っぺらい同情をする気なんかない。俺だって世話になった訳だし、さみしーなって思うけど、俺のそれとアルスのそれが同じな訳なんかないしな。ただ、英雄になる道を選んだって聞いてさ。俺ならそんなん頼まれても御免なのに、アルスのその性格でよくやるわって。あー、嫌味じゃないよ?」
そこで萬里は言葉を止め、パエリアを頬張った。馬鹿みたいに大きな一口で、僕からは考えられない量が消費されてゆく。
「……んで、すーぐ思い詰めて、ぜーんぶ抱え込んでさあ。寝れてない、食えてない、そもそも体調もよくない。こりゃー俺が寄越される訳だよ。アルスは相変わらず素直にお喋り出来ないんだなー、難儀な奴」
「別に、無理してるわけじゃないし。大丈夫なんだけど」
「そういうところー。口癖が嘘ってさあ。アルスの大丈夫が本当に大丈夫だった事なんて、数える程もなくね?」
「大袈裟に言わないで。普通に大丈夫だったでしょ」
言われるまでもなく、周囲の人間に気を遣われた事くらい理解している。僕が折れぬようにと寄越された幼馴染。
昔から唯一、比較的素直になれた相手。確実にこの間の会話が原因だろうと、少し前の邂逅を思い出す。確かに会いに行くと宣言はしたけれど、僕はそこまで切羽詰まって見えたのだろうか。
曖昧に笑う僕と、何を考えているでもなさそうな萬里。
と、それは突然に。
「あっ、そうだ。太陽の色。アルスは何色だと思う」
彼はフォークをピンと立て耳をそよがせた。行儀が悪い。困惑する僕へ萬里が再び問う。そういえば注文で流れてしまったのだったか。
やけにこだわるなと思いながら、僕は端的に白とだけ返事をした。なんでと返す彼の言葉も簡潔で、しかしそれに対する返答はどうしても綺麗には纏まらないのだ。
「太陽って、光でしょ。眩しすぎてよく見えないから、白。周りの空まで白く染まるのが、晴れているのに冷たい気がして、僕はあまり得意じゃない」
「うはっ、暗い感想だなー」
「訊いておきながら失礼すぎない?」
頬杖を突いて萬里をじろりと睨む。こわー、と軽い声で宣うのが腹立つ事この上もない。微塵も思っていないくせに、よく言う。
「でもまー、そういうことじゃん? アルスが眩しいって思うように、それじゃ強すぎるわって感じる人はそれなりに居るって話。太陽みたいな英雄はそりゃそれっぽいだろうけどさあ、いつもそれが求められるわけでもないんだし、この世の中さ?」
「は、萬里に世の中を語られる日が来るなんて思わなかったんだけど」
「俺も大人になったんでー」
パエリアの皿をピーマンだけ避けて綺麗にしながら、萬里が言う。相変わらずこいつは僕を見ていない。
彼の台詞には何の感慨もなかった。僕と比べれば余程太陽らしい幼馴染は、しかし苛烈な光をもたない。それでいて萬里は超然とそこに在り、孤高だった。いや、手を取ることで生じる煩雑さを嫌ったのだ。
そんな彼の在り方が、他人に依存しないその存在が、どれ程僕を救ってくれるかなんて、口にはしないけれど。
他者と交われど群れることのない自由人。群れから捨てられたティアの一つの形。ある意味でそれは空にぽつんと浮かぶ太陽と似ている。
一方で、夜空に瞬く星だと人々は僕を呼称した。闇夜に寄り添い、しかし遠い空で瞬くもの。太陽の裏側に、すぐ隣に、それは在る。
僕はそんな英雄と謳われ此処まで歩いてきたのだ。弱さを内に抱え、傷だらけの物語を綴ってきたのだ。
そんな僕に対し。
「ていうか、アルスって泣き虫だし貧弱だし。本当は英雄ってガラじゃないって、知ってるからさー。事実として」
「――っ、」
「だからまあ、食事くらいは付き合う。ただしアルスの奢りな。はいこれあげるから」
萬里が笑う。恩を着せるでもなく、ただ友人として笑う。
英雄として振る舞うことに慣れた僕の鎧を、音を立てて剥がすかのようだった。ついに言葉を失う僕の目の前、萬里がようやくこちらを見ていた。
青い瞳の中に、泣きそうな僕の顔が揺れていた。
――何も言わなくても、お前は僕の事を理解してしまうの。
「……なに、これ」
「俺からの労いのきもちー。ぴったり寄り添ってじめじめした慰め合いなんて、アルスは必要としてないだろ」
「――うん。お前の言う通り、僕はそんなに弱くない」
知ってる、と萬里が笑った。僕も少し歪な笑みを返した。白い皿の上に赤い贈り物がある。それは、プリンアラモードの頂点を飾るさくらんぼだった。
「ほんっと、仕様もないんだから」
「でもアルス、果物なら食べるじゃん」
まあね、とだけ僕は応えた。赤い実を口に含み、そっと白い種を吐く。ころりと控えめに皿の上へ落とせば、それはひどく孤独な食事の形跡でしかなかった。甘酸っぱい記憶だけを刻み消える。
過去とは時にそういうものだ。礎と虚の境。かつて確かにそこに在ったものの形骸を慈しみ、その幻は愛おしく、しかし時にひどく膿む。
その傷を無かった事にするだけの強さも、また弱さもないから、僕は星として静かに瞬くのだ。種から道が芽吹く、その時まで。
僕は視線を目の前の友へ戻した。僕の幼馴染は空にぽつんと浮かぶ太陽にも、ただ太平に広がる海にも似て、在るがままに此処に居た。
「ところで、ねえ、萬里。お前にとって太陽は何色なの」
だから僕はそれだけを尋ねた。他に語る言葉は必要ない。友人が食事を囲み世間話をしている、ただそれだけの事だから。
ただそれだけの事を、護りたいと願っている。
「え、そんなの決まってんじゃん?」
僕を繋ぎ止める存在がからりと明るく光った。彼は世の中の真理を語るように堂々と声を張り上げて。
「たまごの黄身みたいで美味しそうだから、黄色!」
そんなくだらない世界を描いたのだった。




「――ッ、ごほっ、う、ぇ……っ!」
びしゃりと地面に吐き出される僅かばかりの白。
逆流したそれは喉を焼き、生理的な涙がぽろぽろと降る。無理にでも出立前に食事を摂ったのは失敗だったかもしれない、だって苦しみが増すんだもの。
精神からくる不調は容赦なく身を叩きのめすもので、結局胃酸を吐く事に変わりはないというのに、僕の思考はそんな仕様もない所へ逃げて嗤った。全く、これだけ客観視できて何故己を制御できないというのか。簡単な事だ、そうだろう。大丈夫、大丈夫。
そう、もう僕は孤独ではないのだから。
――なあ、太陽って何色だと思う?
あの日の会話が分裂しそうな僕の狭間で咲いた。まるで馬鹿みたいなその問いは、しかし確実に日常を伴い胸の奥に降りてゆく。
お前は、この空を見てなんて言うだろう。
目の前で赤い炎が揺れている。空は白。太陽の色。光のエーテルが全てを染め上げて人類を拒絶していた。
眩いそれは終わりの光で、ただ冷たいばかりだった。好きになれなかったそれは、しかし真実の姿でないともう知っている。
その白を切り裂く力がこの手にあるのなら、何故蹲ってなどいられよう。天の色を問うような、ただそれだけの小さな日常を。護りたいと、願っている。
だから。
「っ、んッ!!」
絡みつく過去の恐怖を、この刃で断ち切る。なくならない傷の膿を出すように。また歩き出せるように、この心を踏み抜いてでも。それでも、かまわないから。
「アルス!?」
「んな――、何をやっているんだあなたは!」
煌めく銀が肉を裂いた。突き立った護身用のナイフ。太腿からどくりと赤が溢れ、吐き出した白を塗り替えてゆく。そう、僕は己の肉体を刃で貫いたのだ。
仲間たちが驚愕の声を上げる中、僕は俯き、静かに口元へ笑みを刷いた。大丈夫――うん、僕は大丈夫だよ。
それはきっと被ったキャップのつばで彼らには見えないだろうけれど、涙も同じく隠してくれていたのだから、まあ、いいよね。道は種からまた芽吹く。僕はまだ、走り続けられるはず。
声に出さず呟き、今度こそ顔を上げた。ほら、ね。穏やかに笑って見せる。いっそ場に不釣り合いなほど静かに、星を煌めかせ、百合の花が咲くように。
孤高に咲く供花。
「は……ぁ、うん。へいき。大丈夫だから、心配しないで」
それから呼吸を確かめ、治療にあたろうとしたアルフィノを制した。彼は困ったような顔で僕を見たが、それだけだった。
こういう時に僕が意志を曲げない事を、彼はもう知っているからだ。彼らもまた得難い友だった。
僕は両手の中の大切なものを柔く握り締め、目を瞑り、また開いた。何も変わる事ない景色が、しかし僕の中で確かに変容した瞬間だった。
「ふふ――、なんて、呆気ない」
なんて事はない、単純な変化だった。それでいて決定的にその白と赤が僕を切り裂き、過去が再誕する。種が芽吹き道が繋がる。この痛みを起点に。
痛みを以て痛みを制す。痛みが此処こそが現実だと教えてくれる。燃えゆく森を虚ではなく礎にするための。
赤が白いコートをも侵食していた。ずるりと抜き取った所から更に溢れる様が愉快ですらあった。
僕は生きて、確かに今此処に在るのだと、認めざるを得ない程の赤。炎よりも昏く鮮烈な赤。
ぴんと振るってナイフから血を払い、静かに立ち上がった。じくりと痛む傷を指先一つで消し去る。星の光があっという間にそこを縫合してしまったから、戦いに支障などあるわけもない。だから、ねえ、大丈夫だよ。本当に、嘘じゃない。
何より、衛兵団が追いつく前に村の安全を確保しなくては。
「さぁ、この白昼に夜空を描こう。――いこうか」
囁くように告げ、言葉が終わる前に駆け出す。天球儀が割れんばかりに輝いた。代償が必要だとしても、それでも。
手のひらに咲いた赤を再度握りつぶせば、エーテルを汲み上げ星が瞬く。闇夜に寄り添い、しかし遠い空で瞬くもの。太陽の裏側に、すぐ隣に、それは在る。
僕の隣に君が煌めくから、僕達は独りではない。目指す先が明るいからまだ駆けてゆける。見える景色が何色であっても、生きる世界が違ったとしても、その真実に変わりはないのだ。
孤独な星の隣に、いつか光がひとつ、それからもうひとつ。瞬き寄り添い導になるもの。この存在に名前をつけるのなら、それは。
「だから、大丈夫。ぜんぶ、受け止めて進むよ。たとえそれで、僕自身の道が途絶えたとしても」
星が流れる空へ祈る。そのまま再誕途中の繭へ重力を帯びた光を放てば、仲間たちの顔にも既に迷いなどない。
そう、迷ってなどいられなかった。しかし迷いは決して消えない。それは思考で、意志だからだ。決意はその先にしか有り得ず、誓いは往々にして後悔から出ずるものだ。過去を弔えど痛みは消えず、いくら悼めども傷が消えるわけでもない、それが世の摂理である。
解っていてなお挫けそうになるから、だからこそ、その傷を踏み付けてでも立ち上がると決めた。
望みと代償を天秤にかけ、意志を選んだ。それは誓いとなり、痛みこそが背を支えてくれる。
もう二度失いたくない。炎の中に消えゆくあの日を、他の誰にも繰り返さない為に。
その為なら、僕はこの身が朽ちても構わない。
たとえ自身が花を捧げられる側になったとしても、そこに遺す世界があるのならば、それで、僕は。


こつん。石畳に小瓶が落ちる。
ぱりん。代償は残滓も残さない。


英雄は赤く染まる手で物語の項を捲った。
白昼の天に星が瞬き、紅炎の中に百合が咲く。




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[mokuji]











 


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