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ちょっとすると涙も止まり呼吸はだいぶ楽になった。こんなに泣いちゃうなんて、後のことを考えるとけっこう恥ずかしいんじゃないか。
そしてさらに考えると、あたしは今この忌まわしいベッドにずいぶんお世話になってたんだわ。まぁこないだすでに普通に横になったけど。
…何だか苦しさというより、さっきお店で感じたような怒りがまた湧いてきた。このベッドのせいで余計に。
「…あー、ムカつく!」
立ち上がりベッドの傍に立ち、まずはベッドに踵落としをかました。ズドンとマットレスが沈む。今日の話から、あたしはもうあの子への怒りの箍が外れてる。そうなるともう止まらない。
「さぞかしイチャついてたんでしょうねぇこのベッドで!この!」
ドスンドスンと、今度は痛いはずの拳で叩きつけた。新しくもないこのベッドはスプリングが軋むらしく、キイキイ音がする。
そう、どこからどう見ても頭おかしい人のご乱心。でも止まらない。とにかくなんか、発散したくて。
「この!この!消えればいいのに!仁王の記憶から!」
もちろんそれはあの子に対して言いたい言葉。いくらこのベッドを叩いたところであの子への抗議にならないのはわかってる。だからこそどこにもやれない怒りやモヤモヤが心底、鬱陶しい。あとそもそもこのベッドも憎々しい。燃やしたい。……とそのとき。
ガサッと何だか物音が聞こえ、かつ気配を感じ。振り向きながら我に返った。
そこにはめちゃくちゃ不審がる、というか少し怯えた表情の仁王がいた。
「はっ…、お、おかえり!」
「ただいま…っちゅうかなんじゃ、どうした」
一心不乱にベッドと格闘する女なんて、さっさと追い出したいかもしれない。あたしなら追い出してそれからちょっと距離を置く。
「あ、あのーこれは…ちょっとしたレジスタンスというか…!」
「……」
「なんて言うの、憎しみ爆発というか怒りの発散というか、そのー…あ、それよりも騒いじゃってごめん!」
「…ぷっ」
わはははっと、仁王にしては珍しく爆笑を始めた。…え、おもしろかった?そう?笑いのネタ的に捉えてもらえてる?
…まぁそれはそうか。こんなの本気でやってる女なんて危ない。ここは笑ってもらえてよしとするべき。笑い過ぎだけど。
「あー、笑った。おもろかった」
「…お、お疲れ様です」
「ガチで怒るとそんなふうになるんじゃな。新しい発見じゃき」
爆笑は収まったようで。フッと優しく笑った仁王は、持っていたビニール袋を差し出した。
何だろうと不思議に思いながら受け取って中を覗いてみると。
中から、歯ブラシとメイク落としのシートが出てきた。近くのコンビニで買って来たんだろうか。
「まぁもう化粧は落ちとるか」
二つ、頭に浮かんだ。一つ目は、確かにあたしは号泣したから、化粧もどろりと落ちてるってこと。もうすでに瞼も重たくて、きっと明日めちゃくちゃ腫れると思う。というか今の時点でめちゃくちゃブサイクになってると思う。
そしてもう一つは、新しい歯ブラシがここにあるということで。
「さすがにパンツはないが、パジャマは俺のでいいじゃろ」
「…え、え」
「ユニットじゃけどお湯溜める?シャワーでいい?」
「…えっと、…シャワーで」
「了解」
仁王は部屋にあるクローゼットを開けて、ガサゴソと中からスウェット上下とバスタオルを出した。
「お先にどうぞ」
続けてピポンと壁にあるボタンを押して、ガスをつけたようだ。あたしにこれからお風呂に入ってきていいよということで。
「…泊まっていいの?」
「ああ。イビキ歯軋り寝っ屁は禁止で」
「しないわそんなの!」
ははっと笑いながら、仁王はあたしをお風呂場へと誘導してくれた。
どうしたらいいのかわからなかったし、仁王もきっとわからなかったと思う。
でも仁王はあたしを突き放したりしなかった。ここにいていいよと言ってくれたみたいで。
初めて入った、ユニットバス自体も仁王んちのお風呂も、狭いし勝手が悪い。
だけど、シャワーがあったかいせいか、身も心もあったまる。少し残っていた涙もこれで全部流れていった。
お風呂から上がると、仁王はテーブルを片付けていて床に枕を並べていた。普通の枕と枕代わりのクッションを、少し離して。
「ベッドのほうがいいか?」
「…いや、あたしはベッドはちょっと」
「まぁ戦ってたしのう」
「あれはもう忘れて…!」
「いやぁたぶん一生忘れんよ。あと、布団は一つしかなくてのう。狭いし床に直じゃけど、我慢な」
「…う、うん。でもあれは忘れよう!」
「無理じゃろあれは」
あたしは恥ずかしくて、でも仁王は心から楽しそうに笑ってくれた。それがちょっとうれしくて、一緒の布団で寝るということに密かにドキッとしたことは、隠し通せたはず。
そして仁王はお風呂へと向かい、その間にとドライヤーも借りた。超直毛な仁王はクシを持ってないそうで、手でワサワサ乾かしながら考えた。というかさっきシャワーを浴びながら思ってた。
きっと仁王は、今日何かしようとは思ってないだろうと。普通の健全な男子ならあり得ないことかもしれないけど、仁王はきっとそう。そういうやつ。
そしてあたしもそれをわかってると思ってるだろう。そういうやつだからと。
どうしたらいいのかわからない。けど、今夜は一緒にいたい。あたしだけじゃなくてきっと仁王もそう思ってる。それだけでうれしかった。
仁王がお風呂から上がったあと、テレビを観ながら丸井たちと買ってきていたお菓子を軽く口にして、仲良く歯磨きもして、少し早めにお布団に入って消灯。
人一人分ほど離れてるけど、同じお布団の中。仁王もあたしもお互いに背を向けて横になった。
「…仁王、寝てる?」
電気を消してから、少しの間寝落ちたらしく時間の経過がはっきりわからない。そんな中だけど小さく声をかけた。でも返事はない。仁王は遅くまでバイトもあったし、きっと疲れてて熟睡中だろうな。
「いくじなし。…なんちゃって」
ほぼ呟く程度の声だから、例え起きてても聞き取りづらいだろう。でもそのほうがいいかな。
「仁王」
「……」
「簡単に言うとね」
さっき号泣したせいか、瞼が熱く重い。また意識が飛び飛びになってきた。もうまもなく完全に夢の中へと行くだろう。
「好きだよ」
聞こえてないという自信があるからか、ずっとあたためてきたはずの想いを、ドキドキもせず口にできた。それほどあたしにとって自然な感情だから。
あたしは仁王が好きなんだ。ずっとずっと好き。だからどうしたいか、どうして欲しいかはもうとっくにはっきりしてる。
意識がなくなる寸前か、もしかしたらもう夢の中だったのか。お布団が動いたかと思うと、背中があったかくなった。
仁王が後ろからあたしを抱きしめたからだ。お腹周りにぎゅっと抱きつかれてすごくあったかい。
寝てて無意識に?それともあの子と間違えてるの?お腹周りだけじゃなく、胸もきゅうっと締め付けられる。
「…俺も、そういうこと」
やっぱりもう夢の中なのか、仁王が実際に言ったのかどうかわからなかった。それぐらい現実感がなく、ふわふわした感覚でまどろんでいる。
すぐに仁王の寝息も耳元で聞こえてきて、ぎゅっと包まれたまま、夜は更けていった。
意外と大胆なのはお互い様