第5話


夏休みの部活の帰り道。近所のスーパーで夜ご飯用のお惣菜を買って帰っていたら。羽山先生に会った。


「おう光希、おつかいか?偉いな」

「いやいや、お母さん仕事だし、あたし料理できないから」

「でも偉いって。前の面談でも、しっかり者で助かるってお母さん言ってたぞ」

「そーかなあ?」

「ま、あとは数学だな」

「うっ…それは言わないで!」


先生も、奥さんになる人は結婚後も働くらしく、俺も家事手伝わないとなぁって言ってた。先生みたいな旦那さんなら、奥さん幸せだろうなあ。


「あ、そうだ、光希。今週空いてる日あるか?勉強の合間にでもバイト頼みたいんだけど」

「バイト?何の?」

「プールサイドの掃除だ。俺が当番なんだけど」

「えー!あたし一人?」

「誰かクラスのやつ…ブン太とか誘ってさ。頼むよ、俺いろいろ予定詰まってて」


予定って…結婚式のかなあ。その代わりにプールの掃除とか、知らないとはいえ先生鬼畜過ぎる!

でも困ってるんだろうし。先生が幸せで笑ってるならそれで…報酬も弾むって言うし。
そのバイトを引き受けることにして、その晩、ブン太に電話した。


『プール掃除ぃ?』


思った通り、難色示すブン太。そうだよね。あたしは先生の頼みだから喜んで、とは言わないまでも自主的にやろうと思ったわけだし。


「…やっぱりやだよね。ブン太もうすぐ最後の大会だし、レギュラーだし」

『……』

「あたし一人でやるから、気にしないで。じゃあまた」

『ちょっと待て』


耳から携帯を離して切りかけたとき、ブン太の声が聞こえてきた。


『報酬あるって言ったよな?』

「う、うん。とびきりいいものだって」

『いいぜ。俺もやる』


ありがとう!!そう叫んだら、鼓膜破れたらどーすんだって怒られたけど。
ブン太はやっぱりいいやつ。優しいやつだ。

そして部活が午前中のみの3日後、二人でプール掃除を実施した。

掃除自体は面倒なことこの上ないんだけど。誰もいないプールは、何だかとても開放感がある。


「いっえーーい!」

「ぅわ!水かけんなよ、バカ!」

「でも気持ちいいでしょ!」

「そんなこと言うならお前にもかけてやる!そのホース貸せ!」

「やだよー!」

「貸せ!」

「やーだーよー!」


まぁあたしやブン太なんかに頼むのが羽山先生間違ってるよね。掃除はお座なりに、水かけっこや追いかけっこが始まった。

ほんとはプールで泳ぎたいところだけど。夏休みのプール開放日もあったし汚くはない。でも体操着だからなあ。

そう思っていたら、あたしを追い回してたブン太が、プールサイドに座って足だけバシャバシャやり出した。


「気持ち良さそう!」

「ああ、最高だぜ」

「あたしもやろー!」


そう、迂闊に近寄ったあたしがバカだった。
ブン太の隣に座ろうとした瞬間、ブン太に押されプールの中へバシャン。


「ちょっと!」

「はっはっは!さっきの仕返しだ!」


ケタケタおかしそうに笑うブン太が、そのときばかりは憎らしくて。まぁ最初に戦いを仕掛けたのはあたしだけど。


「ブン太も落ちろ!」

「やめろ!俺この後自主練すんだよ!」

「そんな言い訳通用すると思ってんの!」


もがき逃げようとするブン太の足をグイグイ引っ張り。陸上じゃ力は負けるけど、これならあたしが断然有利。ブン太も引きずり込むことに成功。


「お前なぁ!」

「仕返しの仕返しだよー」

「…ったく」


すぐ上がるかなーって思って、あたしはプールサイドに手をかけたんだけど。
ブン太はゆらゆら、仰向けで浮かんだ。…気持ち良さそう。あたしも浮かぼうかな。
そう思って見てたら何となく、変な感じがした。

ブン太は気持ち良さそうなのに。何だか急に静かになった。
いつもうるさいブン太は、大人しくなるだけで大人っぽく感じる。


「どーしたの?」

「や、もうすぐ引退だなって思って」


ああそうか。あたしなんかは、中学で何か部活入ろうと思って、羽山先生も顧問だしってことでテニス部に入っただけだけど。ブン太は小学生からやってて、強豪の立海でレギュラーにもなれて、あたしとは比べられないぐらい練習して目標持ってて。


「…ごめん」

「は?」

「今日付き合わせちゃって。練習したかったよね」


思ったことを素直に伝えるとブン太は体を起き上がらせて、ははっと笑った。…よかった、ちょっと元気になってくれた。


「なんだよ、らしくねーな」

「え、でも」

「俺がやるって決めたんだから。お前のせいじゃねーよ」


いい加減掃除もしないとなって、ブン太はプールサイドに上がった。あたしもそれに続いて上がろうとした、けど。
…体が重い!体重ではない。着衣のせいで。


「上がれねーのか?」

「い、いや…よいしょ…!」

「ほら」


ブン太は、あたしの肩と腕を掴んで引っ張り上げてくれた。服に絡むような水面から抜けると、勢い良くブン太に倒れ込んだ。


「ありがと…」

「どういたしまして」


ぽんぽんっと頭を撫でられて、ドキッとした。
受け止めてくれたことも、優しく笑った顔も、触れた体も。いつも愛らしいタイプなのに、急にブン太が男らしく見える。


「よし、早いとこ終わらせるか」

「う、うん!」


立ち上がってさっきまでの続き(水撒いただけだけど)を始めた。同じところをやっても効率悪いし、あたしは逆サイドに。

急ごうと必死で掃除するけど。さっきのドキドキがまだ止まらない。
…ブン太は普通なのかな。全然大丈夫なのかな。

ちらっと逆サイドのブン太を見ると。
あたしの顔目がけて、ホースの水が飛んできた。


「ぶわっ!」

「ははっ!仕返しの仕返しの仕返しだ!」


子どもか!腹立つ!
ああでもブン太は普通だ。あたしだけか、変に意識しちゃったの。
そうだ、あれは変なんだ。ブン太なんだから。これが普通なんだ。

その後ようやく掃除も終わらせて、羽山先生から報酬も受け取った。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

別に不満ってわけではない。羽山の報酬。


「ありがとう、よくやってくれたな。さぁ、報酬はこれだ」


あの掃除をやった次の日、練習前に職員室へ行き渡されたのは、水族館のペアチケット。


「「ええー!」」

「何だその反応は」

「お金じゃなかったんですか!」

「バカ、教師が生徒に金払っていいわけないだろ。これでもギリギリだ」


まぁ、俺もたぶん金はねーなとは思ってた。光希は1万ぐらいくれるかなあって期待してたけど。なわけねぇ、せいぜいケーキかお菓子だろって。


「まぁそう文句言うな。ちょうどデートにもってこいだろ」

「「…はい?」」

「お前ら付き合ってるんじゃないのか?」


教師が生徒の恋路に首突っ込むことは間違ってるとかそんなんはどうでも良くて。
光希がこの羽山にそう言われるのは、きっと嫌だし傷つく。だからこそ否定しようと思ったけど。


「違います!」


先に光希が否定した。力一杯。
確かにそうなんだけど。俺も否定しようと思ったんだけど。
…そんなに俺と誤解されんの嫌なわけ?羽山にはってことなのかもしれないけど。ちょっとモヤモヤした。


「どーする?これ」


とりあえずチケット受け取って、部室に向かうまでの間。光希は聞いてきた。
どーするって。なんか微妙そうな顔。嫌なのかよやっぱり。


「俺はどっちでもいいぜ。お前決めて」

「うーん…」


お互い誘う相手もいない。まぁ光希は普通に女友達誘えばいいんだろうけど、俺に申し訳ないからってとこか。
…繰り返すが、そんなに嫌なのかよ。なんか腹立つ。


「じゃあ、仁王も誘おうか!」

「仁王?」

「や、うちらと言えば仁王もかなって…来ないかなあ」


チケットはペアだし仁王は自腹…まぁその分割り勘にして、とか言ってるけど。

ほんとにほんとに俺とのデートは嫌ってことな。


「じゃあ俺はいい」

「…え?」

「お前誰か友達誘って行けば?」

「え、え…」


うわーなんかすげー感じ悪くなっちまった。でもそうだろぃ。こんだけ遠回しにでも拒否られてりゃ怒りたくなる。他のみんなもいた方が楽しいからとか、嘘でも言やいいのに。


「ブン太も一緒に行こうよ」


手に持ってたチケット握り締めて、そう呟いた。


「一緒に掃除したし、水族館楽しいし…ブン太がいたら、もっと楽しいし」

「……」

「ごめん、なんかグダグダで」


ああヤバい。俯き加減の光希にドキドキしてきた。昨日の、プールでのときみたいに。

光希と行きたいか、と言えば行きたい。水族館だからってだけじゃなくて、こいつが言うように絶対楽しい。
でも二人でのデート。そんなことしたら、自分の首を自分で締めることにならないか?今一緒に行って、楽しいだろうけど。何かが変わっちまうんじゃないか?
居心地良いあの関係が。


「…変なこと言って俺こそ悪かった」

「いやいや!あたしが…!」

「仁王も誘って、3人で行くか」


これが、この選択が間違いかどうかはわかんない。チャンスだった、とも言えるし、変わることを阻止した、とも言える。…わかりたくない気がしないでもないけど。

そして3日後、案の定渋る仁王をほぼ強引に引き連れ、3人で水族館にやってきた。
チケットを交換してくるって言って光希が離れた隙に、仁王はおそらくずっと言いたげだったことを俺にぶっこんだ。


「素直に二人でデートに来りゃよかったじゃろ」

「…なんだよ、素直にって」

「あー何で俺はテニス部のキューピッド役ばっかなんじゃ。ちゅうかお前さんらは俺がおらんでも問題ないじゃろ」

「問題ない?」

「ラブラブに見える」

「ラブラブ!?…んなわけねーだろぃ。たぶんあいつはまだ…」

「あいつは、ねぇ」


ニヤけた仁王はムカつくけど、なんやかんや付き合ってくれた感謝の気持ちがあるから、今日は見逃してやった。

そんな仁王とのやり取りをしてると、光希が顔面蒼白で戻ってきた。


「どーした?」

「これ…チケットじゃなくて割引き券だった…」

「「え」」

「どうしよう!あたしお金全然ない!」


すぐに俺と仁王も財布を確認。見るまでもなくわかってたけど、俺も仁王も足して一人分程度。割引き券があったところで入れない。


「じゃあ水族館は諦めて、その辺散歩するかのう」


渋ってたくせにまだ帰らないことを選択した仁王に驚いた。…たぶんさっきの俺の件をおもしろがってるっていうのもあるだろうし。あと仁王としても、光希を落ち込んだまま帰せないって思ったんだと思う。


「わー、けっこう人いるねー」


夏休みってこともあり、近くの海辺には泳ぎに来てる人がけっこういた。俺らも水着持ってくりゃよかったか。

浜辺手前の石段、俺と光希が座ると、仁王はそのままどこか行こうとした。


「仁王どっか行くの?」

「ちょっとそこまで」


仁王は季節関係なく海によく来るらしい。いつも通りの散歩コースがあんのか。俺に気使ってんのか。まさかナンパか。

キャーキャー、海では楽しそうに騒ぐ声が聞こえる。集団でビーチバレーやってる人や浜辺で寝そべってる人、子どもと砂遊びしてる人、などなど。波の音もあるし決して静かじゃないのに。
二人きりになった途端、静かになった気がした。


「ごめんね、ブン太」

「え?」

「ちゃんとチケット確認しておけばよかったよ。水族館、行きたかったね」


申し訳なさそうに、目線は海のまま、そう光希が呟いた。

俺と二人では嫌なんだろうって思ってた。俺とじゃダメなんだって。


「なぁ」

「ん?」

「また行こうぜ。今度は金持って」


やっぱり嫌なのかなって、言った瞬間は思った。ちょっと光希が戸惑った気がしたから。

みんなでって付け足した方がいいのか。また仁王も誘って3人でって言った方がいいのか。


「二人で」


そう思ってても出た言葉。ああ、これでまた直球でも遠回しにでも拒否されたらどうしよう気まずいショック。


「……うん、行こう」


めちゃくちゃ小さい声が聞こえたと思ったら、光希はいきなり立ち上がって、あー暑いなあって伸びをした。下からだし、空も太陽も眩しくて顔がよく見えない。

でもドキドキする。照れてんのか光希は、暑い暑いって連呼してる。そんな俺こそ照れてる。光希の顔はもう見れない。

ちょっとしてから仁王が戻ってきた。その後3人でなけなしの金使ってご飯を食いに行った。

相変わらず居心地いいけど。少しずつ変わっていく何かに戸惑いもあった。


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