「屋上がお取込み中じゃったから」

「仁王が取り込み中にしたんでしょ」

「もう終わったんか?」


くさびのパス


大人になるということは、身体的にはもちろん、精神的にも成長することだとは思う。たとえばつらいことや悲しいことがあってもぶつかり乗り越える力が、きっと成長するに従って備わっていく。あたしのような子どもといえる齢にとっては厳しい話であっても。

一方で、大人には逃げ道もできると思う。それは自分のいる世界が広がるからだ。たとえば会社の上司に怒られたら学生時代からの恋人に励ましてもらったり。恋人にフラれたら地元の友達と余暇を過ごしたり。上司も恋人も友達も、自分という共通項以外に関わりがないとしたら、一つにつらいことがあれば、別の場所に逃げ込むことができる。

でも今のあたしに逃げ道はない。なぜなら、あたしが毎日行くべき世界はこの教室であり、好きな人も友達もこの中にいるからだ。


「メリークリスマス!」


朝、席に着くなり隣のブン太から、小さい袋に入ったプレゼントをもらった。たぶん中身はお菓子かな。去年のクリスマスももらったし、ブン太からお菓子をもらうのは何度もあった。その度に喜んで浮かれたりしてた。


「クリスマスは明日だけど。まぁ今日のほうがいいかなって」

「わー、ありがとう!」


ブン太は、あたしと仁王のこと知ってるんだろうか。もちろんブン太から、というか贈り物をもらうのは誰からでもとてもうれしい。
でも今は、やっぱり仁王のことばかり考えちゃう。頭から全然離れない。

ブン太のあれを見てから、仁王から逃げるように帰ってから。まだ話してないし、目も合わせてない。一学期なら隣の席だったけど、今は仁王はずっと後ろ。うちらの距離みたいに、遠く遠く感じる。


『放課後、屋上に来て』


あのことやうちらの進退に関しては何も触れず、たった一言だけ、仁王からメールが来たのは昨日の夜だった。正直どうすればいいかわからなくて、返事すらしなかった。

ただ、このままじゃダメだと思って。あたしは仁王が好きでも、仁王はあたしがかわいそうだから付き合ってと言ったとしても。どちらにしてもしっかり終わりを迎えないとと思った。


屋上に行くまでの間、もしかしたら仁王はあたしに謝ってくるんじゃないかと思った。ごめんって。

それがたぶん、あたしが考え得る中で一番つらい台詞だということを、彼は予想もつかないだろうな。


「………あれ」


大きく深呼吸して踏み出した屋上への一歩。俯き加減に入った(出た?)だけに、そこにいるのが誰なのか、頭が理解するのに時間がかかった。


「よう、工藤」

「よ、よー……あれ?…なんでブン太?」


さっきまで隣で授業を受けていたブン太がいた。ビックリした顔のあたしを笑ってか、緑色のガムがパチンっと割れた。

あたしが驚いたその理由その1、あたしは仁王に呼び出されて仁王に会いに来たということ、その2、今日はクリスマスイブでブン太はおそらく大事な大事な用事があるだろうにここにいること。

…その2は口に出さないほうがいいか。あたしが見てしまったことは知らないはずだし。


「や、なんか仁王に呼び出されたんだけど。お前はどーしたんだ?」

「え、あたしもなんだけど。仁王に」

「…は?お前も?なんで?」


あたしが聞きたい。なんでなのか。仁王があたしに何か話が…というかこないだの件含め、これからの話をするんじゃなかったの?

ブン太もブン太で、放課後屋上にこいっていうメール一文のみだったらしい。なんでって返信したけど何も返ってこなかったって。


「……ダメだ、電話出ねー」


すぐにブン太は仁王に電話したけど、仁王は出なかった。一体なんなんだ。ブン太はメールも送ったけど、もちろん返信はこない。一体なんなんだ。仁王は一体………。

よくわかんないけど。なんだかあたしは笑いがこみ上げてきた。ブン太は今度はあたしを不思議そうに見つめた。


「なんだよ、笑い出して」

「いや、仁王のことだから、“俺は行くとは言ってない”って言い出すんじゃないかと思って」

「…あー、たしかにそうだな」


ブン太は納得、といった感じで、深いため息をついた。

じゃあもうここを去るかな、と思った。たぶん仁王は来ないし。何がしたかったのかはわかんないけど、ブン太はたぶん忙しいし。
でもブン太は、その場に座り込んだ。


「…どうしたの?」

「あーちょっと」

「たぶん仁王来ないよ。あたしがもうちょっと待つから、ブン太は早く行かないと……」


言ってからしまったと思った。わざわざ言い出すまいと思ってたから。こんな言い方じゃ、知ってますよって言ってるみたい。なんで知ってんだよって、問い質されるかもしれない。
でもブン太はそんなことは言わずに笑った。


「まーいいから。お前も座れば?」


ちょっと前まであたしはブン太には多大な影響を受けてきた。何するにしても、ブン太がそうだから、なんて物差しのように考えてた。素直じゃないはずのあたしがね。
それは今も変わらないのかな。戸惑いながら、ブン太の隣に座った。

ただ、心の中ではブン太ではなく、仁王を待ってる。ブン太がいようがいまいが、ここに座ることを選んだだろう。それが前と違うところ。


「俺さ、お前に謝んなきゃってずっと思ってて」

「…え?」


謝んなきゃって、彼女ができたことだと一瞬感じてしまったのは、きっと心のどこかで、ブン太にとってあたしは特別だと思ってたからだと思う。

でもそうじゃなかった。ブン太は、その特別だと思わせたことを謝ってきた。


「まず1年前の、あの件な。お前を傷つけないように…と思ってたんだけど」

「…うん」

「でもどっちにしろ傷つけちまうんだから、もっとそこからの工藤のことを考えるべきだったろって」


あたしがブン太に気持ちを伝えたのはあれっきり。でもずっと好きだった。1年かけて諦めると決心したものの、無理じゃないかって思ってた。事実、仁王と付き合うまではそうだった。
彼とのことがなければ、もしブン太に彼女ができたと知ったら、あたしはどうなってたんだろう。


「あとはそのー…なんかお前は特別って感じの言い方が良くなかった」

「あー…」

「期待させるような対応はやめろって」


さっきから、そう誰かに言われたんだろうことはわかってたけど。誰にとはブン太は言わなかった。たぶん聞いても絶対言わない。

仁王は最後まであたしのことを考えてくれてた。きっと、ブン太に彼女ができたことであたしはショックを受けてると思ってる。
だからきっと今日こうやってあたしにこの時間をくれた。ブン太とこんな風にじっくり話す機会をくれたのは、彼のクリスマスプレゼントなのかもしれない。


「今日渡しただろ、プレゼント。中見た?」

「あ、まだだ。帰ってからにしようかなって」

「誰からだと思う?」


ニヤッと笑いながらブン太は予想外のことを言った。
誰からって。ブン太からじゃないの?ブン太からもらったんだから当然ブン太からだと。
そして仁王からは、このブン太と話す機会ってことかと………。


「俺は渡してって頼まれただけ」

「え!?」

「明日の帰りに渡してって言われたけど。もう冬休みだし、今日中のがいいかなって。たぶん中に誰からかって、書いてあるはずだぜ」


あたしはもともとプレゼントをもらっても、その場で開けることはない。なぜって、なんかそのときの空気感が恥ずかしいから。あげたほうは絶対どんな反応されるかドキドキするし、照れるもん。あたしだったら、誰かに何かをあげるときは中身は秘密にして、あとで開けて欲しいと思う。
そんな自分側の気持ちがあるから、あとで開けようと思ってた。


「ブン太」

「ん?」


あたしは立ち上がった。恥ずかしいからあとでなんてしなきゃよかった。


「よかったね。お幸せにね」


サンキューという言葉がすごくうれしかった。あたしからのこんなありきたりな台詞でも、ブン太は喜んでくれたから。
最後まで言わなかった。あたしのことを考えるべきだったなんて言ってたくせに、最後まであたしのことを傷つけないようにしてた。

あたしの男を見る目は間違いじゃなかったね、神様。今見てる男も。


教室に全力疾走で戻った。引退したとはいえ、最後の大会であっさり敗退したとはいえ、あたしの足はなかなかだ。

早くあのプレゼントの中を見たかった。すぐに見なくてごめんねって謝りたかった。

教室の扉を開けてすぐ、うわーまずい、と思ったし、同時に、よかったーって、思った。
仁王がいたから。行方不明のはずの。


「なんでこんなとこでシャボン玉吹いてんのよ、呼び出したくせに」


仁王は教室の窓から外に向かってシャボン玉を吹いてた。誰か来たってわかってても振り向かなかったし、声であたしとわかったはずだけどそれでも振り向かなかった。


「屋上がお取込み中じゃったから」

「仁王が取り込み中にしたんでしょ」

「もう終わったんか?」


話が終わったということ以外にも、仁王にとっては、あたしの心の整理がついたのかどうか、それを聞いてるようにも感じた。

そんなのとっくについてるのにね。


「仁王、ありがとね」

「……」

「プレゼント」


あたしはまず、仁王のほうに行くのではなく、自分の机に置いておいた鞄の中から、あのプレゼントを出した。
その行動を、仁王はやっと振り返って見てた。あたしの苦手な空気感だけど。そんなことよりこれは大事なんだ。


「……なにこれ」


ブン太にもらったと思ったからお菓子かなって思ったけど。出てきたのは、よくわかんないキャラクターのマスコットだった。
おまけに『あなたの彼氏より』ってメッセージカードに書いてある。えらいカッコつけた言い方ね。


「知らんのか?数年前ゆるキャラグランプリで124位と大健闘した…」

「知らんよそんな微妙な順位のキャラ!なにこれ、人?イルカ?」

「ジンベエザメじゃき。沖縄の」


ジンベエザメ、あーつまり。仁王の言わんとすることがわかった。
これをペンケースにつけろと。そういうことだろうね。

あたしはおとなしくペンケースから元いたジンベエザメを外して、新しいジンベエザメを迎え入れた。
…これはこれでかわいいかもしれない。なるほど、ゆるキャラとは、見れば見る程味が出るってわけね。


「…ありがと」

「こちらこそ」


なんで仁王がこちらこそなんだ、そう思ってたら、仁王はあたしの横、つまりブン太の席に座った。


「ようやく顔が見れたぜよ」

「…顔?あたしの?」

「そう。最近ずっと前向いとったから見れんかった」

「そーだっけ…」

「まぁ、横向かれると向かれるでムカつくんじゃけどな。でもやっぱり見たかったからの、ここで待っててよかった」


仁王の席からは、たしかにあたしが横を向かない限りあたしの顔は見えない。
横、つまりはブン太のほうをってこと。それはそれで嫌だと、はっきり言う仁王がなんだか……。

ダメだな、これ以上言うときっと膨れちゃうから。


「で、返事は?」


今日はクリスマスイブ。恋人たちにとって最高に幸せな日である今日は、
ちょうどあたしが仁王と付き合うと決めてから1ヶ月だ。

返事は?じゃないよね。普通はこないだのことから話題は始まるんじゃないの?おまけに今日あたしとブン太をはめたこと、まぁ結果オーライだけど、変な感じになってたらどーするつもりだったのよ、まったく。

そういうごちゃごちゃした話はいいと。とりあえず今日までに、俺を本気で好きになったかどうか言えと。

いや、俺のことが好きと言えって。そういう目だった。


「…えっと、そのー…今さらだったらあれなんだけど」

「うん」

「なんか自分でも意外というか…仁王が言った通りというか…、あたし、仁王のこと…」

「俺は奈々のこと好いとうよ」


人の話を聞けー!…と言う前に、仁王にふんわり包まれた。椅子と椅子に座ってるから少し距離はあるけど、あの落ち着くような匂いが届いた。
そのあと、自信たっぷりだったはずの仁王がよかったと、そう安心したようにこぼして。なんだか胸にぐっと来た。


「…もーなんなのよ」

「何が?」

「あたしだって、ちゃんと仁王に…」

「もう十分。これ以上言わせるのは心臓がもたん。ドキドキし過ぎて」


あたしだってそうだよ。仁王は、こうやって行動を起こすよりもずっと、その言葉であたしの気持ちを掴んできた。

ずっとずっとあたしのそばにいた。それはこれからも変わらないでいてほしい。

それだけはなんとか伝えたくて、くっついて動かない仁王を、『とりあえず離して』と押し退けたら、やっぱ奈々は冷たいって言われた。

でも次の言葉は喜んでくれた。これは、素直じゃないあたしからの最高に素直な言葉。
クリスマスプレゼントってことにしといてもらった。

 
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