言葉なんて期待できない


「若菜ちゃん」



例の空き教室へ行くと、若菜ちゃんが机に伏せて泣いてた。



「におー…っ」

「はいはい。どうした」


息を整えつつ隣に座った。走ってきたから息が上がっとった。
涙で顔がぐちゃぐちゃの若菜ちゃんの頭を撫でると、より一層涙が出てきた。



「ブン太ね、実香ちゃんが、好きだったんだって」

「昔じゃ昔。本人から聞いたんか?」

「メール見た」

「だから携帯なんか見るなって言うたやろ」

「見なきゃよかった。でね、実香ちゃんにね、“今日いきなり変なこと言ってごめん”ってね、謝ってた」

「ほんと変なことじゃな。バカにも程があるぜよ」

「ブン太にね、直接聞きたいのに、怖くて聞けない…っ」

「聞かんほうがいい。またケンカになる」



気づいたら俺は、若菜ちゃんの手を握ってた。慰めるつもりだったのか、何なのか。

高松さんの顔が頭を過った。高松さんを俺のものにしたくて、ブン太に渡したくなくて、俺は高松さんの手を掴んだはず。
でも今は、若菜ちゃんの手を掴んどる。悲しむ若菜ちゃんを見たくなくて、元気になってほしくて、ほっとけないんじゃ。



「仁王…っ」



若菜ちゃんは俺の手を両手で握りしめた。

その仕草に俺は不覚にもドキっとした。とともに、俺の視界がぼんやりしてきた気がした。若菜ちゃんが可愛らしい女の子に見える。ワガママでうるさくて面倒くさい子なのに。

目の前で、ブン太が自分のもとから離れないように、ブン太が自分を好きであるように祈る、それだけなのに。

“恋はいつの間にかすぐそばにある”
流行りの歌にもありそうなフレーズ。
俺はやっぱり、若菜ちゃんが好きだったのかもな。ブン太や高松さんが言ったように。

それが正解なのか?
じゃあ、今俺の心の中にいるのは…?



「若菜ちゃん」



空いていた左手で、若菜ちゃんの頭を抱き寄せた。

何やっとるんじゃろ。前までは、若菜ちゃんが泣いてたら俺もなんだか悲しくなるって感じじゃったが。
今はそれ以上に、胸が痛い。
その理由はわかっとる。若菜ちゃんが泣いとるせいじゃないって。

そう思いながらも、この手を離すことはできなかった。若菜ちゃんは俺に身をすべて預けることはしなかったから。

そういうところがまた、若菜ちゃんのいいところ。俺と若菜ちゃんの距離、ブレーキを、境界線をようわかっとる。ブン太に対してはちょっと基準値厳しめじゃけど。



「あたし…」



胸の辺りで若菜ちゃんの少し震えた声が響いた。



「フラれても、きっとずっと、ブン太が好き」

「わかっとるよ、そんなの」



笑いながら言うと、若菜ちゃんの微かな笑い声が聞こえた。
応援しとるから。そう言うと、ありがとうと返ってきた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「仁王どこ行ったんだろーなー」



授業途中(つーか最初)に出てったきり、結局終わっても戻ってこなかった。メールしても返事こねーし、電話も出ない。まぁ別にいてもいなくてもいいんだけど。高松と二人だし、別にいいんだけど。

とりあえず授業終わった教室でそのままいることにした。



「仁王君から返事きた?」

「や、まだだな」

「そっか。あたしもまだ」



高松はさっきから携帯いじくってて、問い合わせをしてるっぽかった。

さっき、とりあえず外出るかって聞いたら、まだいいって意味不明な言葉が返ってきた。

もしかして、仁王のこと待ってんのか?
俺は、今日別の友達と待ち合わせあったなーと思いつつ、高松が動かないし、動けないでいた。



「なんかさっきの仁王、変だったよな」

「うん」

「呼び止めても無視して行っちまうし。なんか携帯いじってたし、緊急連絡でもあったのかもな」



緊急?仁王が慌てるほどの?
考えられるケースとしては、身内の不幸とか。友達になにかあったとか。こたつつけっぱなしだったのを急に思い出したとか。机の上にエロ本置きっぱなしで母親から“部屋掃除しときました”メールがきたとか。どれもピンとこねーけど。

…友達になにかあった?
俺は何となく思いついて、若菜に電話した。



「あーもしもし、若菜?」



若菜はすぐに出た。けど、鼻声だった。仁王どこいるか知ってる?って聞こうと思ったけど。



「…お前、泣いてんの?」



俺がそう聞くと、わーんと泣きながら、ブン太が悪いーとか、実香ちゃんがーとか、よくわかんねぇこと言ってた。

よくわかんねぇこと?いや、俺としては身に覚えがある。またこいつ、人の携帯見やがったな。

目の前の高松は、俺のほうを見ながら黙って話に耳を傾けてた。
向こうの声が聞こえてなきゃいいけど。



「…わかったわかった。ちゃんと話聞くから。お前今どこ……え、仁王も一緒?」



仁王、どこに行ったかと思えば若菜のところかよ。さっき過ったことはビンゴだった。

あいつ、やっぱり若菜のこと…。



「じゃあとりあえずそっち行くから……あ」



俺が若菜との電話を〆ようとしたとき、高松が席を立った。鞄持って、教室出ていこうとしてる。



「…あー、ちょっと待ってて、あとでまた連絡するから。…するって、ちょっと待ってろ」



多少強引に電話を切って俺も鞄を掴んだ。高松はもう教室を出るところだった。俺は急いで追いかけた。



「高松、帰んの?」

「仁王君戻ってこないみたいだし」



振り返らず、俺のほうも見ずに高松はそう言った。



「丸井君も若菜ちゃんとこ行かなきゃでしょ?」

「あー…」

「あたしは帰る。じゃあまたね」



彼女が俺が原因で泣いてる。しかも友達に、もしかしたら取られちまうかもしれない、そんな緊急時。頭ん中では焦ってたかもしれない。仁王てめ若菜に手出したらぶっ飛ばすぞなんて勝手なこと考えてたかもしれない。

でも、目の前のこいつが気になって。背中がすごく寂しそうで。

腕を掴んだ。



「なんか、仁王とあったろ」



少し待ったけど返事もしない。頑なに俺のほうを向かないもんだから、無理矢理肩掴んでこっち向かせた。

やっぱりじゃねーか。



「泣くなよ」



ふざけんなよ仁王。何ガラでもねぇ有言実行してんの。
俺が若菜とこいつの間で揺れてるから?若菜守りたいから?そんで結局若菜ほっとけないの?でもどうせ慰めるラインは越えられないんだろ?

何も悪くない女一人傷つけてまで、お前が手に入れたかったものって何?
だからそっとしといてほしかったんだよ。



「久しぶりに泣いたの見たな」

「……っ…っ」

「こないださ、公園で飲んだとき、俺言ったじゃん?…二人でどっかって」



高松は涙を拭きながら小さく頷いた。



「それ、今日でいい?」



約束あった友達に断りを入れ、高松連れてやってきた。

海。正直この季節、風避けもない浜辺は寒い。せめて秋なら足だけでも入りたいけど、今は足元に寄せられる波が凶器に見える。…が。



「仁王君のバカぁぁぁ!」



隣で海に向かって叫ぶ高松はずいぶん有意義そうだ。まぁ、海に来たいって言ったのこいつなわけなんだけど。ストレス発散できて何よりだけど。
よっぽど堪えたんだろうな。



「そんな叫んだら明日喉痛くなるぞ」

「いいもん」



ぐすっと鼻を啜ったのは、寒いから以外にまだ涙が引いてないっていうのもあるだろう。

さっき海について、浜辺に座りながら経緯を聞いた。思わず俺が、あのバカって言いそうだったところで、こいつが急に立ち上がり、叫び出したというわけだ。



「とりあえず座ろうぜ」



落ち着かせようと肩をぽんぽんしながら座らせた。高松はまだ、収まらない様子。



「あたしさ」

「うん」

「仁王君が好き」



さっきの海への叫びとは少し違うけど。しっかりとした口調で高松は言った。膝に置いた手には、例のキーホルダーが握りしめられてた。ブタのキーホルダー。

俺がやったやつ。だけど、仁王との思い出でもある。
こいつにとっては、いじめられたことも全部仁王が吹き飛ばしてくれた、大事なものだったのかな。

女は男よりずっと、関係を持ってからのほうが愛や情が深まるって聞いた。そのせいもあるのかもしれないけど。

仁王が好きって言った今のこいつの表情、きれいだ。俺にはそんな顔、見せてくれないくせによ。



「………かも」



ワンテンポ置いて、高松は付け足した。
おい。さっきずいぶんキリッと言ったけど。何あっさり自信なくしてんの。



「“かも”なんて言葉で濁すなよ」

「……」

「ちゃんと“好き”って言葉にできるぐらいの気持ち持ってんじゃん。なら、“かも”なんてつけんな」



せっかくの“好き”が、もったいねーだろぃ。
言ったら、また高松はすすり泣いた。

今こいつは傷ついてるかもしれない。なんでお互いの気持ち確認し合ってからしなかったのか後悔してるのかもしれない。

それでも今、好きだって思えるんなら、
まだ絶対間に合うんじゃねーかな。



「でも仁王君は」

「……」

「若菜ちゃんのこと…」

「んー…どうだろな」



実際どうなのか、俺にもよくわかんねぇ。
前に聞いたときは、あんなうるさいガキいらんって切り捨てられたけど。

あいつが高松に手を出したことが、高松が好きだからなのか若菜のためなのか。

後者だとしたらちょっとヤバいやつ。
前者だとしたら。



「あいつ、お前と再会する前の話だけど。恋愛したいって言ってた」

「へぇ…」

「なんかいつの間にかそいつのことばっか考えたり、そいつの前でいいカッコしちまったり、なんかベタな恋愛したいって」

「あの仁王君がねぇ」



ふふっと高松は笑った。ようやく。さっきから泣いてばかりだったけど、ようやくな。
それだけで今俺が、こいつの横にいる意味がある。よかった。

今の話、仁王の、その相手が誰なのかってこと。それは俺からは言えない。



「仁王とちょっと話し合えよ」

「えー…っ」

「そうしないと進まねーだろぃ?俺も若菜とちゃんと話すし」

「…別れるの?」



波の音にかき消されそうなぐらい、小さな声で聞かれた。

立ち上がって尻についた砂を払った。そろそろ帰んないと、いい加減若菜のことも心配だ。



「俺さ」

「……」

「再会してから高松のこと、ちょっと好きだった、かも」



さっきの俺の言葉を皮肉って、笑ってそう言った。

そしたら、
あたしもちょっといいと思っちゃった…かも?なんて笑いながら返してきた。



今の俺たち、俺も高松も仁王もきっと、“好きかも”なんて程度の思いがある。
それはそれぞれ否定はできねーだろうし。ただ一人だけを思い続けるなんて、大人であれ子どもであれ人には難しいことぐらいわかる。

でもきっと、“かも”程度の思いだったら、すぐに消えるから。
少し痛んでも、後悔したとしても。大丈夫だよ、今の俺らは。
中学生じゃない。もう自分で自分のことを決められる、決めなきゃいけないんだから。


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