畏れていたきざし (4/10)
バーバラが逃げ出すとレックのそばにいた護衛の兵がレックに声を掛けようとしたがそのことに気づいたメイドが兵を連れて、そそくさと部屋から出ていった。それをレックは確認すると苛立ったように髪をかきむしる。
「……なにやってんだよ、オレ」
泣いているバーバラを見たレックは溢れ出す感情を抑えることが出来なかった。婚約者のミレーユがいるというのに何故自分がそんな行動をしてしまったのかレックは既に分かっていた。ただそれを認めるということはミレーユはもちろん、ミレーユの弟のテリーも応援して祝福してくれた仲間や両親にも申し訳がないとレックは考えていた。国の民には既に婚約者がいることを発表しており、レイドックの城下町はまだ結婚式まで3ヶ月はあるというのに毎日がお祭り騒ぎであった。そんな国民を無下にするわけにもいかなかった。レックは王子であるから周りの期待には答えなくてはならない。決して国民たちに不安を持たせてはいけない。王族は国民たちの見本にならなくてはならない。それが王族の使命だ。それなのにレックはそれすらも投げ出してバーバラを手に入れたいとも考えてしまった。そんな自分の考えにレックは舌打ちした。
(…今日はもう寝よう)
今日の公務は幸いにも数が少なかった。今、寝たって何の支障はない。正式に王になるまではまだこうやって気楽な生活をしたいとレックは考えていた。そもそもレックはもともと山奥のライフコッドで育った田舎の人間だ。自給自足な生活で食べ物は全て畑を耕して手に入れた。本当に必要なものがあるときは村のなかで若くてそこそこ腕が立つレックやランドが山を降りてマルシェに買い出しをする。たまに子供たちの剣の稽古をしたりとそんな生活をしていたレックにとって今の生活は正直苦痛以外の何物でもなかった。
(一番幸せだったのは旅をしていた時だったなぁ)
旅をしていた時は何もかもが新鮮だった。頼れる仲間たちと最愛の少女がいて、家に帰れば可愛い妹がいる。レックにとってそれは極上の幸せだった。戻れるならもう一度戻りたいと何度もレックは願った。しかし本当は分かっていた。そんなことは叶うはずがないのだと。前を進むことでレックは寂しさを紛らわした。その結果がこの様だとレックが自嘲していると兵がミレーユが来たと報告してきた。いまいち気分は乗らなかったがミレーユを悲しませるわけにもいかずレックは自室に通してくれ、と伝える。ミレーユが会いに来る時は決まってレックの自室で二人っきりの時間を過ごした。ミレーユを悲しませないために。ミレーユを愛するために。
自室に向かい、数分するとミレーユが部屋に訪れた。
「レック!」
花を咲かせたような少女らしい笑顔でミレーユがぎゅうっとレックの体に抱きつく。レックはミレーユのその笑顔が好きだった。年上の彼女に甘えられるのは頼られている証拠だし、なによりいつもはしっかりしている彼女が自分だけに見せる顔が好きでたまらなかった。レックは自然と表情が緩み、ミレーユのさらさらな髪を撫でる。
(……バーバラはもっとふわふわしてたな)
バーバラのおろした髪を撫でたとき、髪がふわりとさらりの中間の触り心地だった。髪を撫でてやると気持ち良さそうにバーバラが笑うためレックはよく撫でていた。
どこか遠いところを見ているレックの姿はまるで一年前みたいでミレーユは少しだけ眉をひそめた。
「…レック…?」
「…あ、ああ、ミレーユか…」
「ふふ。変なレック」
不意に名前を呼ばれ、目の前のミレーユがバーバラと一瞬重なったが瞬きをすればそこにはちゃんとミレーユがいた。末期だ、とレックは頭を抱えたくなった。ミレーユと一緒にいるというのにバーバラのことを考えてしまうことに言い様のない罪悪感に襲われ、レックは力一杯にミレーユの華奢な体を抱き締め、自室にあるベッドに押し倒した。
「れ、レックったら…まだ昼よ?それにこの前だって…」
「いいだろ?ミレーユを抱きたいんだ」
頬を真っ赤にしてあたふたと困惑するミレーユの唇にレックは自分の唇を重ねてそのまま二人はベッドに沈み、そのまま貪るように甘く溶けた。
***
二人でベッドのシーツに身を包む。ミレーユに腕枕をしてやりながら秘密話をするようにひそひそと話す。少し体はだるいがその倦怠感は嫌いではないとレックもミレーユもそう思っていた。ただレックはバーバラのことが胸に引っ掛かっていて、今にでも眠りたい気分だったがミレーユを不安にさせるわけもいかない。服を纏っていないミレーユの体を片手で抱き寄せてキスをする。
「…私、レックにこうされるの好きよ」
「…うん、オレも。」
レックの答えに嬉しそうにミレーユははにかむ。
「あのね、今日あなたに会いに来たのはもちろんあなたに会いたかったっていうのもあるけれど夢占いで見えたものをあなたに伝えるために来たの」
「ふーん。ミレーユはオレに会いたくて会いたくてたまらなかったんだ?」
レックの意地悪な言い方にミレーユは頬を少し膨らませ、小さく意地悪…と呟く。
「ごめんってば。ちょっとからかいたくなったんだよ。ほら、あんたって意外とからかいがいがあるからさ」
「年上をからかうものじゃないわよ?」
「また子供扱いかよ」
「そういうわけじゃ…って話を逸らさないの!」
いつものやりとりに二人の間に笑いが生まれる。
「実はバーバラが見えたの」
ミレーユの言葉にレックはやっぱり、と思った。レックとしてはこの話題については触れてほしくなかった。対してミレーユは探るような目でレックを見つめている。些細な感情の機微を見逃さないように。
「…そっか。それで?」
「それでって…気にならないの?バーバラのこと」
ミレーユにはすぐにわかった。レックは私に何かバーバラのことで隠している。バーバラのことだから恋人であったレックに真っ先に会いに行くのは当然だとミレーユは考えた。
(あれだけ仲よかったんだから…。)
ミレーユは少し胸がチクリと痛くなった。
「…オレが今、好きなのはミレーユだ。バーバラじゃない。だからさ、もうバーバラの話はやめないか?」
レックは苦しそうな表情で自分に言い聞かせるように静かに言った。ミレーユは悲しそうに目を伏せて頷いた。
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