読めない書物と知識欲
「読めない。」「全く?」
「うん。」
「そうですか…」
私とリトは書斎の読書スペースにいる。
「いやなにこの本の量。書斎のイメージじゃないよ図書館でしょこれ。」
「そうですか?本としてまとまってるのは確か十万冊もいってませんよ?」
「十分多いわ。読書スペースとかある時点で書斎じゃねーよ」
父は異世界のものと思われる他の文献を奥で探している。同じ文字がチラチラ見えたから全て同じ言語だとは思うが、念のため。
「それで、本当に何もわかりませんか?せめてさっき貴女が言っていた文字の種類などは…」
「あーうん。てかこれ何年前の本なの?」
少し退屈そうな表情をしながら、リトはペラペラと本をめくる。
「ざっと千年」
「わかるかぁい!」
パァン!と本を閉じられてしまった。
「ちょ、ちょっと、もっと大事に扱ってくださいよ!いずれわかるかもしれない大事な資料なんですから。」
「うるせえ。千年前なら最初から行ってよ。日本語でもわかんないよそんなの。」
「すみません…でも!」
「でもわかったことならちょっとあるよ。」
また本を広げ、何かを探すそぶりを見せた。
「あぁあった。ほら見て、『曰』」
「いわく?」
リトの示すところを見ると、なにやら四角い文字があった。
「『誰々が言うことには』って意味の漢字。表意文字。これがあるってことは漢文、ってのは中国、えーっと、私のいた日本のお隣さんの文字だ。あまぁ他の国が使ってたりもするかもしれなくもないけど。」
「へえなるほど。あれ?読めてるじゃないですか。」
「一応授業で習うんだよ。お隣さん強くって、うちの言葉もそれに影響されてるからさ。でもそれはエライヒトが付けた記号を手掛かりに解読するってのが主で、白文をこれ一冊読んで行くのはちょっと私じゃ無理があるよ。」
白文というのは、記号のついていない文ということでしょうか。
「ま、文字の種類がわかっただけでも大きな収穫です。ありがとうございます。」
「どういたしましてー。」
「しかし…どうしてレイヤ・ハーチェスはこの文字を選んだのでしょう?その中国は強いのですか?」
「千年前だか知らないけど、古くて有名な言葉っつったら中国語かラテン語かの二択だと思うよ。でもレイヤが中国とかそこらへん出身者だからってのは無いのね。」
「多少その可能性はあるでしょうが、あのトラム様やロイル様のご先祖がそんな理由で後世に残す書物の言語を選んだとは思えないのです。」
「…私は、あんたらに教えたくてこれを書いたわけじゃないように思えるけどね。」
リトが、本の表紙の文字を撫でながら呟いた。
「何故、そう思うのです?」
「もし本気で残したいなら、こっちの文字で残せばいい。言葉を知らないにしても、せめてここの言葉に近そうなのとかさ。こいつらはずっとここにあったんでしよ?」
「おそらく。」
この屋敷は、レイヤが息子であるデニーラの誕生に合わせて作らせたものだと聞いている。そしてその当時からこの本達もあったと。
「ああでも、こんなにたくさんの紙が集められる頃には言葉も覚えてるか。だからやっぱりこっちの世界には無い表意文字で残されてるってのは、ちょいと違和感がね。もし私らの世界の人に残すつもりなら、また話は変わってくるだろうけどさ。」
「では貴女は、これが貴女達へ残す記録だというのですね。なるほど。なんとなく内容に目星はつきましたが、私たちの全く知らない内容だという可能性もある、と…。」
「あんたねぇ。」
メモを取り始めた私を遮るように、リトはメモの紙面に手を置いた。
「リト、インクが。」
「こいつらにはあんたらに知られたくないことな書かれてるなんて発想は無いわけ?」
「ああ、そうかもしれませんね。」
リトの手についたインクを拭き取るように、とちり紙を渡した。
「…なら、知らないでいなさいよ。」
「嫌です。」
こればっかりは譲れない、と私はリトをまっすぐに見た。
「例え私達に知られたくない内容だとしても、私は知りたいんです。」
いつもの仏頂面よりも更に渋い顔をするリト。私達の間に、暫しの思い沈黙が降りた。
「それに、もし本当の本気で知られたくないんだったら書物に残さなきゃいい。」
そこに、二人のものではない少しのんびりとした声が通り過ぎた。
「こっちの宗教を私は知りませんが、懺悔室とかないんですか。ただ自分の罪を吐き出すだけでいいっていう。そういうのは誰に知られたいわけじゃない。」
「でもやっぱり残すってことは多少知られたいんだよ。きっとね。はい新しい本。違う言葉っぽいのもあったから、まずこれから行ってみよっか。」
「違う言葉?」
てっきり、全て同じ言葉だと思っていた。
父の差し出した書物を見ると、それは私の知らない青い装丁をしていた。
「え?あれ?こんな本あったの父さん」
「いやぁ私も知らないよ。さっき見つけてね。別の分厚い本の間に挟まってたから気づかなかったのかも。こんな薄っぺらい本なんてねぇ。」
「本っていうかノートですね。」
リトはそういいながら、自分の鞄から何かを取り出した。
それは、この装丁がそのまま赤くなっただけの同じものだった。
「これ、私が日本の学校で使ってた国語のノート。」
「え、それってつまり…」
この本、いやノートは、少なくともリトと同時代のものだということになる。
「リトさん、早く読んでください!」
父がワクワクしながら私の隣に座った。
「いや、このノートがどこから来たかとか…まあいっか。とりあえず見て見ますね。」
リトが、私達の目線に押されつつ、そのノートを開いた。
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