百鬼夜行

 夜。皆が寝静まった頃を見計らって、私とシュウは中庭に出た。
 中庭の真ん中程でシュウは元の大きさに戻り、私はそれにまたがった。このもふもふの白い毛並みに包まれるのも久しぶりだ。
〈いい?いくよ?〉
「ああ、大丈夫だ」
 私の状態を確認し、シュウは四肢に力を込めて月も星もないイセンの夜空に飛んだ。
 ものすごい速さで宵闇の中を進んで行く。空中にいる間は、人には見えぬ妖怪としてシュウが自分と私を隠す。だから誰かに気づかれる心配もない。
 向かう先は、皇居の裏の鬱蒼とした山の中だ。
 この山の中腹には、創始様と呼ばれる、イセン建国者にして私達皇族の先祖である楼黎様が祀られているという社がある。創始様は騒がしいことがお嫌いだったと言われているので、年に二回、春と秋に大掃除という表現の方が正しいような祭りが行われるのみで他はほとんど誰もいない。
 私達が向かう先は、そのさらに裏だ。
 枝々の間を縫って、シュウは地面に降り立った。私もシュウからおりて自分で歩く。
 しばらく山道を進むと、前方に人影が見えた。目を凝らすと、それは人の良さそうな顔をした老女だった。
「おや、坊ちゃん。こんな夜更けにどうしたの」
 その老女に猫なで声で話しかけられた。少しだけ笑がこみ上げる。
「ほら、迷ったんならばあと一緒においで」
「私の顔も忘れたか、隠し婆」
 隠し婆とは、神隠しをするとされる妖怪だ。
 その隠し婆が、少し考える表情になった。
「…もしや、その声は」
〈びゃくだよ!びゃくが帰ってきたんだよ!!〉
 シュウが嬉しそうに言ったのを聞いて、隠し婆は驚いた。そしてそのあまりさきほどの人の良さそうな顔が崩れ、目はかっ開き口は裂け、まさしく『物の怪』と呼ぶにふさわしい形相になった。
 昔はこの変わりように怯えたものだが、今となってはもはや懐かしい。
「おや白かいな!こりゃあ今夜は宴会だの!」
 隠し婆は私の手をひんづかみ、山奥へ引っ張って行った。やはり妖怪だけあって力はや速さは凄まじく、私ですら転びそうになる。
 ほどなくして、先程まではなかったはずの、大きな館が見えてきた。
「ほれおぬしら。白が帰ってきたぞ!」
〈びゃくだよー!びゃーくー!〉
「お、おいお前ら…」
 戸を開け入るなり隠し婆と子狐化したシュウが大声でそう叫びながら走って行った。
〈うそ、びゃく?!〉
 まず最初に、白い子犬が走ってきた。
〈びゃくびゃくおかえりすねこすらせてーーー!!!〉
「うわっちょおい」
 ブーツを脱ごうとするのを邪魔するかのようにその子犬、すねこすりが足の間に滑り込んできた。しかししばらく足にまとわりついたのち、つと止まり落ち込んだ表情で私を見上げた。
〈…すねぇ…〉
「え?あ、すまない!」
 ブーツはお気に召さなかったようだ。
 そんなことをしている間にも、館の奥から数えきれぬほどの妖怪たちが出てきた。一つ目入道にろくろ首、座敷童、猫又とフーライ猫、火吹き婆百目がしゃどくろ亀姫牛鬼岩魚坊主かまいたち三兄弟河童手長足長お歯黒べったり蜘蛛女笑い男猿鬼かまいたちその他鬼・天狗勢…他にも出てくる出てくる。みんなに声をかけられるが、混ざり合って聞き取れない。
 その歓迎という名のもみくちゃ状態を止めたのは赤い髪に赤ら顔の酒呑童子だった。
 酒呑童子は妖怪たちをかき分けて私の前に来、私の頭をガッと掴んだ。長い爪が食い込んで少し痛い。
「…本当に白か?」
「ああ」
 証拠にと、チラリと目を緋色に光らせた。すると不気味な笑み、妖怪にとっての満面の笑みを浮かべ、私をひょいと抱え上げた。
「な、なん」
「おい御前ら!今夜は宴だ!各々準備をしろ!」
 途端に、文字では到底表現できない歓声があがった。
 そして散り散りに散って行く妖怪たちの間を、酒呑童子が私を抱えたまま歩き出した。
「おい下ろせ。自分で歩く」
「いいから甘やかされていろ。だが御前、人間の15?6?にしては小さいな」
 怒りを込めて酒呑童子の角をもぎ取る勢いで引っ張ると、悲鳴をあげて放り出された。すかさず足にまとわりつこうとするすねこすりを取り上げ、シュウにあずける。
 館は大きく、宴会が開かれるであろう大広間までの道のりは長いので、その間に少々説明をする。
 彼ら妖怪とは、私の母が死んだその翌年辺りからの知り合いだ。私が夜更けに家を抜け出してこの山に入った時、先の様に隠し婆のかどわかしにあいここへ導かれたのがきっかけだ。
 大半の妖怪の好物は人肉だ。しばしば口減らしの為の捨て子を中心に人が消え、その数があまりに多いと皇による警告をするということを何度も繰り返した末、今では人と妖怪のバランスを保っている。
 当時の私はそう話に聞くように妖怪に食べられるのかと怯えたが、話を聞くと皇族、中でも能力の強い者は不味く、妖怪を食べた時の様に腹を下すのだそうだ。おそらく皇の者と妖怪は近しいのだろう。私などはもしかするとほとんど妖怪なのかもしれない。
 そう思ったのは、妖怪達から出された食事を食べても、元の人の世に帰れない黄泉戸喫がおこらなかったからだ。酒呑童子によると、黄泉戸喫がおこらないのは皇の直系でも珍しいそうだ。
 その後、自由気ままな妖怪たちといるのは、当時味方もなく息の詰まる様な貴族社会に生きていた私にはとても面白く、又シュウやすねこすりといった遊び仲間もできたことで、度々こちらへ遊びにくるようになったのだ。私が母の死から立ち直れたのは、彼らのおかけだろう。
 大広間についた。
 その奥、つまり上座の向かって右には、シュウの元の大きさよりももう一回り大きな狐がいた。シュウの母親だ。
〈おかあさんただいま!〉
 シュウも元の大きさに戻って駆け寄って行く。
〈おかえりなさい〉
 母子のじゃれ合いに和む。
「そういえば、シュウはどうして閉じ込められていたのだ?」
 上座へ進みながら聞くと、シュウが母親に鼻をこすりつけながら話した。
〈びゃくがなかなか来なくってね、心配して見に行ったら、あの青い人に捕まったの〉
〈青い人?〉
「私の兄だろうな…すまない」
〈あらあ、あなたが気に病むことではないわよ〉
 母狐に、顔を優しく舐められた。
 母が死んでからは、この母狐を母親のように思っていたのを思い出した。
〈びゃくもシュウもいなくって、さみしかった…〉
 すねこすりがしょんぼりと私の足元でそう言った。
「それで、白はどうしてここ五六年来なかったのだ?その兄に閉じ込められでもしたか?」
酒呑童子が上座の左側に座って私に聞いた。
「話そうと思うが、長くなるぞ?」
「なに、夜は長いんだ。ゆっくり話せ」
 私が酒呑童子の手招きで母子狐と酒呑童子の間に座ると、ちょうどそこに食事が運ばれてきた。
「そうだな。話したいことは沢山ある」
「おう。あ、己にもいっぱいあるな。少しは時間を譲れよ」
「ああ」
 そうして妖怪たちの宴が始まった。
 私はしばらく話していたが、旅の疲れもあったのか、すべて話し終えぬうちに眠ってしまった。シュウのふわふわの腹の上でふわふわのすねこすりを抱えながら。




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