第二章
・会場裏
ドアを開けると目の前に人がいる
渚 「うわぁっ!」
俊祐 「何がうわぁだ。おい先生」
見上げる
渚 「なんだ、びっくりした…。そんなところに立ってないでくれよ…」
中に入る
俊祐 「それが俺に対して言う台詞か!?」
振り返って俊祐を見る
渚 「今日はいつもに増しておしゃれだね」
俊祐 「せーんーせーいー……」
渚 「うそうそ!ごめん!」
笑っている
俊祐 「もういいよ。その顔見たら全部分かった」
椅子にどかっと座る
渚 「本当にありがとう。どうにかなりました…」
俊祐 「あぁ。よかったな」
渚 「うん……」
赤くなる渚
俊祐 「くっそ!おい!先生!」
渚 「はい?」
俊祐 「キスさせろコラ!」
俊祐、渚を抱きしめる
渚 「ハハハッ!駄目だよ。春に怒られる」
俊祐 「あーもうなんだよその顔。…あの時無理やり犯してればよかった…」
渚 「え?」
俊祐 「なんでもねぇよ。それより、これ。やる」
紙袋を渡す
渚 「あぁ、ありがとう。なにこれ?」
俊祐 「中見れば分かる」
渚 「そう……」
中を見ると、一着のデザインスーツが入っている
渚 「これ」
俊祐 「あんたももう有名人なんだからさ。いろんなとこ行くんだろ?よかったら着て」
渚 「嘘…これすごいよ…?」
俊祐 「それはどうも」
渚 「君やっぱり天才だね……ありがとう。大事にするよ」
微笑む渚
俊祐 「……」
渚 「?哉家?」
俊祐 「いや、なんでもない。っつかそれ、俺のブランド第一号」
渚 「えぇ!?そんなの貰っていいのか!?」
俊祐 「先生だからあげるんだろ。絶対着ろよ!あと宣伝しろっ!」
渚 「ハハハッ。うん。分かった」
俊祐、鼻でため息をつく
俊祐 「で?永久は?」
渚 「えっと……」
俊祐 「どうせあの後盛り上がっちゃったんだろ?」
渚 「……」
俊祐 「少しは否定しろよ…」
渚 「あ、いや、その…」
俊祐 「まぁいいや。先生のその顔見たら安心して俺も出て行ける」
渚 「え?どっか行くのか?」
俊祐 「あぁ、ちょっとアメリカまで」
渚 「そうか…」
俊祐 「何、そんな悲しい顔してくれるんだ?」
渚 「そりゃあ君には色々感謝してるんだ。モデルの事だってそうだし、君に出会ってから凄く楽しかった」
俊祐、立ち上がり渚の前に立つと上を向かせる
俊祐 「そんなこと言うんだったら、最後に一回ヤらせてよ」
渚 「か、哉家…?」
俊祐 「なーんてな。嘘」
ドアの方へ行く
渚 「……」
俊祐 「なぁ、先生。あの絵、ほんとに俺でよかったのか?」
渚 「あぁ。当たり前じゃないか。君にしか出来なかったよ」
俊祐 「そっか。うん。分かった」
渚 「……」
俊祐 「あのさ。あの絵、俺にくれない?」
渚 「え?」
俊祐 「思い出に。いくらでも出すからさ」
渚、微笑むと首を振る
渚 「必ず君に届けるようにするよ。ありがとう」
手を出す
俊祐 「……」
その手を取ると、一気に引き寄せ抱きしめる俊祐
渚 「哉家」
俊祐 「先生に会えてよかったよ。最後に一つ聞いていい?」
渚 「?」
俊祐 「あいつが帰ってこなかったら、俺のこと好きになってくれた?」
渚 「……どうだろう」
微笑む渚
俊祐 「あーそう」
笑う俊祐
渚の頬にキスをする
渚 「っ…」
俊祐 「あいつと対等に勝負できるようになったらまた戻ってくるよ」
渚 「うん」
笑い合う二人
俊祐 「またな」
渚 「あぁ、元気で。また」
・自宅
ソファに座っている二人
春 「両親に呼び戻されたって言いましたよね?」
渚 「あぁ…」
春 「僕に紹介したい女性がいると言われたんです」
渚 「え……」
春 「父の仕事関係のお孫さんで、今その人と会ってるんです」
渚 「……」
春 「先生。勘違いしないでくださいね。僕は男性しか愛せないんですよ」
渚 「あぁ」
春 「でも父を見ていると断れなくて。それに僕、こんな性格だから」
渚 「会ってるって…その…」
春、少し微笑んで渚の頬に触れる
春 「何もしてませんよ。会って食事をしているだけです。部屋にもあがったことはありません」
渚 「そう」
春 「このまま何もせずにいれば、僕に飽きてくれるんじゃないかと思っていたんです。先生に会うまではね」
渚 「うん」
春 「でもそうもしていられないでしょう。今までだって、こんな酷いことしていてよかったわけじゃない。父のことを考えると、申し訳ないことをすると思うけど、彼女には最低なことをしていると思うし、それに先生に後ろめたいことしたくないんです」
渚 「だから今日話してくれたのか?」
春 「えぇ。話すだけではなくて、もう彼女に会えないと伝えるつもりです」
渚 「そうか…」
春 「初めからこうしていればよかったんですけど」
笑う
渚 「……」
春 「先生?」
渚 「あの、さ」
春 「?」
渚、立ち上がり、俊祐に貰ったスーツの入った紙袋を持ってくる
渚 「これ」
中からスーツを出す
春 「わぁ、いいですね。このスーツ。どうしたんですか?」
渚 「哉家に貰ったんだ」
春 「彼が作ったんですか?さすがですね。やっぱり彼は凄いな…」
渚 「えっと、その。着てくれって言われてるんだけど、春が嫌なら……」
春 「はははっ」
渚 「春?」
春 「僕がやきもち妬くからですか?」
渚 「あー、いや、その、この間言ってたからさ…」
春 「これくらいならいいですよ。それに僕、彼の作る服凄く好きなんですよ。これは着るべきです。それに彼のことだから絶対着ろって言われたんじゃないですか?」
渚 「あぁ、その通りなんだけど」
春 「じゃあなお更ですよ。ね?」
渚 「春がそう言うならそうするよ」
春 「どうしたんです?急に」
渚 「君が後ろめたいことしたくないって言ってくれたから…さ…」
春 「それは彼とのことが後ろめたいってことですか?」
渚 「えっ!?ち、違う!ホントに彼とは何もなくて!」
春 「はははっ、わかってますよ」
渚 「〜〜〜〜っ」
春 「今度着て見せてくださいね」
渚 「機会があればね…。彼、アメリカに行くんだって」
春 「へぇ、でも彼なら成功するでしょう」
渚 「うん。俺もそう思う」
春 「寂しい?」
渚 「そりゃあ、友達がいなくなるのは寂しいよ。でもまぁ、生徒みたいなもんだしね、生徒が大きくなっていくのは嬉しいな」
春 「先生らしいですね」
渚 「そう?」
春 「えぇ」
笑い合う二人
渚M 「その女性に別れを告げて、その後どうするの?また遠くに行ってしまうの?それがどうしても聞けなくて、不安で不安で、仕方なかった。今だったら、後悔したとき思ったように、『連れて行ってほしい』と簡単に、言えるんだろうか……。すぐ先の未来が見えない。二人の道は、再び繋がってからずっと先に続いているのかな──」
・自宅前
春 「先生、個展来週まででしょう?」
渚 「あぁ、火曜日が最終」
春 「じゃあその後お祝いしましょう」
渚 「ふふっ、楽しみにしてるよ」
春 「それじゃあ、おやすみなさい」
渚 「うん。気をつけて」
春、頷くと手を振って去っていく
・自宅
部屋に帰るとコップを片付けたりする
机の上に置いてある眼鏡ケースを見つける
渚 「あ……忘れていったのか…」
時計を見る
渚 「間に合うかな…」
眼鏡ケースを持って家を出る
・街
春の自宅付近までくる
渚 (結局家まで来てしまった……電話した方がよかったかー…)
角を曲がったところで話し声が聞こえてくる
美紀 「どこへ行っていたんですか?誰と会っていたんですか?」
渚 「?」
春の自宅前で春に美紀(みき)が言い寄っている
春 「いえ、少し出かけていただけですよ。そんなことより、こんな時間に一人で危ないですよ。どうして中に──」
美紀 「女性ですか?他に好きな人がいるの?どんな人?」
春 「美紀さん?」
美紀 「どうしたら私はその女に勝てますか?その人の何がいいの?ねぇ、教えてください…」
渚、近づけずにいる
春、美紀をなだめて家に入れる
渚 「……」
引き返す渚
渚M 「言葉にできない思いがあった。春が『会えない』と言うつもりだと言った言葉も、なんだかぼんやりしてしまって、今になってどうして俺は男なんだろうと思った。きっと彼の両親は、結婚することを望んでいるんだろう。俺が現れなければ、彼は一般的な人生を送ることができたんじゃないか?あんな風に、堂々と彼の家に行けたらどんなに幸せだろう。先生なんかじゃなく、恋人として」
渚 「……」
振り返る
渚M 「でも彼は『お互い様ですよ』なんてさらりと言ってしまうような気がした。今更なのだ。今はもう、彼の言葉だけを信じていこう。彼さえ傍にいてくれれば、俺はもう何も望まない。隣にいれるならそれでいい。何もかも捨てる決心がついた──」
・自宅
テレビを見ていると、インターホンがなる
玄関に行く渚
テレビ『明日のお天気です。明日はあいにくの雨模様となるようで──』
渚 「うわ、外すごいジメジメしてるね…」
春 「今日は一段と暑いですよ。あー涼しい…」
中に入る
渚 「はははっ、あ、そうだ」
春、ソファに荷物を置く
春 「?」
渚 「これ、昨日忘れてったよ」
眼鏡ケースを渡す
春 「あぁ、ほんとだ。すみません」
渚 「いや、いいんだけどさ。昨日、これ見つけてから君の後追いかけたんだ」
春 「そうなんですか?」
渚 「うん。それで結局君の家までいっちゃってさ……」
春 「はい」
渚 「その、女の人と話してるとこ見て…」
春 「あぁ……」
二人、ソファに座る
渚 「あの人が羨ましいなと思ってさ」
春 「え?どうして?」
渚 「俺も女だったらよかったって」
春 「はぁ…。何を馬鹿なこと考えてるんですか。先生が女性だったら僕はあなたのこと好きだと思いませんでしたよ。それとも遠まわしに振られてるんですか?僕」
渚 「ハハハッ。違うよ。そうだったらもっと幸せだったかなとか考えてただけ」
春 「先生─」
渚 「待って待って。それでさ、俺色々考えたんだよ。君が居なくなってからずっと同じこと考えてたけど、それがもう一度ちゃんと考えられるようになった。俺君とずっと一緒にいたい」
春 「そんなの僕だって」
渚 「うん。ねぇ、春」
春の手を取る
渚 「俺を一緒に連れて行ってくれないか?」
春 「……」
春、言葉をなくす
渚 「今更遅いかもしれないけど…」
春、抱きしめる
渚 「……」
春 「先生。いいんですか?ほんとに」
渚 「うん。ずっとあの時言えなかった事を後悔してたんだ。大人の格好付けなんかもうやめた。この先もずっと、君の傍で生きていたいんだ」
離れる
春 「僕の一生をかけて、あなたを幸せにします。僕と一緒にイタリアへ行ってください」
キスをする
渚 「うん。ハハハッ、なんだかこれじゃあプロポーズみたいだな」
春 「僕はそのつもりですよ」
渚 「あぁ、それもいいかもしれない」
笑い合う二人
・自宅
ベッドに寝ている二人
春 「明日、彼女に会ってきます。それで最後」
渚 「あぁ」
春 「実は言うとね、帰ってくるつもりはなかったっていうの、あれ本当だったんですよ」
渚 「……」
春 「あなたに会っちゃいけないと思ってた。忘れることなんかできなかったけど、それでももう僕たちの道は別れていて先生は先生の道を歩いて行ってるんだから、それを今更会いたいだなんて言っちゃいけないと思ってたんです。あんな花贈っておいてなんですけど、あれは僕の悪あがき。馬鹿みたいでしょう?」
渚 「いや、俺も同じこと思ってたよ。この五年間、必死になってたけど、それでも忘れることなんか到底出来なかったし、周りにも迷惑かけてた。今では最初からこうすればよかったなんて思えるけど、そんなこと出来ないよな」
春 「えぇ。でも先生に会いたいって言ってよかったな」
渚 「あの時俺が言おうと思って電話したのにさ」
春 「分かってましたよ。だってあの時先生の声震えてたもん」
渚 「なんだバレてたのか」
春 「ハハハッ」
渚、笑って寝返りを打ち
春の手を握る
渚 「なぁ、春。イタリアの海はどうだった?」
春 「綺麗でしたよ。あいにく僕の住んでいる部屋からは見えませんでしたけどね」
渚 「そっか」
春 「海の近くで暮らしましょう。僕はずっと先生と二人であの海が見たいと思ってた」
渚 「うん。こんな幸せなことはないね。楽しみだな」
春 「もうあなたの手は離しません」
渚 「あぁ、俺もだよ」
目を閉じる
・喫茶店
春、美紀と向かい合って座っている
外は雨が降っている
美紀 「そんな……」
春 「ずっと言わなきゃいけないと思っていたんです。僕には愛してる人がいるんです。ごめんなさい」
美紀 「そ、その人は…どんな人ですか…?綺麗な人?お金持ちなんですか?」
春 「……」
美紀 「ねぇ、答えてください永久さん!私じゃどうして駄目なんですか!?何がいけないの!?」
春 「……僕は…」
美紀 「……」
春 「僕は女性を愛せないんです」
美紀 「え…?」
春 「ごめんなさい…」
春、俯いている
美紀 「どういうことですか……?それじゃああなたの愛している人って…」
春 「……」
美紀 「こんなの…こんなのおかしい……気持ち悪い……気持ち悪い!」
春 「……」
美紀、席を立つ
美紀 「おかしい……どうして私が……なんで……」
春 「美紀さん」
店を出て行く美紀
春 「美紀さん……」
テーブルに肘を突いて頭を抱える春
・自宅
渚 「春!?どうしたんだびしょびしょじゃないか!傘は?」
玄関に立っている春
渚 「とりあえず中に入れよ」
春 「……ごめんなさい…」
渚 「春?」
春 「先生…」
玄関で渚に抱きつく
渚 「春?おい、大丈夫か?」
春 「……」
渚 「春……」
渚M 「抱きしめると、俺より背の高い春が何故か小さく思えた。だけど風呂から出てくると、彼は落ち着きを取り戻した様に少し笑って『誰かを傷つけるのは、やっぱり辛いですね』と言った。彼女に何を言われたのか、俺は聞くことが出来なかった」
・会場裏
生徒A「せんせ〜、あの花見ました?すっごいの!」
渚 「あぁ、哉家からだろ?俺もびっくりしたよ」
生徒A「さすがですよね〜。ってアメリカ行ってるだなんて知らなかったな」
渚 「ハハハッ。今頃頑張ってるだろうね」
生徒A「だろうけど…ってせんせ。永久春とうまくいったらしいじゃないですか!よかったですね!」
渚 「あぁ、ありがとう。君にも迷惑かけてたのに知らせなくてごめんね」
生徒A「いいですよぉ!せんせも忙しいだろうしっ!永久春と会わなきゃいけないですもんね」
渚 「うっ……ま、まぁ…」
生徒A「ハハハハッ。どうせ今日もこの後会うんでしょ〜?お祝いとかなんとか言っちゃって!」
渚 「やっぱり俺じゃなくて君が鋭いんだと思うよ……」
生徒A「なんだ当たり?その線も否めないな…」
笑い合う二人
ノックされる
渚 「どうぞ」
ドアが開くと春がいる
渚 「春」
春 「どうも」
生徒Aに頭を下げる
生徒A「あ〜ら、あたしはお邪魔だからこれで失礼しますよっせんせ!」
渚 「別に邪魔だなんて」
生徒A「いいのよいいのよ!じゃあね、この度はお疲れ様でした」
渚 「あぁありがとう」
手を振って出て行く生徒A
春 「よかったんですか?」
渚 「あぁ言ってくれてるしさ」
春 「ふふっ。そうですね。それよりあの花。凄いですね」
渚 「哉家のだろ?皆言うよ。ハハハッ」
春 「先生は愛されてるなぁ」
渚 「君ねぇ…」
春 「この後負けないくらいお祝いしますから」
渚 「ははっ。楽しみだよ」
春 「僕もう一度見てきます。終わるの四時でしたっけ?」
渚 「あぁ、五時に駅前で」
春 「分かりました。それじゃあ」
出て行く
渚M 「あの時見た笑顔は、今でも覚えている。確かに未来は見えていた。幸せな、二人の未来──」
・街
帰宅ラッシュの駅前
沢山の人が行き交っている
駅前の広場の木の下で待っている渚
俊祐に貰ったスーツを着ている
駅前の大きな時計が五時を知らせるベルを鳴らす
何も変わらず人が行き交う中
前から来る春の姿を見つける
春も渚を見つけ手を振る
手を振り替えし、春の元へ行こうとする
渚 「……」
一瞬背後からの衝撃を感じる
春の表情が変わり、こちらに走ってくる
渚 「な、に……」
後ろに気配を感じて振り向くと美紀が立っている
震える手にはナイフが握られている
渚 「っ……!」
腰の辺りに違和感を感じて触れると手が真っ赤になる
渚 「なん、で…」
そのまま前に倒れこむ瞬間、春が抱きとめる
悲鳴が聞こえる
春 「先生!」
美紀 「その人が悪いのよ…私は悪くない……その人がいるから…私は悪くない…悪くない…」
突っ立ったままボソボソ言っている美紀
通行人A「おい誰か警察!」
通行人B「きゅ、救急車も!」
通行人C「そいつ取り押さえろ!」
春の膝の上で息を荒くしている渚
春 「先生!先生!しっかりしてください!」
渚 「だい、じょうぶだ…よ……これくらい…たいしたこと、ない……」
笑っている渚
春 「先生…ごめんなさい……僕のせいだ…」
泣いている春
渚 「どうして…?泣かな、いで……」
渚、手を伸ばして春の頬を撫でる
渚 「お、祝い……してくれる…っ…んだろ…?俺は…大丈夫だから……」
春 「っ……先生……」
渚 「大丈夫……き、みを…おいてなんか……いかない、から…っ…」
目を閉じる渚
春 「先生!先生しっかりしてください!」
渚 「大丈夫……大丈夫だよ……」
春 「先生!嫌だ……!先生!」
渚を抱きしめる
サイレンが聞こえてくる
男に取り押さえられている美紀
渚を中心にして人だかりが出来ている
渚M 「あの頃言ってくれたように、何度も大丈夫だと言った。でも春は泣き止んでくれなくて、何度も何度も俺を呼んでいたような気がする。俺の声は届いていないんだろうか。耳がだんだんぼやっとしてきて、瞼は重く、彼の姿が見たくても開いてはくれなかった。ただ喧騒が取り囲んで耳を塞ぐようで、だけどそれが何を言っているのかも分からなくて。春が俺を呼ぶ声も、だんだん遠くなっていった。繋いだ手は離れたのだろうか。ずっと繋いでいたあの温もりが感じられない。春は今どこにいるの?俺は大丈夫だから。泣かないで。君のせいじゃない。何もかも大丈夫だから。俺は居なくなったりしないよ……」
・??
渚M 「ここはどこだろう…白い靄に囲まれていて少し先さえ見えない」
腰に手をやる
しかし傷はない
渚M 「そうだ、もう治ったんだった。せっかく貰った哉家のスーツ。穴が開いちゃった…これどうしたら直るんだろう?春だったら知ってるかな…」
俊祐 『先生〜、せっかく俺があげたやつ、こんなにするなよな』
渚M 「あぁ、ごめん。でも似合ってるだろ?サイズもぴったり」
俊祐 『先生』
渚M 「何?そうだ、アメリカはどうだった?」
俊祐 『俺先生のこと好きだよ』
渚M 「え?ありがとう。でも俺には春がいるんだ。だからごめん」
俊祐 『好きだよ』
渚M 「だから春が…」
振り返る
渚M 「春は…どこだろう……なぁ、哉家─」
振り返るが俊祐はいない
渚M 「哉家…?おい、どこいったんだ?」
前に進みだす
渚M 「おーい!春ー!どこにいるんだ?ここはどこ?」
春 「っ……ぅっ……」
渚M 「あ、いた!春!」
近寄るが、泣いている春
渚M 「春。泣かないで。俺もうよくなったんだよ。もう大丈夫だから、二人でイタリアへ行こう。海の見える家で一緒に暮らそう」
春 「……」
泣きながら遠ざかっていく春
渚M 「あ!おい!待ってくれよ!どうして離れていくんだ?」
追いかける渚
渚M 「春!待って!どこ行くんだよ!春!」
追いつけない
・病室
ベッドの上で酸素マスクをして寝ている渚
夜
医療機器の音だけが響いている
春 「……」
静かに涙を流しながらベッドの脇に立っている春
渚の手を取り、キスをする
春 「さようなら……」
去っていく春
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