「おっ、氷那汰。丁度良かった。こっち来い」

昨日せっかく持って帰って整理したファイルを忘れてきた、と気付き、家に戻ろうとしたときだった。
無駄に広いエントランスで、氷那汰は上官であるロマに遭遇した。

こうやって呼び止められたら、大抵ろくなことがない。それは、ここ何ヵ月かで新人経理官が学んだことだった。

「…なんですかもう」
「まだ顔合わせてなかったろ?紹介しようと思ってさ」

辺境監視部の軍人みんなが同じ寮に住んでいるためか(全寮制を強いてるのはここだけで本部には寮すら無かった)、ここの結束は堅い。能力者の殆どが他人から虐げられて生きてきたから、同族意識が芽生えるのかも知れない。
何が言いたいのかというと、ここの軍人はみんなフレンドリーで、廊下ですれ違っただけでも挨拶してくれる。だから、全員と面識があると思っていたのだが。

「初めまして、氷那汰。儂は雲悌もなか」

襟足の一際伸びた髪を左右で細い三つ編みにして、ボブというよりはおかっぱという単語が似合う美しい黒髪に黒い瞳の彼女は、もなかと名乗って右手を差し出した。
これは軍人共通の挨拶、握手を求めているのだ。
自身も右手を差し出す。

「ど、どうも。経理官の氷那汰です」

慌てて握った手は、血の通ってない人形のように冷たかった。
予想外の触感に驚いて手を振りほどいてしまった。

「ひょわ?!」
「ああ、すまんな。この体温が一番楽なのじゃ」

一人称・儂、語尾は「じゃ」。なんて奇抜で在り来たりなキャラクターだろう…。

「氷那汰、コイツに一発入れてみろよ」

ニヤリ、という効果音が最も似合う笑顔でロマはもなかを指先した。

「はっ?!女性相手にそんなこと…」
「フェミニストだったのかお前」
「儂は構わんぞ。ほれどんとこい」

もなかまでもが笑い出した。
大きく両手を広げて腹をあける。
これ以上ごねると次は何を要求されるかわからないので、仕方なく一発。

重くも軽くもないストレートはもなかの腹に綺麗に入った。

「…痛っつ〜!!」
「あはっ、お前非力だな〜」
「精進せよ、少年」

筈だが、何故か痛がったのは一発入れた氷那汰の方。
二人の笑みは尽きない。
予想通り、ろくなことがない。

「忘れてないか?もなかは辺境監視部の軍人だ」
「あぁ!じゃあ…」
「勿論、能力者じゃな」

常人には持ち得ないチカラを持つ能力者。
そしてそのチカラは多種多彩である。

「もなかは自身の形質を変化させる能力の持ち主だ。そのまんま“変化系”の能力者に分類される」
「形質変化、とは…」

相当痛かったらしく、氷那汰はまだ打った手をぶんぶん振っている。
腹に当たったであろう拳が赤くなっていて見た目にも痛そうだ。

「つまり、先程の儂の腹は人間の持つそれとは違っていた、という訳じゃ、少年」

もなかが自身の拳と掌を叩き合わせると、耳に付く嫌な音がエントランス中に響いた。

「おー、いい音させてんなァ」
「矢張りこの森だと調子が良いな。土地力じゃろうかの」
「そうかもなー…アレ、氷那汰お前毛ぇ逆立ってるぞ」

ふたりは事も無げに会話を続けているが、心臓に疾患のある人なら発作を起こしても良いくらいの音だ。
氷那汰が鳥肌を通り越して猫の様になっているのも当然といえば当然である。

「な…なんなんですか今の音…」
「ん?だから、もなかの能力だよ」
「左様。どの様な能力か、当ててみろ、少年」

氷那汰には能力者や、彼らの持つ能力など少しの知識も無い。
氷那汰でなくとも、一般人にとって能力者は国を救った伝説の英雄だと思っているのだから。

「というか…少年と言うのは止めてもらえませんか?」
「じゃから、当てたらな」
「わかるわけ無いじゃないですか!」
「だから少年じゃと言うのではないか」

いかにも得意げな顔でそう言うもなかの方が、よほど子供らしいのだが、それは黙っていた方が良いだろう。

「ってか氷那汰、お前いくつだ?」
「軍事記録見て無いんですか…今年で26っすよ」
「マジで?!」



それからすぐに、氷那汰は本来の目的を思い出し(“軍事記録”からの連想だ)、急いで家に戻るのだった。




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