「氷那汰、ちょっと来い」 「えっ、なんすか」 「いいから、応接室な。客、来てるから」 「はい?あっ、ロマさん!」 そう言って、ロマさんは消えた。いや、比喩じゃなしに。 「ちょ、ロマさぁん……」 ここは辺境監視部。その名の通り、中央都市から遠く離れた森の奥の奥、あまり日当たりの宜しくない辺境に、その施設はある。 只でさえ辺境、なのに、構成している隊員は殆どが能力者、つまり、国ですら使い倦ねている不要品。そして、能力者以上に使えなくて左遷された一般人。 そんなところに、客? 不思議に思いつつも、とりあえず氷那汰は給湯室で番茶を煎れ茶うけを持って、一、二度しか入ったことのない応接室に向かった。 「失礼します」 きっちり三回、重厚な装飾の施されたドアをノックして開ける。 応接室の心地良さそうなソファーに腰掛けていたのは、先程会ったロマと、見たことの無い女性。 女性、で良いんだよな? うん、今度は女性みたいだ。 珊瑚色のたっぷりとした髪を持つ、女性。 瞳は綺麗な翡翠だ。 女性は氷那汰を見ると、途端に顔を明るくし、立ち上がって氷那汰に抱き付いた。 「はぁい、氷那汰。桜、って呼んでね」 「こっちは秋・桜女。セラピーナチュラルだ」 「セラピー…、ナチュラル?」 「痛いの痛いの飛んでけー、で本当に治っちゃうのよ」 「ってことは…能力者?」 思わず差した指をロマに握られ下ろされる。意外にも礼儀には煩いらしい。 桜は気にせず笑顔で答える。 「そうよ。でも、中央から来たの」 「えっ、だって能力者は…」 「コイツは無駄にアタマが良いんだ」 「大きなお世話よ。つまりは嘘を吐くのが上手ってコト」 そう言って、桜はお茶目にウィンクをした。 これは笑い事などでは片付かないのではないか。 「まぁ、よろしくね氷那汰。私、ちょくちょく来るから」 「あっ、はい。こちらこそ…」 きっとロマから全て聞いているのだろうけど、抱擁よりは挨拶の方が先なのではないかと思いつつ、氷那汰は手を差し出した。桜もそれに応え握手する。 「ぷぷっ、にしても、まさか職業軍人でもないのが左遷されるとはね…一体なにをやらかしたのやら」 「いや、本当に身に覚えがないんですけど」 「おい桜、今日もおもんトコに行くんだろ?」「勿論!あっ、もう行った方がいいわね」 その時、氷那汰は署長に用事があったことを思い出した。 廊下でロマに捕まる前は、確か署長室に向かっていた途中だったのだと。 「桜さん、ご一緒しても…」 「だーめ。ロマは俺と遊ぶの」 「はっ?!えっ、はい…」 「じゃ桜、後でな」 首根っこを掴まれ、ずるずると引き摺られ、強制退室。 有無を言わさぬロマの強引さにはもう慣れたけど、首根っこは辛い。首根っこは。 ロマはというと、そのまま廊下をずんずん歩き、自販機のある休憩所でやっと足を止めた。 「なっ、なんなんですか!」 「桜がおもの部屋に居てる間は近付いちゃ駄目」 「署長と桜さんってそういう…?」 「下衆な勘ぐりはやめろ。おもは俺のだ」 その言い分もどうかと…。という言葉を氷那汰は飲み込んだ。相手はロマだ。たいした意味はない。 「じゃあ、どうして…」 「んー…今回だけな。ちょっと聞かせてやるよ」 「署長室の隣、行ってみる?」 「ごめん…ごめん…ごめんね、アネモネ…ロマ…」 「………」 「ごめんなさい……私が…」 啜り泣く桜の声が聞こえる。 おもは何も言わない。ただ、手を握って泣き崩れる桜の姿を見詰めているだけ。 「ねぇ…赦して……」 桜は壊れた様に呟き続ける。許しを請う言葉を。だけど、おもは何も言わない。 そして、桜がひととおり泣き終わった後にこう言うのだ。 「まだ、赦さない」 すると桜は笑顔を取り戻す。涙やらなんやらでぐちゃぐちゃになった笑顔。 「……うん、」 「ふぅ。終わったか」 「あの、ロマさん一体これは…」 ロマは遠くを見据えていた。過去の過ちに浸る様に。 「署長…おもの、体がもうヤバいってコトは知ってるだろ?桜でも、治せない」 「それに責任を感じて?」 「桜はね、あの戦場にいたんだ。しかし、正しい処置を施さなかった」 「え…?」 桜はおもが能力を発動するのに立ち会った。 いくつもの街を容易に吹き飛ばす能力。 しかし代償は重い。 そうしておもの体には罅がはいった。 「本部の馬鹿どもが沢山居たからな。出世を望む桜は能力者だと知られるのを恐れた」「……だからって」 「あの場で使っていたら、まだ助かってたかも知れない」 「それは、明らかに桜さんが」 「でも、いま桜が本部に居なけりゃ俺らは処分対象だった。桜は俺らの命を救ってる」 辺境監視部の廃止は常に卓上に上がる論題だ。 その度、桜なんかの本部に潜入している能力者の権力が行使されている。 「おもだって、恨んでなんか居ないんだ」 「じゃあ一言、言ってあげれば良いのに…」 「桜、Mだからなぁ」 マゾヒストだから、なんて単純な理由じゃなくて、言葉じゃ表せないことが沢山ある。 「おもはいつもその人が望む言葉しか与えないのさ」 とにかく、終わったみたいだから署長室に入っても大丈夫だよ。用事が有ったんだろ? そう言い残して、ロマは再び消えた。 back |