「氷那汰、俺の名前言ってみろ」
「え、ロマさんですけど」


俺に、名前は無かった。
思い出せないんじゃない。最初から、存在しなかった。

そのときの俺は、ふらりふらりと世界をさまよい、流れの傭兵として暮らしていた。報酬は貰わない。金や宝石は貰ったとしても、寝ている間に盗まれるからだ。それに、束の間のベッドと食糧があれば俺は満足だった。

才能、というか不思議なちからがあった俺は、どんな戦場でも戦況でも、自軍を勝利に導いた。
しかし、もっと戦いたい。もっと殺したい。歪んだ欲望が、次から次へと違う国へ、戦う場所を変えさせていった。

点々と国を渡り歩き居場所を変える俺が通った道には点々と血が這う、と何時しか“テンテン”と呼ばれるようになった。

そして雇われるまま、とある戦地に訪れた俺は、そこで少女と出逢う。
そうは言っても、痩せ細った薄い体に虚ろな瞳でなんとか混濁した意識を保っている、殆ど屍の様な少女だった。

少女がどんな身分でも、どんなに弱い存在であったとしても、俺は戦場にいる。仕事としてひとを殺している。
別に悲しいや苦しい虚しいなんて感情はなかった。自分自身、生きるのに必死だったから。今までそうしてきたから。

なにより、引き金を引く瞬間に、飛び散る血液の美しさに、裂ける肉の感触に、人々の悲痛な表情に、快感をも感じていたから。

銃口を向けた瞬間、少女はかさついた唇を力無く動かしてこう言った。
『わたしはロマ、最後に、わたしを殺すあなたの名前を教えて欲しい』

俺は答えられなかった。
ただ“テンテン”と言えば良い。だけど、それは違う。決して、俺の名前じゃない。俺には名前など無いのだから。

殺伐した景色の奥から、爆音が聴こえた。

それに掻き立てられるように、無言で引き金をひいた。
戦場にそう珍しく無い音が響き、横で死体を啄んでいた鴉が飛び立った。
何もしていないのに、息が上がっている。汗が滴っているのが分かる。
今までの快感は、何処に消えたのか、残ったのは、憤りと少女の死体。

じゃり、とすぐ後ろで足音が聞こえる。
俺が、振り向くよりも早く、そのひとは俺の心臓を捉えた。胸に、金属の硬さ。突き付けられた拳銃に、再び滴る汗。

「お前、名前は?」
「……そんなもの、ない」
「だったら、お前は今日から“ロマ”と名乗れ」

風が吹いた。渇いた戦場に、俺の心に。俺は名前を与えてくれたこいつに、ついて行こうと決めた。


「犬猫かっての」
「なにか言いました?ロマさん」
「いんや。あ、おもんトコ行こう」

ゴトン。自販機からカフェオレが落ちてきた。ロマが好んでいつも飲んでいる、甘いカフェオレ。

「俺の名前な、ロマ・ジプシーっていうの」
「へッ?!なんなんですか…ロマさん今日ヘンですよ」
「知らなかったろ。どっちも、同じ民族を差す言葉なんだ」
「えっと、ロマさん、そこの出身なんですか?」

ロマは答えなかった。
その代わり、少し俯いて呟いた。

「歌を歌って暮らす民族」
「歌…」
「似合わないだろ」


そう言うロマは、顔を上げて照れ笑いを浮かべ、カフェオレを持ったまま、おもの部屋へと歩いて行った。




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