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え、こいつら何言ってんの?
 
GWまであともう少し。あと三回辛い朝を乗り越えれば12時まで誰も私を起こすことを許されないGWがやってくる、もうちょっとだ頑張れ頑張れ私。そう思いながら今日の朝ももう一度布団に戻りたい衝動を抑えて目覚ましを止めた私であったが、もしかして私はあの時禁忌を犯して実は二度寝したのでは無いだろうか。
むしろそうであってくれと自分の頬を抓ってみたが目の前の人物二人が消えることは無く、鈍い痛みが自分に「これは現実だぜバーロー!」と告げていた。
その内一人は「何アホ面してんだ」と言いながらふんと鼻で笑った。いつもの調子で「てめーの頭よかマシだよ」と言おうとした口を慌てて閉じる。何故か。それは憎たらしい奴の隣にもう一人男子、しかも結構整った顔立ちのクラスメイトがいるからである。
そちらの方は「やっぱり突然で驚いたよね、ごめん」と苦笑する。そんなことないよ!と多少普段よりは高めの声で首を振った。いや、本音を言うとそんなことあるんですけどね。でも優しい彼に免じて許してやろう。ていうかこっちが普通の人間の気の使い方だと思うんですよね、はい。この男のせいで人間関係に対する感覚が狂ってしまったのだろうかと思い目の前にいる鶏頭を睨みつけるが、私の視線に気づいた黒尾はお得意の人を小馬鹿にした笑いを返してきた。くそ、やっぱオメーは嫌いだ。
どうお答えしようか、というよりなんて断ろうか迷っていたら朝のHRのチャイムが鳴った。もう一人の方、確か同じクラスの夜久くん?はちらっと時計を見た後にちょっと眉を下げながら私に向き直った。
 
「急なお願いで本当に申し訳ないんだけど、できれば今日中に返事くれないかな」
「えっ…あ、うん」
 
返事はNOです!てか有り得ないからぁあぁ!なんてイケメンな(ここ重要)夜久くんを目の前に言えるはずもなく、とりあえずこくりと頷いておいた。席に着きながら何でこんなことになったんだろう、と窓の外を見ながら遠い目をする。
とりあえず、さきほど私に起こった身の上話についてお話しようと思う。
今日の朝ごはんは母上が寝坊したせいでご飯では無くパンだった…ってそんなことはどうでもいい。いつも通りちょっと他の人より早いくらいの時間に学校に着いた私は、鞄を机に置いた瞬間「おい」という大嫌いなあの低い声に捕まったのだ。私の名前はおいじゃありませんしー、と心の中で呟きながら無視したら次は舌打ちと共に制服の襟を後ろから引っ張られた。
マジ乙女になんてことすんのよ死刑にすっぞゴルァ!と言おうと思い凄い形相で後ろを向くと、そこには黒尾だけでなく隣に夜久くんがいらっしゃったのである。「おい黒尾、そんな乱暴すんなよ」なんていう天使の助言と共に。
反論しようと思い切り開いていた口を一瞬にして閉じ、何と言ったらいいのか分からないのでとりあえず「お、おはようございます」と言っておいたが後になって後悔する。黒尾と日々言葉の殴り合い大会を3年5組にて繰り広げているためか黒尾以外の男子からまったくと言っていいほど声を掛けられない私にとって、これはある種のチャンスであったのだ。もっと何か別のこと言っておけばよかった。ああ、愚かなるなまえよ。
見事にかちんと固まっている私に対し「おはよう」と笑いかけてくれた夜久くんは神の化身か地上に舞い降りた天使なのだと思う。それに引き換え「おもしれー顔」と嘲笑する黒尾氏の方はこの世に君臨した悪魔か何かだ。誰だよこんな悪魔召喚した奴、責任持って魔界に帰せよ。
 
「ななな、何の用?」
 
おーっ!いい加減にせぇよ自分!もうちょっと可愛い受け答え方があるだろうが!これじゃ敵意丸出しだろーがァアァ!どもっている私を見た黒尾は更にその腹立つ笑みを深める。
 
「そんなに固くなんなよみょうじ」
「う、うるさ…くないですハイ」
 
夜久くんの前でいい顔しようという私の魂胆を黒尾は見抜いているのだろう、私の返答を聞いて爆笑し始めた。羞恥で思わず顔が赤くなる。もうお前は魔界に帰らなくていいから土に還してください。300円あげるからお願い。未だ笑いを抑えきれていないく黒尾に「失礼だろ」と軽く奴の頭を叩く夜久くん。いいぞ、もっとやれ。
 
「あのねみょうじさん、ちょっとお願いがあるんだ」
「お、お願い…」
 
な、なんだろう。最初はドキドキしながらしながら聞いていた私だが、内容が見えてくるにつれその動悸は収まりそれどころか目が点になってきた。
男子バレー部のGW合宿に臨時マネージャーとして参加してほしい。夜久くんの話を要約するとこうである。自然に口から出た「何で私?」という質問に答えたのは夜久くんでは無く黒尾だった。
 
「暇そうだから」
 
ふっ……ざけんなよ!私だって予定あるし!GW中すべてがすべてゴロゴロしようなんて思ってませんから!一日くらいどっか写真撮りに行こうと思ってましたから!暇じゃありませんから!
思い切り怒鳴り返したい衝動に駆られたが、隣に夜久くんがいるためそれもできず。ただ口の端をひくひくと動かしただけだった。
大体バレーのルールとか全然知らない、学校の授業で適当にやり過ごしたくらいの糞みたいな経験値しかないこの私にマネージャーが務まるのかという問題である。答えは否、だ。やっぱりお断りしようと思い朝のHRが終わるのと同時に後ろを向いたが、私が話すよりも黒尾が口を開く方が早かった。 
 
「合宿先は宮城だ」
「み、宮城?東北じゃん」
 
それはまた随分遠いところに、と言うと黒尾は珍しく神妙な顔で頷いた。だから人手が足りないのか、と思うと今から断る自分がなんだか薄情な奴のように思えて後ろめたい。いやいやでも、特に黒尾になんてそんなマネージャーなんていう雑用を引き受けてやる義理なんてないし!と自分を奮い立たせ、もう一度口を開こうとしたがやはり先行はあちらだった。
 
「宮城といやぁ東京には無い自然がいっぱいあるだろうなー」
「は?」
「監督に聞いた話だと合宿場所の近くに絶好の写真スポットがあるらしいけどなー」
「…」
  
大自然。絶好の写真スポット。絶好の、写真、スポット。「で?何の話だ」と言う黒尾に私はとんでもないことを口走った。
 
「あ、マネージャーさせて頂きます」
 
黒尾のしてやったり顔にはっと我に返った時にはもう遅い。すでに黒尾は「おーい夜久ァ、おっけーだってよ」と席の離れた同じバレー部に声を掛けていた。くそ、写真スポットに釣られた。そう思いながら、ふとあることに気付いたのはもうすでに1時間目の授業が始まってから。
 
――なんで黒尾は、私が写真撮るってこと知ってんのかな。
 
その微かな疑問は「まぁ研磨くんか誰かに私が写真部だって聞いたんだろーな」くらいに片づけられ、目の前の物理の授業へと神経を向けた。
 
 
 
 
 
 

先ほども言った通り、私はバレーの知識がまったくと言っていいほどない。皆無である。
でも流石に臨時と言えどもマネージャーを受けたからにはこれじゃまずいだろうと思い、昼休みの図書当番の時間に図書室の奥の方からどっさりバレーに関する本を借りてきた。ちょっと埃っぽいのもあるが、まぁ読めないこともない。せめてルールぐらいは覚えておこうと思った次第である。
『飲食厳禁』という張り紙の前で堂々とパンをもさもさ食べながらページを捲っている私は、軽くお説教ものだがまぁ今は私と研磨くんくらいしか居ないのでいいことにする。何故か黒尾もカウンターの中に入って図書室の漫画(鉄腕アトム)を読みながらダラダラしているのだが、それは見なかったことにしようと思う。
 
「なまえ、バレーするの…?」
 
私の前に山積みにされた本の題名に目を向けながら研磨くんは至極まともな質問をしてきた。私は僅かに眉間にしわを寄せながら答える。
 
「ううん」
「…じゃあ何で?」
「私、GWの合宿で研磨くんたち男子バレー部のマネージャーすることになったから」 
よろしく、と言いつつポケットの中に入っていたレモンキャンディーを研磨くんに手渡す。ふーんと意外にも驚かずその一言で終わらせる研磨くん。ちゃっかり私の掌から飴を取っていく彼は流石としか言いようがないが。
 
「驚かないね?」
「うん…まぁ」
 
研磨くんがぼそっと「予想はしてたし」と呟くが、私は何のことか分からず首を傾げる。気にしないでと言いつつ、研磨くんは会話を続けた。
 
「この本はそのため…?」
「そー。一時的っつてもさ、やっぱりある程度の知識は身につけておかないと駄目だと思うんだよね」
 
私まったくの素人だし、と言うと今まで漫画にしか目を向けていなかった黒尾がちらっと私の方に視線を送った後何かをぼそっと呟いた。よく聞こえなかったが、こいつのことだから多分また嫌味とかだろうと思いあえて聞き返すことはしない。私の隣で研磨くんが「クロ…」と呆れながら僅かに同情の色を含ませて黒尾を見つめていたのも知らず。
 
 
 
真剣な目で文字を追うなまえを鉄腕アトムの合間からちらりと盗み見た黒尾は、やはり自分の判断は間違っていなかったと確信する。黒尾がなまえをマネージャーに抜擢したのは勿論不純な動機が占める部分もあるが、いくら彼女に惚れているといえどバレー部の部長として部活に私情を持ち込むわけにはいかない彼が、あえて彼女を選んだのは他にも理由がある。
修学旅行にてなまえに心を持っていかれたその日からずっと彼女を観察し続けた黒尾は、なまえの性格をよく掴んでいた。それは彼女が文句を垂れつつももう一人の担当であったはずの日誌を放課後一人で書きあげていたことだったり、道に迷っている新入生に声をかけていたところを見かけた黒尾ならではが知っていることなのだが。
 
責任感が強く、面倒見がいい。
 
贔屓目を抜きにしても、やはり彼女はマネージャーに向いている。必ずや我ら音駒高校男子バレー部にとってプラスに働く存在である、と黒尾は考えていた。
それを証明するかのように自身は興味が無いであろう知識を自分たちのために一生懸命にその脳に詰め込んでいる彼女を見て、黒尾は確信する。ほら、と。
 
 
 
「あー、流石俺の惚れた女だわ」
  


彼女に聞こえるか聞こえないか、ぎりぎりの音量。案の定なまえには聞こえなかったようで、研磨の同情の目だけが彼女の隣から送られてくる。まぁ今はまだいい、と黒尾は笑った。 
 

「なぁ俺にも飴よこせよ」
「え、あんたにあげる飴なんてあると思う?」
 

この合宿の機会を逃すわけにはいかない。
 

 
 



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