夜鷹の星 | ナノ


 



 
6時30分 部屋の中に無機質な目覚まし時計の音が響く。
手さぐりで時計を探し当て、乱暴にボタンを押し音を止める。
夢の中に引き戻されそうになる自分の脳内に、
ベーコンを焼く匂いと音、そして鼻歌が朝だ起きろと告げた。
 
 
 
「ふんふふ〜ん…あ!おはようてっちゃん!」
「…おはようございます」

 

台所から聞こえる声に返事をすると、まだ覚醒していない脳と共に椅子に座った。
テレビの中のアナウンサーが傘をお持ちくださいと視聴者に忠告する。
今日の練習のロードワークは無し。小さくガッツポーズ。
 
 
 
「沖縄の雨マーク酷いねぇ。台風でも来てるのかな?」
「え」
  
 
 
もう一度テレビに目をやる。
愛しの雨マークがついているのはここから遠い沖縄、東京は憎き晴れマーク。
期待させやがってと化粧ばっちりな顔で笑顔を振りまくアナウンサーを睨んだ。
彼女に罪はないのだけれど。
 
 
「ふふっ、てっちゃん寝癖酷いよ?」
「…いつものことです」
 
声が低くなってしまった。
 
 
未だテレビを睨む僕の前に美味しそうなトーストとサラダ、そしてベーコンと目玉焼きが置かれる。
ちなみに彼女の好みで半熟だ。
 
 
彼女は、料理がうまい。
いつも絶妙な半熟具合。
 
 
 
「直してあげるから、早くご飯食べちゃって」
「いただきます」
「はぁい」
 
 
彼女は、器用だ。
櫛とスプレー、それに彼女の手にかかると
ぴょんぴょんはねていた髪が綺麗、かつ自然にまとまる。
まるで魔法にかかったように。
僕には到底できない。
  
 
「はい、できたよ。相変わらずてっちゃんの髪はふわふわだね」
「毎日ありがとうございます、助かります」
「私の毎朝の楽しみだから気にしないで」
 
 
人の寝癖を直すことのどこが楽しいのだろう。
それでも、直される僕もこの時間が好きなのだから人のことを言えない。
 
 
「そうそう、今日私帰るの遅くなるね」
「仕事ですか?」
「ううん、今日は大学の方の用事なの。レポートやらなきゃいけないの忘れちゃってて」
「…馬鹿ですね」
「えへっ」
 
最近あったかかったから、ついうっかりしちゃってと笑う。 
彼女は、大学生だ。
東京でも結構名の通っている音大にかよっている。
レポートの云々に気温は関係ないと思う。
 
 
つけたまま放置していたテレビから、美しい旋律が流れだした。CMだろうか。
その瞬間、彼女が獲物を狙う鷹も顔負けな早さでリモコンをつかみチャンネルを変えた。
2人の間に僅かな沈黙が降りる。
 
 
「…何でチャンネル変えちゃうんですか」
「だってぇ、自分の歌をこうやってテレビ聞くって…なんか恥ずかしいんだもん」
「まだ慣れないんですか」
「なかなかねぇ」 
 
 
本当はもうちょっと聞いていたかった。
変わってしまったテレビ画面に映るお笑い人を恨めしく思う。
彼に罪はないのだけれど。
 
 
彼女は、歌手だ。 
それも結構メジャーな。
 
 
 
「今度はどんな感じの曲なんですか?」
「えっとね、…うーん、なんていうんだろう。こう、ふわふわした感じ?」
 
ふわふわ〜と言いながら手で何度も輪を描く。
 
「全然分からないです」
「え、そう!?待ってね、今別の表現考えるから」
 
テレビを睨みながらうなる。ちょうどおは朝占いの時間で、誰かを連想させる。
今日の一位は双子座のあなた!と陽気な声が運勢を告げた。
ちらりと斜め上の双子座を見上げたが、それどころではないようだ。
 

「あの、そろそろ行かないとまずいんじゃないですか?」
「えっ」
 

おは朝が終わり政治問題についてのニュースを流すテレビの右端を見て、彼女は叫んだ。
 
 
「うわわわ電車遅れちゃう!」
 
 
ソファーの上のかばんを掴み、一瞬だけ鏡の前で前髪の具合を確認すると
慌ただしく玄関へ向かった。
お気に入りの淡いピンク色のパンプスを履くと、彼女は「あ」といい振り返った。
 
 
「いってきます、てっちゃん!」
「いってらっしゃい、急いで事故に遭わないでくださいね」
 
 
 
大丈夫だよ、てっちゃんも戸締りには気をつけてね、と言いながら急ぎ足で出ていく。
その口には頬笑みを携えて。
その姿を見送った直後、僕はテーブルの上を見て固まる。
どうやら今日のおは朝はハズレのようだ。

 
「これで何度目なんですか…姉さん」
 

主人に忘れ去られた定期。心なしか猫の刺繍が寂しそうに見える。 

 
彼女、もとい夏川杏珠は、僕の姉だ。
彼女は、おっちょこちょいでもある。
 
 
駅について蒼い顔で鞄をひっくり返して定期を探す姉さんを想像すると、
ちょっと笑えた。
 

僕の姉を紹介します。
(そして彼女は、僕の自慢の姉です)
 

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