夜鷹の星 | ナノ


 


 
シンドバッドが自国シンドリアから船で2日ほど移動した大陸にある、とある街に訪れているのは無論観光が目的では無い。
奴隷を禁止とするシンドリアで最近奴隷商売を持ちかけている輩がいるという情報を手に入れたシンドバッドは、部下の制止も聞かず「俺がささっと解決してくるから!」と言い結局そんな彼に折れた部下は「一週間ですよ」と非常に渋い顔とため息と共に自らの王を現地に送りだした。「俺の国民にちょっかい出すな!」という建前、書類仕事書類という苦痛のサンドイッチ生活から一瞬でもいいから逃げ出したいという本音。その両方を持ち合わせながら七海の覇王ことは自国を発ったのはいいが、実際のところ敵はそう簡単に行かせてくれないらしい。
供として一緒に街に来たシャルルカンもマスルールも、そしてシンドバッド自身もあまり有益とは言えない情報しか入手できないまま約束の一週間のうち3日がすでに経とうとしていた。供の二人には「そんなに危険な所じゃないから俺一人でいい」と言ったのだが、「王様の心配というよりは王様の周りの女性の心配なんで」とバッサリと斬られた瞬間に思わずほろりと涙を流してしまった自分は間違っていないとシンドバッドは思っている。
唯一手に入れた情報といえば、ここの奴隷商売人は少数精鋭で街の至る所に網を張っているらしい、ということだった。昔からこの街に居るものですら金欲しさに奴隷商売に協力している奴らがいるとかなんとか。豊かなシンドリア王国では信じがたいことだったが、自分の目でこの街を見て「ああ、なるほどな」と思った。昼間は普通に繁栄している街に見えるものの、夜になればその様相をがらりと変え危険な香りが漂う。子供お年寄りにとっては特に住みづらい街であろうなと少し不憫に思った。
 
残り4日となった日の夜、シンドバッドは多少の苛立ちと焦りと共に夜道を歩いていた。このままでは自分の部下に笑顔で「あんたどんだけ無能なんですか?」なんていう説教という名の嫌味を一日中、最悪一生言われるづけることになるであろう。そのことを考えると嫌でも気が重くなった時のことであった。

「…?」
 
―鳥のさえずりが、聞こえた。
 
よくよく考えればこんな時間に鳥が泣くわけが無いのだが、その瞬間シンドバッドは何も考えず、まるで何かに魅かれるようにして音が聞こえた方向へと足を向けた。当然鳥の姿を目にすることなく、角を曲がった先に目に入ったものは一人の女性…いや、まだ女の子というべき年齢だろうか。下品な顔をした中年の男性二人と、今にも泣きだしそうな女の子一人がそこにいた。
身売りかもしれない、とシンドバッドは思う。小遣い稼ぎにしろ家計を支えるためやむを得ない場合にしろ、こんな状態の街ではよくあることだ。しかしそれにしては身なりが整っている、なんて後から思ったがその時の彼はそんなこと思う間もなく真っ直ぐにそこへ向かって行く。まるで足と脳が見えない何かに取りつかれ操作されているように。
 
「その子に手を出してもらっては困るな」
 




結局自分が何故あの子を助けたのかは、分からず仕舞いだった。
元々困っている人を放っておけない性分とはいえ、あの場を収めるだけでもよかった。わざわざ働き口まで見つけてあげるほどの義理など何処にもないのだ。ただ色素の薄い何処か異国風の顔立ちをしている少女とその後もう一度話した時に自分の口からするりと出てきた「ルフの導き」という言葉に、誰よりも納得したのは他でも無いシンドバッド自身であった。
彼らが俺にあの子を助けろと命令したのかもしれない。そう思ってしまえば、今回のことは妙にすとんと彼の中に落ち、そしてそれはシンドバッド王に彼女に対しちょっとした好奇心を湧かせた。多分自分は直感的にこの少女を"面白い"、と思ったのである。
しかし今は一人の少女に構っている暇は無い。縁あって彼女を助けてから3日、やはり敵の尻尾を捕まえられないまま時は刻一刻と過ぎ去っているのである。さすがにここまで来ればかのシンドバッド王と言えども精神的に疲れるものだ。シンドバッドは軽く頭痛のする頭を押さえながら、ふと彼女の姿を思い出した。
 
そういえば、名前を聞いていない。
 
時は正午、昼時である。あまり食欲が無いものの、「腹が減っては戦はできぬと言うしな!」と無理やり理由をこじ付け彼女がいるであろう場所へと足を向ける。この街に滞在してから何度か訪れた扉を開ければ、やはりそこには先日自分が助けた少女がエプロンをつけ小さい体でせかせかと動き回っていた。その姿を目にしたとたん、思わず笑みが零れたのを彼は知らない。
律儀にももう一度自分に対しお礼を繰り返す彼女に自らの名を名乗ると、彼女もまた自分の名を口にした。ここらへんでは聞かない不思議な音の並びだが、不思議とすっと馴染む。その後気にしなくてもいいと言っているのに、どうしてもお礼がしたいと言う彼女が何やら思い付いたように二階へ消えて行った。その間にシンドバッドは昼飯を注文しようと店主に声を掛ける。と、その後ろでシンドバッドと杏珠の仲をからかった男たちの声が店内に響いた。
 
「そういや噂だけど、今この街にあのシンドバッド王がいるんだってな!」
 
いきなり出てきた自分の本名に、口に含んだ水を思わず噴き出しそうになりながらもぐっと耐える。一体何処から情報が漏れたのだろうか。そんな噂が広まったら向こうだって下手に動かなくなるに違いない。シンドバッドは酷くなった頭痛を抑えるように顔を覆った。と、その指の隙間から店主の顔を盗み見る。店主の空気が、今一瞬だけ、そう穏やかな雰囲気が自分の名が出た瞬間だけ鋭利なものに変わったのだ。
いくつも修羅場を掻い潜ってきたシンドバッドがその変化を見逃すはずが無く、ほぼ無意識のうちに相手に悟られぬよう細心の注意を払いながら自分の五感すべてを店長へと向けた。
 
「へー、そりゃ何の為にそんな天の上のお方が」
「詳しいことは俺も知らねぇけどな、何でも奴隷商売がどうとか言ってたっけなぁ」
 
奴隷商売。その単語に、店長の目がすっと細くなる。まるで何年も研ぎ澄まされた冷たいナイフのように。それを見たシンドバッドは、ゆるりと孤を描きそうになる口を必死で抑えた。ついに、見つけた。こいつは黒だ。今までの経験と六感が自分にそう告げている。 
しかし厄介なことに、誰かの証言があるか現場を取り押さえるかせねばこの男を捕えることはできない。今ここで捉えるにしても、まだ後ろに大勢の黒幕がいるはずなのだ。ここは何とかしてこいつを現行犯で捕え、吐かせねばならない。シンドバッドは全ての神経を店長に向けたまま、実に器用に視線だけを男たちに移した。
 
「そうか?俺が聞いたのは、明後日くらいにシンドバッド王が来るって話だけどな」

店長の小指がわずかにぴくりと動いたのを視界の端に捕えたシンドバッドは、そのまま言葉を続けた。
 
「この街のお偉いさんたちが話してたから、これは確かな情報だ」
 
これでいい。今居る奴隷候補を急遽移動させるか隠すか、あるいは売るか。何にせよ奴は今夜行動に出るはずだ。急いでシャルルカンとマスルールにも知らせねばならないと、空気の中に僅かな緊張感が漏れた時のことであった。
「そういや杏珠ちゃん何しに二階行ったんだろうなー」という質問にそういえば、とシンドバッドが今夜のシュミレーションから現実に引き戻された瞬間、少し息の切れた「おまたせしました〜!」という声と共に杏珠が戻ってきた。手には、見慣れぬ歪な形をした箱を持っている。
それは何だと聞けば、彼女はとても誇らしげに胸を張りながら楽器だと答えた。未知なるものが大好きなシンドバッドは思わず「ほぉ」と興味をそそられる。シンドリアにだって楽器が無いわけではなく、むしろ多くの民族や伝統が入り混じった自国では他の地域や国と比べ多種多様な音楽が発達しているといってもいいほどだと自負しているが、杏珠の言う"ギター"を見るのは初めてだった。
 
「シンさんへ感謝の気持ちを込めて、歌います!」
「えっ」
 
まさかそう来るとは思っていなかったシンドバッドは不意を突かれ驚いたように目を開く。そんな恩人の様子を見て杏珠は笑いながら近くにあった椅子を引き寄せ座り、ぽろろろんとギターを鳴らした。後ろで男たちが「おおーっ」という声を発する。ただ一人店長だけさきほどの空気は何処へ行ったのやら、やたらにこにこした表情でこちらを見ている。
杏珠は何度かギターの音を鳴らして音が狂っていないか確認した後、一度シンドバッドに対し礼をしてからすぅっと深く息を吸った。
  
 
実を言うと、シンドバッドはその時の出来事をあまり明確に覚えてはいない。ただ彼女が楽器の音に声を乗せた瞬間から、今までそこにあった空気がぱっと消えその代わりにまるで春と溶かしたような、暖かい風がふわりと舞い込んできたように思える。それと同時に、ついこの間聞いたぴぃぴぃという鳥の鳴き声のような音を再び、瞬きした一瞬にだけ耳が捉えた。
 
―なんだ、これは。
 
何処かふわっとする頭の中でシンドバッドはどうにかこの言葉を捻りだしたが、無論誰かが答えてくれるはずも無くすぐに意味を持たない問いは消え、そこに残ったものはぬるま湯に長時間浸かったような奇妙な、それでも嫌に心地の良い脱力感。
杏珠が歌い終え、「し、シンさん大丈夫ですか?」と心配そうに彼の顔を覗き込むまで、シンドバッドは微動だにせず彼女のことを見つめていた。
 
「あ、ああ…君の歌は凄いな。お礼にしては十分すぎるほどだよ」
「そんなことないですよ。でも、喜んで頂けて良かったです」
 
へらっと笑う少女に、本当に今ここで歌っていた人物と同一であるのか疑問に思ったシンドバッドだったが、一度ゆっくり瞬きしてもその光景が変わることは無く「ギター仕舞って来ますねー」と再び二階へ駆けあがって行った彼女を黙って見送った。その後も店長に「で、注文はお決まりですか?」聞かれるまで杏珠の背中をぼんやり見ていたが、彼の言葉にはっと我に返り急いでメニューに目を通す。と、その時にシンドバッドはあることに気づいた。
肩と足が、軽い。さきほどまでがんがんと鳴り響いていた頭痛も、今では嘘のように姿を消している。突然の自身の体調の変化に不思議な顔をするシンドバッドに、店長は「私もやられましたよ、それ」と笑った。
 
「私にもこの前雇ったお礼として歌をうたってくれたんですけどね、聞いた後になんだか体が軽くなるんですよ」
 
魔法ですかねと冗談交じりに言う店主にシンドバッドは、自身も迷宮攻略者である上にすぐ近くに凄腕の魔導士がいる分ここの誰より魔法に触れているが故に直感的に「これは違う」と思ったが、絶対にそうであると断言することもできずただ曖昧に笑った。
 
 
 
 
 
「今日はありがとうございました。もしよければ、また来てくださいね」
 
それを聞いたシンさんは、何処か気まずそうに苦笑した。彼の言いたいことが分かり思わずしょんぼりする。
 
「しばらく会えないんですね」
「あー…いや、そんなことないぞ。また会いに来る」
「ほんとですかっ!?」
 
伏せぎみだった顔をぱっとあげれば、3日前に感じたあの大きな手がまた頭に降って来た。相変わらず慣れない感触に思わずぎゅっと目を閉じれば、上の方で彼の笑い声が聞こえた。今度は本心からの笑みのようだ。シンさん私のこと子供扱いしてるんじゃ、と思ったが何も言わないでおく。
 
「ところで杏珠」
「はい?」
「あれは君の母国語かい?」
 
その質問に、やや数秒間を開け「はい」と頷いた。シンさんはそこから何か察したのかもしくは何やら勘違いしたのか、もう一度私の頭をさきほどより強くわしゃわしゃと撫でる。
昨日、店長のために歌った時も同じことを言われた。それは君の母国語なのか、と。彼が指しているのは私の歌の歌詞のことなのだと理解するには、やや時間を要した。なんせ私は英語やイタリア語ではなくれっきとした日本語で、彼らと普通に会話をしている言語を使って歌っていたつもりなのだ。歌になったとたん、私の喋っているこの言葉は日本語に戻るのだろうか。それともはたまた、他の言語に変換され彼らに聞こえているのだろうか。答えは無かったが、どうやら歌をうたう時だけは自分は他の言語を使っているらしいということだけは分かった。実に奇妙な話である。
 
「もう一つ、聞いてもいいだろうか」
「私が分かることであれば、どうぞ」
 
今まで穏やかだったシンさんの雰囲気が、ほんの少しだけ、本当にほんのちょっとだけぴりっとしたように思えた。思わず身構える私に、シンさんは再び苦笑しながら問う。
 
「杏珠、君は魔導士なのか?」
「……はい?」
 
まどうし。ま、どうし?聞き覚えのない単語に、思わず聞き返すなんて大変失礼なことをしてしまったがそれ以外に答えようが無く「まどうしって、何ですか?」とアホ丸出しな返事をしてしまった。もしかしたらこの世界の常識なのかもしれないと思った後ではあったが。
その言葉を聞くと彼はふっと緊張の糸が切れたように豪快に笑って「だよなぁ」なんて言った。前言撤回、失礼なのはシンさんの方である。
 
 

 
 
「マスルール、シャルルカン」
 
自らの宿に帰って来たシンドバッドは、どさりとソファーに身を預ける。いつもとは違う上司の声色に、呼ばれた二人は背筋をしゃんと伸ばし彼の前に立った。
 
「手掛かり、見つかったんですね」
「ああ」
 
シンドバッドはさきほどとは打って変わったように獲物を狙う鷹の目のような鋭い眼光を携えながら、低い声で二人に告げる。
 
―今夜だ。
 
それを聞いたシャルルカンとマスルールは一瞬互いの間で目配せすると膝をつき手を組みながら声を揃えて言った。
 
 
「仰せのままに、王よ」


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