霊感少女Sの非的日常。 | ナノ


  




今から行われることに対する代償としては、告げられた条件はいささか軽いように思われた。
 
『昨日告白された女の子に、謝りに行くこと』
 
何を言われるんだろうと内心怯えていた俺は、拍子抜けした。
だが久遠さんは真剣な顔をしてこちらを伺っている。
いつも何考えているのか分からない彼女の珍しい表情に思わずほんの数秒止まってしまったが、
「わかったっス」
と答えると彼女は無言で頷いた。
 
「じゃあ始めるから後ろ向いて」
「え、もうやるんスか?」
「こういうのは早い方がいいし、今回は別に準備いらなさそうだから」
「そ、そういうもんスか…」
「早くしな」
 
戸惑っている俺にイライラしたのか、鋭い声に慌てて久遠さんに背中を向けた。
彼女が近づいてくる気配がし、俺のすぐ近くで止まる。
なんだか周りの温度が10度くらい下がったように感じ、思わず身震いした。
さっきまで聞こえていた吹奏楽の音も、聞こえない。
まるで一瞬で俺ら二人しかこの世界にいなくなったかのよう。
そんな変なことを考えて、眩暈がした。
 
「あ、あの久遠さ…」
「黙って」
 
今まで聞いたことないほどの彼女の辛辣な声に思わず振り返りそうになった瞬間、
 
バンッ
 
「いっだぁ!!!!」
 
背中の左側を女子とは思えない力で叩かれ、思わず叫ぶ。
 
「ななな、何するんスかぁ!!」
「はい、終わり」
「…え?」
 
彼女に叩かれた衝撃で気づかなかったが、さっきまでの異世界の感覚は何処にもなかった。
明るい夕日が差し込む教室。
吹奏楽の音は幾重にも重なり、ハーモニーを奏でていた。
 
「これだけ…っスか?」
「やってあげたんだから早く謝ってきな」
 
あの子、…戸田さん今美術室に居るから。
 
「は、はいっス…」
 
押されるようにして教室を出る。
何で分かるんだと少し疑問に思いながら、美術室まで行こうと足を踏み出し異変に気づく。
 
頭が、軽い。
 
最近悩みの種だったうっすらとした頭痛も今は微塵も感じることがなく、
心なしか視界もいつもよりクリアになっている気がした。
それに、何だか胸もすっきりしている。
 
「マジかよ…」
 
実は半信半疑だったなんて言えない。でもこれは信じるしかない。
彼女、久遠小夜は俺に悪さをしている何かを、祓ってくれたんだ。
 
「とりあえず美術室…行くか」
 
 
 
 
 
 
「あの、すいません。戸田さんってここにいるっスか?」
 
美術を選択していない俺は滅多に訪れることのない美術室のドアをノックして
近づいてきた顧問らしい先生に話しかける。
美術部は部活終了の時間が早いらしく、時計がまだ5時を指しているといえどもそこには部員の姿はいなかった。
もしかしてあの子は帰ってしまったのではないかという疑問が頭の中を掠ったが、
 
「戸田さんならまだ残ってるわよ。一人だけどね」
 
といい中に入れてくれた。
 
「丁度良かったわ。私は職員室に行くから、戸田さんにこれ渡してくれる?」
 
と言われ手渡されたのは鍵。おそらく美術室のだろう。
油性の絵具か、美術室は独特の匂いを放っている。
その奥に、ぽつんと夕日を浴びながらも自分の目の前にあるキャンパスを
ぼんやりと眺めている女子を見つけた。
長い黒髪のせいで、表情を見ることはできなかったが少なくとも元気ハツラツという様子では無い。
それもそうか、と思う。
昨日の今日なのだから。
 
「あの、戸田さん」 
 
実は久遠さんに言われるまで知らなかったその子の名前を遠慮がちに呼ぶ。
彼女はゆっくりふりむくと、大きく目を開いた。
その目は昨日泣きはらしたのであろう、赤く腫れているのに気付き僅かに心が痛む。
 
「黄瀬、くん…」
「どもっス」
 
掠れた声。やはりもう一度小さく胸がキリリとした。
 
「なに…」
「あの、昨日は…酷いこと言って、」
 
ごめん。
 
俺は頭を下げる。誰かにこんなにちゃんと謝るなんて、何年ぶりだろうか。
目の前の彼女がうろたえるのが分かった。
それでも、自分から頭を上げることはしなかった。
 
「黄瀬君、と、とりあえず…頭上げて」
 
頭を上げ視線を彼女に戻す。困惑した表情に、そうだよなと思う。
 
「俺、昨日ちょっとイライラしてて…言い訳かもしんないスけど、その…」
「黄瀬君、あのね」
 
ちょっと聞いてほしいことがあるの。
彼女は小さな相変わらず掠れた痛々しい声で、呟いた。
 
「黄瀬くんは覚えてないと思うんだけど…
 入学してすぐ、上級生に絡まれてる私を黄瀬君が助けてくれたの」
 
えっと思わず目を少し開く。
彼女はそんな俺を見ながら、続けた。
 
「やっぱり忘れちゃったよね…でも、私は凄く嬉しくて、それで…黄瀬君のことが好きになっちゃったの」
 
だから顔目当てって言われて、とっても悲しかった。
腫らした目を伏せながらぽつりと言った彼女を見て、初めて俺は、
 
罪悪感を感じた。
 
「本当、ごめん…」
「いいの。黄瀬君を好きになった理由を知ってくれただけで、嬉しいから」
 
どうして昨日あんなことを言ったんだろう。
彼女はどれくらい傷ついたんだろう。
彼女はどれくらい泣いたんだろう。
どうして俺はそれが分からなかったんだろう。
 
「俺を、好きになってくれて…ありがとう」
 
そこで彼女は一瞬目を大きく開き、そしてふわっと笑った。
夕日が照らしとても綺麗に見える。
反対に俺は泣きそうになった。
夕日の赤色が、俺を責めているように見えた。
 

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